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eskky28

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男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
東光院(萩の寺)へ参拝
昨日はボルダリングを朝から夕方16時頃までしてきました。
課題入れ替え前最終日ということで頑張ってきました。
(体はあちこち痛くボロボロです。)

五級のこり4つのうち2つ残ってしまいました。
クリアした一つはおまけですが。
ゴールを片手まではいけるのですが、どうしても両手では持てなかったのです。
(両手で完全に持ててクリアなのです)

またイチから頑張ります。自分との闘いです。

平成三十年 一月七日参拝
今回は萩の寺→原田神社の順に参拝させて頂きました。
大阪府豊中市南桜塚にある曹洞宗の寺院です。
境内に萩が植えられ「萩の寺」とも称され、新西国三十三箇所第12番札所であります。

実家の近くにありますが、参拝したことがありませんでした。
御朱印を頂くようになり、前々から参拝させて頂きたかったところ、
実家で新年会で集まる機に参拝致しました。

七草粥を無料でふるまっていましたので、頂きました。
あと阪急電鉄の七福神めぐりの参拝者の団体がいらっしゃり賑やかでした。

【山門】
天保6年(1835)10月18日開扉〈六世 一雲全龍代〉
霊場萩の寺の御本尊、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)(行基菩薩御作)の解脱門(げだつもん)として、宝歴7年(1757)6月全竜禅師によって建立された総欅(そうけやき)造りの山門です。
大正4年大阪市北区中津より現在地に移建されました。阪神・淡路大震災により大破しましたが平成7年7月に多くの皆様の善意により修復されました。
大阪時代この門前には「萩の橋」がかかり(記念碑は今も中津1丁目に現存)、大阪城代をはじめ諸大名が参詣されたと伝えられています。古来より萩の寺の代表的景観として親しまれています。
ホームペ-ジより抜粋
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【本堂】
吉祥林(きっしょうりん)・圓通殿(えんつうでん)
2018102115234244e.jpeg


【マチカネ君】
豊中市のマスコット。
確か豊中市待兼山町の地層からワニの化石が発見されたとかだったと思います。
20181021152435e1d.jpeg


【道了大権現堂(どうりょうだいごんげんどう)】
祭神の道了大権現は、名を妙覚と号し、修験道の奥義を極め、神変自在の神力を現した室町時代の禅僧で、小田原の大雄山最乗寺の開山・了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師に随身していましたが、応永18年(1411)了庵禅師遷化の翌日、山門守護を誓願、天狗に化身して神籍に加えられた仏様です。関東地方では「小田原の道了さん」と呼ばれ、畏敬され信仰されています。
天正18年(1590)、豊臣秀吉公が小田原征伐の陣中にて夢告を受け、「両翼脱落」の奇瑞を得たことから、遠く大阪の発展を願って大雄山最乗寺より勧請されました。以来、「道了祭」は大阪の名物とされ、火神商神・火盗除災・心願成就の権現様として多くの善男善女の帰崇をお受けになっています。
おまつりしている道了堂は、寺伝では小田原藩の寄進で大阪市内玉江橋付近に建てられたものを移築したもので、『摂津名所圖繪檜大成』に「道了権現祠 右同所東小田原御蔵やしき内にあり霊験いやちこなりとて詣人絶えることなし」という記事がそれに該当し、明治36年に中津本院を経て、豊中の現在地に移築されました。
ホームペ-ジより抜粋
20181021152512492.jpeg


【本尊】
薬師如来
【創建】
(伝)天平年間(729年~749年)
【宗派】
曹洞宗
【山号】
仏日山
【御由緒】
元は大阪市北区中津にあり、1914年(大正3年)に現在地へ移転した。境内の随所に萩が植えられているため「萩の寺」と称されており、毎年9月には「萩まつり」が催される。正岡子規も当寺の萩を賞して句を残し、境内に句碑が立てられている。
天平年間(729年から749年)行基によって創建されたと伝えられ、1681年(天和元年)曹洞宗に改められたという。本堂には本尊薬師如来坐像のほか、札所本尊の十一面観音立像、西国七福神の一番とされる毘沙門天及び両脇侍像、平安時代の作で、国の重要文化財に指定されている木造釈迦如来坐像などが安置されている。
1873年(明治6年)には、大阪天満川崎(現・大阪市北区天満1丁目、造幣局一帯)にあった川崎東照宮が廃社されるのに伴い、東照宮本地堂「瑠璃殿」(現・東照閣仏舎利殿)とその本地仏である徳川家康ゆかりの厄除薬師如来坐像(現・三十三観音堂本尊)を当地に移す。
十一面観音立像は「こより観音」と通称され、1985年(昭和60年)の修理で、法華経の料紙を「こより」にしたものを衣として着せ掛けた、全国的にも珍しい仏像であることがわかった。
なお庭園「萩露園」の名称は北大路魯山人が命名したものである。
Wikipediaより抜粋

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