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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
比沼麻奈為神社(元外宮)(京都)へ参拝
平成三十年 四月一日参拝

比沼麻奈為神社(元外宮)へ参拝させて頂きました。

この日は籠神社→眞名井神社(奥宮)→比沼麻奈為神社(元外宮)→元伊勢外宮 豊受大神社→元伊勢内宮 皇大神社
→天の岩戸神社と参拝させて頂きました。

元伊勢外宮 豊受大神社、元伊勢内宮 皇大神社、天の岩戸神社は福地山市大江町の元伊勢三社と呼ばれています。
今回は参拝前日に偶然ネットで見つけた『比沼麻奈為神社(元外宮)』についてご紹介いたします。



『比沼麻奈為神社(元外宮)』
京都府京丹後市峰山町久次にある神社です。
『延喜式神名帳』にある「比沼麻奈為神社(丹後国・丹波郡)」に比定される式内社(小社)の論社。
近代社格では村社。
籠神社から車で30分ほどで着いたと思います。無料駐車場も4台ほど停めることができそうでした。

駐車しているとちょうど宮司さんが境内から出てこられるところでした。
どこから来たのかと声をかけられて、神社の由来や町名のことなど丁寧に説明して下さりました。
元伊勢と名乗る神社はたくさんあるけど、伊勢神宮の書物に書かれていたのは
「比沼麻奈為神社」だけであるといっていました。他は自ら名乗っているとのことでした。

参拝をすませ御朱印を頂いたあと、先程の話の続きで丹後は古い古墳が多くあり
大和の古墳とは種類が違うとおっしゃっていました。
(私も本で読んだことがあり知っていました)

日本海側は四隅突出型古墳、大和は前方後円墳であり、
日本海側の古墳のほうが古く、違う民族ではないかとおっしゃっていました。

そして出雲もおもしろいよと勧めてくださりました。
丹後とつながりがあるようなことを、おっしゃっていたような気がします。

小さな神社で参拝者は私一人だけでした。
しかしきれいに玉砂利が敷かれた境内で、参道をホウキで掃く向きと角度をそろえていて
日本庭園のように凄く綺麗に整備されていました。
さらに両側に幾段もの土盛りをして御幣で囲んでありました。


『止由気宮儀式帳』にある「比治真奈井」、『倭姫命世記』にある
「与佐之小見比治之魚井原(与謝郡比冶山頂麻奈井原)」に比定される、候補地の一つ。

つまり伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)の起源で元宮の可能性がある。
元伊勢の一つ。

主祭神も豊受大神と、外宮と同じ。瓊瓊杵尊、天児屋根命を配祀する。社殿は伊勢神宮と同じ神明造り。
磯砂山に天降った天女神が豊受媛神とされる。関連して、羽衣伝説が残る。

式内社「比沼麻奈為神社」の論社としては、峰山町鱒留に藤社神社があり、藤社神社も古くから豊受大神を祀る、
「比治真奈井」の候補の一つ。

「比治真奈井」の候補は他に、京丹後市の奈具神社、宮津市の奈具神社、真名井神社、
福知山市の豊受大神社がある。
豊受大神社は式内論社でもある。

境内には頌徳碑が建てられている。

明治33年(1900年)、東京大学の栗田寛博士の撰文によるもので、「崇神天皇御世39年に豊受大神の鎮座したことは明らかで、伊勢神宮豊受宮の古本宮であることは紛れもない」と書かれ「このことを証明し、大勢の人に、豊受大神の幸ます稲の千秋の後までも知らしめんとするものである」としている。


【「比治」か「比沼」か?】

比沼麻奈為神社を現代読みで「ひぬままない」と読ませている。
沼は万葉仮名で「ヌ」「ノ」の接続語を意味するかなのひとつであり、但馬国にも古くは黄沼前と書いて
「きのさき、今の城崎」、狭沼郷は「さの・今の佐野」と読む。
しかし、この場合は、延喜式神名帳には、比沼麻奈為神社の振り仮名を「ヒチノマナヰ」としている。
したがって、伊勢神宮外宮の社伝『止由気宮儀式帳』記載時に、「比治」を「比沼」と書き間違えたか、
延喜式記載時かはわからないが、「比治」を「比沼」と書き違えたのではないかと思う。

久次岳の南に旧熊野郡と旧丹波郡(中郡)の境となる比治山峠がある。
この神社が元々あったのは比治山山頂。
比沼麻奈為神社をヒノマナイではなく「ヒチノマナヰ」としている。


【伊勢神宮外宮の社伝(『止由気宮儀式帳』)】
雄略天皇の夢枕に天照大神が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、
丹波国の比沼真奈井(ひぬまのまない)にいる御饌の神、
等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せなさい」と言われたので、
丹波国から伊勢国の度会に遷宮させたとされている。
即ち、元々は丹波の神ということになる。

【『丹後国風土記』逸文】
奈具社の縁起として次のような話が掲載されている。
丹波郡比治里の比治真奈井で天女8人が水浴をしていたが、
うち1人の羽衣を老夫婦が隠してしまったので天に帰れなくなった。
そのためその老夫婦の家に住んでいたが、十数年後に家を追い出されてしまい、
あちこち漂泊した末に竹野郡船木郷奈具の村に至ってそこに鎮まった。
この天女が豊宇賀能売神(とようかのめ、トヨウケビメ)であるという。


比沼麻奈為神社のある京丹後市峰山町には、豊受大神が丹波で稲作をはじめられた半月形の月の輪田、
籾種をつけた清水戸(せいすいど)がある。
これがこの地が田庭と呼ばれるようになった起源とされ、田場、丹波へと変遷し、
丹波、但馬の地名の起源であるという説がある。

久次嶽中腹には大神の杜があり、天の真名井の跡とされる穂井の段(ほいのだん)がある。
また、大饗石(おおみあえいし)と呼ばれる直方体のイワクラが残っており、
これが神社の縁起とも言われている。
天橋立の真名井神社は久次嶽山頂、大饗石、比沼麻奈為神社境内、
大宮賣神社を結ぶ一直線上に位置しており、関連性は濃厚であると考えられる。


【比沼麻奈為神社 第一の鳥居】
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【比沼麻奈為神社 手水舎】
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【比沼麻奈為神社 第ニの鳥居】
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【比沼麻奈為神社 拝殿】
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【社日塔 五角塔】
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【比沼麻奈為神社 御朱印】
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【御祭神】
豊受大神 瓊瓊杵尊 天児屋根命 天太玉命
【創建】
年代不詳(神代)崇神天皇39年創祀
【ご由緒】
伊勢外宮の本地とされる古社である。
天照大神が吉佐宮へ御遷幸の崇神天皇39年創祀と伝えられ、雄略天皇22年、天照大神の御神託により伊勢度会宮に遷座されたとき、御分靈を奉祀したといわれている。

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