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eskky28

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男、47才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
『暴かれた古代史』その3
前回からの続きです。

今からご紹介する『暴かれた古代史』は「飛騨の口碑」にもとづいて全国を調査して書かれた本です。

著者山本建造氏が飛騨の若田翁から、先祖代々からの言い伝えを託されました。
それは飛騨の古代史ですが、大和朝廷以前の歴史であり日本の古代史でもありました。

現在の出雲大社とは関係ありません。


「飛騨は大軍を率いて出雲に」

飛騨と出雲が仲良くしていくためにヒルメムチ命(天照大神)は
息子のクマノムスビを婿にやり、タギリ姫を嫁にやったのです。

そのクマノムスビは出雲で変死し、タギリ姫は子供を出雲に残して
逃げ帰ったのです。

飛騨王朝は出雲へヒルメムチ命(天照大神)の息子のホヒを
使者として送りましたが、三年たっても帰らず、次に若彦を
送りましたが八年たっても帰ってこなかったのです。

談判の相手のオオクニヌシが出雲にいないため会えなかったのです。

後からわかつたのがオオクニヌシは朝鮮半島の新羅に行っていたのです。

ホヒは出雲でオオクニヌシに実際には会えなかったのに『古事記』には媚びたからであるとウソが書かれています。

飛騨では築紫平定を急がねばならす、その前に出雲と決着をつけておく必要があるので、最後にやむなく使者に大軍をつけて出雲へ送ったのです。

出雲にはすでにヒルメムチ命(天照大神)の息子のホヒが行ってるので、ホヒを総大将にして圧倒的な大軍を背景に浜辺で交渉が行われたのです。


『古事記』では国奉還の談判は伊耶佐の浜でおこなわれたとあります。

飛騨からの使者は十拳剣を波の上に切っ尖を立てて、その上に胡座をかいてオオクニヌシに言ったと書かれいますが剣の先に座れるはずがなく、飛騨は
大軍を背景にしてゆうゆうと大きな態度で交渉したことをお伽話化したのです。

『日本書記』でも五十田狭(いたさ)の小浜に降りられて剣の先に座ったと書いて、『古事記』同様に
お伽話化して誤魔化しています。


さらにオオクニヌシが立ち上がれば諸神が味方して戦いに勝つことができるが敢えて戦わないのだ、
オオクニヌシが身を引けば誰も戦わないと、実際には飛騨の大軍に太刀打ちできなかったのに、いかにもオオクニヌシが勝てるのに身を引いたと言わんばかりに書かれています。


さらにオオクニヌシの別命の一つに八千矛(やちほこ)神があり、大軍の将を誇っていますが、飛騨の
大軍に手も足もでないほんの小さな軍隊しか持って
いなかったのです。

八千矛神とは飛騨の将であるホヒにこそつけるべきです。
後にオオクニヌシを美化するために八千矛神の名を取ってしまい、今では堂々とオオクニヌシの別命になっているのです。


前置き長いですが、続きは次回で。


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