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eskky28

Author:eskky28
男、46才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
玉造稲荷神社へ参拝
玉造稲荷神社へ参拝
平成三十年 一月十四日参拝
今回は玉造稲荷神社→鵲森宮へ参拝させて頂きました。
大阪府大阪市中央区玉造2-3-8に鎮座する神社です。

参拝させて頂いたご縁は、真田幸村の大河ドラマを初めて最後までみたのですが
(歴史好きなのですが)その時のエンディングで幸村最後の地に三光神社があることを知り、
参拝させて頂こうと思い、他に近くにないかと調べると目にとまり参拝させて頂きました。

しかし肝心の三光神社は最後に参拝させて頂く予定だったのですが、目の前まで行ったのですが
時間が間に合わず次回に参拝させて頂きます。

玉造稲荷神社は垂仁天皇18年(西暦 紀元前12年)の秋に創祀されたと伝えられ用明天皇3年に改築。
聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際、
この玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願されたところ、
のちに枝葉が生じ、この戦いも無事に終わったといわれています。

【境内】
厳嶋神社(市杵嶋姫神) -- 現在地の池(白龍池)に白龍観音が出現したことにより
弁才天を祀ったもので、神仏分離により祭神を市杵嶋姫神とした。
雨乞いの神として信仰される。

万慶稲荷神社(宇迦之御魂大神) -- 大坂城内の各地に祀られていた稲荷社を、
享保年間に一社に合祀し当社境内に祀ったものである。

新山稲荷神社(宇迦之御魂大神) -- 寛政11年(1799年)、当時の大坂城代・松平輝和が
城代屋敷内に当社の分霊を祀ったものである。
1907年(明治40年)、当社境内に遷座された。
新山稲荷は現在の大阪府立清水谷高等学校敷地内に在った。

胞衣塚大明神 -- 豊臣秀頼の胞衣を祀る。
当初は大坂城三の丸に当たる現在地に胞衣が埋められ、
その後は豊臣家を慕う当地の人々により密かに祀られていた。
1945年(昭和20年)、戦災により焼失し、寺山町(現 上町一丁目)、
東阪町(現 玉造一丁目)に遷座していた。
1983年(昭和58年)、大坂築城400年を記念して元の鎮座地に遷座された。
子供の夜泣きに霊験ありとされる。

豊臣家奉納鳥居 -- 慶長8年(1603年)、豊臣秀頼により社殿再建時に奉納された石鳥居。
阪神・淡路大震災により基礎に損傷を受け、現在は上部・脚部に分け、境内に置かれている。

豊臣秀頼公銅像 -- 2011年(平成23年)10月13日に建立・除幕式。

浪花講(お伊勢参り)―伊勢参りが流行した当時の玉造は、大坂以西の伊勢参り出発地であり旅立つ人、またそれを見送る人々でたいへん賑わっていた。町には市場や茶店、菅笠屋等の旅支度を整える店が軒を並べ、道中の安全を当神社で祈願した旅人らが先ず暗峠を目指し旅立って行った。また、江戸などの旅人は伊勢参りを終えた後、遊楽地を求め更に足をのばし大坂へも立ち寄った。その玄関口としての役割も玉造は担っていた。


江戸時代に街道、宿駅制度が整えられたことにより、人々にとって旅がとても身近なものとなった。
しかし、当時の旅は現在と違い安全性はまだまだ乏しかった。街道での事件、事故、旅籠屋での「ぼったくり」、「相部屋」等の不安をかかえながら旅人は伊勢参りへでた。
当時、大坂の玉造に拠点をおき、全国に行商していた唐弓弦師・松屋甚四郎とその手代・源助は、行商の経験から旅人に安全で信頼のおける旅を提供しようと文化元年(1804)に旅籠の組合である「浪花組」(世話人:松屋甚四郎 発起人:まつ屋源助 ※天保12年(1841)に「浪花講」と名を改める)をたちあげた。この浪花講が指定する優良旅籠屋や休憩所では、「旅人の賭け事・遊女を買う事・酒を飲んで騒ぐ事」等を禁止し、浪花講の看板を軒先に掲げることにより旅人への目印とし、不良旅籠屋等と見分けがつくようにした。更に、旅のガイドブックである『浪花講定宿帳』等を発行し、旅人は定宿帳に記載された街道を歩き、鑑札を宿で提示することにより安心して宿をとる事が出来た。
伊勢参りの出発地である大坂・玉造で創業したこの組織は全国的に広がり、現在の協定旅館・旅行社のルーツにもなったのである。また、「浪花講」講元であった松屋甚四郎の創業地には現在、当神社分社が建ち、平成26年10月には当時の浪花講の看板をモチーフにした「浪花講発祥の地」碑が建立された。

【第一の鳥居】
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【第二の鳥居】
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【拝殿】
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【「浪花講発祥の地」碑】
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【豊臣家奉納鳥居】
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【豊臣秀頼公銅像】
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【御朱印】
20181104122905d2d.jpeg


【御祭神】
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。
【創建】
伝・垂仁天皇18年
【ご由緒】
社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。
蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、
戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。
豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。
戦国時代の戦火で荒廃し、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建された。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、
元和5年(1619年)に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。
社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化するために、寛政元年(1789年)、
東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む「砂持」が行われた。
豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。
江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。
文久3年(1863年)11月の大坂大火(新町焼)で焼失するが、1871年(明治4年)に再建。

現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、
勾玉などを作っていた玉作部の居住地であったという伝承がある。
現在の社殿は1945年(昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲で焼失した後、
1954年(昭和29年)に再建されたものである。
1986年(昭和61年)、創祀二千年を記念して境内に難波・玉造資料館が開館した。
Wikipediaより抜粋


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原田神社へ参拝
原田神社へ参拝
平成三十年 一月七日参拝
今回は萩の寺→原田神社へ参拝させて頂きました。
大阪府豊中市中桜塚1丁目2-18に鎮座する神社です。

創建当初から祇園社と呼ばれていたらしいので、早々に牛頭天王と習合していたと思われます。
当時はかなり力のある神社だったようで川辺郡の総産土神であったと言われています。

川辺郡といえば東は吹田市江坂、西は尼崎の中北部までという、かなり広い範囲です。
産土神とはその名の通り、自分の生まれた土地の神様です。

私の産土神になると思われます。
参拝当時はそのようなことことも知らず、ブログをすることも考えていなかったので、
写真もほとんどありません。
また参拝時に色々撮らせて頂きたいと思います。

【鳥居】
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【拝殿】
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【御朱印】
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【主祭神】
須佐之男命(牛頭天王)
何かで読んだのですが、素戔嗚尊と表記する場合は、日本書記に則ったもので天津神系から
祀られた神社になるそうです。意味はみすぼらしく、卑しく、女々しく泣く男という意味だそうです。
バカにした表記ということですかね?漢字が入ってくるまでは音ですからね。漢字は当て字。
善意や悪意で漢字の表記は違うのでしょうね。
【創建】
4世紀中頃 – 5世紀末
【別名】
桜墓
桜塚神、桜塚神祠
祇園神祠、祇園社
牛頭天王社、桜塚牛頭天王
西牧総社
原田大明神
【ご由緒】
原田神社の社伝によると、桜塚古墳群の故地に4世紀中から5世紀末頃創建されたとされ、古代には素戔嗚尊など五神をまつり祇園神社と称した。 また白鳳12年(684年)6月18日に天武天皇が神宝・神鏡・素盞男命御鏡・獅子頭を奉納したことから大宮と称し、皇族や武家より厚く崇敬を受けた。 鎌倉時代以降には牛頭天王信仰と習合し、東は豊嶋郡榎坂村(現吹田市江坂)から、西は川辺郡富松村(現尼崎市富松)にわたる摂津国中西部72村の産土(うぶすな)神社となり、「西牧総社」と呼ばれ崇められた。また足利氏、殊に義澄、義晴、義輝の3代からは厚い信仰を受け、神領として西牧六車(むぐるま)の庄(桜塚・原田・曾根・勝部・走井・福井)の寄進をうけている。
天正6年(1578年)に荒木村重の兵火にかかり、境内社の十二社殿本殿及び神宝等を除き全焼。仮殿を経て慶安5年(1652年)、現在の本殿が再建された。もとは祇園社(ぎおんしゃ)とも牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも呼ばれていたが、貞享2年(1685年)に神祇管領から「原田大明神」の神号を得て現在の社名となった。
江戸時代に入ると境内地は狭められていったが、境内地に接した門前町は能勢街道と伊丹街道の結節点としても栄えるようになり、この市街地が現在の岡町の基となった。明治43年(1910年)に開通したころの阪急電車の写真を見ると神社の中に岡町駅があるように見える。
近代社格制度のもと、明治に入って郷社に列格されたが、昭和16年(1941年)に府社に昇格した。
現在、神社本庁には加盟していない単立神社である。
Wikipediaより抜粋

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東光院(萩の寺)へ参拝
昨日はボルダリングを朝から夕方16時頃までしてきました。
課題入れ替え前最終日ということで頑張ってきました。
(体はあちこち痛くボロボロです。)

五級のこり4つのうち2つ残ってしまいました。
クリアした一つはおまけですが。
ゴールを片手まではいけるのですが、どうしても両手では持てなかったのです。
(両手で完全に持ててクリアなのです)

またイチから頑張ります。自分との闘いです。

平成三十年 一月七日参拝
今回は萩の寺→原田神社の順に参拝させて頂きました。
大阪府豊中市南桜塚にある曹洞宗の寺院です。
境内に萩が植えられ「萩の寺」とも称され、新西国三十三箇所第12番札所であります。

実家の近くにありますが、参拝したことがありませんでした。
御朱印を頂くようになり、前々から参拝させて頂きたかったところ、
実家で新年会で集まる機に参拝致しました。

七草粥を無料でふるまっていましたので、頂きました。
あと阪急電鉄の七福神めぐりの参拝者の団体がいらっしゃり賑やかでした。

【山門】
天保6年(1835)10月18日開扉〈六世 一雲全龍代〉
霊場萩の寺の御本尊、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)(行基菩薩御作)の解脱門(げだつもん)として、宝歴7年(1757)6月全竜禅師によって建立された総欅(そうけやき)造りの山門です。
大正4年大阪市北区中津より現在地に移建されました。阪神・淡路大震災により大破しましたが平成7年7月に多くの皆様の善意により修復されました。
大阪時代この門前には「萩の橋」がかかり(記念碑は今も中津1丁目に現存)、大阪城代をはじめ諸大名が参詣されたと伝えられています。古来より萩の寺の代表的景観として親しまれています。
ホームペ-ジより抜粋
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【本堂】
吉祥林(きっしょうりん)・圓通殿(えんつうでん)
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【マチカネ君】
豊中市のマスコット。
確か豊中市待兼山町の地層からワニの化石が発見されたとかだったと思います。
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【道了大権現堂(どうりょうだいごんげんどう)】
祭神の道了大権現は、名を妙覚と号し、修験道の奥義を極め、神変自在の神力を現した室町時代の禅僧で、小田原の大雄山最乗寺の開山・了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師に随身していましたが、応永18年(1411)了庵禅師遷化の翌日、山門守護を誓願、天狗に化身して神籍に加えられた仏様です。関東地方では「小田原の道了さん」と呼ばれ、畏敬され信仰されています。
天正18年(1590)、豊臣秀吉公が小田原征伐の陣中にて夢告を受け、「両翼脱落」の奇瑞を得たことから、遠く大阪の発展を願って大雄山最乗寺より勧請されました。以来、「道了祭」は大阪の名物とされ、火神商神・火盗除災・心願成就の権現様として多くの善男善女の帰崇をお受けになっています。
おまつりしている道了堂は、寺伝では小田原藩の寄進で大阪市内玉江橋付近に建てられたものを移築したもので、『摂津名所圖繪檜大成』に「道了権現祠 右同所東小田原御蔵やしき内にあり霊験いやちこなりとて詣人絶えることなし」という記事がそれに該当し、明治36年に中津本院を経て、豊中の現在地に移築されました。
ホームペ-ジより抜粋
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【本尊】
薬師如来
【創建】
(伝)天平年間(729年~749年)
【宗派】
曹洞宗
【山号】
仏日山
【御由緒】
元は大阪市北区中津にあり、1914年(大正3年)に現在地へ移転した。境内の随所に萩が植えられているため「萩の寺」と称されており、毎年9月には「萩まつり」が催される。正岡子規も当寺の萩を賞して句を残し、境内に句碑が立てられている。
天平年間(729年から749年)行基によって創建されたと伝えられ、1681年(天和元年)曹洞宗に改められたという。本堂には本尊薬師如来坐像のほか、札所本尊の十一面観音立像、西国七福神の一番とされる毘沙門天及び両脇侍像、平安時代の作で、国の重要文化財に指定されている木造釈迦如来坐像などが安置されている。
1873年(明治6年)には、大阪天満川崎(現・大阪市北区天満1丁目、造幣局一帯)にあった川崎東照宮が廃社されるのに伴い、東照宮本地堂「瑠璃殿」(現・東照閣仏舎利殿)とその本地仏である徳川家康ゆかりの厄除薬師如来坐像(現・三十三観音堂本尊)を当地に移す。
十一面観音立像は「こより観音」と通称され、1985年(昭和60年)の修理で、法華経の料紙を「こより」にしたものを衣として着せ掛けた、全国的にも珍しい仏像であることがわかった。
なお庭園「萩露園」の名称は北大路魯山人が命名したものである。
Wikipediaより抜粋

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坐摩神社へ参拝(大阪)
平成二十九年 九月三日参拝

坐摩神社(いかすりじんじゃ)摂津国一宮へ参拝させて頂きました。
正式な読み方は「いかすりじんじゃ」ですが、一般には「ざまじんじゃ」と読まれることが多く
地元では「ざまさん」の通称で呼ばれているそうです。

大阪市内でもビジネス街のど真ん中でビルに囲まれている場所にありました。
家からは高速道路は使わずに25分くらいで着きました。
駐車場も4,5台停めれたと思います。

神紋は「白鷺」で、写真にも撮りましたが、植木鉢にかわいい白鷺みたいな花が咲いていました。
さぎ草はラン科の多年草で、白鷺が羽を広げたような純白の花を咲かせます。

大小3つの鳥居が横に組み合わさった珍しい「三ツ鳥居」が迎えてくれます。

【坐摩神社 鳥居】


【坐摩神社 三ツ鳥居】


【坐摩神社 白鷺みたいな花】


【坐摩神社 御朱印】

【御祭神】
祭神は以下の5柱で、「坐摩神」と総称している。

生井神 (いくゐのかみ) - 井水の神(生命力のある井戸水の神)
福井神 (さくゐのかみ) - 井水の神(幸福と繁栄の井戸水の神)
綱長井神 (つながゐのかみ) - 井水の神(「釣瓶を吊す綱の長く」ともいわれ、深く清らかな井戸水の神)
波比祇神 (はひきのかみ) - 竃神(屋敷神。庭の神)
阿須波神 (はすはのかみ) - 竃神(足場・足下の神。足の神であり旅の神)
【創建】
神功皇后年間
【ご由緒】
当社の始まりは、神功皇后が三韓征伐より帰還したとき、淀川河口の地に坐摩神を祀ったことだとされる。今でも旧社地であった坐摩神社行宮には「神功皇后の鎮座石」と言われる巨石が祀られている。延喜式神名帳では摂津国西成郡唯一の大社に列し、住吉大社と同じく摂津国一宮を称している。『万葉集』の中には、難波津から西国へ向かう防人が旅の安全を坐摩社に祈る歌がある。同社の神紋が白鷺なのも、神功皇后が坐摩の神の教えにより白鷺の多く集まる場所に坐摩神を奉遷なされたことに由来する。

創建時の社地は現在と異なり、渡辺津・窪津・大江などと呼ばれたかつての淀川河口である。旧社地は遷座後に御旅所が置かれた現在の中央区石町(こくまち)に推定され、天神橋 - 天満橋間の南、近世以降「八軒家」と呼ばれる地に概ね該当する。なお、石町には摂津国の国府も置かれており、町名は国府の転訛と言われている。平安時代後期には源融にはじまる嵯峨源氏の源綱(渡辺綱)が渡辺津に住んでこの神社を掌り渡辺を名字とし、渡辺氏を起こした。渡辺綱の子孫は渡辺党と呼ばれる武士団に発展し、港に立地することから水軍として日本全国に散らばり、瀬戸内海の水軍の棟梁となる。

渡辺津は窪津ともよばれ、京からの船が着く熊野古道の基点でもあった。熊野三山への参詣道沿いに立っていた「熊野九十九王子」のうち、最初の「窪津王子」はこの坐摩神社行宮の場所にあったと思われる。

所在地の現在の町名は「久太郎町四丁目渡辺」と、番地ではなく「渡辺」となっている。神社と氏子が渡辺津から移転してきたことで、江戸時代から既に「北渡辺町」「南渡辺町」という町名になっており、1930年(昭和5年)に「渡辺町」となった。

しかし、1988年(昭和63年)に旧南区・東区の統合に伴う地名変更の際、「渡辺町」は統合されて消えることとなった。そこで、渡辺姓の末裔で作る「全国渡辺会」が渡辺の名のルーツである渡辺町の消滅に対し反対運動を起こした。結局市は苦肉の策により、丁目の次の街区番号に「渡辺」の名を残すことで決着をみた。

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磐船神社へ参拝(大阪)
平成二十九年 八月二十日参拝

今回は大阪府交野市にある磐船神社へ参拝させて頂きました。
またまた私の好きな饒速日命が御祭神の神社です。
すごく小さな神社でしたが、天の磐船のスケ-ルの大きさに
神秘性を感じました。

磐船神社は物部氏の遠祖神(とおつみおや)天孫饒速日命をお祀りする神社です。
天の磐船を御神体とする饒速日命降臨の聖地です。
十種瑞宝鎮魂は日本の祈祷の根本であり、饒速日尊が天照大神より授かり伝えたものです。
御神体や行場岩窟をはじめとする巨石群は古代の磐座祭祀を現代に伝え、古代の人々と同じ空間を体感できる場です。

私は行かなかったのですが、磐船神社の岩窟めぐりは巨石の隙間をくぐり岩をよじ登るハイレベルな岩窟めぐりだそうです。
転落死亡事故により写真撮影禁止になりました。一人での岩窟めぐりも禁止になったそうです。

しかしここの岩窟めぐりはものすごくレベルが高いそうです。
まずは社務所に拝観を申し込みます。
拝観料と引き換えにタスキをわたされるそうです。

社務所では、高齢の方や、子供、足腰の弱い方は拝観できませんと言われます。もちろん飲酒されている方もダメ。女性でハイヒールの人、汚れて困るような服を着ている人、極端にふくよかな方もNG。岩に描かれた→マーク以外のルートを決して通らないこと。荷物も持たないこと。夜間・雨天時・増水時は拝観不可。社務所の方の忠告は絶対に守ってください。

親切にハシゴや階段がこしらえてあるものが多いなか、ここには皆無。
→マークを頼りに、岩と岩の間に身体を滑り込ませ、
湿気で滑る岩をどんどん登って行かねばならなく、当然服も泥だらけになるそうです。

ここは神聖な神社なので遊び感覚で来るようなところではありません。
本当に大ケガしそうな岩場を登っていると真剣にならざるを得ないから遊び気分などすぐ抜けるそうです。

30分ほど突き進んでいくとその先にあるのは天の岩戸。
あの天照大神(あまてらすおおみかみ)が籠もったという岩の扉があるそうです。

是非、次にお詣りさせて頂いたときは
岩窟めぐりをしたいと思いました。

【磐船神社 鳥居】


【磐船神社 鳥居】


【磐船神社拝殿と天の磐船】


【磐船神社 磐船】


【磐船神社 御朱印】

【御祭神】
饒速日命
【創建】
不明
【ご由緒】
神社の起源は不明であるが、天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと = 饒速日命)が天の磐船に乗って河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨されたとの伝承が先代旧事本紀にもある。 交野に勢力を保っていた肩野物部氏という物部氏傍系一族の氏神であり、一族が深く関わっていたといわれている。

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