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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
伊雑宮へ参拝(内宮の別宮)
平成二十九年 十一月三日参拝

伊勢神宮の内宮の別宮の伊雑宮へ
参拝させて頂きました。

〝本当の伊勢神宮はここにある〟という話もあります。


伊雑宮(いざわのみや、正式名:伊雜宮)は、三重県志摩市磯部町上之郷にある神社。
式内社(大社)論社で、志摩国一宮。
皇大神宮(伊勢神宮内宮)の別宮の一社。
度会郡大紀町の瀧原宮とともに、「天照大神の遙宮(とおのみや)」と呼ばれる。

伊勢神宮別宮14社のうち伊勢国外のものは伊雑宮(志摩国)のみ。
また神田を持つ唯一の別宮である。
10社ある内宮別宮の中で荒祭宮、月讀宮、瀧原宮に次ぐ順位とされる。

一般に、伊雑宮を志摩国一宮とする。
しかし、志摩国一宮は鳥羽市の伊射波神社(いざわじんじゃ)とする異論もある。

かつては丹後とともに同じ丹波国であった但馬に「天之日矛」(あめのひぼこ)という
神を祀っている出石神社があります。
記紀によると天之日矛は渡来人で新羅の王子であったといっています。



私にはすごく興味をひいた話を以下に紹介いたします。
どこまで信憑性があるのかわかりません。
「信じるか信じないかはあなた次第」ということですかね。


『飛鳥昭雄氏と三神たける氏による『失われたキリストの聖十字架「心御柱」の謎』(学研、 297 ページより)には
興味深い情報が記されている。

伊雑宮は、伊勢神宮の 10 社ある別宮の一つと考えられてきたが、実は本当の価値を隠され てきたらしい。

1679 年、江戸において『旧事本紀大成経』なる書物が刊行された。
伊雑宮の神庫から出て きた秘伝であるとして、当時のインテリを中心に僧の潮音、長野采女
、広田丹斉などが喧 伝し、爆発的に広がったという。

この題名に含まれる『旧事本紀』は、一説によると聖徳太子が蘇我馬子に編纂させたもの
である。内容は、『古事記』や『日本書紀』に含まれなかった同時代の情報が記されている
ため、中世においては、記紀と並んで神道の根本神典『三部の神経』のひとつと考えられてきた。

だが、江戸時代になって儒学者の林羅山が『旧事本紀』を偽書としたため、評価は一転失 墜した。
徳川家綱も焚書を命じ、この世から抹殺された。

そのような中、1670 年に『旧事本紀大成経』31 巻本が刊行され、
続いて先の『旧事本紀大 成経』72 巻本が世に出る。

内容は一貫して、「物部氏」の正当性が記されている。

伊雑宮のもっとも旧い神官の一族的矢氏が物部氏であるためであるかもしれないが、
世間 の注目を集めたのは、伊勢神宮に関する記述であった。

曰く、「本当の伊勢神宮は伊雑宮である」。

これは、本家の伊勢神宮の猛反発を招いたという。

伊雑宮という分家が、本家に対して「本当の本家は自分だ」というわけだから、争いを巻 き起こすのも当然だった。

しまいには朝廷も乗り出す事態になった。結果、『旧事本紀大成経』は偽書であるというこ とで一件落着となった。

今でもかつてのような記紀に匹敵する根本神典とみなされていない。

しかし、飛鳥氏と会った八咫烏のリーダー大烏は、伊雑宮が内宮と外宮に匹敵する第 3 の 伊勢神宮であると断言した。

つまり、『旧事本紀大成経』の主張と一致するのだ。

これは、何を意味するのか。

藤原氏による物部氏の封印と関係している。

事実上記紀を編纂した藤原不比等が、何らかの目的で伊雑宮を隠し、伊勢神宮を内宮と外 宮の二宮にした。

飛鳥氏と八咫烏の会話がある。



「なぜ伊雑宮を本宮からはずし、別宮のひとつとして世間から隠したのです か」
「貴殿はどう思う」
「それは・・・」 ・・・ 「伊雑宮が隠された理由、それは奥義だからです」
「貴殿のいう奥義とは、祭神のことか」
「はい」
「伊勢神宮の本当の祭神は造化三神だが、それは隠されておらん。記紀に、 ちゃんと記されておる」
「ならば、奥義は伊雑宮そのもの。伊勢神宮が三宮から成り立っていること を隠すために、伊雑宮を封印しました」
「・・・」(303-304 ページ)


以上の箇所を読んで私には思い当たるふしがあった。

1995 年に伊勢神宮を訪れた際に、内宮と外宮を結ぶ参道に立っている灯篭にユダヤの六芒 星がついているのを見た。

後で調べると、伊勢神宮曰く、それはユダヤではなく「伊雑宮」の社紋であるという。

どうして伊雑宮の社紋がここにあたかも「忘れるなよ」と言わんばかりになぜ付けられて いるのか。

既述のとおり、伊雑宮は 10 宮ある別宮の一つである。それなのに、なぜこのような格別の 扱いを受けるのか。

理由は、伊勢神宮の第三の宮だからだ。

もともと伊勢神宮は、3 つの宮から成り立っていたのだ。

外宮と内宮の心御柱が正中から西北・東南に外れているのは、伊雑宮を指し示すためだと いう。(304 ページ)

では、なぜ藤原不比等は伊雑宮を隠したのだろうか。

それは、おそらく物部氏を消すためだろう。

八咫烏によると、物部氏は、徐福の子孫。徐福は、ユダヤ出身といわれる秦の始皇帝の血 族で、
イスラエル 12 支族のヨセフ族。

ユダヤ色そしてキリスト色を消すために、藤原氏は、伊雑宮を隠したのでは。

友人の川口氏は、1988 年にたまたま訪れた籠神社の別宮真名井神社でユダヤのマークを発見した。

彼はそのとき、自分の先祖が建てたこの神社がユダヤであるならば、自分もユダヤ人に違 いないと悟った。

同行の日蓮宗のお母さんも、それを悟り、クリスチャンになった。

後に、籠神社の宮司海部氏は、自分の氏族は物部の中心であり、籠神社も真名井神社も物部だと言った。

籠神社と、伊勢神宮の内宮と外宮、そして、伊雑宮を結ぶとまっすぐの直線になる。

そして、籠神社にダビデの星があり、伊雑宮にもダビデの星がある。

八咫烏によると、この両方の神社は、阿吽だという。

阿吽とは、アルファとオメガ、つまりイエス・キリスト。

さらに、伊勢神宮のご神体の最初の上陸地点が籠神社だとも。

伊勢神宮のご神体は、籠神社から長い年月をかけて伊勢神宮にたどり着いた。

そして、最初にそのご神体があった場所は、伊雑宮であったという。

そのご神体とは、十字架だった。

十字架は、伊雑宮にあったのだが、その後、内宮に移された。

現在は、十字架の上についた罪状書きだけがある。これを八咫烏は「首」と呼んだ。
そし て、この首こそが、十字架よりも重要なご神体であるとも。

籠神社は物部、そして、伊雑宮も物部。伊勢神宮のご神体の移動は、すなわち、物部の移 動でもあった。
つまり、実は、日本の中心神社伊勢神宮は物部の神社。

藤原氏は、それを隠したかった。

私は、藤原氏が「蘇我氏は廃仏派の物部氏を滅ぼした仏教派で、悪党である」との印象を 与えたと推定する。

そして、日本書紀において、「自分こそはその悪党を大化の改新のクーデターで滅ぼした英 雄である」
と描こうとしたのではないか。

すなわち、自分こそ真の神道派、天皇家の神社伊勢神宮の支持者であると。
自らの政権の正当性を示すためにこのような細工をしたのではないかと考える。

その場合、伊雑宮が真の伊勢神宮の第 3 宮であることがばれると自説にほころびが出る。

そこで必死に隠したのだが、物部氏は正中はずし、そして、灯篭の六芒星において真理を 暗示した。

いろいろと情報を集め、論証の必要があるが、私は、日本の原宗教はユダヤ系キリスト教 だと考えている。

その事実が、百済の王族を先祖に持つ藤原氏によって巧妙に隠されてきたと推察する。 』

以上、ネットで伊雑宮から出てきたお話でした。
色々な見方があるのですね。おもしろい。

4/1に念願の籠神社へ参拝させて頂きましたので、近くご紹介させて頂きます。

【伊雑宮の鳥居】


【伊雑宮の御神木?】


【伊雑宮の拝殿】


【伊雑宮の遷宮前の拝殿跡】


【伊雑宮の御朱印】

【御祭神】
天照大御神御魂
【創建】
804年以前
【ご由緒】
鎌倉時代成立とみられる『倭姫命世記』によると、伊勢神宮の内宮を建立した倭姫命が
神宮への神饌を奉納する御贄地(みにえどころ)を探して志摩国を訪れた際、
伊佐波登美命が出迎えた当地を御贄地に選定して伊雑宮を建立したとされる。
神宮ではこの説を採るが、一般には『倭姫命世記』が史書とされないこと、
また該当箇所は伊雑宮神官が後世に加筆したとされることから、創建は不詳とすべきである。
また、近世以前の志摩国では、伊雑宮周辺の土地のみが水田による稲作に適したことから
当社が成立したとする説や、志摩国土着の海洋信仰によるとする説などあるが、定説ではない。
804年(延暦23年)の『皇太神宮儀式帳』及び927年(延長5年)の『延喜太神宮式』に、
「天照大神の遙宮(とおのみや)」と記載があるため、それ以前から存在したとわかる。

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コメント

初コメです。
一宮巡りをしている者にとって、絶対外せない神社がこの伊雑宮です。
今年のシルバーウィークに伊勢神宮含めて参拝しようと思っていたので参考になりました。
近い将来、伊雑宮の参拝記を書くときの参考にもすると思います(笑)

一番驚いたのは御神木ですね。どういう生育の仕方をしたらあんなゴツイ木が生まれるのかと。
理系の人間はこういうのを考えるだけで一日過ごせます(笑)
[2018/04/03 20:07] URL | ピックル #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし
> 初コメです。
> 一宮巡りをしている者にとって、絶対外せない神社がこの伊雑宮です。
> 今年のシルバーウィークに伊勢神宮含めて参拝しようと思っていたので参考になりました。
> 近い将来、伊雑宮の参拝記を書くときの参考にもすると思います(笑)
>
> 一番驚いたのは御神木ですね。どういう生育の仕方をしたらあんなゴツイ木が生まれるのかと。
> 理系の人間はこういうのを考えるだけで一日過ごせます(笑)

コメントありがとうございます。
参拝させて頂いたときは、伊雑宮が一宮?内宮でないの?とよく分からず参拝していました(笑)
今でもよく分かっておらず、記事書くのに調べたら面白そうな話が出てきて驚いています。
少しでも参考にしてもらえれば嬉しいです。



[2018/04/03 22:47] URL | eskky28 #- [ 編集 ]


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