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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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出雲でシラギ神崇拝教が興る |
明日、ドライブをかねて戸隠神社五社巡りの参拝をさせて頂く予定です。 所要時間は約5時間30分から6時間になりそうです。 やはり戸隠そばですかね。食べてきます。 また後日ご報告します。
前回からの続きです。
今からご紹介する『暴かれた古代史』は「飛騨の口碑」にもとづいて全国を調査して書かれた本です。
著者山本建造氏が飛騨の若田翁から、先祖代々からの言い伝えを託されました。 それは飛騨の古代史ですが、大和朝廷以前の歴史であり日本の古代史でもありました。
現在の出雲大社とは関係ありません。
出雲でシラギ神崇拝教が興る ホヒ殺しの大手柄を立てた英雄イソタケルと讃えられた少彦名は若くして出雲で 死んだようです。『日本書記』に「少彦名命が出雲の熊野の岬に至って、ついに 常世(長生不老の国)に行かれた・・・」とあり、常世とは死後の世界を意味し、 さらに名前の少彦名とは少年を意味していて、イソタケルこと少彦名の死は ホヒを殺してからそんなに時間が経っていなかったのではないかと思われます。
大功労者のイソタケルの死を腹違いの大勢の兄弟たちが残念がって相談しているうちに とんでもなく悪賢いことを思いついたのです。 「そうだ我らが父オオクニヌシはイソタケル神を祀る祭主である」と幽閉から神を祀る祭主にと 逆転の発想を相談したのです。
そして言いふらしたのです。 以来、今日までオオクニヌシの幽閉の事実は全く消えているのです。
ここに日本ではじめての新興宗教の「シラギ神崇拝教」が出雲の地で起こったのです。
イソタケル(少彦名)が祭神の時代が長く続きました。 イソタケルは実際にはオオクニヌシの子供ですが、オオクニヌシに祀らせるために 『日本書記』にはイソタケルはスサノオの子供であるといったり、オオクニヌシは スサノオの六代後の子孫といったりして、あたかもオオクニヌシが先祖である イソタケルを祀ったかのごとくに誤魔化して、さらにオオクニヌシが新羅の女に 生ませた子であることを隠してつじつまを合わせているのです。 そのために古代史がわからなくなってしまっているのです。
時代に合わせてウソでもなんでも都合よく言いふらし、それを盲信させて広めて いったと思われます。それが時代に合わせて教義となり、由緒となり『記紀』にも 入り込んで今日に至っていると思われます。
異をとなえるシラギ神崇拝教 『出雲大社』に「参拝者の眼に異様にうつるものは、御本殿が大社造ということは まずおいて大社のシメ縄の張り方が、世の神社とは正反対であるという事実である・・・ 出雲大社のシメの掛け方を一般に祭式専門家たちは不可解とし、ことさら出雲は 異をたてているという」とあります。
そう言って当然です。なぜなら曾の宮は古神道ではないのです。 幽閉所を曾の宮にして宗教を作った最初から「俺たちの社は日本古来の社とは違うぞ」と 異を主張しているのです。
ですから、シメ縄を堂々と反対にかけて日本の古神道ではない、ということを主張しているのです。
そして曾の宮は出雲政権を乗っ取った後のイソタケルたちの拠点であり、新宗教の拠点であり、 大和政権打倒の本拠地なのです。
ですから、この新宗教の元の社にホヒ殺し一連の事件を記念して神事にして残したのです。
そうして時代が流れて大和で歴史的大事件が起きてシラギ神が失墜し、シラギ神の イソタケルでは立ち行かなくなると、イソタケルを中央から隠すのです。 その頃になると長い時間が流れており、オオクニヌシが幽閉されていたことや女あさりの悪評も 薄らいで忘れかけられていた頃なので祭主であったオオクニヌシを祭神にすり替えたのです。 それが今日に至っていると思われます。
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