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eskky28

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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
葛木二上神社へ参拝
葛木二上神社へ参拝(令和二年三月二十一日)
奈良県葛城市加守に鎮座する神社です。

葛木二上神社(かつらぎふたかみじんじゃ、かつらぎにじょうじんじゃ)は、奈良県葛城市の二上山雄岳山頂付近にある神社である。式内社で、旧社格は郷社。二上神社、葛木坐二上神社(かつらぎにいますふたかみのじんじゃ)とも呼ばれる。



駐車場はないので、道の駅ふたかみ・パーク當麻「當麻の家」へ駐車させて頂きました。
40台ぐらい停めれそうでした。
家を7時50分頃出発し、下道で9時20分頃に到着しました。
駐車場は2,3台しか空いてませんでした。近くに公園もあるみたいで、小さなお子さん連れ家族や、
ハイキングに向かう方々など沢山来ていました。
私も参拝とハイキングを兼ねて来ました。一石二鳥です。


葛木二上神社は山上にあるので、御朱印は麓の葛木倭文座天羽雷命神社(かつらきしずりにいますあめのはいかづちのみことじんじゃ)の社務所で頂けるとネットで調べました。
しかし、コロナでなのかお留守で社務所らしいところは閉まっていて頂けませんでした。
また次回頂きたいと思います。

予定  9時30分(道の駅)→14時頃(道の駅)
道の駅ふたかみ→葛木倭文座天羽雷命神社→二上山雄岳→大津皇子のお墓→葛木二上神社→
二上山雌岳→當麻寺→十割蕎麦『薬庵』→道の駅ふたかみ


【三社の社号標】葛木二上神社、葛木倭文座天羽雷命神社、加守神社
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【葛木倭文座天羽雷命神社の手水舎】
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【手水舎にある看板】
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【鳥居?】
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【灯篭と階段と拝殿】
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【拝殿】
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【扁額】
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【拝殿の奥に飾られている蟹の額】
天忍人命は彦波渚武鵜草葺不合命生誕のときにその胎便(「蟹」と呼ばれる)を掃除したという神で、その子孫は蟹守(かもり)氏(掃部、加守、狩森などとも)と称した。当社の社家も蟹守氏である。附近の「加守」という地名も蟹守に由来するもので、当社は江戸時代まで「加守明神」と呼ばれていた。
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【猪よけの金網の柵】神社脇から登山道に続きます。
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【大津皇子のお墓】
飛鳥時代の皇族。天武天皇の皇子。母は天智天皇皇女の大田皇女。同母姉に大来皇女。妃は天智天皇皇女の山辺皇女。
異母兄の草壁皇子の政敵とみなされていて、天武天皇の崩御後、謀反の疑いをかけられ自害させられている。
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【大津皇子のお墓の看板】
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【葛木二上神社 拝殿】
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【二上山 雄岳山頂】
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【祭神】
豊布都霊(とよふつのみたま)神と大国魂(おおくにたま)神を祀る。豊布都霊神が石上神宮に、大国魂神が大和神社に勧請されたという伝承がある。豊布都霊神については布都御魂の名が有名だが、何故「豊」が名前に付くのかは不明。また、武雷神と同神とされる。大国魂神は国津神の大将軍とされる。
『神社要録』には「武甕槌命、大国主命」、『神祇志』には「紀豊布都霊神、大国神」と記載されている。元々は二上山の2つの山頂・雄山と雌山にそれぞれ男神・女神が祀られていたものとみられる。


【歴史】
創建の年代等は不詳である。二上山には石器の素材となる讃岐岩(サヌカイト)の層があり、古くから周辺に人が住んでいたものとみられる。文献の初出は、『日本三代実録』の貞観元年(859年)正月27日条、当社に従五位上の神階を授けるという記述である。延喜式神名帳では「大和国葛下郡 葛木二上神社二座」と記載され、大社に列している。
当麻寺中之坊所蔵の「当麻寺付近絵図」には二上山の雌岳に神蛇大王(竜王)を祭る社もあったことが記されており、現在は中之坊鎮守として遷座され、境内稲荷神社末社に竜王社の小祠となったとの伝承がある。当社との関係は不明。
近世には当社は「岳の権現」と呼ばれ、二上山からの水流を利用する数十か村の岳郷の氏神であった。明治6年(1873年)4月に郷社に列格した。

【創建】
不詳
個人的には、ウガヤフキアエズの誕生のときに掃除したという神で、その子孫は蟹守(かもり)氏(掃部、加守、狩森などとも)と称した。当社の社家も蟹守氏である。附近の「加守」という地名も蟹守に由来するもので相当に古いと思います。
確かウガヤフキアエズの末子が神武天皇になるはずです。

【社格等】
式内社(大2座)
旧郷社

以上Wikipediaより抜粋

長くなってきたので、次回にします。
次回、二上山の雌岳と當麻寺を書きます。

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