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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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眞名井神社(籠神社の奥宮)へ参拝 |
平成三十年 四月一日参拝
眞名井神社(籠神社の奥宮)へ参拝(京都 丹後一宮)させて頂きました。
籠神社から歩いて5分くらいで着きました。 そしてまず眞名井神社の石碑をみてみると、なんと六芒星が描かれていませんでした。
この六芒星「ダビデの星」は削られて、「三つ巴(みつどもえ)」籠神社の社紋に変えられたのでしょうか? 私は六芒星の石碑を直接見たわけではないのですが(笑)
ネットから見つけた比較した写真を貼ります。 左の写真が六芒星、右が現在の三つ巴

そういえば先程、籠神社で販売されている絵馬も、確かめてみると六芒星が描かれていませんでした。
私が見た本やネットは捏造?もしくは何か理由があって隠さなければならなくなったのでしょうか? 後から思えば神社の方に聞けば良かったですね。
眞名井神社の第二の鳥居をくぐると写真撮影禁止になっていました。 ネットで見たことのある拝殿、本殿、磐座は現在工事中で見ることが出来ませんでした。 今年の秋頃に工事完了するとの看板がありました。
冬は雪もすごい地域ですので、それまでにもう一度参拝したいです。
かなりのパワ-スポットなのでしょうか? 地元の観光サイトにおいて【不純な気持ちでの参拝はお控えください】とあるようです。 (私は確認できていません)
二の鳥居の前に狛犬ならぬ狛龍がいました。珍しいですね。
「真名井の御神水」 鳥居横にある「天の真名井の水」をいただくと良い。前世から持ち越してきた様々な曇りを祓う力がある。 しかし前世の罪を清算するということは多少覚悟がいるので、覚悟のない人は飲まない方がいいかもしれない。 といわれているそうです。
飲むのを忘れていました。次回参拝時には飲みたいと思います。
【眞名井神社 第一の鳥居】
【眞名井神社の石碑】
【眞名井神社 第ニの鳥居】
【眞名井神社 狛龍】
【眞名井神社 御朱印】
【別称】 豊受大神宮・比沼真名井(ひぬまない)・外宮元宮・元伊勢大元宮 【古称】 匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)・与謝宮(よさのみや)・久志濱宮(くしはまのみや) 【御祭神】 豊受大神を主祭神として、天照大神・伊射奈岐大神(いざなぎおおかみ)・伊射奈美大神(いざなみおおかみ)・ 罔象女命(みづはのめのみこと)・彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)・神代五代神(かみよいつつよのかみ) をお祀りしています。 豊受大神は別名を天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・国常立尊(くにとこたちのみこと)・ 御饌津神(みけつかみ)とも云い、その御顕現の神を豊宇気毘女神・豊受比売とも云います。 また食物を司るという属性の類似性から、倉稲魂命(うかのみたま)・宇迦之御魂(うかのみたま)・ 保食神(うけもちのかみ)・大宜津比売命(おおげつひめのみこと)なども同神と考えられています。 『丹後風土記』に収載の「天女伝説」に登場する豊宇賀能売神も豊受大神の属性の神ですが、 伊勢神宮外宮の主祭神の豊受大神とは別神で、豊宇賀能売神は御酒殿の守護神である「御酒殿神」として 伊勢神宮の所管社に祀られています。
【磐座(いわくら)】 真名井神社本殿の裏手には、古代からの祭祀場である磐座が三カ所あります。 磐座とは、簡単に云うと神の降臨場所或いは神の鎮座場所のことで、 神を祀るための神聖な石や岩のことを云います。 【磐座主座の御祭神】 豊受大神 【磐座西座の御祭神】 天照大神・伊射奈岐大神・伊射奈美大神 【磐座奥座の御祭神】 盬土老翁(しおつちのおじ) 宇迦之御魂 熊野大神 愛宕神 【御由緒】 天橋立北浜にある真名井原に鎮座する真名井神社(まないじんじゃ)は元伊勢籠神社の奥宮であり、 古代には「匏宮(よさのみや)・吉佐宮(よさのみや)」と呼ばれていました。 匏宮は天照大神の孫神であり、海部家の始祖でもある彦火明命が創祀した「宮」で、 丹後の最高神である「豊受大神」をお祀りしていました。 その御縁故により、 第十代崇神天皇三十九年に皇女豊鋤入姫命が御杖代となって「天照大神」を倭国笠縫邑から 当地の真名井原にお遷しになり、豊受大神と天照大神を並び併せて「吉佐宮(よさのみや)」と称して 四年間お祀り申し上げました。 つまり「吉佐宮」とは、神代から豊受大神をお祀りしていた「宮」或いは、 崇神天皇の御代に真名井原において豊受大神と天照大神を 一緒に四年間お祀りした「宮」のことを云います。 天照大神は最終的には垂仁天皇二十六年九月に皇女倭姫命が伊勢の地にお鎮め申し上げました。 その後おおよそ四百八十年経った第二十一代雄略天皇二十一年に倭姫命の御夢に 天照大神がお現れになり、「皇大神(天照大神)、吾、天之少宮に坐しし如く、 天の下にしても一所に坐さずは御饌も安く聞こし食さず、 丹波国の與佐(よさ)の小見の比沼の魚井原(まないはら)に坐す道主(丹波道主)の子、 八乎止女(やおとめ)の斎奉る御饌津神(食事を司る神)、止由居太神(豊受大神)を 我が坐す国へ坐さしめむと欲す」とお告げになりました。 それによって豊受大神は雄略天皇二十二年七月七日に天橋立北側にある 真名井原から伊勢の地にお遷りになりました。両大神が伊勢にお遷りになった後、 飛鳥時代に「宮名」を「吉佐宮」から「籠宮(このみや)」と改め、 奈良時代に奥宮の地から現在籠神社が鎮座する場所に遷宮いたしました。 遷宮した後の「吉佐宮」においても祭祀は続けられ、「真名井神社」と呼ばれるようになりました。
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