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eskky28

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男、47才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
元伊勢内宮 皇大神社へ参拝(京都)
平成三十年 四月一日参拝

今回は、『元伊勢内宮 皇大神社』に参拝させて頂きました。

京都府福知山市大江町内宮217にあります。
所在地の住所が内宮となっています。
元伊勢三社と総称される、「元伊勢外宮・豊受大神社」「元伊勢内宮・皇大神社」「天岩戸神社」
の「元伊勢内宮・皇大神社」をご紹介します。

所要時間は車で
比沼麻奈為神社(元外宮)→元伊勢外宮 豊受大神社まで約60~70分だった気がします。
元伊勢外宮 豊受大神社→元伊勢内宮 皇大神社まで約15分~20分だったと思います。

駐車場は10台くらい停めれます。
料金は500円と書いてありましたが、無人でお金を入れるところも見当たらなかったので、
勝手に無料だと思いました。
その分お賽銭を奮発すればよいのです(笑)


伊勢神宮ですが、実は伊勢に鎮座するまでの約90年間、候補地探しが行われていました。
その候補の一つであったと伝承されているのが、京都府福知山市の元伊勢です。
社伝によれば、天照大神が倭の笠縫邑から遷座したと伝えられており、それによって「元伊勢」と称されています。

御祭神は天照大御神で、一時、天照大御神の神鏡が4年間祀られていました。
その54年後に、伊勢神宮が三重県伊勢市へと落ち着くこととなります。

2000年以上もの歴史があり、元伊勢伝承地といえば地元でまずココを指します。
驚くことに、元伊勢と呼ばれるだけあってそこはお伊勢さんと符合することがあります。
近くに「二俣」という地名や五十鈴川があったり、宇治橋、宮川、真名井ノ池、猿田彦神社など
伊勢神宮にまつわる名称が数多くあります。


また、神体山である「岩戸山(日室ヶ嶽)」は幾何学的な美しさを誇る山であり、一説にはピラミッドと言われています。
そのほか「麻呂子親王が鬼退治の際に勧請した」「源頼光が酒呑童子討伐の前に参拝した」などの伝承もあるようです。


元伊勢外宮よりも境内は広く、約300メートル延びる参道を歩いて本殿へ行きます。
大江の鬼退治に向かった麻呂子親王(聖徳太子の御弟)が自ら植えた杉と伝わります。
この参道にあるご神木は「癌封じの樹」とも呼ばれており、触れると病気を吸い取ってくれると伝わります。
杉木立と玉砂利の道が、伊勢神宮の参道を思い起こさせる空間です。

こちらにも、希少な黒木鳥居があります。正面の鳥居は黒木で、皮つきの杉の木、古式といい、
元伊勢外宮 豊受大神社、京都嵯峨野の野々宮神社以外には例がないといわれる。

境内には、推定樹齢2000年といわれる
たいへん立派な御神木・龍灯の杉が佇んでいて、その悠久の年月を感じることができます。
毎年節分の夜に龍神が木の先端に明かりを灯しにくる伝説から龍燈の杉という名が付けられたそうです。
一度、火災に見舞われましたが、現在でも枯れることなく半分ほどは生きているそうです。
すごい生命力ですね~!

写真を撮り忘れましたが、こちらも外宮同様に本殿を囲むように小さい境内社の摂社、末社がズラ-と並びます。
境内社社殿の大きさ・規模を見ると栲機千千姫神社、天手力雄神社、熊野神社、興玉神社は別格のようです。
全国の一宮などもありました。
『神社名鑑』には末社八十一社とあるようです。

境内には境内社の他に、へそ塚や和泉式部歌塚などもありました。

元伊勢内宮・皇大神社の本殿は木が新しく綺麗でした。

御朱印を頂くときに、日付けを間違えられたので御朱印代を
結構ですと受け取って下さらなかったので、御由緒書を購入致しました。
記憶には残りますので、何かのご縁ですかね。

参道横の末社の御門神社(元伊勢の厄神さん)、金のなる石も、拝殿のお詣りをすませてから
帰りにお詣りしようと思っていたのですが、
次の天の岩戸神社からの帰り道を変えたのでそのまま帰ってしまいました。

また参拝させて頂きます。


【元伊勢内宮・皇大神社  社号碑】
20180423235807076.jpeg


【元伊勢内宮・皇大神社  第一鳥居】
20180424000000334.jpeg


【元伊勢内宮・皇大神社 麻呂子親王御手植杉(癌封じの樹)】
20180424000405fe3.jpeg


【元伊勢内宮・皇大神社 真名井の池】
20180424000613bd3.jpeg


【元伊勢内宮・皇大神社 大木の中の木】
20180424000926eb5.jpeg


【元伊勢内宮・皇大神社  御神木の龍燈の杉】
2018042400155530d.jpeg


【元伊勢内宮・皇大神社 第ニ鳥居の黒木鳥居】
2018042407363999c.jpeg


【元伊勢内宮・皇大神社 苔庭・さざれ石】
2018042412374305e.jpeg


【元伊勢内宮・皇大神社 へそ塚や和泉式部歌塚】
20180424124030f8a.jpeg


【元伊勢内宮・皇大神社 岩長姫命社】
20180424124256d68.jpeg


【天龍八岐龍神社】
20180424193040eda.jpeg


【元伊勢内宮・皇大神社 御朱印】
日付けを間違えておられました、四月一日です
20180424124413dc9.jpeg

【御祭神】
天照大神
【摂社(脇宮)】
天手力男命、栲幡干々姫命
【創建】
年代不詳(伝)崇神天皇39年(紀元前五十九年)
【ご由緒】
第十代崇神天皇三十九年(紀元前五十九年)に「別に大宮地を求めて鎮め奉れ」との
皇大神の御教えに従い、永遠にお祀りする聖地を求め、皇女豊鍬入姫命御杖代となり給い、
それまで奉斎されていた倭の笠縫邑を出御されたのが、
いま(平成二年)を去る二千四十九年の遙かな昔であった。
そして、まず最初にはるばると丹波(のちに分国、当地方は丹後となる)へ御遷幸になり、
その由緒により当社が創建されたと伝えられている。
皇大神は四年ののち倭へおかえりになり、諸所(二十余か所)を経て、
五十四年後の第十一代垂仁天皇二十六年に、伊勢の五十鈴川上(いまの伊勢神宮)に
永遠に御鎮座になった。
しかし、天照皇大神の御神徳を仰ぎ慕う崇敬者は、ひき続いて当社は
伊勢神宮の元宮として「元伊勢(内宮)さん」などと呼び親しみ、いまに至るも庶民の篤い信仰が続いている。

境内掲示板より

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