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eskky28

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男、47才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
眞名井神社その2
籠神社の先代宮司である海部穀定(あまべ よしさだ)氏は、著書『元初の最高神と大和朝廷の始元』
(桜楓社刊)の「まえがき」でこう述べているそうです。
(神社でしか販売されていないそうなので、次回購入したいと思います)
 
『日本の上古史に、元初の神(天地開闢のはじめの神)として、その名が記されているのは、
古事記によると、天之御中主神であり、日本書紀によると、国常立尊である。
 尤も、次に、高皇産霊尊、神皇産霊尊、或は、国狭槌尊などの名が見え、
解釈によっては、之等の神々も、元初の神といえもするし、また、それに相違ないが、
ここにいう元初の神とは、最初の一神を指してのことである。
書紀の一書には、これを、ウマシアシカビヒコヂノ尊と云い、又、天之常立尊とも云っており、
旧事本紀には、別に、これに該当する神名も見える。
(中略)
一般神社のうちには、これらの神々をお祭りしているところが極めて少なく、
容易に発見することが困難であるとさえ云える状態にあるのは、何故であろうか。
社伝によれば、現在伊勢神宮外宮に祀られている豊受大神は、
神代は「真名井原」の地(現在の奥宮真名井神社)に鎮座したという』



「真名」(マナ)は、エジプトを脱出したイスラエルの民がシナイ半島の荒野で食べた
「天からのパン」の名に由来する、と言われています。
かつて籠神社では新しい宮司の襲名式において、黄金でできた「真名之壺」を神殿から出してきて、
金粉を削り、杯に入れて飲む、と言う儀式があったと言われます。
マナを保存した壺は、古代イスラエルの幕屋や神殿の至聖所で、契約の箱に入れてありました。
それが真名井神社にある、あるいは、そこから伊勢神宮の外宮に移された、と言われています。

その地は「匏宮(よさのみや、与佐宮/吉佐宮/与謝宮)」と呼ばれたとし、
天照大神が4年間営んだ元伊勢の「吉佐宮」にあたるとされています。

伊雑宮(イザワノミヤ)、(伊勢神宮の元宮伊勢神宮(三重)、鞍馬寺(京都)、籠神社(丹後半島天橋立)は
全て六芒星に関係があり、それらはほぼ北西に一直線に並んでいるそうです。
どういう意味があるかはわかりませんが・・・・。

そして伊勢神宮の外宮、熊野本宮大社、いざなぎ神宮、元伊勢・外宮豊受大神社、、多賀大社(伊吹山)を
線でつなぐと五芒星になるといわれています。
ネットで拝見しました。

五芒星は、陰陽道では魔除けの呪符として伝えられています。
印にこめられたその意味は、陰陽道の基本概念となった陰陽五行説、
木・火・土・金・水の5つの元素の働きの相克を表したものであり、
五芒星はあらゆる魔除けの呪符として重宝されたといわれています。

日本の平安時代の陰陽師、安倍晴明は五行の象徴として、五芒星の紋を用いたとのことです。
「安倍晴明判(あべのせいめいばん)」や「晴明九字(せいめいくじ)」とも言い、
キキョウの花を図案化した桔梗紋の変形として、「晴明桔梗(せいめいききょう)」とも言います。
家紋として現在使用されているものの多くは、桔梗紋の清明桔梗と見られ、
現在も晴明神社の神紋などに見ることができます。



次に日本列島を縦断していて、日本海側と太平洋側に流れる水を分ける線のことを
中央分水界と呼ぶそうです。

そこはおよそ平坦な道になっていて、日本列島を縦断する古代の陸路になっていたと
想像できます。
尚且つ、その中央分水界の中で最も低い位置に丹波の水分かれが存在するとのことです。


地政学的にみると、日本海と瀬戸内海を結ぶ平坦な道が存在するそうです。
丹後の盆地は標高も95メートルと低く、北へ由良川を経て日本海へ、
南へはと加古川(明石と姫路の間)を経て瀬戸内海に水が流れています。

日本海から瀬戸内海までは直線距離で100kmほどで、その間の高低さも最大で
100mにも満たさず、海面の高さと近くかなり、なだらかということがわかります。

つまり古代日本列島では、丹波は東西南北につながる交通の要所だったと
想像できるわけです。
しかも、もし海面が現在より100m上昇していたら日本列島本州は
ふたつに分かれていたかもしれませんね。
それぐらい海面との高低差が少なかったとのことです。


古墳も多く発見され、日本の交通の要所で大陸からの玄関にあたる、
籠神社や眞名井神社の場所は重要な拠点として建立されたのでしょう。


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