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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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聖地・熊野三山の奥の宮 玉置神社へ参拝(奈良県) |
平成三十年 五月四日参拝
今回は聖地・熊野三山の奥の宮 玉置神社へ参拝させて頂きました。 奈良県吉野郡十津川村玉置川1に鎮座しています。
順番通りではないのですが、今回のG.Wに日帰りで二回(淡路・阿波と熊野三山) 参拝させて頂いたので、記憶の新しいうちに先にご紹介したいと思います。
今回は、そのうちの熊野三山日帰り紀行です。 私のお詣りしたいリストに入ってなかったですが、熊野三山の奥の宮であるということと、 玉置神社は不思議な謂れがあり、神様に呼ばれないとたどり着けないと言われています。 途中で事故に遭ったり、急な体調不良、仕事の都合がつかなくなったなど。 一番多く聞くのは「カーナビが壊れる」「落石で通行止め」というものです。 (天河大弁財天社も同じく「呼ばれた人しか行けない」といわれています)
前日の天気予報で気圧の配置は過去に大荒れしたときと似ているといい、 落雷、竜巻など発生しやすいなどと言っていました。 そして寝てから風の音が台風並みにしていて、悪天候になるのかな? まさか呼ばれていないのかなと思ってしまいました。
しかし、その日は天気も大変よく、ナビも狂わずたどり着くことが出来ました。 高速道路は約50分で南阪奈道路の葛城で降りました。 残りの地道も信号がほとんどなく、トンネルが沢山できていてすごく走りやすかったです。 4時30分頃から明るくなり、景色を楽しみながらドライブしました。
8年ぐらい前に途中の谷瀬の釣り橋まで行ったことがあったのですが、 ずっとではないですが、川沿いのぐねぐね道で、すれ違いもしんどい箇所が何箇所も あったと思います。
大阪から車でちょうど3時間でした。午前3時30分に出発し6時30分に到着しました。 駐車場にはすでに7,8台駐車してありました。 社務所は8時からですので、予定通り先に玉置山山頂に登ります。
奈良県にあるパワースポットの名高い『玉置神社』。 ここは世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一角に位置します。 紀伊山地は飛鳥・奈良・京都にまたがる紀伊半島の大部分を占めていて、 今でも鬱蒼たる原生林に覆われた山々は、神仏の宿る山として、 古の昔から信仰されてきた強力なパワースポットです。
【玉置神社のパワースポット】 玉石社(末社)
本殿奥の山道を5分~10分ほど登ったところに鎮座している、古代の祭祀場。 ここは神社ですが特に社殿があるわけではなく、ご神体は黒い大きな玉石そのものです。 ご神体の周りには3本の大木が囲むように立っており、 その大木が囲んだ内側に白い玉石が敷き詰められ、 奥にご神体の玉石が鎮座しています。 この玉石を御神体として古代信仰を今に残しています。 必ずご参拝を。
大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、 本殿に先んじて礼拝するのが習わしとなっています。 玉置神社が建てられる基になったのは、この玉石社と伝えられ、 玉石に宝珠や神宝を 鎮めて祈願したと伝わっています。 玉置神社全体もパワースポットですが、ここがその中でも 最強のパワースポットであると言われています。
【玉置神社 第一鳥居と社号碑】
【玉置神社 手水舎】 水不足で空でした。
【玉置神社 手水舎の龍】
【玉置神社 第二鳥居】
【玉置神社 「あ」の狛犬】
【玉置神社 「うん」の狛犬】
【玉置神社 本社】
【玉置神社 樹齢3000年の神代杉】
【玉置神社 夫婦杉】
【玉置神社 御由緒の看板】
【玉置神社 玉石社への道案内看板と鳥居】
【玉置神社 玉石社】
【玉置神社 玉石社の御神体】 白い玉石ではなくて、奥に見える黒い石です。大きな石が埋まっていると言われています。
【玉置神社 出雲大社玉置教会】 明治維新の際、十津川郷中すべて廃寺され、全村民が大社教に属したことから、 その総元締めとして設立されたとのこと。
ここに出雲大社の分霊?ん?なんでだろう? 神社のホ-ムペ-ジによると、全村民が大社教に属しているとのことですが、 すごく違和感というか不思議に思いました。
【玉置神社 山頂】 約20分で山頂ですが、ふくらはぎがパンパンになりました。 上りはすごく足が重く辛いけど、山頂で凄く気持ちよくなります。
【玉置神社 駐車場からの眺め】
【玉置神社 魔除け札】 弘法大師が描いた絵を版画にしたもの。財布にも入り普段持ち歩けます。紙札、木札があります。 手をかざすとパワ-を感じる人もいるそうです。
【玉置神社 御朱印】
【御祭神】 本社御祭神 国常立尊(くにとこたちのみこと) 伊弉諾尊(いざなぎのみこと) 伊弉冊尊(いざなみのみこと) 天照大御神(あまてらすおおみかみ) 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと) 摂社・三柱神社御祭神 倉稲魂神(うがのみたまのかみ) 天御柱神(あめのみはしらのかみ) 国御柱神 (くにのみはしらのかみ) 末社若宮社 住吉大神・八幡大神・春日大神 末社神武社 迦具土神・速玉男神・高倉下神 末社玉石社 大巳貴命 (おおなむぢのみこと) 末社白山社 菊理媛神 【創建】 伝・紀元前37年 【ご由緒】 玉置神社は大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座し 神武天皇御東征の途上として伝承されています。 創立は紀元前三十七年第十代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散のため 早玉神を奉祀したことに始まると伝えられています。
社伝の『玉置山縁起』では崇神天皇によって崇神天皇61年(紀元前37年)に、 熊野本宮(和歌山県田辺市本宮町)とともに創建されたと伝えられ、 古来より十津川郷の鎮守であった。 しかし、『旧事紀』には崇神天皇61年の記事はなく、玉置神社のことも伝えられていない一方で、 『水鏡』伝の新宮創祀と同年であることから作為と考えられ、創建年代は不詳である。 『玉置山縁起』をはじめとする社伝は、玉置山山頂近くに露頭する玉石を神体とする末社玉石社を 玉置の称の由来とし、地主神または奥の院と位置づけており、 山容を神奈備として崇拝することが起源であったと考えられている。
古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、 平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現または熊野三山の奥院と 称せられ霊場として栄えました。 江戸時代には別当寺高牟婁院が置かれていました。 その後、慶応四年の神仏分離により神仏混淆を廃し以後玉置三所大神、 更に玉置神社となり現在に至っています。 境内には樹齢三千年と云われる神代杉を始め天然記念物に 指定されている杉の巨樹が叢生し、 平成十六年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。
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