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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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戸隠神社(奥社、九頭龍社編)に参拝 |
戸隠神社に参拝 平成三十年八月十三日に参拝 長野県長野市戸隠3690に鎮座する神社です。 日本最古の歴史書「古事記」の天岩戸伝説に深い関わりがあり、 屈指のパワースポットでもある戸隠神社です。
昨日は休日でボルダリングをしてきました。 私のボルダリングの先輩というか師匠と一緒に、久しぶりに楽しんできました。 (師匠は昨年夏以降、ボルダリングで3~4回腰を痛めて家族から止められていました。) 私は2週間ぶりだったので本日は凄く筋肉痛です。
今回の記事の戸隠神社は確かお盆休み(翌日も休み)なので、日帰りで参拝できる 遠いところということで参拝を決めたと思います。なんとなく決めたと思います。 戸隠そばも楽しみでした。かなり前なので記憶が曖昧です。 だんだん思い出してきました。 スマホのナビで駐車場の場所がわかりませんでした。戸隠神社奥社と入力していたので ゴ-ルは何もない山でした。
候補的には出雲大社、厳島神社、、諏訪大社、飛騨高山の神社 飛騨高山で最も格式が高い水無神社(みなしじんじゃ)もパワースポットとして有名です。 位山(くらいやま)をご神体として祀っている神社で、水無神社の奥宮(おくのみや)が位山です。
飛騨の口伝の場所です。本当に参拝してみたいです。
戸隠神社五社(奥社、九頭龍社、中社、宝光社、火之御子社)を 参拝させて頂きました。記事は何回かに分けて書きます。 今回は奥社→九頭龍社を書きます。
戸隠神社五社巡りの参拝順ですが、大型連休中だったので 一番混雑すると言われている奥社から参拝させて頂くことにしました。 朝一番のほうまだ少ないかなと思ってです。
大阪から約5時間?、長野ICから約30分ぐらいでしたか、全然覚えていません。 ただ覚えているのは、予定のICより一つ先のICで降りることになってしまいました。 ナビが何も言わないので、気付くのが遅れました。
8時30分に駐車場に到着して 奥社→九頭龍社→中社→火之御子社→宝光社 の順で12時には参拝を完了させる予定でした。
奥社 駐車場に迷い9時に着きました。無料駐車場は空いてないというか、 なんとか空いているなるべく近場の有料駐車場に滑り込みました。
そこから奥社まで30分は歩いたと思います。 奥社に到着した頃には、すでに御朱印を頂く行列ができていました。 授与所は9時からなのだそうですが、大変混雑するので 9時から並ぶ予定にしていました。
参拝のあと多分40分ぐらい並んで御朱印を頂いたと思います。 並んでいる途中からも雨が結構降ってきてもう大変でした。
九頭龍社 奥社の左隣に鎮座しています。 奥社、九頭龍社共に写真撮影禁止になっていました。
戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、 創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。 その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、 祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。 平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。 神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、 比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。 江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、 東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。 山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、 広く信仰を集めました。 明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、 戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。
【奥社参道の看板】
【戸隠神社 奥社 社号碑】
【奥社 第一鳥居】
【隋神門前のあの狛犬】
【隋神門前のうんの狛犬】 確かちかくに熊注意の看板がありました。
【隋神門】
【隋神門の扁額】
【参道の樹齢約400年を超える杉並木】
【奥社のあの狛犬】
【奥社のうんの狛犬】
【奥社と第二鳥居】
【九頭龍社】
【奥社の御朱印】
【九頭龍社の御朱印】
【主祭神】 奥社 祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。 神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。
九頭龍社 祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。
【創建】 一説には孝元天皇5年(紀元前210年)、 又は奥社の地で最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。 【社格等】 わかりませんでした。
【本殿の様式】 わかりませんでした。
【ご由緒】 日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、 天の岩戸を開き、天照大神をお導きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。 戸隠神社の御本社として開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの 御神徳が全国に広宣され多くの崇敬者が登拝されます。 参道は約2キロ、中程には萱葺きの赤い随神門があり、 その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いています。 戸隠神社ホームペ-ジより抜粋
各社の主祭神は、地主神である九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)以外は 「天照大神(あまてらすおおみかみ)が、弟である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の 度重なる非行を嘆いて天岩戸(あまのいわと)に隠れたため、 この世に暗黒と悪神がはびこった」とされる神話にまつわる神であるが、 それぞれがいつ頃から現在の祭神を祀るようになったかは必ずしも明らかでない。 しかし他の多くの神仏習合の神社とは異なり、祭神は江戸時代以前から変わっていない。
一説には現在の奥社の創建が孝元天皇5年(紀元前210年)とも言われるが、 縁起によれば飯縄山に登った「学問」という僧が発見した奥社の地で 最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。 また日本書紀の天武紀には684年三野王(美努王)を信濃に派遣し地図を作らせ、 翌685年に朝臣3人を派遣して仮の宮を造らせ、691年に持統天皇が使者を遣わし、 信濃の国の須波、水内などの神を祭らせたとされていて、この水内の神が戸隠神社とする説もある。 Wikipediaより抜粋
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