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eskky28

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男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
「八咫鏡」が危ない
前回からの続きです。

今からご紹介する『暴かれた古代史』は「飛騨の口碑」にもとづいて全国を調査して書かれた本です。

著者山本建造氏が飛騨の若田翁から、先祖代々からの言い伝えを託されました。
それは飛騨の古代史ですが、大和朝廷以前の歴史であり日本の古代史でもありました。



「八咫鏡」が危ない
ニギハヤヒの御霊代が盗まれるの報せが入ると、天皇は直ちに笠縫村のトヨスキイリ姫の
元へ使いを走らせました。

「八咫鏡」が危ない!
これは皇位の印であり超一大事なのです。

十代崇神天皇は皇女のトヨスキイリ姫に「命がけで守ってくれ」と頼み、
姫は「八咫鏡」を抱いてその日の夜、こっそりと笠縫村から姿を消しました。

大和の親戚を頼って転々とされました。
ところがもはや大和には「八咫鏡」を背負うトヨスキイリ姫の安全な場所はなかったのです。

大和を逃れたトヨスキイリ姫は、丹波の親戚である但波乃吉佐宮(たにわのよさのみや)に
隠れました。
大和から天照大神が消えた事を知った出雲のシラギ神崇拝教は、慌てて必死で探しました。

そして四年ほど経った頃、ついに出雲のシラギ神崇拝教にみつけられてしまいました。
丹波が危ないとわかると、トヨスキイリ姫は再び「八咫鏡」を抱いてこっそり丹波を去りました。

そしてまた、
大和の伊豆加志本宮へ帰りましたが、留まること八年にして
今度は木の国(和歌山市)奈久佐浜宮に三年
吉備国(海南市)の名方浜宮に四年滞在され、再び大和へ帰りました。
(『倭姫命世紀』参照)

トヨスキイリ姫を匿ってくれる社でも出雲に漏れたら最後、執拗に攻め込んできて
社も家族も、トヨスキイリ姫もろともに危険なのです。
逃げてひっそり暮らしていてもすぐに出雲のシラギ神崇拝教に見つけられるのです。
もうまわりはすっかりシラギ神崇拝教なのです。

そこら中にシラギ神崇拝教の目が光っているのです。
トヨスキイリ姫は失意のうちに大和に逃げ帰ったのです。

小夫でヤマト姫と交代
トヨスキイリ姫が逃げ帰ったのは大和の桜井市小夫(おおぶ)でした。
小夫は二代綏靖天皇の御兄様一族の大事な信頼すべき所なので頼って行かれたのです。

もう若くないトヨスキイリ姫は、身も心もボロボロに疲れ果て体力の限界を感じていたのです。
すでに父・崇神天皇は亡くなられて、垂仁天皇の御代にかわっていました。

天皇は賢くて意志の堅固な皇女ヤマト姫に妹の皇女トヨスキイリ姫の後を託されたのです。

ヤマト姫は小夫でトヨスキイリ姫とほんの数日間、目立たぬように過ごしました。
なにせ三輪山のすぐ近くなのです。

やつれて疲れ果てた、しかし御無事なお姿の叔母様にお会いして、
ヤマト姫は泣きながら、とにかく今日まで「八咫鏡」をよくぞお守りとおしてくれたと
いう天皇からのねぎらいの御言葉をお伝えしました。

命からがら御鏡を守り抜いた苦労と、長年培った逃げの方法を教え語り尽くせぬ話を
されたのです。

こうして小夫でヤマト姫と交代されたのです。そして、再出発の印にこの小夫の地に
四つ石を並べて敷き、必ずや天照大神後鎮座の地を探してその地に同じように
四つ石を並べるとヤマト姫はトヨスキイリ姫に堅く誓いました。
(小夫の天神社の参道登り口に横一列に四つ石が並んでいます)


小夫の天神社
ヤマト姫の出発地が現在の小夫の天神社です。
はじめは天照大神とともにトヨスキイリ姫とヤマト姫が祀られていたと思われますが、
現在の祭神は天照大神、大来(オオク)皇女、アメノコヤネ命、応神天皇、
菅原道真(野見宿禰の子孫で出雲の神)です。

当神社は古くは天神(アマツカミ)神社であったと由緒にあります。
ここは三輪山に近く、ことあるごとに何かにつけていじめられ、村中が命からがらしかたなく、
ず-と後に菅原道真を祭神に入れて出雲の傘下に下って出雲からの攻撃の難を
逃れたと思われます。
菅原道真を祭神に入れて、天神(テンジン)社になり、その時トヨスキイリ姫とヤマト姫が
祭神から消されたと推定されます。

ヤマト姫を送り出したトヨスキイリ姫は、小夫でひたすら「八咫鏡」とヤマト姫の無事だけを
祈って、世を忍んで静かに生涯を終えられたのではないかと思います。
四十代天武天皇の皇女、大来(オオク)姫が伊勢神宮の斎宮として行かれる時、
このゆかりの地で身を清めてから行かれた尊く深い意味のある地なのです。


三輪山に近く、三輪山に睨まれると刀、槍、棒を持って攻められて村が潰れてしまう程なので、
村中相談のうえ、やむなく菅原道真を祀りさらに荒神といって竈の神を祀っているが、
その前は偉い天孫の神が祀られていたと村に言い伝えていると語りました。
荒神様とはシラギ神なのです。


元伊勢といわれている理由が、しっくりくるような気がしました。

またまた長くなってしまったので次回にします。
この本のご紹介もあと少しです。
もう少しお付き合い下さい。

ご訪問して頂きありがとうございました。

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