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eskky28

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男、47才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
廣田神社へ参拝
令和元年 七月七日 廣田神社へ参拝
兵庫県西宮市大社町7番7号に鎮座する神社です。

兵庫県西宮市にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。


久しぶりに神社に参拝させて頂きました。
期間があくとブログの記事の書き方を忘れてしまいますからね。

家から車で約30分で到着しました。
散歩するかのように朝から参拝させて頂きました。
神社のそばに御手洗川という川がありました。
昔の名残りですかね、参拝前に身を清めていたんでしょうね。


【廣田神社 社号標と第一鳥居】
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【注連柱 第二鳥居】
四国の徳島で見た鳥居みたいでした。ホームペ-ジに書いてあり、注連柱というみたいです。
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【注連柱 第三鳥居】
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【御由緒看板】
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【手水舎】
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【境内】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【茅の輪くぐり】
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【茅の輪神事の看板】
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【拝殿】
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【拝殿と本殿】
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【境内社 摂社 伊和志豆神社】
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【御由緒看板】
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【境内社 末社 五末社】
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【境内社 末社 松尾神社】
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【祓所】
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【境内社 摂社 齋殿神社】
神功皇后の命を受けて、天照大神御魂を広田の地に祀った葉山媛命を祀る。例祭日は5月8日
元は境外にあったが、享保12年に境内に遷座した。
20190707132729234.jpeg


【御神水】
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【千年前の西宮】
見にくいです。
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【江戸時代の西宮】
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【珍しい自販機】
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【兵庫県天然記念物  コバノミツバツツジ】
季節は違いますので看板だけです。
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【看板と同じ場所の現在です】
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【御朱印】
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【主祭神】
天照大神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))
伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体

【脇殿神】
住吉大神
八幡大神
武御名方大神
高皇産霊神

【創建】
神功皇后元年(201年)

【社格等】
式内社(名神大)
二十二社(下八社)
旧官幣大社
別表神社

【ご由緒】
日本書紀に当社の創建のことが書かれている。神功皇后の三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、
和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。
皇后の留守の間に忍熊王が神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと
明石で待ち伏せていた。
戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。
しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。
そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。
「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。
そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。
これが廣田神社の創建である。
このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、
それぞれの神社の鎮座が行われた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。
朝廷より篤い崇敬を受け、『延喜式神名帳』では名神大社に列し、
二十二社の一社とされ、たびたび奉幣勅使の派遣があった。
平安時代後期より、神祇伯白川家との関係が深く、代替わりのごとに当社に参詣していた。
中世には和歌の神として信仰されるようになり、社頭にて何度か歌合せが行われている。
当初は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座したが、水害のため、
享保9年(1724年)に現在の西山の地に遷座し、1945年、空襲による全焼までは西側の廣田山に鎮座していた。
戦後、その東側の現在地に移転した。明治4年(1871年)には官幣大社に列格した(兵庫県で最初。
伊弉諾神宮は1931年に列格)。
かつて「向か津峰」と呼ばれた六甲山全山は、元は廣田神社の社領であったという。
六甲山大権現を古くからの祭神とする六甲山神社(むこやまじんじゃ石の宝殿=現廣田神社の摂社)と
六甲比命神社(むこひめじんじゃ)がかつての奥宮と考えられる。六甲比命神社は、
インドの渡来僧法道仙人によって大化の改新の頃に、付近の心経岩・雲ヶ岩とともに、
唐櫃(からと)の吉祥院多聞寺 (神戸市北区)(本尊は毘沙門天・吉祥天・禅膩師童子)奥の院とされた。
六甲山東麓の社家郷山は廣田神社宮司家の所有地であったその名残という。
昭和20年に空襲によって社殿を焼失、現在の本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を
譲り受けて昭和31年に竣工したものである。平成13年に鎮座1800年の喜節を迎えた。
廣田神社を中心とする神社群は、京から西国方向を目指す街道上にある神社ということで
「西宮」(にしのみや)とも呼ばれていた。
「西宮」の語は、後に廣田神社の神郷一帯(現在の神戸市東部から尼崎市西部まで)を指すようになったが、
行政区画では廣田神社が武庫郡大社村、戎社(現・西宮神社)が西宮町となり、
現在は町村合併により西宮市に含まれている。
えべっさんで有名な西宮神社は元は廣田神社の摂社、浜南宮で、西宮神社境内の南宮神社がその原型といえる。
Wikipediaより抜粋

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