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eskky28

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男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
お願い事は多賀宮で
平成二十九年 十一月三日参拝

伊勢神宮 外宮へ参拝させて頂きました。

神社の謎を読んで勉強してから、本も持っていき参拝させて頂きました。

外宮のお詣りのポイントを神社の謎から挙げていきたいと思います。

【三ツ石】
外宮正殿の参拝を終えて別宮に向かう道の脇に、
〝三ツ石〟と呼ばれる小さい注連縄に囲まれてある
石があります。
宮川の支流が流れていたところで、内宮にある
五十鈴川の御手洗場とおなじような場所だったであろう場所で、現在でも祭祀の際に神職などがお祓いをする場所として使われる。
その目印として注連縄が張り巡らされている。

雑誌やテレビなどでここをパワースポットと称し
右手をかざすとパワーをいただけるとされているためなのか、注連縄の中の石に向かって手をかざしている光景をよく見かけます。

しかしここの注連縄は単なる祓所の目印にしか過ぎないとのことです。(通常注連縄を張るというのは、神域でこれ以上近寄らないようにする目印です)

【亀石】
三ツ石を通り過ぎ、ちいさな橋があります。
亀の顔に見える石の橋で、気づかなまま通り過ぎてしまう人が多いですが心地よいエネルギーにあふれているとのことです。

亀というのは吉事の象徴で、昔から長寿の代表のようなものとして崇められてきました。

長寿を祈り健康を祈り、元気に伊勢をお詣りする
ことができる縁に感謝しながら亀石の橋を渡りたいところです。

【参拝順序】
多賀宮→土宮→風宮→下御井神社の順に参拝する
のがよいとのことです。

かめの橋を渡って直進すると多賀宮へ登る階段が見えて来ます。
階段の手前で右手に土宮、左手に風宮があるのですがまずは奥にある多賀宮を先に参拝するのが順序です。

正宮はトヨウケの和魂(優しい魂)に対して、多賀宮はトヨウケの荒魂(強いパワーの部分)が祀られています。

【多賀宮】
この多賀宮こそ具体的なお祈りをする場所とのことです。
何か物事を始めようとするときに、大きなパワーを
与えてくれるとのことです。

【土宮】
外宮の地主の神である大土御祖髪を祀られています。

【風宮】
元来、風宮は風雨の災害なく稲を中心とする農作物が順調に成育するように祈りが捧げられるお社でありましたが、元冦以来国難に際しては神明のご加護によって国家の平安が守られるという信仰が加わります。

【下御井神社】
石段の左手の奥にある水の神様です。
小さな社ですが、井戸がありこの水は西に位置する上御井神社から毎朝汲んで運んでくるそうです。

上御井神社への一般参拝は許されていません。
(上御井の井戸は神が住む
高天原に通ずると言われているそうです)

【御祭神】
豊受大御神
【相殿神】
御伴神(みとものかみ)三座。東に一座、西に二座を祀る。天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほににぎのみこと)、天児屋根命(あめのこやねのみこと)、太玉命(ふとだま)の三座とする見解もあります。
【創建】
雄略天皇22年
【ご由緒】
外宮の鎮座の由来について、『古事記』・『日本書紀』の両書には記載がない。804年(延暦23年)に編纂された社伝『止由気宮儀式帳』によれば、雄略天皇の夢に天照大御神(内宮祭神)が現れ、「自分一人では食事が安らかにできないので、丹波国の等由気大神(とようけのおおかみ)を近くに呼び寄せるように」と神託した。『止由気宮儀式帳』にはそれが何年のことであるという記述はないが、『大神宮諸雑事記』の第一「雄略天皇」の条に「即位廿一年丁巳」、すなわち雄略天皇21年とある。この神託を受け雄略天皇22年7月7日 (旧暦)、内宮に近い「伊勢国度会の郡、沼木の郷、山田の原」の地に豊受大御神を迎えて祀った。
外宮の鎮座は内宮の鎮座から484年後のことであるという記述があるが、
天皇の在位期間を機械的に西暦に当てはめて計算すると、その年数が一致しない。
延喜式神名帳には「度会宮 四座」と記載され、大社に列している。
代々度会氏が神職として奉職したが、中世には度会家行が、豊受大神は天之御中主神・国常立神と同神であり、
外宮は内宮よりも立場が上であるとする伊勢神道(度会神道)を唱えた。
また、門前町として山田が形成された。
1876年の伊勢暴動の際には、中島・浦口・常盤・大世古といった町が炎上し、
外宮でも防御態勢を取ったが、破壊や放火といった被害は受けずに済んだ。
1945年1月14日午後2時53分、外宮の神域に5か所6発の爆弾が投下され、
五丈殿・九丈殿・神楽殿・斎館で被害が発生した。
その被害は軒先と戸障子の破損や板塀の倒壊、屋根に数か所の穴が開いた程度で軽微であった。
7月28日から7月29日の宇治山田空襲では、御垣内にも焼夷弾が降り注いだが、
御垣内が火に包まれることはなかった。
後に外宮宮域から搬出された焼夷弾の残骸はトラック3台分にも及んだという。

【外宮 鳥居】


【外宮 正宮】


【外宮 三ツ石】


【外宮 亀石】
【外宮 御朱印】


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