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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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原田神社へ参拝 |
原田神社へ参拝 平成三十年 一月七日参拝 今回は萩の寺→原田神社へ参拝させて頂きました。 大阪府豊中市中桜塚1丁目2-18に鎮座する神社です。
創建当初から祇園社と呼ばれていたらしいので、早々に牛頭天王と習合していたと思われます。 当時はかなり力のある神社だったようで川辺郡の総産土神であったと言われています。 川辺郡といえば東は吹田市江坂、西は尼崎の中北部までという、かなり広い範囲です。 産土神とはその名の通り、自分の生まれた土地の神様です。
私の産土神になると思われます。 参拝当時はそのようなことことも知らず、ブログをすることも考えていなかったので、 写真もほとんどありません。 また参拝時に色々撮らせて頂きたいと思います。
【鳥居】
【拝殿】
【御朱印】
【主祭神】 須佐之男命(牛頭天王) 何かで読んだのですが、素戔嗚尊と表記する場合は、日本書記に則ったもので天津神系から 祀られた神社になるそうです。意味はみすぼらしく、卑しく、女々しく泣く男という意味だそうです。 バカにした表記ということですかね?漢字が入ってくるまでは音ですからね。漢字は当て字。 善意や悪意で漢字の表記は違うのでしょうね。 【創建】 4世紀中頃 – 5世紀末 【別名】 桜墓 桜塚神、桜塚神祠 祇園神祠、祇園社 牛頭天王社、桜塚牛頭天王 西牧総社 原田大明神 【ご由緒】 原田神社の社伝によると、桜塚古墳群の故地に4世紀中から5世紀末頃創建されたとされ、古代には素戔嗚尊など五神をまつり祇園神社と称した。 また白鳳12年(684年)6月18日に天武天皇が神宝・神鏡・素盞男命御鏡・獅子頭を奉納したことから大宮と称し、皇族や武家より厚く崇敬を受けた。 鎌倉時代以降には牛頭天王信仰と習合し、東は豊嶋郡榎坂村(現吹田市江坂)から、西は川辺郡富松村(現尼崎市富松)にわたる摂津国中西部72村の産土(うぶすな)神社となり、「西牧総社」と呼ばれ崇められた。また足利氏、殊に義澄、義晴、義輝の3代からは厚い信仰を受け、神領として西牧六車(むぐるま)の庄(桜塚・原田・曾根・勝部・走井・福井)の寄進をうけている。 天正6年(1578年)に荒木村重の兵火にかかり、境内社の十二社殿本殿及び神宝等を除き全焼。仮殿を経て慶安5年(1652年)、現在の本殿が再建された。もとは祇園社(ぎおんしゃ)とも牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも呼ばれていたが、貞享2年(1685年)に神祇管領から「原田大明神」の神号を得て現在の社名となった。 江戸時代に入ると境内地は狭められていったが、境内地に接した門前町は能勢街道と伊丹街道の結節点としても栄えるようになり、この市街地が現在の岡町の基となった。明治43年(1910年)に開通したころの阪急電車の写真を見ると神社の中に岡町駅があるように見える。 近代社格制度のもと、明治に入って郷社に列格されたが、昭和16年(1941年)に府社に昇格した。 現在、神社本庁には加盟していない単立神社である。 Wikipediaより抜粋
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