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eskky28

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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
多賀大社へ参拝(滋賀)
平成二十九年 十月七日参拝

多賀大社へ参拝させて頂きました。

多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にあります。
伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれてきました。
また、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めました。

家から高速道路で約2時間ぐらいだったと思います。
すごく大きな無料駐車場がありました。
少し神社まで離れていたので、歩いていると道に迷っていると、
地元の人が気軽に声をかけてくれて助かりました。

神社の端にある日向神社の鳥居の写真を撮っていると、夜にくると
ライトアップされててすごく綺麗ですよとまた別の方が声をかけて頂きました。
声をかけて頂くのが初めてでしかも2回もあったので、何か親近感が湧きました。

お守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあるが、
これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされています。

日本最古の書物「 古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、 続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。 このように、命の親神様であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集め、鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まりました。

「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあり、ここに見る「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子であることによる。


【多賀大社 鳥居】


【多賀大社 太鼓橋】


【多賀大社 摂社(境内社)で延喜式内社の日向神社】
御祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)


【多賀大社 寿命石 】
寿命石は、後白河上皇に東大寺の再建を命じられた俊乗坊重源が、延命を祈願した石だと伝えられています。ご祈願の際は、用意された白石に住所・氏名を書き、石の上に置くと効果が高いそうです。

【多賀大社 御朱印】

【御祭神】
伊邪那岐命
伊邪那美命
【創建】
不明
『古事記』以前の神代と考えられています
【ご由緒】
和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』の写本のうち真福寺本には「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」
「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)との記述があり、
これが多賀大社の記録だとする説がある。
ただし『日本書紀』には「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」とあり、
国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島の地に幽宮(かくりみや、終焉の御住居)を構えたとあり、
『古事記』真福寺本の「淡海」は「淡路」の誤写である可能性が高いとのことです。

『古事記』以前の時代には、一帯を支配した豪族・犬上君の祖神を祀ったとの説があります。

なお、摂社(境内社)で延喜式内社の日向神社は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を、同じ摂社の山田神社は猿田彦大神を祀る。
多賀胡宮とも呼ばれる別宮の胡宮(このみや)神社は、伊邪那岐命・伊邪那美命・事勝国勝長狭(コトカツ クニカツ ナガサノミコト)の3柱を祀り、多賀社の南方2kmの小高い丘(神体山)に鎮座する。授子・授産、鎮火の神として崇敬されています。

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