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eskky28

Author:eskky28
男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
日本のル-ツ?のお話(あくまで一説)
今日は(六月十日です)は前日に、またまたボルダリング(3回目)を
してきて、かなり疲労が溜まっており、まったり(ぐったり?)しています。
昨日は家の中でいつでもどこでも寝落ちしてしまいました。


「疲労感、ハンパない」って言いたくなります。


三日くらいは疲労と筋肉痛はあるのですが、
そのあとは四十肩の右肩も少し楽になる気がします。
気のせいかも知れませんが・・・。

女性の方も五人くらい来ていて、
私には到底出来ないところをバリバリやっておりました。
一昨日なんかは七十歳の方もボルダリングを初めてやりに来ていたそうです。

頭と体の体操に、心と身体の健康に非常に良いと思います。
(自分の手と足だけで考えながら登っていきます)


本当は昨日(六月九日)は神社へ参拝させて頂こうと思っていたのですが、
前日の大雨や昨日の天気予報と高速道路の工事で夜間通行止め
(遠くのときはいつも4時ころ出発している)もあり、
ボルダリングに急遽変更しました。
行き先は白山姫神社(約4時間)か戸隠神社(約5時間30分)か
飛騨高山の水瀬神社(約4時間)を考えていました。



今回は『日本のル-ツ?のお話(あくまで一説)』を書きます。
たまにしかない土日の連休でサッカ-もなく、
遠くまで参拝できるいい機会だったのですが、
参拝のかわりに私が衝撃を受けた話を紹介致します。


「高天原はどこなのか」はいろんな説があると思いますが、
今のところ私の知識?知見?
(かなり狭い範囲ですが)の中では、つじつまが合い有力な説に思っています。


しかし本当なら、すごく怖く、悲しく、心の中がモヤモヤしてスッキリしません。
いまだに信じる、信じないの葛藤がすごくあります。
しかし、今のところ一番有力かなと思っています。


以下、お話をご紹介したいと思います。


ブログを始める前から神武天皇より以前のお話にも興味があり、
ネットでウエツフミのことについて書かれている記事を見ていました。

その中で『飛騨の口碑』が出てきたので、調べていると
日本のル-ツ(神武天皇以前)が書かれていて、あっという間に引き込まれました。

本も出版されているということで、『日本のル-ツ飛騨』、『暴かれた古代史』の
2冊を購入しました。


超簡単に説明します。

『日本のル-ツ飛騨』

【日本起源の飛騨】
神武天皇以前のお話。
日本列島は約5億年前に 海の中から隆起したのが飛騨である。
イザナギノミコトとイザナミノミコト(出雲から嫁ぐ)、その子供がヒルメムチノミコト(後に天照大神という)、スサノオノミコト。
天照大神とオモイカネノミコトは夫婦であり、その子供たちが五柱の男神、三柱の女神の八人である。

ヒルメムチノミコトの子と出雲に行ったスサノオノミコトの子の婚約で、
飛騨と出雲がいつまでも仲良くできると皆が願い、誓ったのです。

『古事記』では「姉弟の子生みの誓い」と書いてあるので、天照大神とスサノオノミコトが誓約をして生まれたと
誤解する人がいるとのことです。

【スサノオとヤマタノオロチ】
スサノオノミコトが母イザナミノミコトの生まれ故郷に行ったときにシベリアのオロチ族が
出雲に上がり砂鉄で剣を作り、女を求めて騒動を起こしていました。

スサノオノミコトは酒をたくさん飲ませて、寝込んだところを斬ったのです。
これが『古事記』に出てくる「八岐の大蛇退治」のことです。

【出雲の国譲りの真相】
オオクニヌシノミコトは「国譲り」をしたのではなく統治権を剥奪されたのです。

ヒルメムチノミコトの長女タギリヒメがスサノオノミコトの後継者であるオオクニヌシノミコトと
結婚しました。

アジスキノミコト(加茂命)とシタテルヒメ(下照姫)の二人の子供ができた後、
家に帰ってこなくなりました。
政略のためと称しあちこちの豪族の娘に子供を産ませていました。

しまいには正妻のタギリヒメをさしおき、スセリヒメを正妻にすると言い出しました。

『古事記』にはスセリヒメと恋愛をして、父のスサノオノミコトに許可をもらいに訪問すると
猛烈に怒るのですが、何故怒るのか理由が書いていないのです。

「それでは飛騨との約束を破ることになるから」と反対して厳しく叱ったのです。

タギリヒメの子であり、飛騨のヒルメムチの孫であるアジスキノミコト(加茂命)が
将来出雲の政権を担うという、飛騨との約束が破られたのでした。
(側室の子の事代主を後継者にしたのです)

【若彦の反逆と誅殺】
オオクニヌシノミコトの裏切りが決定的になり、ヒルメムチの子でタギリヒメの兄の
ホヒノミコトをオオクニヌシノミコトに会うために出雲に派遣しました。

ところがホヒノミコトは3年たっても帰ってきません(実はオオクニヌシノミコトは
あちこちの女を渡り歩き、たまに帰ってきても会うことを避けていたのです)

今度は国玉命の子、若彦を出雲に派遣することになるのです。
ところが若彦も8年たっても帰ってこないのです。

今度は高木命の娘のキジナナキメを出雲に派遣して、
出雲のこと、ホヒノミコト、若彦の様子をこっそり調べさせたのです。

ところがキジナナキメは何者かに射殺されてしまいます。
キジナナキメを殺した矢を、同行者が持ち帰りました。

なんとその矢は高木命が若彦に餞別で与えた矢だったのです。
すぐさま飛騨から密使が送られ射殺されました。

【若彦の葬式】
若彦は飛騨からの重大な命令を受けて出雲に行ったにもかかわらず、
同じ命令で先に行ったホヒノミコトにそのことを話すこともなく月日は流れました。

そしてタギリヒメが出雲に残したシタテルヒメとそしらぬ顔で
結婚して幸せそうに暮らしていたのです。

そして突然何者かに殺されてしまったのです。

シタテルヒメと兄のアジスキノミコト(加茂命)と共に、母タギリヒメ、祖母ヒルメムチノミコト(天照大神)、
若彦の父母兄弟のいる飛騨へ遺品をもって向かいました。

飛騨の入口である美濃で、若彦の妹が嫁いでいる親戚の家へ立ち寄りました。
そこで「若彦は飛騨の使命を果たさず、さらに飛騨の使者キジナナキメを殺した為に征伐された」と
死の真相を聞かされました。

シタテルヒメと兄のアジスキノミコト(加茂命)は、自分達も若彦に騙されていたことを知り驚きました。

知らなかったとはいえ反逆者の妻や兄では飛騨へ入ることもできず、やむえず若彦の父母にのみ
こっそり知らせて、美濃で喪屋をつくり葬式の準備をしました。


葬式で若彦の本妻とシタテルヒメが出会いました。
若彦は飛騨で結婚もして子供もいたのでした。

本妻は夫若彦の死とシタテルヒメを妻にしていたことを悲しみ、
シタテルヒメは若彦に本妻や子供がいたことを知って夫の裏切りを悲しみ、
アジスキノミコト(加茂命)は、妹が騙されていた事を残念がって泣き、
若彦の父母は、恥さらしの我が子の死を恥じて泣きました。

その葬式をした場所が喪山として現在も美濃に残っています。


『古事記』には、若彦の本妻がアジスキノミコト(加茂命)の顔が若彦にそっくりであったので
「生きていたの」と抱き着いたら、アジスキノミコト(加茂命)が「死人に間違えられたのはもっての
ほかだ」と怒って喪屋の縄を切り、蹴り倒したので皆が泣き叫び、高天原に泣き声が届いたと
書かれています。


私が勝手に思うには、死人に間違われたから暴れたのではなく、
こんなに皆を騙して裏切ったことを葬式をするときに知ったから、
喪屋を蹴り倒したりして暴れたりしたのだと思います。

気持ちを抑えつけるのは難しいと思います。


『古事記』にいう高天原は飛騨とは書かれていませんが、飛騨への入口である美濃での
葬式の様子は飛騨には筒抜けだったのです。


え-と、長くなりましたので続きは次回にしたいと思います。
残りの内容ですが
【神武天皇の東征】

【伊勢神宮はなぜ伊勢にあるのか】


2冊目の『暴かれた古代史』
「オオクニヌシの出雲の話」と「なぜ伊勢神宮に八咫鏡(天照大神)が祀られているのか」が
書かれています。


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