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eskky28

Author:eskky28
男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
大避神社へ参拝
令和元年 十月十四日 大避神社へ参拝
兵庫県赤穂市坂越1297番地に鎮座する神社です。
兵庫県赤穂市坂越(さこし)の宝珠山麓にある神社。旧社格は県社。
瀬戸内海三大船祭りの1つ「坂越の船祭り」(重要無形民俗文化財)で知られる。


この度の令和元年の台風19号により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

国民の安全に関わる公共工事はどんどん増やして頂きたいものです。
インフラの老朽化も含めて長期計画を立てて頂きたいです。
そうしたら建設関連会社も人材確保、設備投資の計画が立てれると思います。
経済効果も他へ波及していくと思うのですが・・・。



しばらく週末にサッカーが続くので、久しぶりに参拝させて頂こうと思いました。
西の方の天気は良さそうだったので、以前から気になっていた大避神社へ
参拝させて頂きました。
大避神社(ユダヤつながりで参拝させて頂きたかったです)➡斑鳩寺(聖徳太子の地球儀を拝見したかったのです)

ユダヤつながりで、大避の漢字は昔はしんにょうでなく門構えであり、
ダビデを表す漢字だったと本で見た事があった為に気になっていました。


今回は中国自動車道の宝塚ICから山陽自動車道の加古川北ICまで
高速道路(約40分で約1,400円)を使いました。
加古川北ICで降りてからの姫路バイパスは制限速度70キロで片側2車線あり
高速道路みたいで良かったです。

家を8時20分頃に出発した時には、雨が降っていて空もかなり曇っていました。
しかし高速に乗ってからは雨がやみ、だんだん晴れてきました。
少し肌寒かったのですが、厚くなりTシャツになるほど快晴になっていきました。

太子町(もちろん聖徳太子にまつわります。帰りに寄ります。)を越え揖保川も越えて、
大避神社へは10時30分頃に到着しました。
前日がお祭りだったみたいで、片付けで忙しそうでした。


【大避神社近く(徒歩3分ぐらい)にある無料の坂越駐車場】
愛車の向こう側は瀬戸内海になります。
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【秦河勝(聖徳太子の側近)ゆかりの地 坂越の看板  左側】
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【坂越の看板  右側】
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【鳥居と参道】
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【鳥居の扁額】
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【社号標】
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【隋神門前 あの狛犬】
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【隋神門前 うんの狛犬】
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【隋神門】
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【手水舎】
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【拝殿前 あの狛犬】
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【拝殿前 うんの狛犬】
20191014225223ba9.jpeg



【拝殿】
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【境内側からみた隋神門と生島】
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【御朱印】
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【主祭神】
大避大神 - 秦河勝を指す
天照皇大神
春日大神

【創建】
大化3年(647年)頃

【社格等】
旧県社

【主な神事】
船渡御祭(10月第2日曜)

【摂末社】
新宮 - 聖徳太子・住吉大神・金比羅大神・海神社
天満神社 - 菅原道真-元の天神山(北之町)に鎮座
恵美須神社 - 蛭子神-元の本町海岸に鎮座
荒神社 - 竈神-元の東之町に鎮座
淡島神社 - 淡島大神-和歌山県の加太より勧請
稲荷神社

【ご由緒】
秦氏は、6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団とされる。
秦河勝は秦氏の族長的人物として聖徳太子の元で活躍した人物である。
のち京都最古の寺とされる広隆寺を建立、聖徳太子より賜った弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置したとされる。
広隆寺近隣には大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って広隆寺境内から分散し遷座したものとされ、
当社も大避(大酒)と云われる由縁の一つである。
河勝は太子死後の皇極3年(644年)、蘇我入鹿の迫害を避けて海路をたどって坂越に移り、
千種川流域の開拓を進めたのち、大化3年(647年)に80余歳で死去、
そして地元の民がその霊を祀ったのが当社の創建という。
神社正面の海上に浮かぶ生島(国の天然記念物)には秦河勝の墓があり神域となっているため、
現在でも人の立ち入りを禁じている。
神社には、河勝公が自ら彫ったか、聖徳太子から賜ったものとされ、
雅楽で使用された1300年前の蘭陵王の面が宝物として伝えられている。
河勝は猿楽の始祖とされており(『風姿花伝』第四)、観阿弥、世阿弥親子や、
楽家である東儀家などが末裔を称し、金春禅竹の金春流も河勝を初世として伝えている(『明宿集』)。
『播磨国総社縁起』の記述では、養和元年(1182年)に祭神中太神24座に列しており、
当時すでに有力な神社であったとされる。

【坂越の船祭り】
概要
毎年10月の第2日曜日に行われ、江戸時代初期、祭神の秦河勝が坂越に渡来した伝承を
再現する祭りとして始まったと言われる。「山のみか 海も紅葉の 秋まつり」と詠まれているごとく、
荘厳華麗かつ勇壮な神事で、我が国でも他に類をみない伝統的和船の祭礼(船渡御祭)として全国に知られる。
大阪天満宮の天神祭、安芸厳島神社の管絃祭とともに瀬戸内海三大船祭りの1つに数えられる。

進行
祭礼第1日目の宵宮は、河勝の墓とされる生島の古墳の前で墓前祭が行われる。
その後、歌船が御船歌を奏しながら浦々を巡り(磯洗い)、獅子組の青年と子供たちによる獅子舞が町内を巡る。
2日目の本宮(神幸式)は、午前中から獅子舞の里中奉舞が前日より続く中、
海上では櫂伝馬船による漕比べ(花回り)が磯を巡る。
正午過ぎに行われる御分霊御遷祭の後、猿田彦・神楽獅子の先祓いを先頭に
頭人番五町による宮出し行列が神社から浜までを下る。
浜辺で櫂伝馬船の青年たちによる勇壮な橋板バタ掛けが行われた後、御神体が神輿船に乗船し、
一番・二番の櫂伝馬、三番の獅子船、四番から八番までの頭人船、九番の楽船、十番の御神輿船、
十一番の警護船、十二番の歌船からなる和船12隻が船行列を組む。
そして獅子舞や御船歌、雅楽が奏でられる中、御旅所のある生島までを
海上の大名行列のごとく華麗に往復する(海上船渡御)。
御旅所での神事の終わる夕刻、十数基の篝火が浜で一斉に焚かれる中を
高張提灯を灯した船団が再び神社に還幸し、宮入鎮座祭を行ない一連の祭事が終了する。

文化財指定
坂越の船祭りで使用される和船(兵庫県指定有形民俗文化財)は伝統的造船技法により忠実に造られている。
祭礼はそれらの技術工芸と共に、儀礼・儀式での御歌、雅楽、船壇尻船の舞台での演芸や壇尻囃子など
雅やかな伝統芸能の要素が数多く含まれている。
また、船渡御の船団は現在でも二艘の櫂伝馬船の人力のみで曳航、
還幸は篝火と提灯の幻想的な明かりの中行われるなど、古来からの伝承のままを踏襲している。
平成4年(1992年)、文化庁により選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)に選択され、
平成24年(2012年)3月8日に、国の重要無形民俗文化財に指定された。
兵庫県下では7件目、西播磨地域では初の指定であった。 同年11月3日、国の重要無形民俗文化財指定を奉祝し、
船壇尻船の海上公演が64年振りに復活した。

【キリスト教神社説】
大避神社は渡来氏族・秦氏(はたし、はたうじ)に属する秦河勝を祭神としているが、
かつて中国の景教(=ネストリウス派キリスト教)を研究した学者・佐伯好郎は、
秦氏は大部分がペルシャに出自をもつと考えられるキリスト教に改宗したユダヤ人集団だった、
との説を唱えた(佐伯は、秦氏を、使徒時代以後のキリスト教徒であったに違いないが時代関係から景教徒ではありえず、
原始教会のキリスト教徒であったかも知れないと考えていた)。
そして佐伯は、大避神社の「大避」(おおさけ)とは、「避」と「闢 」が類字であることなどから、
本来、旧約聖書に出て来るダビデ王の漢訳「大闢」(ダヴィ、たいびゃく)の事であるとし、
大避神社はダビデ王を祀った神社であるとしていた。
佐伯は、これも秦河勝が創建にかかわった京都・広隆寺にゆかりの大酒神社(大辟神社)にも同様説を取っていた。
ただ、これらの説は、知識人にも興味を持つ人こそあれ、学問的にはほとんど支持されていない。
しかし現在でも、大避神社を語る上で欠かせない話題の一つであり、知る人ぞ知る話となっている。
なお当社には、キリスト教で重要視される「12」の数字にまつわる事象が多くある。
神社拝殿の天井絵(12×8枚)、拝殿へ向う階段、境内のヤスライ井戸の石柱、船渡御の祭礼船、
櫂伝馬船の漕ぎ手、神社を守る社家の数は全て12である。
また、祭りの日程(旧暦の9月12日)や、神社への初穂料(昔は12銅、現在は12の倍数)も12にまつわっている。
但し、日本が古来受け入れた文化にも、一年12か月や十二支、仏教の十二神将、或は十二天、
など12の数は少なからず出て来る事には注意しなければならない。
「12の数のミステリー」大避神社と江戸風情残る兵庫・坂越の街並みを歩く
Wikipediaより抜粋

いつもご訪問して頂きありがとうございました。
次回、斑鳩寺の参拝記録を書きます。
聖徳太子の地球儀、聖徳太子の髪の毛を植えた仏像も拝見させて
頂いた様子を書きたいと思います。


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