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eskky28

Author:eskky28
男、46才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
戸隠神社(奥社、九頭龍社編)に参拝
戸隠神社に参拝
平成三十年八月十三日に参拝
長野県長野市戸隠3690に鎮座する神社です。
日本最古の歴史書「古事記」の天岩戸伝説に深い関わりがあり、
屈指のパワースポットでもある戸隠神社です。


昨日は休日でボルダリングをしてきました。
私のボルダリングの先輩というか師匠と一緒に、久しぶりに楽しんできました。
(師匠は昨年夏以降、ボルダリングで3~4回腰を痛めて家族から止められていました。)
私は2週間ぶりだったので本日は凄く筋肉痛です。


今回の記事の戸隠神社は確かお盆休み(翌日も休み)なので、日帰りで参拝できる
遠いところということで参拝を決めたと思います。なんとなく決めたと思います。
戸隠そばも楽しみでした。かなり前なので記憶が曖昧です。
だんだん思い出してきました。
スマホのナビで駐車場の場所がわかりませんでした。戸隠神社奥社と入力していたので
ゴ-ルは何もない山でした。


候補的には出雲大社、厳島神社、、諏訪大社、飛騨高山の神社
飛騨高山で最も格式が高い水無神社(みなしじんじゃ)もパワースポットとして有名です。
位山(くらいやま)をご神体として祀っている神社で、水無神社の奥宮(おくのみや)が位山です。

飛騨の口伝の場所です。本当に参拝してみたいです。



戸隠神社五社(奥社、九頭龍社、中社、宝光社、火之御子社)を
参拝させて頂きました。記事は何回かに分けて書きます。
今回は奥社→九頭龍社を書きます。


戸隠神社五社巡りの参拝順ですが、大型連休中だったので
一番混雑すると言われている奥社から参拝させて頂くことにしました。
朝一番のほうまだ少ないかなと思ってです。

大阪から約5時間?、長野ICから約30分ぐらいでしたか、全然覚えていません。
ただ覚えているのは、予定のICより一つ先のICで降りることになってしまいました。
ナビが何も言わないので、気付くのが遅れました。

8時30分に駐車場に到着して
奥社→九頭龍社→中社→火之御子社→宝光社
の順で12時には参拝を完了させる予定でした。


奥社
駐車場に迷い9時に着きました。無料駐車場は空いてないというか、
なんとか空いているなるべく近場の有料駐車場に滑り込みました。

そこから奥社まで30分は歩いたと思います。
奥社に到着した頃には、すでに御朱印を頂く行列ができていました。
授与所は9時からなのだそうですが、大変混雑するので
9時から並ぶ予定にしていました。


参拝のあと多分40分ぐらい並んで御朱印を頂いたと思います。
並んでいる途中からも雨が結構降ってきてもう大変でした。

九頭龍社
奥社の左隣に鎮座しています。
奥社、九頭龍社共に写真撮影禁止になっていました。



戸隠神社は霊山・戸隠山の麓に、奥社・中社・宝光社・九頭龍社・火之御子社の五社からなる、
創建以来二千年余りに及ぶ歴史を刻む神社です。
その起こりは遠い神世の昔、「天の岩戸」が飛来し、現在の姿になったといわれる戸隠山を中心に発達し、
祭神は、「天の岩戸開きの神事」に功績のあった神々をお祀りしています。
平安時代末は修験道の道場として都にまで知られた霊場でした。
神仏混淆のころは戸隠山顕光寺と称し、当時は「戸隠十三谷三千坊」と呼ばれ、
比叡山、高野山と共に「三千坊三山」と言われるほどに栄えました。
江戸時代には徳川家康の手厚い保護を受け、一千石の朱印状を賜り、
東叡山寛永寺の末寺となり、農業、水の神としての性格が強まってきました。
山中は門前町として整備され、奥社参道に現在もその威厳を伝える杉並木も植えられ、
広く信仰を集めました。
明治になって戸隠は神仏分離の対象になり、寺は切り離され、宗僧は還俗して神官となり、
戸隠神社と名前を変えて現在に至ります。

【奥社参道の看板】
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【戸隠神社 奥社 社号碑】
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【奥社 第一鳥居】
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【隋神門前のあの狛犬】
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【隋神門前のうんの狛犬】
確かちかくに熊注意の看板がありました。
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【隋神門】
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【隋神門の扁額】
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【参道の樹齢約400年を超える杉並木】
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【奥社のあの狛犬】
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【奥社のうんの狛犬】
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【奥社と第二鳥居】
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【九頭龍社】
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【奥社の御朱印】
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【九頭龍社の御朱印】
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【主祭神】
奥社
祭神は天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)で、天照大神が隠れた天岩戸をこじ開けた大力の神。
神話では天手力雄命が投げ飛ばした天岩戸が現在の戸隠山であるとされる。

九頭龍社
祭神は九頭龍大神。奥社のすぐ下にあり境内社のようになっているが創建は奥社より古くその時期は明らかでない。地主神として崇められている。戸隠山には「戸隠三十三窟」といわれる洞窟が点在し、その「龍窟」にあたる。本殿から本殿右手上の磐座の上まで廊下が続いており、そこが「龍窟」となる。古くは雨乞い、縁結びの他、虫歯・歯痛にご利益があると言われていた。氏子の人によると戸隠の九頭龍大神は梨が好物だそうである。

【創建】
一説には孝元天皇5年(紀元前210年)、
又は奥社の地で最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。
【社格等】
わかりませんでした。

【本殿の様式】
わかりませんでした。

【ご由緒】
日本神話にある、天照大神が天の岩屋にお隠れになった時、無双の神力をもって、
天の岩戸を開き、天照大神をお導きになった天手力雄命を戸隠山の麓に奉斎した事に始まります。
戸隠神社の御本社として開運、心願成就、五穀豊熟、スポーツ必勝などの
御神徳が全国に広宣され多くの崇敬者が登拝されます。
参道は約2キロ、中程には萱葺きの赤い随神門があり、
その先は天然記念物にも指定されている樹齢約400年を超える杉並木が続いています。
戸隠神社ホームペ-ジより抜粋


各社の主祭神は、地主神である九頭龍大神(くずりゅうのおおかみ)以外は
「天照大神(あまてらすおおみかみ)が、弟である素戔嗚尊(すさのおのみこと)の
度重なる非行を嘆いて天岩戸(あまのいわと)に隠れたため、
この世に暗黒と悪神がはびこった」とされる神話にまつわる神であるが、
それぞれがいつ頃から現在の祭神を祀るようになったかは必ずしも明らかでない。
しかし他の多くの神仏習合の神社とは異なり、祭神は江戸時代以前から変わっていない。


一説には現在の奥社の創建が孝元天皇5年(紀元前210年)とも言われるが、
縁起によれば飯縄山に登った「学問」という僧が発見した奥社の地で
最初に修験を始めたのが嘉祥2年(849年)とされている。
また日本書紀の天武紀には684年三野王(美努王)を信濃に派遣し地図を作らせ、
翌685年に朝臣3人を派遣して仮の宮を造らせ、691年に持統天皇が使者を遣わし、
信濃の国の須波、水内などの神を祭らせたとされていて、この水内の神が戸隠神社とする説もある。
Wikipediaより抜粋

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石上神宮へ参拝
平成三十一年 二月十日 石上神宮へ参拝
奈良県天理市布留町384に鎮座する神社です。


本日2/17は朝からサッカ-をしてきました。
人工芝で天気も良く気持ちよかったです。


家から地道で約90分~100分で到着しました。
天理市だけあって天理教の建物がそこら中にあり、大学までありました。
町全体が天理教って感じがしました。千と千尋の神隠しの舞台のような異世界な感じがしました。

【第一社号標】
道路沿いにありました。
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【第二社号標】
鳥居の手前にもありました。
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【大鳥居】
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【大鳥居の扁額】
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【祓所(はらいしょ)】
白い小石が敷き詰められていて、四方に注連縄が張り廻らされていました。ニワトリがたくさんいてました。
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【廻廊(かいろう)】
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【手水舎】
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【楼門(ろうもん)[ 重要文化財 ]】
鎌倉時代後期、文保2年(1318年)の造営。
正面には山縣有朋の筆による「萬古猶新」と記された木額が掲げられている。
明治39年4月14日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、
昭和25年(1950年)の文化財保護法施行により国の重要文化財に指定
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【楼門 寄り】
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【拝殿】
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【拝殿寄り】
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【摂社 出雲建雄神社拝殿(せっしゃ いずもたけおじんじゃはいでん)[ 国 宝 ]】
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【御神木】
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【お守り】
カッコイイので購入してしまいました。
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【御朱印】
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【七支刀の御朱印】

七支刀は古代ユダヤ教のシンボルである7枝の燭台「メノラ-」と関係しているのでしょうか?
本で読んだ記憶がかすかにあります。

古墳時代の作で、石上神宮伝世品。両刃の剣の左右に3つずつの小枝を突出させたような特異な形状を示す。金象嵌で記された銘文の中に「泰□四年」の年紀を有するが、「泰和四年(西暦369年)」に比定する説が有力で、その頃の百済での作と推定される。かつては神剣渡御祭(でんでん祭)で持ち出され、祭儀の中心的役割を果たした(詳細は「七支刀」を参照)。
昭和24年5月30日に国の重要文化財に指定、昭和28年11月14日に文化財保護法に基づき国宝に指定[9]。
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【彩花ラ-メン】
奈良といえば彩華ラ-メンの本店かなと思って検索すると天理市にあり
近くなので行くことにしました。13時頃到着したのですが、予想をはるかに超える
待ち状態でした。車の駐車場の空き待ちで8台目くらいでした。
駐車場も30台以上は停めれる大きな駐車場なのにです。

車は10分くらいで停めれました。中に名前を記帳して20分くらい待ちました。
私は一人でカウンター席だったからそれで済んだのでした。
恐るべし彩華ラ-メン本店です。
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【ラ-メン大盛り】
確か900円ぐらいだったと思います。量は少し苦しかったです。
白菜たっぷり、ニンニクもたっぷり入ってました。
透き通ったス-プで当然おいしかったです。
家では息がクサイと言われてしまいました。
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【纏向石塚古墳】
纏向遺跡の大型建物跡に行きたかったのですが、線路近くで駐車場がなく今回は諦めました。
纏向石塚古墳だけ写真を撮ってきました。

纒向遺跡(まきむくいせき、纏向遺跡)は、奈良県桜井市の三輪山の北西麓一帯にある、弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡。国の史跡に指定されている。
3世紀に始まる遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地とする研究者もいる。邪馬台国の中心地に比定する説があり、箸墓古墳などの6つの古墳が分布する。
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【纏向石塚古墳の説明文】
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【主祭神】
主祭神
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ) - 神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊。

配神
布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ) - 十種神宝に宿る神霊。
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ) - 天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊。
宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
五十瓊敷命(いにしきのみこと)
白河天皇
市川臣命(いちかわおみのみこと) - 天足彦国押人命(孝昭天皇皇子)後裔で、石上神宮社家の祖。

【創建】
(伝)崇神天皇7年

【社格等】
式内社(名神大)
二十二社(中七社)
旧官幣大社
別表神社

【本殿の様式】
流造

【ご由緒】
古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座する。
非常に歴史の古い神社で、『古事記』・『日本書紀』に既に、石上神宮・石上振神宮との記述がある。
古代軍事氏族である物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。
古くは斎宮が居たという。その中で、本当に斎宮であったかどうか議論が多いが、
布都姫という名が知られている。また、神宮号を記録上では伊勢神宮と同じく一番古く称しており、
伊勢神宮の古名とされる「磯宮(いそのみや)」と「いそのかみ」とに何らかの関係があるのかが興味深い。
社伝によれば、布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣で、
神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、高倉下(夢に天照大神、高木神、
建御雷神が現れ手に入れた)を通して天皇の元に渡った
。その後物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られていたが、崇神天皇7年、
勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが当社の創建である。
社伝ではまた一方で、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、
石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)から当社へ遷されたとも伝えている。
この剣は石上布都魂神社では明治以前には布都御魂剣と伝えていたとしている。
垂仁天皇39年には剣一千口と神宝が納められ、天武天皇3年(674年)には
忍壁皇子(刑部親王)を派遣して神宝を磨かせ、諸家の宝物は皆その子孫に返還したはずだが、
日本後紀 巻十二 桓武天皇 延暦二十三年(804年)二月庚戌 条に、
代々の天皇が武器を納めてきた神宮の兵仗を山城国 葛野郡に移動したとき、
人員延べ十五万七千余人を要し、移動後、倉がひとりでに倒れ、
次に兵庫寮に納めたが、桓武天皇も病気になり、怪異が次々と起こり、
使者を石上神宮に派遣して、女巫に命じて、何故か布都御魂ではなく、
布留御魂を鎮魂するために呼び出したところ、女巫が一晩中怒り狂ったため、
天皇の歳と同じ数の69人の僧侶を集めて読経させ、神宝を元に戻したとある。
当時それほどまで多量の神宝があったと推測される。

神階は850年(嘉祥3年)に正三位、859年(貞観元年)に従一位、868年(貞観9年)に正一位。
『延喜式神名帳』には「大和国山辺郡 石上坐布留御魂神社」と記載され、名神大社に列し、
月次・相嘗・新嘗の幣帛に預り、臨時祭も執り行われると記されている。『延喜式』の「臨時祭」の項では殿舎と神門の鑰を宮中で保管し容易には開かないと記されている。
中世以降は布留郷の鎮守となったが、興福寺と度々抗争を繰り返し布留郷一揆が頻発、
戦国時代に入ってからは織田信長の勢力に負け、神領も没収された。
しかし、氏子たちの信仰は衰えず、1871年(明治4年)には官幣大社に、
1883年(明治16年)には神宮号を再び名乗ることが許された。
この神社には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、
またそこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていた。
1874年の発掘を期に、出土した刀(布都御魂剣)や曲玉などの神宝を奉斎するため
本殿を建造(建造のための1878年の禁足地再発掘でも刀(天羽々斬剣)が出土し、これも奉斎した)。
1913年には、本殿が完成した。禁足地は今もなお、布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれている。
Wikipediaより抜粋

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石清水八幡宮へ参拝
平成三十一年 一月五日 石清水八幡宮へ参拝
京都府八幡市八幡高坊30に鎮座する神社です。

本日2/11もボルダリングしてきました。
最近はほとんど成長はしておらず、毎回同じような課題を登っています。
(というか登れていませんが・・・)
根気よく長く続けて、少しずつ成長して楽しみたいと思います。


宇治から大阪への帰り道にあるので、最後に参拝させて頂きました。
あんなにも山に登るとは思っていませんでした。
膝が心配でしたが無事でした。しかし代わりに翌々日まで筋肉痛になりました。


旧称は「男山八幡宮」。二十二社(上七社)の1つで、伊勢神宮(三重県伊勢市)とともに二所宗廟の1つ。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
宇佐神宮(大分県宇佐市)・筥崎宮(福岡市東区)または鶴岡八幡宮(神奈川県鎌倉市)とともに日本三大八幡宮の1つ。
また宮中の四方拝で遥拝される神社の1つである。本殿を含む建造物10棟が国宝に指定されている。

平安時代前期に八幡宮総本社の宇佐神宮(大分県宇佐市)から勧請された神社で、
京都盆地南西の男山(鳩ヶ峰、標高143メートル)山上に鎮座する。
皇室からは遠国の宇佐神宮に代わり二所宗廟の1つとして崇敬されるとともに、
京都の裏鬼門(南西)を守護する神社の代表格として鬼門(北東)の延暦寺とともに重要視された。
武家からは特に源氏が源義家が当社で元服したこともあって武神として信仰し、
源氏の広がりとともに壺井八幡宮・鶴岡八幡宮など、当社から各地に八幡宮が勧請された。
創建以来、当社は境内の護国寺と一体となる宮寺形式をとった。
往時は多くの堂宇が所在し山麓も壮大であり、その様子は山麓の社殿である高良神社を
八幡宮と勘違いしたという『徒然草』の話で知られる。
その後、明治維新の神仏分離において仏式は排除された。
仏式で行われていた放生会もまたその際に「石清水祭」と名を変えたが、
現在も同祭は大祭として葵祭・春日祭とともに日本三大勅祭の1つに数えられる。
境内は国の史跡に指定されており、大きく分けて本宮のある山上の上院と、
頓宮や高良神社のある山麓の下院とから成る。また、本社10棟の建物が国宝に指定されている。
「やわたのはちまんさん」と呼ばれ親しまれている。


【第一鳥居と社号碑】
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【第一鳥居】
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【第一鳥居の扁額】
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【頓宮殿の門】
年に一度の「石清水祭」で、本殿から神様が遷られる重要な社殿です。
鳥羽伏見の戦い(1868年)で一度焼失し、現在の社殿は大正4年(1915)に造営されました。
平成の大修造(2010年~2011年)によって、桧皮葺であった屋根は銅板葺に葺き替えられています。
何か分からず写真は撮っていなかったです。
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【頓宮殿の朱色門】
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【高良神社】
兼好さんの『徒然草』第52段に、石清水八幡宮が登場します。
ある仁和寺のお坊さんが、かねがね石清水八幡宮に参拝したいと思っていました。やっと念願が叶って一人で出かけたのですが、男山のふもとにある極楽寺や高良神社(こうらじんじゃ)が八幡宮だとすっかり思い込んで、山には登らず、帰ってきてしまいました。そして仲間に、「お参りを済ませた人が山へ登って行ったのだが、上に何かあったのだろうか。知りたかったけれど、神社に参拝することが本意なので、山までは見ませんでした」と語ったのです。
その山上にこそ石清水八幡宮があったのですが、とんだ思い込みで、肝心の八幡宮にお参りできなかったという話です。兼好さんは、このお坊さんの話から、「少しのことにも案内人がほしいものだ」という感想を述べています。
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【第二鳥居】
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【参道(坂道)】
なだらかですが、かなりながい坂道が続きます。
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【第三鳥居】
ここで登りの坂道は終わります。汗だくでジャンパーも脱ぎました。
こちらをくぐると、通称「勝負石」と呼ばれる勝運の石「一ツ石」があり、
その他、二ノ鳥居の前にある“源頼朝ゆかりの松”や、くじ運の御利益があるとされる「大扉稲荷社」、などあったそうですが
知らずに素通りしていました。
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【手水舎】
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【南総門】
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【国宝の社殿】
本殿の二棟は、現存する八幡造りでは最大にして最古の建物で、幣殿・舞殿・楼門・廻廊・武内社などから成ります。
本殿の中に鎮座する武内社は、武内宿禰命(たけうちすくねのみこと)が祀られています。武内宿禰命は、応神天皇、神功皇后に側近として仕え、300歳以上生きたという伝説があり、延命長寿の神として信仰されています。
現在の社殿は、1634年徳川家光によって造営されたものです。
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【社殿ズーム】
八幡造りの本殿は、楼門を中心に、大鳥が両翼を広げたように廻廊が延び、2階の檜皮葺の屋根と瓦葺きの屋根とが調和して、荘厳で華やかな美しさがあります。軒には極彩色の虎や龍の彫刻が施され、八幡様のお使いである神鳩の飾り金具が光っています。よく見ると右側の鳩は少し口を開けています。阿吽の狛犬の役目を果たしているそうです。
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【裏参道】
帰りは裏参道に誘導されました。後ろを振り返った写真です。急な階段が続きます。
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【御朱印】
八の字が鳩になっていませんでした。ご縁があれば頂けるそうです。

と書いていたのですが、ご指摘を頂きました。
現在は鳩の字で書いて欲しいとお願いすれば
皆さん書いて下さるそうです。
石清水八幡宮 御朱印で検索すると書いてありました。
私が持っている本には運がよければと書いてありました。
ご指摘ありがとうございました。

私が頂いた後のことですが、以下のようなことを初めて見かけました。
御朱印を書いて下さる方が、大あくびをしているのを見ました。後ろ向くか隠して頂きたかったです。

今回から初めて外で写真を撮り、ラインカメラというアプリで編集して台紙をつけてみました。
夜、家の中で撮るよりいいのかなと思いやってみました。
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その他、知らなかったスポットがありました。次回は必ず見たいと思います。

【信長塀】
本殿の左側、西総門(重文)に連なる塀は、織田信長が寄進したと伝えられる「信長塀」です。
瓦と土をいくつも重ねて分厚く作られており、銃撃から守り、耐火・耐久にも優れていたといわれています。

【御神木】
本殿の左に、1334年、楠木正成が必勝祈願に参拝した時に、奉納したと伝えられる大クスノキです。
樹齢700年近いご神木です。

【石清水社】
東側の参道から少し降りた男山の中腹に、石清水社があります。石清水八幡宮の摂社で、山上の八幡大神より古く、天之御中主神(あめのみかなぬしのかみ)を祀っています。
冬に凍らず、夏に涸れない霊泉とされる清水が今も湧き出ており、石清水八幡宮の社号の由来となったところです。

【主祭神】
八幡大神
(誉田別命、比咩大神、息長帯姫命の総称)

中御前:誉田別命 (ほんだわけのみこと)
第15代応神天皇の本名。
西御前:比咩大神 (ひめおおかみ)
宗像三女神、すなわち多紀理毘売命(たぎりびめ)、市寸島姫命(いちきしまひめ)、多岐津比売命(たぎつひめ)の3柱を指す。
東御前:息長帯姫命 (おきながたらしひめのみこと)
神功皇后の本名。

【創建】
貞観2年(860年)

【社格等】
国史見在社
二十二社(上七社)
旧官幣大社
勅祭社
別表神社

【本殿の様式】
八幡造

【ご由緒】
貞観元年(859年)に南都大安寺の僧行教(空海の弟子)が豊前国、
宇佐神宮にて受けた「われ都近き男山の峯に移座して国家を鎮護せん」との神託により、
翌貞観2年(860年)清和天皇が社殿を造営したのが創建とされる。
「石清水」の社名は、男山に既に鎮座していた石清水寺(現・摂社石清水社)から[要出典]とも
、男山の中腹から湧き出ている"石清水"からともされる。
また、元々男山の麓に鎮座していたのは和気氏の氏寺であった神願寺(和気清麻呂の墓があったと伝わる)であったが、
空海ゆかりの高雄山寺を神護寺に改めて新たな氏寺にした際に元の神願寺に
八幡神を勧請することで新たな位置付けを与えようとして
行教や清和天皇の後見人である藤原良房に働きかけたとする説もあるが、
神願寺の位置については諸説あるために現時点では可能性に留まる。
石清水八幡宮が創建されると薬師如来を本尊とする石清水寺はその神宮寺となり、
貞観4年(862年)名称を護国寺と改めてより神仏習合の度合いを増していった。
天慶2年(939年)、伊勢神宮に次いで奉幣される地位を得る[1]。皇室・朝廷からは、
京都の南西の裏鬼門を守護する王城守護鎮護の神、王権・水運の神として篤く崇敬され、
天皇・上皇・法皇などの行幸啓は250余を数える。
中世以降は勧請元の宇佐神宮に代わって、伊勢神宮と並び二所宗廟の1つに数えられる。
また清和源氏の足利氏・徳川氏・今川氏・武田氏などの源氏諸氏族から氏神として崇敬されたため、
武神・弓矢の神・必勝の神とされた。これら源氏によって、
当社の分霊は源頼義による壺井八幡宮や頼義・頼朝による鎌倉の鶴岡八幡宮など、
数多くの八幡宮に勧請された。
幕末までは神仏習合の宮寺として「石清水八幡宮護国寺」と称し、
東寺(教王護国寺)・清水寺・比叡山延暦寺・仁和寺・鹿苑寺(金閣寺)・慈照寺(銀閣寺)・相国寺・大安寺など
多くの寺院と深い関係を持った。また伊勢平氏も当社を重んじ、
平正盛の造営の功や平清盛ら伊勢平氏の臨時祭での演舞が知られる。
江戸時代まで護国寺や極楽寺、弁天堂を始め「男山48坊」と呼ばれる宿坊が参道に軒を連ねたといい、
寛永の三筆である松花堂昭乗も当社に仕える社僧であったことが知られる。
慶応4年(明治元年・1868年)3月12日に明治政府の神仏分離令により、
神号を「八幡大菩薩」から「八幡大神」と改めた。
1871年(明治4年)に近代社格制度において官幣大社に列する。
1883年(明治16年)には、勅祭社となった。
社号は、1869年(明治2年)8月に「男山八幡宮」に改称したが、
1918年(大正7年)1月に「石清水八幡宮」へ復し、現在に至っている。
なお、神宮寺であった護国寺は廃仏毀釈によって廃寺とされたが、
護国寺住職の道基は1869年(明治2年)に本尊の薬師如来像と十二神将像を淡路島の東山寺に移している。

Wikipediaより抜粋

前回の2/3の記事でブログを始めてからちょうど1年でした。
2/11の橿原神宮の紀元祭(建国記念日)の式典に参列させて頂くことから
思い立って記録にもなるので始めました。妙に思い出し懐かしくなりました。
長く続けられている方々は、本当に尊敬してしまいます。
本当に大変ですもんね。秘訣は楽しむことですよね。

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平等院鳳凰堂へ参拝
平成三十一年 一月五日 平等院鳳凰堂へ参拝
京都府宇治市宇治蓮華116にある寺院です。

平等院(びょうどういん)は、京都府宇治市にある藤原氏ゆかりの寺院。
平安時代後期・11世紀の建築、仏像、絵画、庭園等を今日に伝え、「古都京都の文化財」として世界遺産に登録されている。
山号を朝日山と称する。宗派は17世紀以来天台宗と浄土宗を兼ね、現在は特定の宗派に属さない単立の仏教寺院となっている。
本尊は阿弥陀如来、開基は藤原頼通、開山は明尊である。
琵琶湖国定公園エリア内に位置している。
Wikipediaより抜粋

宇治神社からは歩いてすぐに朱色の橋があり、それを渡ればそこが平等院でした。
その橋は宇治橋と思っていたのですが、違って朝霧橋という橋でした。

【朝霧橋】
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【「寺標(じひょう」というお寺の名前が彫ってある石柱】
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【正門(表門)】
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【鳳凰堂 右45°】
2019020218574250a.jpeg

【鳳凰堂 正面】
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【鳳凰堂 本尊 阿弥陀如来坐像】薄っすらと拝見出来るはずです。
20190202190136e58.jpeg

【茶房 藤花のお抹茶】
う~む、苦かったです。
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【鳳凰堂 背面からの鳳凰】 
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【浄土院】
鳳凰堂の裏側にありました。
201902031739051ec.jpeg

【浄土院の看板】
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【平等院の御朱印】
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【浄土院の御朱印】
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【本尊】
阿弥陀如来
【創建】
永承7年(1052年)
【宗派】
単立
【山号】
朝日山
【開基】
藤原頼通、明尊(開山)
【御由緒】
京都南郊の宇治の地は、『源氏物語』の「宇治十帖」の舞台であり、
平安時代初期から貴族の別荘が営まれていた。
現在の平等院の地は、9世紀末頃、光源氏のモデルともいわれる左大臣で
嵯峨源氏の源融が営んだ別荘だったものが宇多天皇に渡り、
天皇の孫である源重信を経て長徳4年(998年)、摂政藤原道長の別荘「宇治殿」となったものである。
道長は万寿4年(1027年)に没し、その子の関白・藤原頼通は永承7年(1052年)、宇治殿を寺院に改めた。
これが平等院の始まりである。開山(初代執印)は小野道風の孫たり、園城寺長吏を務めた明尊である。
創建時の本堂は、鳳凰堂の北方、宇治川の岸辺近くにあり大日如来を本尊としていた。
翌天喜元年(1053年)には、西方極楽浄土をこの世に出現させたかのような阿弥陀堂(現・鳳凰堂)が建立された。
Wikipediaより抜粋

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