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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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宮地嶽神社へ参拝 |
宮地嶽神社へ参拝(令和2年二月二十三日) 福岡県福津市宮司元町7-1に鎮座する神社です。 駐車場は無料で100台ぐらい停めれそうでした。
宮地嶽神社(みやじだけじんじゃ)は、福岡県福津市に所在する神社。神功皇后を主祭神とし、勝村大神・勝頼大神を配祀する。
概要 全国にある宮地嶽神社の総本社である。毎年220万人以上の参拝客が訪れ、特に正月三が日には100万人以上の人々が訪れている。開運商売繁昌の神社として知られている。宗像地方では宗像大社と並んで参拝客が多く、日本一大きいと称される注連縄と大太鼓・大鈴も有名である。神社の参道には多くの土産店が立ち並んでおり、商売繁昌にちなんで招き猫やダルマを販売している店が多い。また「松ヶ枝餅」が売られている。餅の表面には宮地嶽神社の神紋・三階松紋がある。 その他、毎月末の深夜0時(明けて1日)には「朔日参り」と呼ばれるものが行われており、多くの参拝客が深夜にも関わらず詰め掛ける。そのため多くの出店が出店しており飲食店も開店する。 参道のうち、「男坂」と呼ばれる神社正面の石段から門前町を通り宮地浜まで至り相島を望む西向きの参道は、約800mに渡る直線道路となっている。9月の秋季大祭においては、この参道を御神幸行列が牛車で往復する。また、この参道の延長線上に夕日の沈む期間が、年に二期(2月下旬および10月下旬)あり、この夕日と参道が一直線に並ぶ光景は、2016年2月に放映された嵐が出演する日本航空のCMをきっかけに有名になり、「光の道」と称されるようになった。この時期には「夕日のまつり」が開催され、参道の階段は観覧席として使用する為閉鎖される。 2010年に屋根の一部が補修され柔らかい金色の荘厳な屋根となったが、チタン製屋根が採用されており、最新技術を伝統建築に採用された代表例となっている。(小野工業所施工、新日鐵住金TranTixxiiチタン)
歴史 宮地嶽神社の創建は社伝では約1600年前にさかのぼるとされ、息長足比売命(神功皇后)が、宮地岳の頂に祭壇を設け祈願して船出したのが始まりといわれる。 現在の境内は祭壇を設けたとされる宮地岳の山腹に位置する。また、宮地岳山頂には宮地嶽古宮の祠、日の出参拝所がある。
福岡遠征のもう一つの目的である、嵐のCMにでていた神社へ参拝させて頂きます。 前回の宗像大社へ参拝後道の駅で昼飯を食べてから宮地嶽神社へ参拝させて頂きました。
【 鯛ハマチ丼定食】みちの駅むなかたの食堂はまゆうにて。ワサビ醬油でなくゴマダレでした。美味しかったです。
【第一鳥居】道路沿いにありました。 並んでいる時に地元の方が浜辺にも鳥居があるので、そこが第一鳥居になると教えて頂きました。
【第二鳥居と社号標】鳥居の両脇に新旧の社号標がありました。
【第三鳥居】
【光る前の参道】
【大太鼓】日本一大きいと称される注連縄と大太鼓、大鈴も有名だそうです。
【第四鳥居】
【第五鳥居とピラミッドみたいな山】階段を登りきり左へ約90°曲がり、バックにピラミッドみたいな山と一緒に現れました。
【第六鳥居】
【第七鳥居】今度は右に90°まがると最後の鳥居と神門が現れました。
【神門】
【あの狛犬】神門のところのスマートな狛犬でした。後ろに梅の花が咲いていました。
【うんの狛犬】
【神門の扁額】
【拝殿と大注連縄】
【境内に桜が咲いていました】
【奥の宮八社の参拝口】今回は参拝出来ませんでした。参拝に約1時間ぐらいかかるそうです。 奥之宮三番社不動神社は日本一の大きさを誇る、横穴式石室古墳の中に霊験あらたかなる「お不動様」をお祀りしております。この古墳は地下の正倉院と呼ばれ、金の鐙(あぶみ)・冠(かんむり)・馬具類・大太刀等数多くの埋蔵物が発掘され、20点が国宝に指定を受けています。 いつか参拝させて頂きたいです。その時は朝一番にきて参拝後9時頃から並ぼうと思います。
【行列】トイレに行くときに撮影しました。 光の道の観覧席(定員約350人)を求めて行列が出来ています。坂道の下のほうが先頭で坂の上で折り返しています。
【境内にあった社号標】
【夕日みたいな大太鼓】太陽が沈んだ後鳴らしていました。太鼓が夕日みたいに見えました。
【撮影記念植樹】嵐の光の道CM撮影の記念植樹。
【夕食のゴボウ天うどん】並んでいる時にご当地のオススメを聞き、一つ逆のサービスエリアによりました。 めちゃくちゃ美味しかったです。
【光の道】かなり分かりにくいですが。
【御朱印】年に2回、2月と10月の限定御朱印とのことです。
【主祭神】 神功皇后
【創建】 (伝)神功皇后の時代
【社格等】 県社・別表神社
【御由緒】 ご創建は、約1700年前。当社のご祭神「息長足比売命(おきながたらしひめのみこと)」別名「神功皇后(じんぐうこうごう)」は第14代仲哀天皇の后で応神天皇の母君にあたられます。 古事記、日本書紀等では渡韓の折、この地に滞在され、宮地嶽山頂より大海原を臨みて祭壇を設け、天神地祇(てんしんちぎ)を祀り「天命をほう奉じてかの地に渡らん。希(ねがわ)くば開運をた垂れ給え」と祈願され船出したとあります。その後、神功皇后のご功績をたたえ主祭神として奉斎し、随従の勝村・勝頼大神を併せ、「宮地嶽三柱大神(みやじだけみはしらおおかみ)」としてお祀りしました。 以来、宮地嶽三柱大神のご加護のもとで事に当たれば、どのような願いもかなうとして「何事にも打ち勝つ開運の神」として多くの方に信仰されるようになりました。 当社は、全国に鎮座する宮地嶽神社の総本宮です。 ホームペ-ジより抜粋 Wikipediaより抜粋
ご訪問して頂きありがとうございました。 昨日3/21は奈良県の二上山の神社へ参拝後ハイキングしてきました。 1時間30分ぐらい登りっぱなしでめげそうになりました。寒さを気にしていましたがすごく暑かったです。 そしてきつかったです。肺とふくらはぎが。
次回、二上山の神社を書きます。
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宗像大社(辺津宮)へ参拝 |
宗像大社(辺津宮)へ参拝(令和2年二月二十三日) 福岡県宗像市田島2331(辺津宮)に鎮座する神社です。 駐車場は無料で100台ぐらい停めれそうでした。
宗像大社(むなかたたいしゃ)は、福岡県宗像市にある神社。式内社(名神大社)、八神郡の一つ。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。日本各地に七千余ある宗像神社、厳島神社、および宗像三女神を祀る神社の総本社であり、『日本書紀』では、一書に曰くとして「道主貴」と称される。玄界灘に浮かぶ沖ノ島を神域とし、沖ノ島で出土した古代祭祀の奉献品の多くは国宝に指定されている。裏伊勢とも称される。 2017年(平成29年)、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群の構成資産の一つとして、世界文化遺産に登録された。 Wikipediaより抜粋
【概要】 宗像大社は、沖ノ島の沖津宮、筑前大島の中津宮、宗像市田島の辺津宮(総社)の三社の総称であるが、現在では「辺津宮」のみを指す場合も多いが、辺津宮を指し田島様とも呼ぶ住民も多い。筑前大島には沖津宮遥拝所(瀛津宮)もある。地図上で辺津宮から11km離れた中津宮、さらに49km離れた沖津宮を線で結ぶと、その直線は145km離れた朝鮮半島釜山の方向に向かう。古代から大陸と半島の政治、経済、文化の海上路であった。古くから海上・交通安全の神としての神威にちなみ、信仰されているが、現在では海上に限らず、道主貴の名のもとにあらゆる道、陸上・交通安全の神として信仰を集めている。そのため、福岡県やその周辺では宗像大社のステッカーを貼った自動車が多数見受けられるほか、新車を購入した際に祈願殿にて御祓いを受ける人も非常に多い。また、車に装着する交通安全のお守りは宗像大社が発祥である。 沖津宮のある海上交通の要所に位置する沖ノ島は、古来より島に立ち入り見聞きした事を口外してはならず「お不言さま(おいわずさま)」と呼ばれ、島全体が御神体である。そのため現在でも女人禁制であり、男性であっても上陸前には禊を行なわなければならない。これが男女差別だと言われることもあるが、これは島の神が女の神様(田心姫神)であり、女性が島に上陸すると嫉妬され祟りがあると言われている説があるが定かではない。昭和29年以来十数年に渡り沖ノ島の発掘調査が行われ、4世紀から9世紀までの古代祭祀遺構や装飾品などの大量の祭祀遺物(奉献品)、この他に縄文時代から弥生時代にかけての石器や土器などの遺物が発見された。このことから、沖ノ島は俗に「海の正倉院」と呼ばれており、有史以前の古代から海人族らの信仰の対象とされていたことが偲ばれる。現在は、台風などの緊急避難港に指定されている。なお、大社の神勅の額は、伏見宮貞愛親王が揮毫している。 エジプト考古学者の吉村作治氏が提唱し、沖ノ島及び宗像地域の祭祀遺跡などを世界遺産にする運動が起こり、2009年に「沖津宮・中津宮・辺津宮」及び「沖津宮遥拝所と沖ノ島全体」を含めて、「神宿る島」宗像・沖ノ島と関連遺産群として暫定リストに追加掲載、2015年には推薦候補となり、2017年7月、ポーランドクラクフでのユネスコ世界遺産委員会で、正式に世界遺産に登録された。 Wikipediaより抜粋
【宮島パキング】大阪→福岡間の休憩地
【宮島パキングにあった鳥居】広島湾に浮かぶ厳島(宮島)の北東部、弥山(標高535m)が奥に見えます
【第一の鳥居】
【第一の鳥居の扁額】
【第二の鳥居と社号標】
【社号標】
【第二の鳥居】
【太鼓橋】
【手水舎】
【水盤】
【神門】
【あの狛犬】
【うんの狛犬】
【拝殿】天皇陛下お誕生日の奉納みたいなことが行われていました
【本殿】拝殿裏側。ぐるりと末社がたくさんあります。
【御神木】写真手前も越えて伸びています
【高宮参道】
【高宮祭場の看板】
【高宮祭場】邊津宮に於ける古代祭祀遺構、現在も春と秋の大祭他、庭上祭祀が行われている。 古墳の上にあるように思えました。
【第二宮】沖津宮分社、タゴリヒメを御祭神とする。
【第三宮】中津宮分社、タギツヒメを御祭神とする。
【神門裏】黄金の菊の御紋が輝いていました。
【ご神勅の扁額】
【拝殿の扁額】
【神宝館】金の指環、三角縁神獣鏡など国宝だらけでした。すべてが沖ノ島からの出土品とのことでした。 写真撮影は禁止でした。入場料は確か800円だったと思います。
【御朱印】「光の道」の入場制限で並んでいる時に撮りました。
【主祭神】 田心姫神(沖津宮) 湍津姫神(中津宮) 市杵島姫神(辺津宮)
【御神体】 御霊代は 青玉(沖津宮) 紫玉(中津宮) 八咫鏡(邊津宮)
【創建】 不詳(有史以前)
【社格等】 式内社(名神大) 旧官幣大社 別表神社
【歴史】 伝えられる伝承では日本神話に起源を持つ。天照大神と素戔嗚尊の誓約(うけい)の際、天照大神が素戔嗚の剣を噛み砕き、プッと吹き出した破片から生まれたのが宗像三女神である。彼女たちはアマテラスの神勅を奉じて、皇孫ニニギノミコトを見守り助けるため海北道中、玄界灘に浮かぶ筑紫宗像の島々に降り、この地を治めるようになったのが宗像大社の起源とする。記紀に記載される「天から地に降りた神」はニニギノミコトとその天孫降臨以前に天降った宗像三女神だけである。これは記紀に記載される神名とその鎮座地が明確に記述されたものとしては最古のものである。宗像三宮の御神体依代について、筑前国風土記に依れば、『西海道風土記曰、宗像大神、自天降居埼門山之時以、青玉置奧津宮之表以、八尺紫玉置中津宮之表以、八咫鏡置邊津宮之表以、此三表成神體之形而納置三宮、即隱之因曰身形郡後人改曰、宗像其大海命子孫、今宗像朝臣等是也云々』と逸文に記述あり。宗像は『古事記』では胸形という字が当てられ、また胸肩、宗形とも表記されるが、もとは水潟であったとする説もある。古くから当地の民の氏神として信仰を集めてきたが、神功皇后が三韓征伐の際ここに航海の安全を祈り霊験があったといわれ、事あるごとに宗像に奉幣使を派遣する習いになったとされる。大和朝廷から重視され、古来遷都の度に宮中の賢所(かしこどころ)に当社の分霊が奉斎された。またこの逸話からは航海安全の守護神として崇められるようになった経緯がうかがえる。 律令制導入により国郡制が布かれると宗像一郡が神領として与えられ、当地の豪族宗形氏が神主として神社に奉仕し、神郡の行政も司ることになった。宗形氏の由緒を記した石碑によれば、宗形氏の族長が二代にわたって中国の商人の娘を正室に迎えている。また宗形徳善は娘の尼子娘を天武天皇の後宮に入れ、白雉5年(654年)に二人の間に生まれた第一皇子高市皇子は壬申の乱で父を助けて大功を挙げ、のちに太政大臣に任ぜられた。長屋王は高市の子であり、また高階氏の祖ともなった。807年(大同2年)には封戸74戸の寄進、840年(承和7年)には従五位下に叙され後、859年(貞観元年)、正二位となる。天慶4年(天慶の乱後)には更に進めて正一位の神階を得る。979年(天元2年)大宮司職が太政官より定められる。 鎌倉時代以降、宗形氏の後身で大宮司家の地位を世襲した宗像氏が武士化し、有力な国人領主に成長したが、戦国時代には大内氏・大友氏・少弐氏など近隣の大名同士の戦争に動員され、宗像大社も軍事攻撃の対象となってたびたび放火・破壊を受け、その宗像氏も衰退していった。しかしそのつど朝廷や武家の信奉があり再建を繰り返してきた。こけら葺きの大屋根が美しい現在の辺津宮本殿は、天正6年(1578年)に大宮司宗像氏貞が再建、辺津宮拝殿は、筑前領主であった小早川隆景によって天正16年(1590年)に再建された。辺津宮の本殿拝殿ともに国の重要文化財に指定されている。宗像氏が担ってきた祭祀はその後、草刈氏(草刈重継)に引き継がれた。江戸時代には筑前福岡藩主黒田氏などによる社殿の造営・修理、社領の寄進などが度々伝えられている。その後、幕末から明治の廃仏毀釈により神宮寺であった屏風山鎮国寺は大社から切り離され、昭和の第二次世界大戦の後、荒廃していた境内は赤間(宗像市赤間地区)出身で、幼い頃より宗像大社を崇敬していた実業家、出光佐三の寄進により整備され、沖津宮のある沖ノ島祭祀遺跡の調査発掘に際しては国に働きかけるなど尽力している Wikipediaより抜粋
ご訪問して頂きありがとうございました。 長くなりましたので続きは次回にします。
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