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eskky28

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男、46才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
いよいよ内宮へ参拝
平成二十九年 十一月三日参拝

いよいよ内宮へ参拝させて頂きました。

またまた『神社の謎』から内宮の参拝のコツを
紹介したいと思います。

およそ2000年前の垂仁天皇26年(紀元前4世紀)に創始されたといわれる社は、
元は皇室のみ参拝が可能な場所でありました。
それが徐々に庶民へと広がり江戸から現代まで日本の総氏神として崇拝されてきました。

宇治橋は俗世から神の領域、聖界への架け橋という感じがする。
ここは右側通行である。
とうとう神の国への一歩だ。鳥居で一揖。敷き詰められた玉砂利からは、
早くも独特のパワ-を感じさせる。

歩いていくと火除橋が見えてくるが、明治以前はここが内宮の入口だった。
右手に五十鈴川の水を汲み上げた手水舎があり、ここで手を洗い口をゆすぐと第一鳥居。
かつてはここからが神域だったのである。

ここからの空気が〝パン〟と変わることに気が付く。

【御手洗場】
右手に御手洗場が見えてくる。(本来はこの五十鈴川こそが御手洗場である)
五十鈴川へと坂道を下っていき、もう一度身も心も清めてからお参りの準備を
したいものである。

必ず川辺まで下り、そこで二拍手し、改めて手と口を清める。
そして正宮へと進んでいくのだが、正宮に参る前に必ず参拝すべき場所がある。

【滝祭神】
それは『お取次ぎさん』である滝祭神(たきまつりのかみ)である。
五十鈴川の御手洗場近くで五十鈴川の水神を祀っている。
観光客たちにそのまま一緒について歩いていくと、見落としてしまいがちである。

川から上がってくるとすぐに右手に折れるのである。
ここが古くからお取次ぎさんと呼ばれる特殊な神社である。

正宮を詣でる前に、名前と住所、参拝に来たことを報告することで、アマテラスに
「○○が参りにきました」と先に伝えてくださるという箇所である。

そこで取次をお願いし、そのまま進むと道が左右に分かれる。
左手に向かうと正宮なのだが、先に右手に曲がり、橋を渡る。

【風日祈宮】
風の神、別宮の風日祈宮へとまずはご挨拶に伺う。
アマテラスは太陽の神、つまり日の神イコ-ル火の神ともされる。
風は火の力を助けるから、風の氣を十分に受けてから正殿に向かうことで、
力を大きくさせてくれるのである。
これも参拝のコツである。

運のいい人かお導きがあるときは、神様の使いである鹿に出会えるかもしれません。

【正宮では感謝】
とうとう正宮に参拝である。
太古から変わらぬ姿で日本人を見守ってきた穏やかで雅やかなアマテラスの神氣がキラキラしている。
階段を上り外宮でいただいた『特別参宮章』を差し出し御垣内へと進む。
アマテラス大神が鎮座する神前に向かってとうとうお参りするのである。
周りの空気がまたもや〝パ-ン〟と変わった。
何ともいえぬ神々しい氣にのまれそうになる。

大きく二礼して、大きく二拍手。
外宮同様、ここでこまごましたお願い事は断じてしないようにする。
「日々感謝しています。ありがとうございます」
「とうとうこちらにお参りすることができました」
と心で唱えるだけでよく、何はともあれ、感謝なのである。

全く違う氣が流れている空間を前にして「○○して下さい」などという
チンプな願い事が口からでてくるはずがない。
「ありがとうございます」の感謝の念しか思い浮かばなくなっている自分に
気づくはずである。

日々生きていることへのお礼と「この場所に来るとことができ、ありがとうございます」と
報告するのである。

【お願いごとは荒祭宮で】
次にアマテラスの魂が活動的になった状態を祀っている荒祭宮へと向かいます。
ここの魂の宮こそが、人の願いをすべて叶えてくれる神なのだ。
ここで具体的にお願いをするのである。

荒祭宮へ向かう途中の階段の真ん中あたりに
お踏まずの石と呼ばれる石があり、
それを見つけ出し一礼すると願いがより聞き入れられる。
荒祭宮ではしっかりと時間をかけてお願いごとを
したい。

以上、『神社の謎』から参拝のコツでした。

ここから駐車している猿田彦神社へ、おはらい町通り、おかげ横丁を通って歩いていきます。
私はせっかくなのでカキフライ定食を食べて帰ろうとしたのですが、11時からといわれ諦めました。
その時はまだ10時半頃でした。
伊勢うどんの店は並んでいる店もありました。

内宮には八咫鏡があり、その裏にはヘブル語で
「エヘイェ アシェル エヘイェ」と書かれているという説があるそうです。
もし公表され説のとおりなら、日本のルーツが明らかになりますね。
英語で「I AM THAT I AM 」、
日本語で「我は有りて在るもの」という言葉らしいです。

これは旧約聖書の神髄で、神というものの本質を
述べているとのことです。

「存在しているけど見えない、しかし、いるんだよ。あるんだよ。」
つまり、見えないものを見えるような心がけをする。
見えないものにこそ、真の実在がある。
という直訳になるそうです。

深いですね。何か日本的な考えな気がします。


【内宮 鳥居 宇治橋】


【内宮 滝祭宮】


【内宮 正宮】


【内宮 荒祭宮】


【内宮 御朱印】

【御祭神】
天照坐皇大御神(天照大御神)
【創建】
垂仁天皇26年
【ご由緒】
天孫・邇邇芸命が降臨した際、天照大御神は三種の神器を授け、その一つ八咫鏡に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。(『日本書紀』)」として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇の側に置かれ、天皇自らが観察していた。八咫鏡は第10代崇神天皇の治世に大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫がこれを祀ることとされた。
崇神天皇5年、疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。
崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。 天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑に祀らせ、その後各地を移動した。
垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。(詳細記事:元伊勢)倭大国魂神を渟名城入媛命に託し、長岡岬[注釈 3]に祀らせたが(現在の大和神社の初め)、媛は身体が痩せ細って祀ることが出来なかった。
『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、皇女倭姫命が天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をしたと記されているのが、内宮起源説話である(元伊勢伝承)。この話は崇神天皇6年の条から続き、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。
なお、外宮は平安初期の『止由気神宮儀式帳(とゆけじんぐうぎしきちょう)』[注釈 4]によれば、雄略天皇22年7月に丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、伊勢山田原へ遷座したことが起源と伝える。

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