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eskky28

Author:eskky28
男、47才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
熊野本宮大社へ参拝(和歌山)
平成三十年 五月四日参拝

今回は熊野本宮大社に参拝させて頂きました。
和歌山県田辺市本宮町本宮1100に鎮座。
熊野系神社の約三千社の総本社。
平成三十年(2018年)は創建2050年を迎えます。

熊野でまず目指したいのは3つの大社です。
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社で熊野三山と呼ばれています。

「よみがえりの聖地」と熊野三山は崇められてきました。

熊野三山を巡るのに順番は不問だそうです。
大切なのは三山をすべて参拝することだそうです。

しかし一応、正式な参拝の順番は実はあるようなんです。
熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野那智大社です。

都があった京都から上皇や法王、貴族などが
淀川を船で下り、大阪から歩き、熊野本宮大社から熊野川を船で下り
熊野速玉大社へ、歩いて那智川へ行き、那智川を船で上って熊野那智大社へ
参拝していたことにより参拝の順序はあるということも言われているそうです。


本宮(未来)で「未来をひらき」「来世の救済」、
速玉(過去)で「人間関係の基礎を固め」「前世の罪を祓う」、
那智(現在)で「浄化される」「現世の縁結び」


かつて「蟻の熊野詣で」と蟻の行列に例えられるほど多くの人々が
熊野三山を参拝していたそうです。
そのときに人々が踏みしめた道が熊野古道であり、熊野三山ともに
世界遺産に指定されています。



玉置神社の参拝をすませ、駐車場に戻ってくると、ほぼ満車に近くなっていました。
駐車場から神社まで徒歩約20分です。
玉置神社の売店でめはり寿司(高菜で巻いたおにぎり)など朝飯と昼飯を購入してから、
出発しようと考えていたのですが、売店はまだ閉まっていました。
(家を出るときに念のため、パンを持ってきといてよかったです)


玉置神社を8時15分頃出発し、熊野本宮大社へは
渋滞もなく、9時15分頃到着しました。
玉置山の道路は若干細い山道ですが、対向車をかわすポイントもあり
走りやすいほうだと思います。
上りは1台もすれ違わず、下りは6,7台はすれ違いましたかね。
玉置山をほとんど下ってきたところで、マイクロバスとすれ違いました。
ほぼ満席だったと思います。
たぶん宿か駅からの送迎ですかね。


後はひたすら熊野川に沿って横の国道を走ります。道幅広く走りやすいです。
そういえば、ネズミ捕りをしていました。道がすいていたら危なかったです。
(混んではないですが、そこそこ車は走っていました)


すでに本宮大社そばの駐車場は満車で、河原の臨時駐車場に案内されました。
徒歩五分位離れた所です。
しかしあの大斎原(おおゆのはら)からの帰りは
逆に近くなります。


永遠の聖地!大斎原(おおゆのはら)
日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っています。
私は写真でしか見たことがなく、緑の自然の中にドカンと佇む姿に
凄く驚きました。
「スゲ-かっこいい」と思いました。

熊野川の中洲にある本宮大社の旧社地です。
明治22年に未曾有の大水害で社殿が流されるまでは
この地に鎮座していました。
上四社だけは被害を免れ現在地に移転されました。

一万坪以上の神域を誇る一大聖地であったとか。

江戸時代までは中洲への橋がなく、参拝者は
歩いて川を渡り、自然と水で身を清めてから詣でて
いたといいます。

かつて熊野本宮大社があった大斎原には二基の石祠が建てられ、
左側に中四社下四社を、右側に境内摂末社の御神霊をお祀りしています。



参拝順序
熊野本宮大社→産田社→大斎原
(ホ-ムペ-ジに掲載されていました)

熊野本宮大社
(向かって左側から順に第一殿、第二殿、第三殿、第四殿、満山社)

参拝順序があるので気をつけます。
①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
③西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
④東御前(若宮・第四殿) 天照大神
⑤満山社         結ひの神(八百萬の神)
(ホ-ムペ-ジに掲載されていました)

注意しなければいけないのは、神門をくぐると
写真撮影は禁止でした。
知らずにパシャパシャ撮っていました。
「すいませんでした」

参拝をすませて、神門を出て御朱印をしまうのに神門近くの
ベンチにいくときに禁止の看板があることが分かりました。

大斎原も大鳥居から中は禁止になっていました。
私も含め皆さんしっかり守っていました。


【熊野本宮大社 鳥居】
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【熊野本宮大社 社号碑】
20180509211158770.jpeg


【熊野本宮大社 「あ」の狛犬】
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【熊野本宮大社 「うん」の狛犬】
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【熊野本宮大社 参道】
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【熊野本宮大社 参道階段】
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【熊野本宮大社 祓戸大神】
参道の中腹、左側にある祓戸大神にまずお参りをし、身を祓い清めます。
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【熊野本宮大社 手水舎】
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【熊野本宮大社 神門】
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【熊野本宮大社 本殿】
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【熊野本宮大社 亀石】
長寿、体調を整えるパワーがあるとか。
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【熊野本宮大社 大黒石】
この大黒石は、パワースポット巡りをしている人の間では金運アップさせてくれると評判らしく、触るとご利益があるそうです。
20180509225755d7f.jpeg


【熊野本宮大社 八咫烏のポスト】
郵便として送れる絵馬を社務所で販売しているそうです。
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【熊野本宮大社 末社 産田社】
伊邪那美命の荒魂が祀られています。新たなものを生み出すパワーを感じる神社です。
201805092306260d1.jpeg


【熊野本宮大社 旧社地 大斎原 大鳥居】
20180509232115d61.jpeg


【熊野本宮大社 旧社地 大斎原 大鳥居  八咫烏】
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【熊野本宮大社 旧社地 大斎原 手水舎】
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【熊野本宮大社 御神符「熊野牛王府」】
201805092329028cd.jpeg


【熊野本宮大社 御朱印】
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【御祭神】
『上四社』
第一殿 西御前 伊邪那美大神(夫須美大神) 千手観音 熊野十二所権現
第二殿 中御前 伊邪那岐大神(速玉大神) 薬師如来
第三殿 証誠殿 家津美御子大神(素戔嗚尊) 阿弥陀如来
第四殿 若宮 天照大神 十一面観音

『中四社』
第五殿 禅児宮 忍穂耳命      地蔵菩薩
第六殿 聖宮     瓊々杵尊命 龍樹菩薩
第七殿 児宮 彦穂々出見尊 如意輪観音
第八殿 子守宮 鵜葦屋葦不合命 聖観音

『下四社』
第九殿 一万宮十万宮 軻遇突智命 文殊菩薩・普賢菩薩
第十殿 米持金剛 埴山姫命 毘沙門天
第十一殿 飛行夜叉 彌都波能賣命 不動明王
第十二殿 勧請十五所 稚産霊命 釈迦如来
【創建】
伝崇神天皇65年
【ご由緒】
熊野川の中枢に、古代より熊野巫大神の鎮座されるお宮が、熊野本宮大社です。
熊野本宮大社は過去「熊野坐神社くまのにいますじんじゃ」と号し、
熊野の神と言えば本宮のことを表していたものと推測されます。

熊野坐大神の御鎮座の年代は文献に明白ではありませんが、
神武東征以前には既に御鎮座になったと云われており、
社殿は崇神天皇65年(紀元前33年)に創建されたと
『皇年代略記』や『神社縁起』に記されています。
奈良朝の頃より仏教を取り入れ、平安朝以後は仏化により「熊野権現」と称し、
神々に仏名を配するようになりました。
熊野本宮大社は上・中・下社の三社から成るため、熊野三所権現と呼ばれています。
また、十二殿に御祭神が鎮座ますことから、熊野十二社権現とも仰がれています。

「熊野権現垂迹縁起」によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。
熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、
中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。
家都美御子大神について他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、
菊理媛神とも関係する説もあるが、やはりその素性は不詳とされる[2]。
古代から中世にかけて、神職はニギハヤヒの後裔で
熊野国造の流れを汲む和田氏が世襲していた。

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