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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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白山比咩神社奥宮へ参拝 |
白山比咩神社の奥宮へ参拝(令和二年九月二十一日) 石川県・岐阜県の県境に立つ白山(標高2,702m)山頂の御前峰(ごぜんがみね)に奥宮が鎮座している。 山麓に鎮座する白山比咩神社の奥宮。
全国に3,000以上ある白山神社の総本山である「白山比咩神社」。 北陸で随一のパワースポットとも言われている白山比咩神社(石川県)の奥宮は日本三大霊山のひとつである、白山の頂上に鎮座しています。 白山は「神様の宿る神体山」として、古くから農業に欠かせない水を産み続け、海に出る人の目印となり、さらには様々な御利益をもたらしてくれると崇められている山です。 白山山頂付近にある奥宮は、奈良時代に創建(1988年再建)されたほこらで、「聖地中の聖地」といえる場所。 白山比咩神社・奥宮への行き方は、石川県白山市白峯にある「別当出合登山口」から白山を登るルートが一般的です。 週末は別当出合登山口より下った一ノ瀬駐車場に駐車してシャトルバスに乗車することになります。
21日22時にパパ友の山登り先輩と大阪を出発し、2時に一ノ瀬駐車場に到着しました。沢山の車が駐車してありました。 無料で750台駐車できるそうです。 夜中なのに警備員の方がいて誘導していました。 車で4時まで仮眠して5時30分頃のシャトルバスに 約15分乗り登山口に到着しました。シャトルバスに乗車するのに先に検温し乗車券を購入しなければ なりませんでした。知らずに少し列に並んでしまいました。
山頂手前にある白山室堂に鳥居と祈願殿があり、そこで御朱印を頂く予定でしたが、 7、8月の週末だけしか開いていないとのことでした。残念でした。しかし夏と違い虫がほとんど寄ってこなかったので、 汗だくにはなりましたが歩くには良い時期でした。
奥宮(白山山頂)から16時30分頃に当出合登山口に戻ってきました。足全体がボロボロになりました。 両膝、足裏の親指の付け根が痛くなり、ふくらはぎ、太ももはつりそうになっています。
帰りに『白峰温泉 総湯』というところで汗を流しました。入場制限をしていて10分程待ちました。 670円でした。凄くヌルヌルしていて温泉ていう感じがしました。
帰宅したのは11時30分頃になったと思います。 2日後もまだ足は筋肉痛です。まだまだ鍛える余地ありますね。
【5時過ぎのバス停】日の出も偶然撮れていました。
【中腹で雲海を臨むパパ友の山登り先輩】
【途中の黒ボコ岩】
【白山室堂にある鳥居と祈願所】ここで10時30分頃で少し早いですが昼食をとりました。気温4°で、本日一番寒かったです。
【白山室堂手間の弥陀ヶ原】
【白山奥宮】
【白山奥宮の石碑】
【山頂の御前峰の様子】列になって交代で写真撮影しています。
【山頂裏にある御池の紺屋ヶ池と私】透明度が高く綺麗でした。
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鞍馬寺、貴船神社へ参拝 |
鞍馬寺、貴船神社へ参拝(令和二年八月十六日) 鞍馬寺 京都府京都市左京区鞍馬本町1074にある寺院です。 貴船神社 京都府京都市左京区鞍馬貴船町180に鎮座する神社です。
家から車で約90分で鞍馬駅前に9時頃到着しました。 駅前に駐車場があるのでそこへ駐車させて頂きました。 一日停めて500円でした。15台ぐらいの半分あいていました。
軽い山歩きしながら参拝させて頂きました。 鞍馬駅→鞍馬寺→鞍馬山山頂(通行不可で断念)→貴船神社本宮→結宮→奥宮→鞍馬寺→鞍馬駅 ゆっくり写真撮りながら参拝して歩き、約3時間30分かけて駐車場へ戻ってきました。
【鞍馬駅前の天狗】
【鞍馬寺 寺号標】呼び方が分かりませんが社号標に対しました。
【仁王門(山門)】
【あの狛犬】
【うんの狛犬】
【阿形の仁王像】
【吽形の仁王像】
【仁王門の看板】
【参道】青空と朱色と緑がキレイですね。
【参道に鹿】
【由岐神社 鳥居と手水舎】
【由岐神社の御由緒看板】
【あの狛犬】
【うんの狛犬】
【由岐神社 拝殿】
【義経供養塔】
【義経供養塔 看板】
【金堂 手水舎】
【あの狛虎】狛犬でないんですね。
【うんの狛虎】
【金堂】
【金堂前の六芒星の床】金剛床というそうで、パワー頂けそうですね。
【鞍馬寺 御朱印】
【本尊】 尊天(毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊) 【宗派】 鞍馬弘教 【山号】 鞍馬山 【創建】 伝・宝亀元年(770年) 【開基】 伝・鑑禎 【札所等】 新西国三十三箇所第19番 【文化財】 木造毘沙門天立像・木造吉祥天立像・木造善膩師童子立像・鞍馬寺経塚遺物一括(国宝) 木造聖観音立像・木造兜跋毘沙門天立像・黒漆剣・剣(無銘)・銅燈篭・鞍馬寺文書(重要文化財)
【歴史】 寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)が草創縁起を伝えており、鑑真の高弟・鑑禎が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。鑑禎は、鑑真が唐から伴ってきた高弟8名のうちの最年少の弟子であった。宝亀3年(772年)のある夜、鑑禎は霊夢を見、山城国の北方に霊山があると告げられる。霊山を尋ねて出かけた鑑禎は、ある山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見る。その山が鞍馬山であった。山に入った鑑禎は女形の鬼に襲われ殺されそうになるが、あわやという時、枯れ木が倒れてきて鬼はつぶされてしまった。翌朝になると、そこには毘沙門天の像があったので、鑑禎はこれを祀る一寺を建立したという。この鑑禎の話は『鞍馬蓋寺縁起』以外の書物には見えず、どこまで史実を伝えるものかわからない。ただし、清水寺の草創縁起と同様、南都(奈良)の僧が創建にかかわったとしている点は注目される。
『今昔物語集』『扶桑略記』など諸書には別の伝承が見られる。それによれば、延暦15年(796年)、藤原南家の出身で造東寺長官を務めた藤原伊勢人は、自分の個人的に信仰する観音菩薩を祀る寺を建てたいと考えていた。伊勢人は、ある夜見た霊夢のお告げにしたがい、白馬の後を追って鞍馬山に着くと、そこには毘沙門天を祀る小堂(上述の鑑禎が建てたものであろう)があった。「自分は観音を信仰しているのに、ここに祀られているのは毘沙門天ではないか」と伊勢人はいぶかしがった。ところが、その晩の夢に1人の童子が現われ、「観音も毘沙門天も名前が違うだけで、実はもともと1つのものなのだ」と告げた。こうして伊勢人は千手観音の像をつくって、毘沙門天とともに安置し、鞍馬寺を創建したという。この伝承は『日本後紀』延暦15年(796年)の条に東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に現在の鞍馬寺からほど近い貴船神社の神が現れ鞍馬寺を建立するよう託宣したと記されていることからほぼ史実であると考えられる。
9世紀末の寛平年間(889年 - 897年)に東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となる。天慶3年(940年)には鞍馬山の麓に宮中から由岐大明神が移され、由岐神社が建立され、鞍馬寺の鎮守社となった。
12世紀に延暦寺の僧・重怡(じゅうい)が入寺し、保延年間(1135年 - 1140年)に天台宗に改宗し、以後は青蓮院の支配下にあった。
寛治5年(1091年)には白河上皇が参詣、承徳3年(1099年)には関白藤原師通が参詣するなど、平安時代後期には広く信仰を集めていたようである。『枕草子』は「近うて遠きもの」の例として鞍馬寺の九十九(つづら)折りの参道を挙げている。
鞍馬寺は大治元年(1126年)の火災をはじめとして、たびたび焼失しているが、その都度復興されている。
鎌倉時代の寛喜元年(1229年)、青蓮院門跡座主が鞍馬寺検校職を兼務する。これ以来、鞍馬寺は正式に青蓮院の末寺となった。しかし、江戸時代の享保15年(1730年)には青蓮院の他、日光輪王寺の末寺ともなった。
この頃、鞍馬寺には塔頭が十院(真勝院・月性院・妙寿院・宝積院・大蔵院・吉祥院・戒光院・歓喜院・円光院・福生院)、さらに九坊(普門坊・松円坊・妙覚坊・薬師坊・本住坊・乗円坊・梅本坊・実相坊・蔵之坊)が存在し、栄えていた。しかし、文化11年(1814年)には一山炎上する大火災があり、以後は衰退してしまう。
そんな中の安政2年(1855年)には日光輪王寺のみの末寺となった。
1868年(明治元年)には再び青蓮院の末寺となり、廃仏毀釈の後も復興事業を進めていた。しかし、1945年(昭和20年)、本殿などが焼失してしまう。このため、現在の堂宇はいずれも新しいものであるが、仏像などの文化財は豊富に伝えられている。
昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、1947年(昭和22年)に鞍馬弘教を開宗。1949年(昭和24年)には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。
京都の奥にある鞍馬山は山岳信仰、山伏による密教も盛んであった。そのため山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むと言われる。鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものであり、また鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされる。
【本尊】 京都の北に位置する鞍馬寺は、もともと毘沙門天(四天王のうち北方を守護する)を本尊とし、併せて千手観世音を祀った寺院であった[1]。しかし、鞍馬弘教立教後の現在の鞍馬寺の信仰形態は独特のもので、本尊についても若干の説明を要する。
鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。「尊天」のひとり、「護法魔王尊」(サナート・クマラ)とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという[注釈 1]。
本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊はいずれも秘仏であり60年に一度丙寅の年のみ開帳されるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が常時安置されている。お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高い。光背は木の葉でできている。多宝塔に安置の護法魔王尊像も同じような姿をしている。このことから「鞍馬天狗」とはもともと護法魔王尊であったと思われる。また、16歳とされているわりに歳をとった姿をしている。 Wikipiediaより抜粋
長くなりましたので続きは次回に致します。 ご訪問して頂きありがとうございました。
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