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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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宇治上神社へ参拝 |
平成三十一年 一月五日参拝 京都府宇治市宇治山田59に鎮座する神社です。
宇治上神社(うじがみじんじゃ/うじかみじんじゃ)は、京都府宇治市宇治山田にある神社。 式内社で、旧社格は村社。隣接する宇治神社とは対をなしています。 ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されています。
神の使いのうさぎが守り神をこの地に案内したことから、 うさぎの道“菟道(うじ)”と呼ばれるようになったといわれています。
世界最古の神社建築物の本殿を持つ隠れパワースポットです。 平等院のすぐそばにあり、「世界一狭い世界遺産」とも呼ばれています。
正月三が日の混雑を避けて参拝させて頂きました。 宇治上神社→宇治神社→平等院鳳凰堂→石清水八幡宮 の順で参拝させて頂きました。
家から下道で約70分で到着しました。 8時10分→15時30分頃に家に帰りました。
駐車場は、正月休みだったのか開放されていました。 宇治神社そばで宇治上神社まで200mの一日700円の朝霧駐車場に停めました。 宇治上神社のすぐ脇にも10台くらいの駐車場もありました。 無料っぽかったです。
【鳥居と社号碑】
【神門】
【手水舎】 宇治には7ヶ所の湧き水「宇治七名水」がありましたが、そのうちの6ヶ所は失われてしまい、 現在唯一残っているのは宇治上神社の境内の片隅に湧く「桐原水」(きりはらすい)のみです。 参拝者が心身を清める手水舎として使用されており、飲むことはできません。
【ご神木】
【拝殿】 拝殿は鎌倉時代前期の造営。国宝に指定されている。
【拝殿脇の清めの砂】
【拝殿の中】
【本殿】 本殿は平安時代後期の造営で、神社建築としては現存最古とされる。国宝に指定されている。
【御朱印】
【季節限定の御朱印】
【主祭神】 左殿:菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと) 『日本書紀』では「菟道稚郎子」、『古事記』では「宇遅之和紀郎子」と表記される。 応神天皇皇子。天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、 兄の大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。 中殿:応神天皇 第15代天皇。菟道稚郎子命の父。 右殿:仁徳天皇 第16代天皇。菟道稚郎子命の異母兄。
【創建】 不詳
【社格等】 式内社(小) 旧村社
【本殿の様式】 五間社流造(内殿に一間社流造3棟)
【ご由緒】 創建年代などの起源は明らかではない。宇治上神社のすぐ近くには宇治神社があるが(位置)、 宇治上神社とは二社一体の存在であった。 宇治上神社の境内は『山城国風土記』に見える菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であると伝え、 両社旧称の「離宮明神」もそれに因むといわれる。
宇治上神社の境内外には「天降石」や「岩神さん」と呼ばれる巨石があり、磐境信仰による創祀という説もある。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では山城国宇治郡に「宇治神社二座 鍬靫」の記載があるが、 その2座はそれぞれ宇治神社・宇治上神社に比定される。 なお、宇治上神社の本殿は本来左右2棟であるとして、 「宇治神社二座」は宇治上神社のみを指すという説もある(3棟の建築年代については後述)。 神名帳の「鍬靫」の記載は、祈年祭の際に朝廷から鍬・靫の奉献があったことを意味する。 近くに平等院ができると、両社はその鎮守社とされたという。
明治以前は宇治上神社は「上社」・「本宮」、宇治神社は「下社」・「若宮」と呼ばれたほか、 両社を合わせて「宇治離宮明神(八幡宮)」と総称された。
明治に入って宇治上神社とは分離し、近代社格制度では村社に列した。
2004年2月の奈良文化財研究所や宇治市などによる年輪年代測定調査では、 本殿は1060年頃のものとされて「現存最古の神社建築」であることが裏付けられた。 また、1052年創建の平等院との深い関連性が指摘されている。
Wikipediaより抜粋
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