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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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本来 三諸山はニギハヤヒの山 |
無事に戸隠神社の参拝から戻ってきました。
寝付けなかったので、AM1時30分に出発して眠くなったらパ-キングで 寝ることにしました。松本の手前らへんで1時間くらい寝ました。
社務所が開くのは9時からなので、8時30分までに着いて参拝をすませて 9時に御朱印を頂くために並ぶつもりでした。 調べるとG.Wではそれでも30分ぐらい待ったそうです。 五社巡りもG.Wなのに11時過ぎには参拝をすませれたそうなのです。
私もそのつもりでした。
が・・・。
スマホのナビが高速を降りろと言わなかったので、ひとつ行き過ぎました。 15分くらいロス。
そして「戸隠神社奥宮」と入れてたので、駐車場がわからず道の途中で 到着しましたとなりました。 そこから「戸隠神社奥宮駐車場」と入れ直し、そこから20分くらいで到着しました。
9時30分頃に駐車場に到着。(8時30分到着予定) この後全てが混雑に巻き込まれ、御朱印を頂くのに約1時間並びました。
五社巡りが完了したのは15時30分頃でした。 帰宅時間は23時頃でした。 途中30分くらい寝たのと、養老サ-ビスエリアでソ-スカツ丼を食べました。
まあまあ疲れました。腕、肩が張ってます。 御朱印帳が3冊目が終了したので、もう一冊注文しました。
話は変わりますが、 「飛騨の口碑」話をまとめてもう終わろうと毎回思うのですが、 この話だけはとついつい、まとまらず話が長くなり終わりません。 しかし、何か重要なことの気がして話を削れませんでした。
前回からの続きです。
今からご紹介する『暴かれた古代史』は「飛騨の口碑」にもとづいて全国を調査して書かれた本です。
著者山本建造氏が飛騨の若田翁から、先祖代々からの言い伝えを託されました。 それは飛騨の古代史ですが、大和朝廷以前の歴史であり日本の古代史でもありました。
現在の出雲大社とは関係ありません。
ニギハヤヒは大和の御諸山に降りた 飛騨王朝は日本の国を一つにまとめるべく、飛騨は山奥すぎ、さらに寒冷化で雪が 降るので大和に都を移すことに決めたのです。 大和とは飛騨からみて山の麓に位置するということで、ヤマノフモット、ヤマモットと 縮まりヤマトとなったのです。
そして天照大神は孫のニギハヤヒに将来ヤマトの都を開くための準備を命じたのです。
その頃、三つの外国勢が筑紫(九州)にきて三つ巴の戦いをしておりました。 日本の古代は末子相続制であったので天照大神は末子である孫のニニギに筑紫の 平定を命じました。
ニギハヤヒはニニギに先立って飛騨から大勢の者を引き連れて都を開くための準備に 大和へ降臨したのです。 大和はニギハヤヒが御苦労されて開拓されたところなのです。
『先代旧事本紀』にニギハヤヒはいかるがの峯に降りたとありますが、わざわざ大阪側の いかるが峯に降りるはずがなく、ニギハヤヒは御諸山に降りたのです。 いかるが峯に降りたと書いたのは後に出雲思想にかぶれた者がニギハヤヒが御諸山の 地に降りたと書くと都合が悪いのでいかるが峯と誤魔化したのです。
ニギハヤヒは大和の一等地である御諸山に住まいを構えている豪族・大和の長の 三島溝クイの娘婿に入りました。 三島溝クイは飛騨のスメラ命の家から昔分家した大事な一族の家柄です。 一族みなが心をひとつにして大和に都を開くために骨を折られたのです。
本来 三諸山はニギハヤヒの山 出雲のオオクニヌシがあちこちの女と遊んでいる頃、筑紫(九州)平定に骨を折っている ニニギを待ちながら、ニギハヤヒはひたすら将来立派な国を作るために 大勢の飛騨人とともに開拓に御苦労下さったのです。 その大和の御諸山はニギハヤヒの山なのです。
この「みもろ」とは「みむろ」のなまったもので、「むろ」とは皇室の室、天皇の いらっしゃるお屋敷のことで、漢字が入ってから「室」を当て、後にスメラのムロ・皇室 になったのです。天照大神の孫を尊んでニギハヤヒの住んだ処を敬って「み(御)」を つけて「みむろ」といい、その山を「みむろ山」「みもろ山」と呼んだのです。
ちなみに、出雲国風土記には「スサノオの御室を造らしめ給いて、宿らせるところなり。 それを御室と言う」とあり、出雲では、天照大神の弟であるスサノオの住まいを 敬って御室といったのです。
『日本書記』では崇神天皇のころは御諸山としていますが、雄略天皇のころには 三輪山と書かれており、御諸山が乗っ取られた後にニギハヤヒの室の名残を残す 御室の山、御諸山から三輪山と名前が変えられてしまいました。
今日ではニギハヤヒが消されてしまい御陵さえわからなくなっていますが、天孫の ある古老の方は「御諸山の社の少し上方にあったと聞いている」といっています。
その本来ニギハヤヒが住んだニギハヤヒの山に出雲に起きたシラギ神が祀られて いるのです。
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