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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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「神事」が物語るホヒの死の真相 |
前回からの続きです。
今からご紹介する『暴かれた古代史』は「飛騨の口碑」にもとづいて全国を調査して書かれた本です。
著者山本建造氏が飛騨の若田翁から、先祖代々からの言い伝えを託されました。 それは飛騨の古代史ですが、大和朝廷以前の歴史であり日本の古代史でもありました。
現在の出雲大社とは関係ありません。
実際に出雲に残る意味不明の神事が解説されています。
出雲大社には「古伝新嘗祭」があります。極めて異様な神事です。 それはまさに飛騨のホヒへ恐ろしい仕返しをして政権を乗っ取った、 まさに歴史をかえた瞬間のもようを神事にして残したのであろうと思えます。
表には絶対に出せないが隠された事実を、本当は大声で発表したい記念すべき 出来事を残して伝え、喜んで繰り返すうちに神事となって受け継がれたのです。
その不思議な奇怪な神事を「古伝新嘗祭」の神事が歴史的顛末を物語っているのです。
その神事は、古式にのっとり火をおこし、その火で炊いた御飯とお酒を神にお供えする 神への儀式が終わった後に行われます。しかもそれが祭の眼目であるといいます。
まず国造の座前に「海獣の皮」が敷かれます。この上に御飯とお酒をのせた膳を置きます。 ここで問題なのは、神前に汚らわしい「獣の皮」が使われるのかが、奇怪な神事です。
この獣の皮が使われることに対して、元宮司(国造)が「どうして海獣の皮が用いられるのか 分からない。神事には真菰・荒菰が諸具の下に敷かれるのが通例であるのに、このような ものが用いられることには、何かの深い意味がひそんでいると考えられる・・・。」 と著書『出雲大社』で言っておられます。
「歯固の儀式」 神事のひとつに「歯固の儀式」あります。小石二個を土器に盛り箸を添えた膳を 「海獣の皮」の敷物の上に置きます。国造は左手に土器を持ち右手に箸を持って石を 噛みます。 「この儀式は国造の長寿を祈念して行われる」といいます。砂を噛むといいますが、 砂でも嫌なのに石では歯がこぼれてしまいます。
ままごとならいざ知らず、大人が神前で行っているのです。土器の中身が石とは とんだふざけようです。意地悪の極みです。これほどの皮肉でも神事として行われれば 「長寿祈念」となるのでしょうか?
「茶碗に石」を入れて口先では「長寿を祈る」といい、「日本で唯一の水葬は永生」という、 うまいこという天下一品です。
「百番の舞」 これは「葉の二、三枚ついた榊の小枝に白紙をまいた物」を国造が両手に持って、 時には立って、時には座って、百度の拝礼を行う儀式です。
前の五十番は「ああああ うんうん」、 後ろ五十番には「皇神(すめかみ)をよき日にまつりし明日よりは、あけの衣をけ衣にせん」 と神楽歌を唄う。
舞というと優雅な舞を連想しますが、百度の拝礼を行うのです。 この「百番の舞」について元宮司の千家氏は神に捧げる舞ではないことは明らかである、 と著書『出雲大社』でおっしゃっています。
『暴かれた古代史』の筆者は、オオクニヌシの子供たちにホヒが謝らされた事とみています。 榊はもともとたくさん葉がついていますが、二、三枚だけ付けるというのは、何度も謝らされて いるうちに葉がちぎれて落ちてしまったことを意味しているのではないかと筆者は思います。
神事で唄う「明日よりは、あけの衣を、け衣にせん」の、け衣とは普段着のことです。 (『出雲大社』) これはホヒが明日からは普段着を着ます。明日からは出雲の統治権はお譲りして 自分(ホヒ)は普段着を着て普通の人になります、と宣言しているのです。
「百番の舞」はホヒが出雲の統治の権限を剥奪されたこと、出雲が政権を乗っ取った ことを意味し、そのときの様子を表しているのではないかと筆者は思っています。
百番の拝礼と言わないで舞と表現しているのは、ホヒは拝礼させられてフラフラになって まるで舞を舞っているかのようになるまで詫びさせられたのでしょうか?
「釜の神事」 「百番の舞」に続いて行われるのが「釜の神事」です。 禰宜が竹の棒の前に瓶子(酒を入れるカメ)を、後ろに稲束をくくりつけたものを肩に荷い、 青竹を杖にしてその神釜(かま)の周囲を三回「あらたぬし、あらたぬし(ああ楽しい)」と 賀詞(いわい)のことばを唱えながらまわります。 国造は座って見ている、神事です。
これは神事というよりまるで宴会の風景です。 酒と御飯と釜の御馳走です。昔は最も貴重で高価であった物は米とお酒です。 貴重な酒をいっぱい飲んで、貴重な米の御飯をたらふく食べてこれ以上楽しい 愉快なことはないという宴会の様子を神事にしたものです。
さて釜の中の御馳走が何であったかが大問題なのです。 釜に入れられたのはホヒだと思うのです。 さんざん謝らせて、政権を乗っ取り、その挙句オオクニヌシの子供たちは、 ホヒを殺して、きざんで、煮て、酒を飲みながら「ああ楽しい、あらたのし」と 大ふざけしながら食べたのです。
普通の宴会なら神事にして残す必要はないのです。 神事にして残すだけの価値ある記念すべき大宴会なのです。
問題の獣の皮は殺したホヒを調理する時に敷いたのです。 草の敷物では染みて床がよごれるのです。床を汚さないために毛皮を敷いたのです。
何故そう判断するのかというと、飛騨の大昔からの言い伝えに「昔海岸へ流れ着いた 外国の者達は、日本に昔から住み着いていたおとなしい人を、まるで大根を切るように 切り刻んで食べていた。女を連れ込み妻にするのでなく乱暴した後に煮て食べた。 海端に流れ着いた者が非常に荒っぽく残虐なので、飛騨では防衛のための国(組織) 作りをして海端の守りを固めた」とあります。
千家氏は『出雲大社』のなかで「釜の神事について大庭の神魂(かもす)神社では ホヒが天降る時に釜に乗ってきたという。したがって換言すればこの釜でホヒを招く のであろうか」とおっしゃっていますが、天降る時に乗ってきたのは舟です。 これは釜に入っているのはホヒであるということを暗に言ってるのだと思います。
さらに食べられたと推定するのは、ホヒがどぶ池に葬られたからです。 ホヒの遺骸はすっかり食べられ骸骨ばかりが残っていて、絶対に他人に見せる ことができなかったのです。
日本には古来から食人の習慣がありません。 なのに何故ホヒは食べられたのか?その理由はまた今度にします。
「亀太夫(かめだゆう)神事」 国造の従者が意宇(おう)の熊野大社にお供えをさしだすと、熊野の亀太夫と呼ばれる社人 から粗末な餅を調理してきては申し訳ないことではないか、と注意を受けるのです。 国造の従者はとにもかくにも、お供えして頂かなければならないから、平身低頭して先方の 言葉に逆らわないように答えます。
国造(ホヒの子孫)が熊野大社に参向しこの祭典を執行します。 国造(ホヒ)は出雲の統治者ですから熊野の社人から文句をいわれる筋合いがないのです。 それが口やかましく苦情を言い立てられる悪態祭なのです。
出雲ではお供えに対して文句をいうとは日本古来の心とは全然違う全く変わった神事です。 古神道ではないのです。
次に神魂(かもす)神社に詣でて「きよめ」をすませてから拝殿で「三十三度の祓い」を 行って昇殿する。大床では「三十三度の拝礼」をなし、内陣にすすんで「百度の拝礼」を 榊の小枝をもって行う。熊野大社と同じく神楽を唄う。
これはオオクニヌシの子供や孫のいる親戚を回って詫びを入れさせる事を意味してると 思います。終わって貴船社を拝礼します。
「神事相撲」 最後に相撲です。国造は本殿大床から見るのです。力士は鶴山と亀山で、鶴山が新国造に お酌をしてその後相撲をとります。
出雲大社の神紋は亀甲です。海の向こうから来たことを意味していると思われます。 力士の亀山は出雲を意味しています。
国造館の裏山を鶴山といいます。鶴山は新国造にお酌をしますから、鶴は飛騨を意味し 鶴山は飛騨でありホヒであり天孫を意味しています。
この神事相撲ではどちらが勝つのか勝ち負けを言っていません。 しかし勝負はあったのです。鶴は千年で亀は万年です。亀は鶴に十倍勝っているのです。
この亀が鶴に勝った「鶴は千年、亀は万年」のこの言葉はお祝いの象徴になっているのです。 亀が鶴に勝ったことが目出度い象徴になっているのです。
深く考えることもなく今日まできたのですが亀(出雲)の万年が鶴(飛騨)千年に勝ったことを 意味していたのです。
ホヒを殺して出雲の政権を乗っ取ったこと、そして後には出雲で起こした宗教が 飛騨を中心に発達した古神道に勝ったことを意味しているのです。
それを、ホヒの子孫の新国造にしっかりと見せつけているのです。
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