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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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ヤマト姫 伊勢国へ |
台風21号の影響で停電しましたが、翌日17時頃に自宅は復旧、 工場は翌々日の昼に復旧しました。 水道は使用できたから、まだましでした。 マンションでは水道もとまっていたそうです。 ニュ-スなどみると大阪でも南部(関西空港があるほう)被害が 大きかったところが多いような気がします。
前回からの続きです。
今からご紹介する『暴かれた古代史』は「飛騨の口碑」にもとづいて全国を調査して書かれた本です。
著者山本建造氏が飛騨の若田翁から、先祖代々からの言い伝えを託されました。 それは飛騨の古代史ですが、大和朝廷以前の歴史であり日本の古代史でもありました。
鏡を背負うヤマト姫 苦難の道遠し 世間には出雲のシラギ神崇拝教の信者が満ちており、誰がシラギ神崇拝教の信者かわからず、 親戚のなかにさえ信者がいる中での逃避行は、かつて天照大神の指示で飛騨から降りてきた 人達の住んでいるところを目指したと思われます。
「八咫鏡」を託されたヤマト姫の苦難の道のり 奈良県大宇陀町の宇多秋宮に四年 十三キロ離れた佐々波多宮に移られ 今度は三重県名張市の隠市守宮(なばりのいちもりのみや)に二年 上野市の穴穂宮に四年 伊賀町の敢都美恵宮(あえとみえのみや)に二年滞在され 滋賀県甲賀郡の甲可日雲宮に四年(こうかのひくものみや)に四年 滋賀県近江町の坂田宮に二年 岐阜県巣南町の伊久良河宮に四年 愛知県の中嶋宮 そしてついに伊勢国へ 三重県多度町・桑名野代宮に入られました。 (『倭姫命世紀』参照)
ヤマト姫 伊勢国へ 伊勢国といえば一の宮椿大神社です。そうです、鈴鹿の山本です。 その昔飛騨のスメラ命の先祖の分かれが鈴鹿に降りてきて地盤を築き、 大和の開拓を助け天孫降臨を助け一大勢力を誇っているのです。
三重県多度町・桑名野代宮にヤマト姫が着かれると、さっそく椿大神社・サルタヒコ大神の 子孫のオオタ(三輪山を乗っ取った大田タネコとは全く別の血筋)が馳せ参じ鮎を 天照大神にお供えされたという記録があります。 ここに四年おられた後、鈴鹿の山本へこっそり立ち寄られました。 天照大神と天皇に心から忠誠を尽くす椿大神社の方々とヤマト姫は 今後のことを相談されたのです。
この後オオタがお守りして道案内され 亀山市・奈具波志忍山宮(なくはしおしやまのみや) 津市・阿佐加藤方片樋宮(あさかのふじかたのかたひのみや)に四年 松阪市・飯野高宮に四年 多気郡明和町・佐々牟江宮(ささむえのみや) 伊勢市・伊ソ宮(いそのみや)ソの字が変換出来ませんでした。 大宮町・大河之滝原宮(おおかわのたきはらのみや) 伊勢市・矢田宮 伊勢市・家田々上宮(やたのたかみのみや) 伊勢市・奈尾之根宮(なおしねのみや) 伊勢市・五十鈴の河上 伊勢市・伊雑宮(いざわのみや)
と逃げました。(『倭姫命世紀』参照)
ついに伊勢に逃げ込み、ヤマト姫一行は姿をけしてしまったのです。 ようやく出雲・シラギ神崇拝教から逃げ切りました。
サルタヒコの子孫のオオタは後に伊勢の中村に宇治土公(ウヂノツチノキミ)と 名乗って住み、稲を作って神宮にお供えしました。 椿大神社の近くを流れる御幣川から鮎を取ってお供えし、椿大神社の茅で神宮の 屋根を葺き、一族挙げて代々の天照大神を守る皇女を守り神官にお仕えしました。 椿大神社代々の方々と天孫達が伊勢神宮を守りぬいたのです。
そのお陰で今日の伊勢神宮があること疑いません。 飛騨から降りられてから二千数百年にわたって椿大神社が代々一族をあげて 天照大神と天皇に忠誠を尽くして下さったお陰で今日の日本があるといっても過言 ではありません。 『椿二千年史』でうかがい知ることができます。
よその神社が、時には名前や祭神をシラギ神や出雲神に替え、時には 神主家が出雲に乗っ取られる中で、二千数百年にわたって、尊く正しく守られてきた 椿大神社の現在(平成二十二年)の宮司は山本行恭氏です。
瀧原宮、伊雑宮も以前伊勢神宮を参拝させて頂いた後に 参拝させて頂いたことがありました。
またまた長くなってしまったので次回にします。 この本のご紹介もあと少しです。 もう少しお付き合い下さい。
ご訪問して頂きありがとうございました。
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