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eskky28

Author:eskky28
男、46才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
伊弉諾神宮へ参拝
久しぶりに神社に参拝させて頂いたときのことに戻ります。
おのころ島神社の次に参拝させて頂きました。

昨日(9/24)にこの記事を書いていたら、パソコンが画面が消えているのに
電源は入ったまま何も受け付けず諦めてスマホで写真を貼り付けていました。
朝起きてからパソコンをみたら電源が切れていたので、入れると普通につきました。
ブログを確認すると、保存されておらず一切進んでいませんでした。ガクッとなりました。


平成三十年 四月二十九日に参拝させて頂きました。

兵庫県淡路市多賀740に鎮座。
伊弉諾神宮(いざなぎじんぐう)は、兵庫県淡路市多賀にある神社。式内社(名神大社)、淡路国一宮。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
所在地である旧一宮町(現 淡路市)の地名は、当社に由来する。通称「一宮(いっく)さん」「伊弉諾さん」。

伊弉諾神宮は、古事記・日本書紀の冒頭にその創祀を記し、神代の昔に伊弉諾大神 が、御子神の天照皇大御神に統合の権限を委ね、淡路の多賀の地に「幽宮(かくりのみや)」を構えて余生を過された神宅の旧跡と伝えられてゐます。ここで終焉を迎へた伊弉諾大神は、その宮居の敷地に神陵を築いて祭られました。これを創祀の起源とする最古の神社が伊弉諾神宮です。明治以前は、神陵の前方に本殿がありましたが、明治初年の国費により造営で、神陵の墳丘を整地して本殿を真上に移築し、現在の景観に整へました。
平安時代の延喜式の制では、名神大社。三代実録には神格一品。明治の制度では官幣大社に列格し、古くから淡路國の一宮と崇められ、地元では日本第一番の宮であることから「いっくさん」とも呼ばれます。また日之少宮、津名明神、多賀明神、淡路島神、一宮皇大神とも別称されてゐます。
昭和二十九年に、昭和天皇が「神宮号」を宣下されましたので、伊弉諾神宮と改称し、兵庫県下唯一の「神宮」に昇格しました。
(ホームページより抜粋)

境内に無料駐車場はあるのですが満車で、少し離れた(3分くらい)無料駐車場に停めました。
4~50台停めれると思います。


【社号標と第一鳥居】
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【第一鳥居】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【第二鳥居】
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【手水舎】
201809242242255a9.jpeg


【手水舎の亀】
龍でなく亀になっており珍しいですね。
20180924224323a5a.jpeg


【神門】
20180924224513fa7.jpeg


【拝殿】
20180924224655da1.jpeg


【拝殿の扁額】
201809242246032b3.jpeg


【夫婦大楠】
樹齢約九百年。元は二本の「楠」がいつしか根を合わせて一株に成長したもので、御神霊が
宿り給う御神木と信仰されており、淡路の古地誌にも、「連理の楠」と記されています。

20180924224840ed3.jpeg


【太陽の運行図】
伊弉諾神宮を中心に
夏至の日の出は諏訪大社から昇り、日の入りは出雲大社へ沈む直線
春分秋分の日の出は伊勢内宮から昇り、日の入りは海神神社へ沈む直線
冬至の日の出は熊野那智大社から昇り、日の入りは高千穂神社へ沈む直線
太陽の運行の中心地になっていると説明しています。
20180924225010bf7.jpeg


【太陽の運行図 ズーム】
偶然でなく意図的に神社が配置されているのかと大変驚きました。
20180925213537ef8.jpeg


【日時計 北】
太陽の運行図の石碑の隣に日時計がおいてあり、
その方角にある神社名が書いてありました。
東西南北以外に間の北東など斜め方向もありました。
20180925214402df1.jpeg


【日時計 南】
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【日時計 東】
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【日時計 西】
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【御朱印】
201809242302366e5.jpeg


【お土産】
たまねぎの焼酎です。道の駅で購入しました。
大変飲みやすくて、おいしかったのですぐになくなりました。
20180924230417e5f.jpeg


【御祭神】
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
伊弉冉尊(いざなみのみこと
【創建】
神代(日本書紀・古事記による)
【ご由緒】
『日本書紀』・『古事記』には、国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、
最初に生んだ淡路島多賀の地の幽宮(かくりのみや、終焉の御住居)に鎮まったとあり、
当社の起源とされる。
伊弉諾尊の幽宮と伝わる場所は、他に滋賀県の多賀大社があるが、
これは『古事記』の真福寺本の「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」
(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)との記述による。
ただし、多賀大社の祭神は南北朝時代の頃までは伊弉諾尊ではなかったことが
判明しており『古事記』の記述と多賀大社を結びつけることはできない。
『古事記』では「近江」は「近淡海」とするのが常で、同じ『古事記』でも
真福寺本以外の多くの写本が「故其伊耶那岐大神者坐淡路之多賀也。」
になっており、その他の諸々の理由から、学界でも「淡海」でなく「淡路」を
支持する説が有力である(武田祐吉、直木孝二郎等)。
なお、『日本書紀』では一貫して「淡路」と記され、「近江」に該当する名はない。
Wikipediaより抜粋


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日本発祥 - 国生みの聖地 おのころ島神社(兵庫県淡路島)へ参拝
平成三十年 四月二十九日に参拝

おのころ島神社へ参拝させて頂きました。
兵庫県南あわじ市榎列(えなみ)下幡多415に鎮座しています。
神社前の道路を渡ったところに、40台ぐらい停めれそうな無料駐車場がありました。


前回の記事の阿波国一宮の3社を参拝した後、徳島ラ-メンを食べてから
淡路島を目指しました。

淡路島で6社参拝したかったのですが、流石にG.Wですから渋滞が出てきて
中華そば「西食」からおのころ島神社へは、
道がすいていると約45分ぐらいかかるところ、約75分かかりました。
自凝島神社(おのころじまじんじゃ)に着いたのが15時頃でした。

参拝は2社に絞り込みました。太陽の道、レイライン、西のお伊勢様の
淡路三宮「伊勢久留麻神社」など次回参拝させて頂きます。

自凝島神社(おのころじまじんじゃ)でも時間がなく
神社から少し離れたところにある『天の浮橋』にも
次回参拝させて頂きたいです。


【自凝島神社(おのころじまじんじゃ)】
伊弉諾命(イザナギのミコト)・伊弉冉命(イザナミのミコト)を主祭神として
菊理媛命(キクリヒメのミコト)を合祀する。
当社が鎮座する丘が両神による国産み・神産みの舞台となった自凝島であると伝えている。
このことから縁結びや安産などの御利益があるといわれる。
高さ21.7メートルの大きな鳥居がランドマークとなっている。
この鳥居は平安神宮及び厳島神社と並び「日本三大鳥居」の一つに数えられる。

難読であるため境内の石標・案内板や周辺道路の道路標識、道路地図などでは、
もっぱらおのころ島神社という表記が用いられている。
なお磤馭盧島神社という表記もあるが、これはほとんど使われていない。
Wikipediaより抜粋


【国生み神話】
古事記、日本書紀によると、伊弉諾尊(いざなぎ)・伊弉冊尊(いざなみ)の二神が「天の浮橋」に立って、
「天沼矛(あめのぬぼこ)」をもって海原をかきまわし、その矛を引き上げたときに、
矛の先から滴り落ちる潮(しお)が凝(こ)り固まって一つの島となった。
これが「おのころ島」で、二神は、その島に降りて、夫婦の契りを結んで国生みをされた。
はじめに造られたのが淡路島でつぎつぎと大八洲(おおやしま)の国々(日本列島)をつくられたとあります。
 
【おのころ島は葦原国(あしはらのくに)】
おのころ島は、旧三原町のおのころ島、旧南淡町の沼島、淡路町の絵島、
淡路島全体がおのころ島であるなど、いろいろな説があります。

おのころ島は、現在、陸地にありますが、おのころ島の産宮神社(お砂所)があり、
自凝島神社の塩砂は、大八洲の国生みの故事である「天の沼矛」から滴り落ちた塩なのです。
縄文時代には、水辺に群生する葦が最近まで島の北部一帯に広がっていたことからも、
むかしは、海の中に浮かぶ小島であったと考えられています。

【自凝島神社(おのころじまじんじゃ) 大鳥居】
20180606234601e67.jpeg


【自凝島神社(おのころじまじんじゃ) 手水舎】
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【自凝島神社(おのころじまじんじゃ) 参道】
20180607192124015.jpeg


【自凝島神社(おのころじまじんじゃ) 正殿】
正殿は、大鳥居をくぐり石階段を登った正面にあります。
おのころ島神社の正殿は伊勢神宮と同じ神明造となっており、
また伊勢神宮の内宮の鰹木は十本、外宮は九本あり、おのころ島神社は、八本となっております。
正殿では結婚式や七五三・お宮参りなどの各御祈祷が行われます。

201806071923115e1.jpeg


【自凝島神社(おのころじまじんじゃ) 鶺鴒石(せきれいいし)】
伊弉諾命・伊弉册命の二神様は、正殿前にあるこの石の上につがいの鶺鴒が止まり
夫婦の契りを交わしている姿を見て、夫婦の道を開かれ御子様をお生みになられました。

20180607192535ca8.jpeg

『新しい出会いを授かりたい場合』
 白 → 赤
の順に縄を握り、思いを込めてお祈り下さい。

『今の絆をより深めたい場合(お1人で来られた際)』
赤 → 白
の順に縄を握り、思いを込めてお祈り下さい。

『今の絆をより深めたい場合(お2人で来られた際)』
赤(男性) → 白(女性)
の縄を握り、手を繋いで、思いを込めてお祈り下さい。


【自凝島神社(おのころじまじんじゃ) 正殿裏にある八百萬神社】
正殿の西側御奥に八百萬神社があります。
伊弉諾命・伊弉册命の御子神様を奉斎しております。
20180607193050f1d.jpeg


【自凝島神社(おのころじまじんじゃ) 八百萬神社ご由緒】
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【自凝島神社(おのころじまじんじゃ) 離れて横から】
島にも見えるし、古墳にも見えました。
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【自凝島神社(おのころじまじんじゃ) 御朱印】
2018060719370105d.jpeg

【御祭神】
伊弉諾命
伊弉冉命
【創建】
不詳
【ご由緒】
当神社は、古代の御原入江の中にあって伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり
古くから「おのころ島」と親しまれ崇敬されてきました。
古事記・日本書紀によれば神代の昔国土創世の時、二神は天の浮橋にお立ちになり、
天の沼矛を持って海原をかき回すに、その矛より滴る潮がおのずと凝り固まって島となる、
これが自凝島である。
二神はこの島に降り立たれ、八尋殿(やひろでん)を建て
先ず淡路島を造り次々と大八洲(おおやしま)を拓かれたと記されています。
当神社には伊弉諾命・伊弉冉命の二神がお祀りされており、縁結び、安産の神として知られています。
また、この二神は天照大御神様の親神様です。
【ご神徳】
健康長寿
良縁堅固
夫婦和合
安産の塩砂

【その他】
2006年3月3日に辺見えみりが自身のブログの中で、木村祐一との交際が始まる以前に当社を参拝し、
縁結びのお守りを購入していたことを明かした。
これが影響し、それまで1日に2、3人程度であった参拝客が10倍以上増加したという(女性セブン)。
なお、辺見えみりは2006年12月17日にも当社を訪れているとのことである(おのころ島神社)。

おのころ島神社ホ-ムペ-ジより抜粋


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門戸厄神 東光寺へ参拝(兵庫)
女子団体パシュート五輪新記録で金メダル獲得
おめでとうございます。

平成二十九年 三月十九日参拝

今回は門戸厄神 東光寺をお参りさせて頂きました。
私の父親がガンで入院中だったので、お参りして
お守り頂いてこようと思いました。
ここは私が厄除けのお祓いをして頂いたところ
でしたので、門戸厄神 東光寺にお参りさせて頂く
ことにしました。

【門戸厄神 東光寺 表門】


【門戸厄神 東光寺 中楼門


【門戸厄神 東光寺 中楼門 天井】


【門戸厄神 東光寺 南門】


【門戸厄神 東光寺 御朱印】



【本尊】
薬師如来
【創建】
天長6年(829年)
【宗派】
高野山真言宗
【山号】
松泰山
【御由緒】
嵯峨天皇の41歳の厄年にあたる天長6年(829年)、空海(弘法大師)により厄除祈願が行われた。その際嵯峨天皇は愛染明王と不動明王が一体となって厄神明王となりあらゆる厄を打ち払うという霊感を得、空海に祈願を命じた。 空海は愛染明王と不動明王が一体となった厄神明王像(両頭愛染明王像)を三体刻み、高野山の天野大社、山城の石清水八幡宮、門戸東光寺へそれぞれ国家安泰、皇家安泰、国民安泰を願って勧請したが、現在残っているのは東光寺のもののみであるという。

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