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eskky28

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男、47才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
籠神社へ参拝(京都 丹後一宮)
平成三十年 四月一日参拝

籠神社へ参拝(京都 丹後一宮)させて頂きました。

朝6時30分に家を出発しました。ナビで高速で1時間45分、下道で2時間45分だったので
下道でのんびり行くことにしました。
ちょうど桜が満開で咲いているところが多く、桜のトンネルなどくぐりながら山道をドライブしました。

籠神社は元伊勢といわれていて歴史が古いのと、絵馬や奥宮の眞名井神社の碑にカゴメ紋の六芒星が
描かれているということでユダヤとのつながりがあるのだろうと参拝を楽しみにしていました。
駐車場は維持管理費として700円頂いているとのことでした。
駐車場にあるお手洗いも凄く綺麗でした。


元伊勢の一社で「元伊勢籠神社」とも称し、古称の「吉佐宮(よさのみや」)また「元伊勢根本宮」「内宮元宮」
「籠守大権現」「籠宮大明神」とも称します。
現在まで海部氏が神職を担当しています。

『社殿様式』
御本殿は伊勢神宮と同様の唯一神明造りで、勝男木は十本、千木は内そぎになっています。
高欄上の五色(青、黄、赤、白、黒)の座玉(すえたま)は伊勢神宮御正殿と籠神社以外には拝せられないもので、
日本神社建築史上特に貴重なものとされています。

『日本最古の系図』
海部氏系図は平安初期のもので日本最古の系図(国宝)があります。

『日本最古の伝世鏡』
海部家に国宝系図以上に重要なものとして伝えられてきました。
国宝系図に天祖からこれらの鏡を授かったと書かれており、その素性の正しさを表しています。
邊津鏡(へつかがみ)前漢時代(約2050年前)、息津鏡(おきつかがみ)後漢時代(約1950年前)

『石造狛犬 二基』
社頭の狛犬二基は鎌倉時代の作でありますが、石造狛犬として日本一の名作であると
定評があります。

重要文化財の狛犬の写真を撮るのを忘れていました。
神門から中は写真撮影禁止になっていましたので、拝殿や本殿は撮影できませんでした。


主祭神
彦火明命 (ひこほあかりのみこと)
「天火明命」、「天照御魂神」、「天照国照彦火明命」、「饒速日命」ともいうとする。社家海部氏の祖神。



彦火明命(ひこほあかりのみこと)
天照大神の御孫神で、邇邇芸命(ににぎのみこと)の御兄神に当たられます。
邇邇芸命は天照大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって日向の高千穂に天降られましたが、
彦火明命は豊受大神の籠もられた御神鏡をお持ちになって現在の丹後に天降られ、
丹後・丹波地方を開拓し、豊受大神を丹後でお祀りになった神様です。
彦火明命は穂赤命(ほあかのみこと)とも呼ばれ、稲作に関係する側面と太陽神としての側面を持ち合わせています。
別名を天火明命(あめのほあかりのみこと)・天照御魂神(あまてるみたまのかみ)・
天照国照彦火明命(あまてるくにてるひこほあかりのみこと)とも云います。
また社伝によれば、彦火明命は上賀茂神社の賀茂別雷神(かもわけいかづちのかみ)と異名同神であると伝えられ、
その御祖の大神である下鴨神社の賀茂建角身命(かもたけつぬみのみこと)も併せ祀っていると伝えられています。
また古伝によると、十種神宝(とくさのかんだから)を持って来られた天照国照彦天火明櫛玉饒速日命
(あまてるくにてるひこあめのほあかりくしたまにぎはやひのみこと)また、
大汝命(大国主命)の御子神、火明命(彦火火出見命の御弟)、丹波道主王とも云われています。

【籠神社 一の鳥居】


【籠神社 さざれ石】


【籠神社 二の鳥居】


【籠神社 神門】


【籠神社 御朱印】

【御祭神】
彦火明命
【相殿神】
豊受大神(とようけのおおかみ) - 「御饌津神」ともいうとする。
天照大神(あまてらすおおかみ)
海神(わたつみのかみ) - 社家海部氏の氏神。
天水分神(あめのみくまりのかみ)

【創建】
不詳(有史以前)
【ご由緒】
籠神社の創建は奈良時代の養老三年(719)ですが、奈良時代に初めて祭祀が行われるようになった
という意味ではありません。
と云いますのは、籠神社は奥宮真名井神社の地から現在の籠神社の地に遷宮され、
創建されたからです。
籠神社が創建されるまで奥宮真名井神社は吉佐宮(匏宮・與謝宮・与謝宮・与佐宮などと
表記していずれも「よさのみや」と訓みます)と呼ばれておりました。
神代の時代から天照大神の孫神であり、邇邇芸命の兄神である
当社海部家の始祖彦火明命が豊受大神をお祀りしていました。
そのご縁故によって崇神天皇の御代に天照大神が倭の笠縫邑からお遷りになり、
天照大神と豊受大神を「吉佐宮(よさのみや)」という宮号で四年間お祀り申し上げました。
その後天照大神は第十一代垂仁天皇の御代に、又豊受大神は第二十一代雄略天皇の
御代にそれぞれ伊勢にお遷りになりました。
真名井神社は飛鳥時代の初め頃まで「与謝宮(吉佐宮)」と呼ばれていましたが
その後当社海部家二十六代目当主の海部直伍百道祝(いほじはふり)が宮号を「籠宮」と改め、
真名井神社境内地であった真名井川の川辺に一旦遷宮し、その後奈良時代元正天皇の御代に、
二十七代目当主海部直愛志(あまべのあたええし)が、現在の籠神社の地へと遷宮し、
それを契機に主祭神を籠神社海部家の祖神である彦火明命とし、
相殿に豊受大神・天照大神・海神・天水分神を併せ祀り創祀いたしました。

奥宮の眞名井神社は次回にご紹介いたします。


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