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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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熱田神宮へ参拝(愛知) |
平成二十九年 十二月十七日参拝
今回は熱田神宮へ参拝させて頂きました。
愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1に御鎮座されています。
神宮前駅から徒歩3分だそうです。目の前に駅がありました。 駐車場は無料でたくさん停めれました。記憶では無料だった気がします。 ホームページで約400台と書いてありました。 「12/31夜~1/8並びに6/5は全ての駐車場が使用できません」と書いて ありました。
家族を名古屋ド-ムに送り私一人でお詣りさせて頂きました。 着いたのが夕方だったので、すぐ暗くなってしまいました。 御朱印頂ける時間がきまっているので、焦りましたが間に合いました。 しかし本宮裏の「こころの小径」は間に合いませんでした。 入れなくなる時間が早かったです。 確か15時30分か16時頃だったと思います。
じっくりと参拝できなかったので、次回じっくりと参拝したいです。
熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。
熱田神宮は、西暦113年(景行天皇43年)に創建されました。 戦国時代には、織田信長が桶狭間の戦いの前に祈願し、見事勝利を収めたとも言われています。
【熱田神宮 パワースポット】 熱田神宮の樹齢千年を超えるその大木は、あの空海が手植えしたといわれています。 その他境内の中には実に43ものパワースポットがあり、 神秘的な木々のたたずまい中へ入っていくと、そのまま神様の領域へと導かれていくかのようです。
①「本宮」 三種の神器「草薙神剣」(くさなぎのみつるぎ)が祀られており、毎年多くの参拝者がおとずれています。 ②「一之御前神社」 熱田神宮では最も神聖な場所として知られており、「こころの小径(こみち)」へ続く参道へとつながります。 ③「清水社」 水を司る神様「罔象女神(みずはのめのかみ)」が祀られており、「清水社(しみずしゃ)」は女性に人気のパワースポットとなっています。 ④楠の巨木 大きな楠(くすのき)のは、熱田神宮の境内にはいくつかあります。 その中でも2番目に大きな楠は清水社のすぐそばあるもので、パワースポットとして人気があります。 ⑤朱塗りの社 参道を進んでいくと旧参道に続いていき、熱田神宮で唯一の朱塗りの社へいくことができます。 無病息災を祈願を願う神様として祀られています。
ある本で読んだのですが 『熱田神宮本殿真裏に草薙神剣を保管してある祠である「一之御前神社」があり、 皇太子殿下が天皇陛下に即位したときに、その草薙神剣を伊勢の伊雑宮へ移すのが 最初の役目である。
イスラエルの三種の神器はアロンの杖ですが、ア-モンドの花が咲いて絡まっている杖なのです。 一方ヤマトタケルが草を薙いだ草薙神剣には、草が絡まっているといいます。 見事に一致しますね。 ア-モンドはバラ科サクラ属だから、その花は桜の花とまったく同じに見えるとのことです。 日本人と桜は切り離せない関係ですからね。
草薙神剣は源平合戦の壇ノ浦の戦いで浮いたといわれているといいます。 平家が海に落としたとき、水面に浮いているのですが普通の刀は浮きません。
その刀が流れ着いて、今、熱田神宮に納められているという。 これがア-モンドの杖、すなわちアロンの杖と考えるとつじつまが合う。』 と書かれていました。
確かめれないので何を根拠に書いてあるのかが分かりませんでした。 こじつけなのかも知れませんが、「う~む」なるほどなとも思ってしまいました。
【熱田神宮 鳥居】
【熱田神宮 本宮】
【熱田神宮 土用殿(どようでん)】 神楽殿の北に位置し、もと、草薙神剣を奉安した御殿で、旧本殿の東に相並んで鎮座していました
【熱田神宮 信長塀】
【熱田神宮 冬に咲く桜?】
【熱田神宮 御神木の大楠】
【熱田神宮 御朱印】
【別宮八剣宮(べつぐうはっけんぐう) 御朱印】 一の鳥居(南門)の西側に鎮座し、本宮と同じ祭神をお祀りします。社殿も本宮と同じ造りで年中祭儀も同様に行われます。
【上知我麻神社(かみちかまじんじゃ) 御朱印】 御祭神 乎止與命(おとよのみこと) 御神徳 知恵授け・商売繁盛
【御祭神】 熱田大神 熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のことです。 【御霊代】 草薙神剣 【相殿神】 天照大神 素盞嗚尊 日本武尊 宮簀媛命 (尾張国造・乎止與命(おとよのみこと)の女(むすめ)で日本武尊の妃。尊なきあと、神慮に思い至り神剣を熱田の地に祀られたのが熱田神宮の創祀となります) 建稲種命 (乎止與命(おとよのみこと)の御子で宮簀媛命の兄にあたられます。日本武尊に従い東国の平定に赴きその途中でなくなられました。尾張地方繁栄の礎を築いた神とされます。) 【創建】 西暦113年(景行天皇43年) 【ご由緒】 天叢雲剣は草薙剣とも言われ、三種の神器の一つ(八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣) 第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を 今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。 尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。 以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社に 列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、 「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。 境内外には本宮・別宮外43社が祀られています。
日本神話において、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、 大蛇の体内(尾)から見つかった神剣である。
八岐大蛇退治に至る経緯と、神剣の名称については古事記・日本書紀で複数の異伝がある。 スサノオは、八岐大蛇由来の神剣を高天原のアマテラスに献上した。 続いて天孫降臨に際し他の神器と共にニニギノミコトに託され、地上に降りた。 崇神天皇の時代に草薙剣の形代が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り、 本来の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移されたという。 景行天皇の時代、伊勢神宮のヤマトヒメノミコトは、東征に向かうヤマトタケルに神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託す。 ヤマトタケルの死後、草薙剣は神宮に戻ることなくミヤズヒメ(ヤマトタケル妻)と尾張氏が尾張国で祀り続けた。 これが熱田神宮の起源であり、現在も同宮の御神体として祀られている。 形代の草薙剣は、壇ノ浦の戦い(源平合戦)における安徳天皇(第81代天皇)入水により関門海峡に沈み、失われた。 神剣の喪失により、様々な伝説・神話が生まれた(中世神話)。 結局、後鳥羽天皇(第82代天皇)は三種の神器がないまま即位。 平氏滅亡により神璽と神鏡は確保できたが、神剣を手にすることは出来なかった。 その後、朝廷は伊勢神宮より献上された剣を「草薙剣」とした。 南北朝時代、北朝陣営・南朝陣営とも三種神器(神剣を含む)の所持を主張して正統性を争い、 この混乱は後小松天皇(第100代天皇)における南北朝合一まで続いた(明徳の和約)。 現在、神剣(形代)は宮中に祭られている。
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