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eskky28

Author:eskky28
男、47才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
宇治神社へ参拝
平成三十一年 一月五日 宇治神社へ参拝
京都府宇治市宇治山田1に鎮座する神社です。


宇治神社(うじじんじゃ)は、京都府宇治市宇治山田にある神社。
式内社で、旧社格は府社。
隣接する宇治上神社とは対をなしています。

もともと宇治神社は、宇治上神社と二つで一つの存在でした。
分離される明治以前は、宇治神社を「下社」・「若宮」、宇治上神社を「上社」・「本宮」と読んでいました。
また、両社を合わせて「宇治離宮明神」(八幡宮)と称しました。

宇治上神社とは目と鼻の先でして、徒歩5分くらいでした。
駐車場からはすごく近かったです。

【社号碑】
2019012418560478f.jpeg

【あの狛犬】
20190124185713226.jpeg

【うんの狛犬】
201901241858147b7.jpeg

【手水舎】
20190124190108b9b.jpeg

【吐水口】
20190124191831a4d.jpeg

【鳥居】
20190124191940d26.jpeg

【中門】奥が本殿。拝殿は向かいにあった建物で社務所と思い
写真には撮らなかったです。
20190124185953f99.jpeg

【御朱印】
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【主祭神】
菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)
応神天皇皇子。天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、
兄の大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。
本殿には、菟道稚郎子像と伝える神像(国の重要文化財)が祀られている。

【創建】
不詳

【社格等】
式内社(小)
旧府社

【本殿の様式】
三間社流造

【ご由緒】
菟道稚郎子は、名前の「菟道」が山城国の宇治(現在の京都府宇治市)の古代表記とされるように、
宇治地域と関連が深い人物である。
郎子は宇治に「菟道宮(うじのみや)」を営んだといい、郎子の墓も宇治に伝えられている。

郎子については『古事記』『日本書紀』等の多くの史書に記載がある。
中でも、父応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、
異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと:仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談が知られる。
ただし、これは『日本書紀』にのみ記載された説話で、『古事記』では単に夭折と記されている。

『古事記』『日本書紀』の郎子に関する記載には多くの特異性が指摘されるほか、
『播磨国風土記』には郎子を指すとされる「宇治天皇」という表現が見られる。
解釈を巡って、「天皇即位説」や「仁徳天皇による郎子謀殺説」に代表される数々の説が提唱されている人物である。

事実、宇治上神社では「応神天皇」と「仁徳天皇」も一緒にお祭りされていますが、
宇治神社は菟道稚郎子命の一柱だけを手厚くお祭りしています。

Wikipediaより抜粋

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宇治上神社へ参拝
平成三十一年 一月五日参拝
京都府宇治市宇治山田59に鎮座する神社です。

宇治上神社(うじがみじんじゃ/うじかみじんじゃ)は、京都府宇治市宇治山田にある神社。
式内社で、旧社格は村社。隣接する宇治神社とは対をなしています。
ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の構成資産の1つとして登録されています。

神の使いのうさぎが守り神をこの地に案内したことから、
うさぎの道“菟道(うじ)”と呼ばれるようになったといわれています。

世界最古の神社建築物の本殿を持つ隠れパワースポットです。
平等院のすぐそばにあり、「世界一狭い世界遺産」とも呼ばれています。

正月三が日の混雑を避けて参拝させて頂きました。
宇治上神社→宇治神社→平等院鳳凰堂→石清水八幡宮
の順で参拝させて頂きました。

家から下道で約70分で到着しました。
8時10分→15時30分頃に家に帰りました。

駐車場は、正月休みだったのか開放されていました。
宇治神社そばで宇治上神社まで200mの一日700円の朝霧駐車場に停めました。
宇治上神社のすぐ脇にも10台くらいの駐車場もありました。
無料っぽかったです。

【鳥居と社号碑】
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【神門】
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【手水舎】
宇治には7ヶ所の湧き水「宇治七名水」がありましたが、そのうちの6ヶ所は失われてしまい、
現在唯一残っているのは宇治上神社の境内の片隅に湧く「桐原水」(きりはらすい)のみです。
参拝者が心身を清める手水舎として使用されており、飲むことはできません。
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【ご神木】
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【拝殿】
拝殿は鎌倉時代前期の造営。国宝に指定されている。
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【拝殿脇の清めの砂】
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【拝殿の中】
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【本殿】
本殿は平安時代後期の造営で、神社建築としては現存最古とされる。国宝に指定されている。
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【御朱印】
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【季節限定の御朱印】
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【主祭神】
左殿:菟道稚郎子命(うじのわきいらつこのみこと)
『日本書紀』では「菟道稚郎子」、『古事記』では「宇遅之和紀郎子」と表記される。
応神天皇皇子。天皇に寵愛され皇太子に立てられたものの、
兄の大鷦鷯尊(のちの仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。
中殿:応神天皇
第15代天皇。菟道稚郎子命の父。
右殿:仁徳天皇
第16代天皇。菟道稚郎子命の異母兄。

【創建】
不詳

【社格等】
式内社(小)
旧村社

【本殿の様式】
五間社流造(内殿に一間社流造3棟)

【ご由緒】
創建年代などの起源は明らかではない。宇治上神社のすぐ近くには宇治神社があるが(位置)、
宇治上神社とは二社一体の存在であった。
宇治上神社の境内は『山城国風土記』に見える菟道稚郎子の離宮「桐原日桁宮」の旧跡であると伝え、
両社旧称の「離宮明神」もそれに因むといわれる。

宇治上神社の境内外には「天降石」や「岩神さん」と呼ばれる巨石があり、磐境信仰による創祀という説もある。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では山城国宇治郡に「宇治神社二座 鍬靫」の記載があるが、
その2座はそれぞれ宇治神社・宇治上神社に比定される。
なお、宇治上神社の本殿は本来左右2棟であるとして、
「宇治神社二座」は宇治上神社のみを指すという説もある(3棟の建築年代については後述)。
神名帳の「鍬靫」の記載は、祈年祭の際に朝廷から鍬・靫の奉献があったことを意味する。
近くに平等院ができると、両社はその鎮守社とされたという。

明治以前は宇治上神社は「上社」・「本宮」、宇治神社は「下社」・「若宮」と呼ばれたほか、
両社を合わせて「宇治離宮明神(八幡宮)」と総称された。

明治に入って宇治上神社とは分離し、近代社格制度では村社に列した。

2004年2月の奈良文化財研究所や宇治市などによる年輪年代測定調査では、
本殿は1060年頃のものとされて「現存最古の神社建築」であることが裏付けられた。
また、1052年創建の平等院との深い関連性が指摘されている。

Wikipediaより抜粋


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泉穴師神社へ参拝
平成三十一年 一月三日参拝
大阪府泉大津市豊中町1-1-1に鎮座する神社です。

嫁さんの実家近くなので、家族で参拝させて頂きました。

泉穴師神社(いずみあなしじんじゃ)は、大阪府泉大津市豊中町にある神社。
『延喜式神名帳』に掲載されている和泉国和泉郡泉穴師神社に比定されている。
和泉五社の一つで和泉国二宮。


【鳥居】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【社号碑】
201901102249432c2.jpeg


【手水舎】
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【拝殿】
社務所の瓦は台風で飛ばされたままです。
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【拝殿】
左右に鳥居があり右が男性、左が女性用とのことらしいです。
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【主祭神】
天忍穂耳尊と栲幡千千姫命を祭神
明治12年(1879年)に作成された『神社明細帳』では天富貴神と佐古麻槌大神を当社の祭神としているが、
明治27年(1894年)の『神社明細帳』では天忍穂耳尊と栲幡千千姫命を祭神としており、
当社も天忍穂耳尊と栲幡千千姫命を祭神とする見解をとっている。
なお、泉大津市は江戸時代に繊維産業が興り、現在に至るまで繊維産業が盛んな地であるが、
栲幡千千姫命は織物に関係する神として知られている。

【創建】
白鳳年間(異説あり)

【社格等】
式内社(小2座)
和泉国二宮
旧府社

【本殿の様式】
三間社流造、正面千鳥破風

【ご由緒】
社伝によると、当社は白鳳年間に創建されたとするが、神功皇后の時代に
創建されたとも神武東征の際に始まるとも言われ定かではない。
天平10年(738年)の和泉監正税帳(『正倉院文書』)によると、聖武天皇から社領を賜ったという。
『日本三代実録』によると貞観7年(865年)に正五位下を授けられたとし、
『類聚国史』によると貞観10年(868年)に従四位下を授けられたとする。
元弘元年(1331年)には、楠木正成が当社に石燈籠を奉納している。
天正3年(1575年)には織田信長より社領安堵の朱印状を与えられ、
慶長7年(1602年)には豊臣秀頼によって社殿が再建された。
明治6年(1873年)に郷社に列格し、明治27年(1894年)には府社に昇格した。
昭和21年(1946年)、それまで毎年2月4日に行っていた春季大祭を4月5日に行うこととし現在に至る。

Wikipediaより抜粋


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つつじの社 春日神社へ参拝
つつじの社 春日神社へ参拝
平成三十一年 一月一日参拝
大阪府豊中市宮山町1-10-1に鎮座する神社です。


2019年 あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。

家族で毎年初詣をさせて頂いています。

【初詣参拝者】
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【鳥居】
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【あの狛犬】
20190104220108f09.jpeg


【うんの狛犬】
201901042203256ee.jpeg


【本殿】
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【扁額】
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【鬼瓦?】
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【主祭神】
天照皇大神・天児屋根命・武甕槌大神を主祭神とし
菅原道真を祭神とする天神社、薬師如来(少彦名命)を祭神とする薬師社などを境内に有する。 Wikipediaより抜粋
【創建】
この神社がいつ創建されたのかは不明であるが、伝記には承和2年(835年)に社殿の修繕をしたと伝えられる。
以来、旧桜井谷村の地の神として親しまれてきた。Wikipediaより抜粋
【ご由緒】
創建年代は不詳であるが、旧桜井谷村の地を領き坐す恵み深い神として親しまれています。
伝記によると、仁明天皇の承和2年(835)に社殿の修繕をなし、延元3年(1338)兵火に罹り消失。
その後、仮殿に神霊を奉斎し文明15年(1483)社殿を再建しました。
社殿は壮観を極めたが、永正6年(1509)に足利義稙に従来の社殿152石を半減させられ、
世間が戦乱の世に移るにつれて荒廃に傾きました。
織田信長の伊丹城主荒木村重を討つ際、社殿消失したが、一時四方に離散した氏子が相謀り、
天正6年(1578)、僅かに仮殿を造って、神霊を奉斎しました。
後、安部摂津守の領地となりその陣屋は、境外地近くに設けられ、当社再建に着手し、
慶安3年(1650)9月12日に遷座し奉り、現在に至っております。
ホ-ムペ-ジより抜粋


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