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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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天津神社へ参拝 |
天津神社へ参拝 平成三十年 七月十五日参拝 新潟県糸魚川市一の宮1-3-34に鎮座する神社です。 式内社論社で、越後国一宮を称する。旧社格は県社。
3連休だったので、なんとなく遠くまで行きたいなと思っていました。 戸隠神社と迷いましたが、石川県の白山比咩神社に参拝させて頂くことにしました。 そしてテレビでみたことのある『まいもん寿司』で食べようと出発しました。
しかしナビでみると到着時間が3時間と早すぎたのでもう少し遠くまで行こうと 行きながら行き先を急遽変えました。5時出発でした。
天津神社に参拝後、本物の翡翠の携帯ストラップを買おうと思ってたのですが、 駅前のお土産屋さんに入ろうとしたら、満車で3台待ちで10分くらい待ったのですが 進まなかったのでやめました。
最近は神社に参拝できていないのですが、天皇誕生日に伊勢神宮の内宮の宇治橋の 鳥居から昇る日の出の写真を撮りたいなと考えているところです。 冬至の日に太陽が通るように建てられているとのことです。 実現は天気や仕事、体調によりますが。
【社号碑】
【表参道】
【手水舎】
【鳥居】
【拝殿】
【拝殿寄り】
【天津神社 本殿】
【天津神社 本殿と狛犬】
【奴奈川神社】
【御朱印】
【主祭神】 中央:天津彦々火瓊々杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと) 左:天児屋根命 (あめのこやねのみこと) 右:太玉命 (ふとだまのみこと)
【創建】 (伝)景行天皇年間 記紀における伝説上の人物で日本武尊(やまとたけるのみこと)の父 【ご由緒】 景行天皇の時代の創建と伝えられ、孝徳天皇の勅願所であったと伝えられている。 旧糸魚川町のうち、一の宮・押上・寺町・大町・七間町等の産土神として崇敬された、 慶長16年(1611年)、江戸幕府から黒印地百石を寄進され、翌年朱印地に改められた。 大正7年(1918年)に郷社に列し、後に県社に昇格した。 『延喜式神名帳』には式内社として「越後国頸城郡 大神社(おほむは-)」が記載されているが、 その論社に比定されている。また、境内社の奴奈川神社(ぬなかわ-)も式内社論社である。
境内社 奴奈川神社 奴奈川姫命を主祭神とし、後に八千矛命(大国主)が合祀された。 この一帯はかつて「沼川郷」と言い、そこに住んでいた奴奈川姫命の元を 八千矛命が訪れたという話が日本神話(大国主の神話)にある。 伝承では、両神の間の子が建御名方命であり、姫川を遡って信濃国に入りそこを開拓したという。 『延喜式神名帳』に頸城郡13座の一社として記載されている。 「奴奈川神社」という名前の神社は当社の他にも頸城郡内に複数社あり、 糸魚川市田伏南村の奴奈川神社(旧郷社)、 糸魚川市大字能生宮の上の白山神社(旧郷社)も式内・奴奈川神社の論社となっている。 Wikipediaより抜粋
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