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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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北野天満宮に参拝 |
北野天満宮に参拝させて頂きました。 平成三十年九月二十三日に参拝 京都府京都市上京区御前通今出川上る馬喰町に鎮座する神社です。
北野天満宮(きたのてんまんぐう)は、京都市上京区にある神社。 旧称は北野神社。二十二社(下八社)の一社。旧社格は官幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。 神紋は「星梅鉢紋」。 通称として天神さん・北野さんとも呼ばれる。 福岡県太宰府市の太宰府天満宮とともに天神信仰の中心で、当社から全国各地に勧請が行われている。 近年は学問の神として多くの受験生らの信仰を集めている。
災難、厄除け、学問の神を祀る神社として、全国から受験生、修学旅行生の参拝が絶えません。
大宰府天満宮をはじめとする全国の天満宮、天神社、北野神社、菅原神社など 約12000社の総本社になります。
この日は急にふら-と参拝することにしました。 息子の高校受験もあるので、北野天満宮と以前から参拝をさせて頂きたかった 上賀茂神社、下鴨神社へ参拝させて頂くことにしました。
【奥の山に大の字(大文字焼き)】 見えにくいですが奥の山の中腹に大の字が。
【第一鳥居】
【第二鳥居】
【第三鳥居】
【撫牛】
【楼門】
【手水舎】
【三光門】
【三光門の扁額】
【拝殿】
【拝殿の欄間に刻まれた牛】 「天神さんの七不思議」」のひとつ。 境内の牛の像はどれも伏せていますが、拝殿に刻まれた牛だけはなぜか立ち姿であります。
【御朱印】
【主祭神】 菅原道真公
【創建】 天暦元年(947年)
【社格等】 二十二社(下八社) 旧官幣中社 別表神社
【ご由緒】 右大臣菅原道真が左大臣藤原時平の讒言にあって左遷され、延喜3年(903年)に大宰府で没した後、 都では落雷などの災害が相次いだ。 これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びついて恐れられた。そこで、没後20年目、 朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈った。 天慶5年(942年)、右京七条に住む多治比文子(たじひのあやこ)という少女に託宣があり、 5年後にも近江国の神官の幼児である太郎丸に同様の託宣があった。 それに基づいて天暦元年6月9日(947年)、 現在地の北野の地にあった朝日寺(東向観音寺)の最鎮(最珍)らが朝廷の命により道真を祀る社殿を造営し、 朝日寺を神宮寺とした。後に藤原師輔(藤原時平の甥であるが、 父の忠平が菅原氏と縁戚であったと言われる)が自分の屋敷の建物を寄贈して、壮大な社殿に作り直されたと言う。 永延元年(987年)に初めて勅祭が行われ、一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られた。 正暦4年(993年)には正一位・右大臣・太政大臣が追贈された。 以降も朝廷から厚い崇敬を受け、二十二社の一社ともなった。 以来、北野天満宮は幕末の神仏分離令まで三院家(松梅院など)の社僧が、代々神官を務めた。 中世になっても菅原氏・藤原氏のみならず足利将軍家などからも崇敬を受けた。 だが、当時北野天満宮を本所としていた麹座の麹製造の独占権を巡るトラブルから 文安元年(1444年)に室町幕府軍の攻撃を受けて天満宮が焼け落ちてしまい、一時衰退する(文安の麹騒動)。 天正15年(1587年)10月1日、境内において豊臣秀吉による北野大茶湯が催行された。 境内西側には史跡「御土居」がある。 江戸時代の頃には道真の御霊としての性格は薄れ、学問の神として広く信仰されるようになり、 寺子屋などで当社の分霊が祀られた。 1871年(明治4年)に官幣中社に列するとともに「北野神社」と改名する。 「宮」を名乗るためには祭神が基本的には皇族であり、かつ勅許が必要であったためである。 旧称の北野天満宮の呼称が復活したのは、戦後の神道国家管理(国家神道)を脱したあとである。 Wikipediaより抜粋
今週の木曜日の朝からかなり喉が痛くなり、鼻水、鼻つまりがはじまり とうとう花粉症になったかな-と思ってましたが、土曜日あたりから青ばなが でてきたので風邪だったんだろうと思っています。 現在も鼻つまり、少し体も重く感じ、若干だるく、頭も若干痛いです。 本当は本日、サッカ-仲間の方と岐阜城へ行くことにしていたのですが、 私の体調と天気も昨日が雨だったので延期してもらいました。 かわりに本日はお墓参りをしてきました。
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保久良神社(ほくらじんじゃ)へ参拝 |
平成三十一年 三月二十三日 保久良神社(ほくらじんじゃ)へ参拝 兵庫県神戸市東灘区本山町北畑680に鎮座する神社です。 兵庫県神戸市東灘区本山町の保久良山(金鳥山中腹)に鎮座する神社です。
私の大好きな歴史の古い、古代祭祀の磐座のある神社でした。 御朱印は頂けていません。
本日はボルダリングの師匠に誘われて、近くの六甲山へハイキングをしてきました。 師匠のハイキング仲間(師匠は3回目)の方と3人で登りました。
芦屋川駅~ロックガーデン~風吹岩(中腹)~保久良神社~岡本駅のコースです。 山頂ではなく中腹で折り返して別ル-トで降りていきました。
芦屋川駅に10時集合で岡本駅(隣駅)に15時過ぎだったと思います。 初心者にはちょうど良い感じだったと思います。 ロックガ-デンといわれてるところは、岩場で両手も使いながら登り面白かったです。
風吹岩(中腹)では猪とも遭遇して驚きビビリました。 猪注意、猪に餌を与えないで下さいの看板はよく見かけたのですが 本当に出会うとは思ってなかったです。
下りは膝が心配でしたが、ストックも借りて何とか違和感ぐらいで済みました。 ストックはかなり楽になり驚き助かりました。 楽過ぎずしんど過ぎずで、駅に着いて座ると疲れたなと感じました。
また、いろんな処を登りたいです。 今日は、息子のお下がりのリュックとジョギングシュ-ズ(少し滑りやすかった)で登ったので、 今度は両親が軽い登山をしていたので、リュックとストックを借りようと思います。
靴は普段も履きたい黄色のハイキングシュ-ズ(防水で透湿で滑りにくい)を購入して、 本日到着しましたので履きならししていきたいと思います。
【中腹から見た景色】
【ロックガ-デン】
【風吹岩(中腹)】
【風吹岩(中腹)のネコ】
【風吹岩(中腹)の猪】
【保久良神社そばの磐座】
【保久良神社の鳥居と社号碑】
【保久良神社の御由緒看板】
【手水舎】
【手水舎の龍】
【あの狛犬】
【うんの狛犬】
【拝殿】
【磐座 立岩】
【ハイキングシュ-ズ】
【主祭神】 須佐之男命 大国主命 大歳御祖命 椎根津彦命
【創建】 不明
【社格等】 式内社(小)
【ご由緒】 創立に関する詳細は不明であるが、境内外に多数の磐座群が見られ古代祭祀の場であったと考えられる。 境内外地より石器時代、青銅器時代、弥生時代後期の弥生式土器や石斧、石剣など種々の遺物、 特に有名な物として約20cmの銅戈(重要文化財)が出土している。 その何れもが儀礼的用途をもつものと考証され、祝部土器、 玻璃性勾玉も発見され祭祀は非常に古い時代から行われていたと考えられる。 保久良神社由緒書によると「社名の起因も、椎根津彦命の子孫たる倉人水守等が祖先を祭祀し奉る、 三韓役の戦利武器を収蔵するより」とあり、元来の主祭神は神武東征時速吸門(明石海峡)に 現れて軍勢を先導した椎根津彦命である。 椎根津彦命は保久良神社の南に位置する神戸市東灘区の青木(おうぎ)の浜に 青亀(おうぎ)の背に乗ってこの浜に漂着したという伝承があり、それが青木(おうぎ)の地名の由来となった。 吉井良隆は当社を「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長であったとされ、 西宮夷の奥夷社の元宮」と推測している。 また、「住吉大社神社記」には布久呂布山の名が見え、「攝津志」には建長二年重修の棟札を 所持せる事が記載されている。 社頭の灯明台の神火は「灘の一つ火」と呼ばれる常夜灯である。 その言われは、日本武命が熊襲遠征の帰途、夜に航路がわからなくなった時、 保久良神社の灯火が見え無事に難波へ帰りつけた事にあり、 以来「沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや」の古謡通り、広く崇敬され、 航海者の一針路となっていた。 市街に近いので再度山、高取山、旗振山らと同じように、 「毎日登山」が行われており1000回以上の登山者が多数いる。 Wikipediaより抜粋
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戸隠神社(宝光社)に参拝 |
戸隠神社に参拝 平成三十年八月十三日に参拝 長野県長野市戸隠3690に鎮座する神社です。 日本最古の歴史書「古事記」の天岩戸伝説に深い関わりがあり、 屈指のパワースポットでもある戸隠神社です。
金曜日の夜にサッカ-をして、土曜日はボルダリングをし、 日曜日はまたまたサッカ-をして、もうくたくたです。
やせる為に運動をしているわけではないですが、全然やせません。 5kgやせたいですね。 昨日テレビでみたスクワット始めましょうかね。 食事はそのままで、ピンク筋を鍛えるとかなんとかだったような。
奥社→九頭龍社→中社→火之御子社→宝光社の順で参拝させて頂きました。 前回の続きで、最後の宝光社に向かう為に 中社の送迎バスに乗りスキ-場の駐車場に車をとりに行きました。
【スキ-場の駐車場】
【宝光社 鳥居】
【社号碑】
【狛犬と階段】
【手水舎】
【手水舎の龍】
【階段】
【社殿正面】
【社殿斜め45度】
【下りの階段】
【御朱印】
【サ-ビスエリアでソ-スカツ丼】普通のとんかつ定食も好きですが、こちらも好きです。
【御祭神】 祭神は天表春命(あめのうわはるのみこと)で、中社の祭神である天八意思兼命の子。 学問や技芸、裁縫、安産や婦女子の神とされる。 麓から登ってきて最初にあり、うっそうとした杉木立の階段を上って参拝する。旧宝光院。
【創建】 現在地への鎮座は康平元年(1058年)、天暦3年(949年)に阿智の祝部が奥社の相殿として創建されたものである。 wikipediaより
【社格等】 わかりませんでした。
【本殿の様式】 わかりませんでした。
【ご由緒】 杉の古木の中、270余段の石段を登ると神仏習合時代の面影を残す荘厳な社殿があり、 その荘厳さは多くの信者の尊信を集めています。 祭神は中社祭神の御子神様で、開拓・学問技芸・裁縫の神、安産の神、 女性や子供の守り神として御神徳があります。 ホ-ムペ-ジより抜粋
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戸隠神社(火之御子社)に参拝 |
戸隠神社に参拝 平成三十年八月十三日に参拝 長野県長野市戸隠3690に鎮座する神社です。 日本最古の歴史書「古事記」の天岩戸伝説に深い関わりがあり、 屈指のパワースポットでもある戸隠神社です。
奥社→九頭龍社→中社→火之御子社→宝光社の順で参拝させて頂きました。 前回の続きで戸隠そばを食べてから火之御子社に歩いて向かいました。
中社の近くには蕎麦屋さんがたくさんありました。 中社近くの蕎麦屋には並んでいるところもありました。
【蕎麦屋 戸隠堂】
【戸隠そば】
【(火之御子社 鳥居】
【(火之御子社 社号碑と御由緒看板】
【御神木の杉】
【(火之御子社 御朱印】
【御祭神】 天鈿女命(あめのうずめのみこと) 高皇産御霊命(たかみむすびのみこと) 栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと) 天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)
天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。 舞楽や芸能、また火防の神とされ、宝光社の上1.5kmほどの場所にある。 なお、他の4社が神仏混淆であった時代も当社だけは一貫して神社であって、かつての顕光寺とは関係がない。
【創建】 創建承徳二年(1098)頃 ホームページより 創建は天福元年(1233年) wikipediaより
【社格等】 わかりませんでした。
【本殿の様式】 わかりませんでした。
【ご由緒】 岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀り申し上げております。 戸隠山の神様が神仏習合の当時も、このお社だけは神社として終始しておりました。 戸隠神社太々神楽は、この神社に仕えていた社人によって古来より伝えられ現在に至っております。 舞楽芸能の神、縁結びの神、火防の神として尊崇されております。 近年は参拝される方が多く、境内には樹齢500年を超える『夫婦の杉(二本杉)』と有名な西行桜があります。 ホ-ムペ-ジより抜粋
続きは次回にします。 いつもご訪問して頂きありがとうございました。
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戸隠神社(中社編)に参拝 |
戸隠神社に参拝 平成三十年八月十三日に参拝 長野県長野市戸隠3690に鎮座する神社です。 日本最古の歴史書「古事記」の天岩戸伝説に深い関わりがあり、 屈指のパワースポットでもある戸隠神社です。
昨日の3/3は大切なサッカ-のチ-ムメイトの送別会を試合後に参加してきました。 最後の試合も2-0で勝利できて気分よく送別会をひらくことができました。 大阪に帰ってきたときは、チ-ムで集まって飲みましょう。
奥社→九頭龍社→中社→火之御子社→宝光社の順で参拝させて頂きました。 前回の続きで中社に向かいました。
なんと駐車場が満車で警備員に無料シャトルバスがでているので、近くの スキ-場の駐車場に誘導されました。
さすがお盆の大型連休ですね。朝から少しずつ遅れ、私の計画通り参拝できなかったです。 中社→火之御子社→宝光社は歩いて参拝させて頂きました。元々、歩く予定でした。
中社に参拝後、待望の戸隠そばを食べました。
【西参道 大鳥居】
【西参道 手水舎】
【戸隠神社 中社 社殿】
【ダブル狛犬あの狛犬】
【ダブル狛犬うんの狛犬】
【表参道 手水舎】
【表参道 御神木 三本杉】
【表参道 階段】
【表参道 あの狛犬】
【表参道 うんの狛犬】
【表参道 社号標】
【表参道 大鳥居】
【宣澄社の鳥居】
【宣澄社のあの狛犬】
【宣澄社のうんの狛犬】
【宣澄社の社殿】
【宣澄社の由来】
【中社 御朱印】
【宣澄社 御朱印】
【御祭神】 中社(ちゅうしゃ):御祭神は天八意思兼命(あめのやごころおもいかねのみこと)で、 天照大神が天岩戸に隠れたとき岩戸神楽(太々神楽)を創案し、 岩戸を開くきっかけを作ったとされる神。
【創建】 現在地への鎮座は寛治元年(1087年)、 宝光社と同時期に阿智の祝部が奥社の相殿として創建された。 【社格等】 わかりませんでした。
【本殿の様式】 わかりませんでした。
【ご由緒】 素戔嗚尊の度重なる非行に天照大神が天岩戸にお隠れになった時、岩戸神楽(太々神楽)を創案し、 岩戸を開くきっかけを作られた神です。 学業成就・商売繁盛・開運・厄除・家内安全に御神徳があります。 社殿天井には平成15年に復元された狩野派の天才絵師、河鍋暁斎によって描かれた「龍の天井絵」があります。 また、境内には樹齢700年を超えるご神木、樹齢800年を超える三本杉があり、戸隠神社の社務所が置かれています。 ホ-ムペ-ジより抜粋
またまた長くなりましたので、続きは次回にします。 いつもご訪問して頂きありがとうございました。
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