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eskky28

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男、47才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
日前宮(にちぜんぐう)へ参拝
日前宮(にちぜんぐう) へ参拝 令和元年 八月十三日

和歌山県和歌山市秋月365に鎮座している。

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は、和歌山県和歌山市にある神社。
1つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり、総称して日前宮(にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。
両社とも式内社(名神大)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁に属さない単立神社。

神体の鏡はいずれも伊勢神宮内宮の神宝である八咫鏡と同等のものとされる。
八咫鏡は伊勢神宮で天照大神の神体とされていることから、
日前宮・國懸宮の神はそれだけ重要な神とされ準皇祖神の扱いをうけていた。
日神(天照大神)に対する日前神という名称からも、特別な神であると考えられている。
また、伊勢国が大和国への東の出口に対して、当社は西の出口にあるため、
伊勢神宮とほぼ同等の力を持っていたといわれている。

日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名でもあり、朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。
神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかった。
なお、日前大神が天照大神の別名とされることについては諸説がある。



またまた久しぶりに神社に参拝させて頂きました。


家から車で約90分で到着しました。12時15分頃出発しました。
盆休み中でしたが、行きも帰りも渋滞が一切なく走れました。
気持ち良かったです。

駐車場は参拝者は無料でした。
境内は写真撮影禁止だったので少な目です。
参拝中に蚊にたかられると思ったのですが、一度もたかられずでした。
気温のせい?ですかね、良かったです。

【鳥居と愛車アクセラの半ケツ】
2019081323144923c.jpeg


【社号標】
二社書かれていて珍しいですね。
20190813231922223.jpeg


【鳥居】
20190813231757e9a.jpeg


【手水舎】
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【御由緒看板】
20190813232133f22.jpeg


【灯篭の奥に拝殿と本殿があります】
入口から向かって左に日前神宮、右に國懸神宮がある。
どちらから参拝させて頂こうか迷ったのですが、数組の参拝者たちが左の日前神宮から参拝していたので
私も同様に参拝致しました。記事を書いてて気が付いたのですが、狛犬がなかったです。珍しいですね。
201908132323531ed.jpeg


【駐車場でお待ちの愛車】
20190813232517229.jpeg


【御朱印】
20190814090002fa4.jpeg


【主祭神】
日前神宮
主祭神
日前大神 (ひのくまのおおかみ)
日像鏡(ひがたのかがみ)を神体とする。
相殿神
思兼命(おもいかねのみこと)
石凝姥命(いしこりどめのみこと)


國懸神宮
主祭神
國懸大神 (くにかかすのおおかみ)
日矛鏡(ひぼこのかがみ)を神体とする。
相殿神
玉祖命(たまのやのみこと)
明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)
鈿女命(うづめのみこと)

【御神体】
日前神宮:日像鏡
國懸神宮:日矛鏡

日像鏡・日矛鏡(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)とは、石凝姥命が八咫鏡(三種の神器の一つ)に先立って造った鏡とされ、
現在は日前神宮・國懸神宮(和歌山市)の御神体と伝わる。

【創建】
(伝)神武天皇2年

【社格等】
式内社(名神大)
紀伊国一宮
旧官幣大社

【摂社】
天道根神社 - 祭神:天道根命
天孫降臨の時、天道根命は二種の神鏡とともに従臣として仕え、神武天皇二年春二月、
紀伊國を賜り初代國造職に任命されました。
紀氏は天道根命の末裔にあたり、歴代に渉り國造職を受け継ぎ
明治十年三月二十一日には官命を以て日前國懸両神宮の摂社として定められました。

中言社 - 祭神:名草姫命、名草彦命
日本書紀では、神武東征のとき、河内国で長髄彦に追い返され、
神武一行は次に和歌山に上陸し、その地の名草という女賊を誅したと書かれている。
一方和歌山の口承では、「名草は負けなかった。神武軍を追い払った。」とされている。
と何かのブログでみました。

【末社】
深草神社 - 祭神:野槌神
邦安神社 - 祭神:松平頼雄命
市戎神社 - 祭神:蛭子神
松尾神社 - 祭神:大山咋神、中津島姫命(市杵島姫命)
以上、Wikipediaより抜粋

【ご由緒】
創建二千六百餘年を溯る日前神宮・國懸神宮は、同一境内に座します二社の大社をなしております。
日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し
國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀しております。
神代、天照大御神が天の岩窟に御隠れになられた際、
思兼命(おもいかねのみこと)の議(はかりごと)に従い種種の供物を供え、
天照大御神の御心を慰め和んで頂くため、石凝姥命(いしこりどめのみこと)を治工とし、
天香山(あめのかぐやま)から採取した銅を用いて天照大御神の御鏡(みかがみ)を鋳造しました。
その初度に鋳造された天照大御神の御鏡前霊(さきみたま)が、
日前國懸両神宮の御神体として奉祀されたと『日本書紀』に記されております。
天孫降臨の際、三種の神器とともに両神宮の御神体も副えられ、神武天皇東征の後、
紀伊國造家の肇祖に当たる天道根命(あめのみちねのみこと)を紀伊國造(きいのくにのみやつこ)に任命し、
二つの神鏡を以て紀伊國名草郡毛見郷の地に奉祀せられたのが当宮の起源とされています。
その後、崇神天皇五十一年、名草郡濱ノ宮に遷宮され、
垂仁天皇十六年には名草郡萬代宮すなわち現在の場所に遷幸され、
永きに渉り鎮座の地として今に至っております。
爾来、天道根命の末裔である紀氏(きいし)によって歴代奉祀され、
両神宮の祭神が三種の神器に次ぐ宝鏡とされたために、伊勢の神宮に次いで朝廷からの崇敬も篤く、
延喜の制には両社とも明神大社に列し、祈年(としごい)、月次(つきなみ)、相嘗(あいなめ)、
新嘗(にいなめ)の祭祀には天皇から幣帛(御供)を賜るほどでありました。
また古くから紀伊國一之宮として一般の人々からも崇敬をあつめ、両神宮の総称を「日前宮」(にちぜんぐう)とし、
親しみをもって呼ばれています。
戦国時代におきましては、豊臣秀吉の天正の兵乱により境内荒廃、
社領没収の憂き目に逢いましたが、徳川の時代に入り紀州藩初代藩主、
徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が入国されるや社殿を再興され、明治四年太政官布告による神格の制が治定されると、
官幣大社(かんぺいたいしゃ)に列し、敬神崇祖の大義を示すことと相成りました。
大正八年の国費による境内建物すべての改善工事によって旧観は一新され、
大正十五年三月の完成をもって現在の姿となっております。
ホームページより抜粋

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