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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)へ参拝 |
令和元年 五月二日 飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)へ参拝 岐阜県高山市一之宮町一の宮上5323に鎮座する神社です。
飛騨一宮水無神社(ひだいちのみや みなしじんじゃ)は、岐阜県高山市にある神社。 式内社、飛騨国一宮。旧社格は国幣小社で、現在は神社本庁の別表神社。
神代の昔より表裏日本の分水嶺位山に鎮座せられ、南西にある位山が御神体で奥宮がある。 分水嶺上にありそのエネルギーをもつ霊山。 巨石が点在する位山は、ピラミッドであるとも、世界最大級のパワースポットだとも言われている。 戦災を逃れるため、1945年に熱田神宮から天叢雲剣が一時移されていた社である。
G.W中にサッカ-仲間の方とのオヤジ旅第三弾として飛騨高山に行ってきました。 (第一弾 冬至の伊勢神宮の日の出、第二弾 岐阜城でした)
私が大変興味をもっている『飛騨の口伝』による日本のはじまりの地なので、 ずっと訪れたかった場所でした。
今回は断念したのですが位山の磐座郡にも行きたかったです。 天照大御神のお墓などがあり、天皇陛下の代替わりの即位式に、 位山の一位の木で作られた笏木は今なお献上されているとのことです。
片道3~4時間のクマ出没する登山をするか、車で林道を走れば行けたのですが、 登山する時間もなく、底をするので林道も走れませんでした。
飛騨一宮水無神社→高山の千光寺→福来記念・山本資料館(飛騨口伝の本を販売している) →白川郷(サッカ-仲間の方の希望)の順で行ってきました。 朝4時に家を出発→5時集合・出発→飛騨高山→24時頃家に到着しました。
予定していました日輪神社(各地にあるピラミッド状の神体山の原形とのことらしいです)、 アニメ「君の名は」の舞台である飛騨古川駅、気多若宮神社へは行くのを忘れてしまいました。
結果的には白川郷に降りる高速道路がかなり渋滞していて、回らなくて良かった気がします。
飛騨一宮水無神社に9時30頃に到着しました。するとちょうどお祭が行われていました。 なかなか拝殿に参拝できず、御朱印も頂けないと諦めかけましたが、 一区切りついた時に参拝をさせて頂きました。 社務所で他の方が頂いているのを見かけたので私も頂いてきました。
【到着した瞬間に車の中からの撮影】
【鳥居と社号標】
【社号標と御神木】
【鳥居横のあの狛犬】 シュッとしていますね。
【鳥居横のうんの狛犬】
【手水舎】
【手水舎の龍の口】
【神門】
【拝殿前の祭りの様子】
【祭りの様子】
【神輿】 こんな近くで拝見することもありませんので撮影しました。
【拝殿横のあの狛犬】
【拝殿横のうんの狛犬】 梅?もキレイに咲いていました。
【拝殿】
【絵馬殿】
【御神木】
【伝説のねじの木】
【ねじの木の説明板】
【御朱印】
【主祭神】 祭神は以下の15柱で、水無大神(みなしのおおかみ)と総称される。 主祭神 御歳大神 - 「水無神」と呼ばれる 配神 大己貴命、三穗津姫命、応神天皇、高降姫命、神武天皇、須沼比命、天火明命、少彦名命、高照光姫命、天熊人命、天照皇大神、豊受姫大神、大歳神、大八椅命 水無大神は地名に由来すると考えられる。水無大神は、御歳大神とする説のほか、八幡神などとする説もある。
【創建】 創建年代は不詳 【神体】 位山(神体山)
【社格等】 式内社(小) 飛騨国一宮 旧国幣小社 別表神社
【ご由緒】 創建の年代は不詳であるが、清和天皇の時代に従五位上の神階の記事がある。 『延喜式』では小社に列格し、飛騨国の一宮とされた。 鎌倉時代には「水無大菩薩」と称し、社僧が奉仕した。近世には水無大明神・水無八幡宮と称した。 戦国時代の戦乱で祭祀が途絶え、附近の寺が管理したが、元禄年間から吉田神道系の神職が奉仕するようになった。 1773年(安永2年)の安永騒動(大原騒動)では、水無神社が農民の決起集会の場所となる。 その事により、神主4人が捕らえられ、磔にされている。 1871年(明治4年)、国幣小社に列格した。 明治7年から10年までは、島崎藤村の父で『夜明け前』の 主人公・青山半蔵のモデルとなった島崎正樹が宮司を務めていた。 1945年(昭和20年)8月22日から同年9月19日までの間、熱田神宮の神体(天叢雲剣)が一時避難していた。 Wikipediaより抜粋
【奥宮 位山】 宮川の源流位山は日本を表裏に分ける分水嶺となっており、水主の神の坐す聖域、 神体山として古来より霊山として名高く、当神社の奥宮と称しています。 位山の山中には巨石群があり、大石を以て何かを築いたといわれたり、 初期の古墳のようであり、ドルメン(支石墓)のようでもあるなど様々な説がありますが、 何かの神秘的な霊場であったと考えられています。 また位山の主の宿儺(すくな)が雲の波を分け天船に乗って位山に来たという古伝説もあり、 位山が古代において何か宗教的な神秘性を持ち、位山の神秘性が宿儺という人智を超えたものに凝固したと見る説もあります。 この霊山にはイチイ(櫟)の原生林があり天然記念物とされ、 位山のイチイの木を笏の材料として献上した際に、この木が一位の官位を賜ったことから木は一位、 山は位山と呼ばれるようになったという説があります。 ホ-ムペ-ジより抜粋
【位山の一位笏木】 水無神社(みなしじんじゃ)には一宮神領の位山のイチイの樹をもって 謹製した笏を朝廷に献上している古例があります。 位山のイチイの笏木献上の初見は、 平治元年(1159年)飛州一宮神主大江某より御笏一対と御衣桁を献上 建武年間(1334年~1335年)国司姉小路家綱より後醍醐天皇に御笏の料として献上 元和2年(1616年)一之宮別当千光寺より廣橋大納言兼勝の伝奏によって位山の一位の笏木を献上 とあり、国司等による献上もありました。 文化~文政(1814年~1829年)の頃 大宮司の梶原肥後守景直より笏木を献上 嘉永6年(1853年) 一宮水無神社(みなしじんじゃ)より笏木を献上 安政2年(1855年) 大宮司の梶原景審より笏木を献上 など、主として水無神社(みなしじんじゃ)より献上することが以後先例となりました。 近代に入り、明治2年(1869年)3月2日に大宮司の毛利茂から献上 大正4年(1915年)7月は宮司不例のため押上森蔵中将は奔走されました。 昭和3年(1928年)9月28日に河合宮司によって大嘗祭御用御笏献上 平成2年(1990年)10月4日藤枝宮司によって大嘗祭御用御笏が献上されるなど、 古例にならい現在でも天皇陛下の即位と伊勢神宮式年遷宮に際しては、 水無神社(みなしじんじゃ)より位山のイチイの笏が献上されています。 ホ-ムペ-ジより抜粋
続きは次回に致します。 いつもご訪問して頂きありがとうございました。
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