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eskky28

Author:eskky28
男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
伊勢神宮 内宮に参拝
伊勢神宮 内宮(皇大神宮)へ参拝
平成三十年 十二月二十四日参拝
三重県伊勢市宇治館町1番地に鎮座する神社です。


伊勢神宮(いせじんぐう)は、三重県伊勢市にある神社。なお「伊勢神宮」とは通称であり、
正式名称は地名の付かない「神宫(じんぐう)。他の神宮と区別するため「伊勢の神宮」と呼ぶこともあり、
親しみを込めて「お伊勢さん」「大神宮さん」とも称される。神社本庁の本宗(ほんそう)である。
二十二社(上七社)の一社。また、神階が授与されたことのない神社の一つ。
古代においては宇佐神宮、中世においては石清水八幡宮と共に二所宗廟のひとつとされた。
明治時代から太平洋戦争前までの近代社格制度においては、
全ての神社の上に位置する神社として社格の対象外とされた。

伊勢神宮には、「太陽」を神格化した天照坐皇大御神(天照大御神)を祀る皇大神宮と、
衣食住の守り神である豊受大御神を祀る豊受大神宮の二つの正宮があり、
一般に皇大神宮は内宮(ないくう)、豊受大神宮は外宮(げくう)と呼ばれる。
内宮と外宮は離れているため、観光で内宮のみ参拝の人が多いが、
まず外宮を参拝してから内宮に参拝するのが正しいとされている。
Wikipediaより


冬至の頃の宇治橋の鳥居中央から昇る日の出を一目みたいと思っていました。
良い天気で願いが叶いました。凄く寒かったのですが、日の出とともに凄く暖かくなりました。
サッカ-仲間の方と12/23に参拝を一緒に行きましょうと約束していましたが、
天気予報をみながら12/24に参拝させて頂くことになりました。
誰かと行くのは初めてでしたが、喋っていたらあっという間に到着していました。
楽しく過ごせました。また第二弾行きましょうと話しています。

3時に出発して6時25分頃に内宮の一番近いA駐車場に到着しました。
ほぼ満車に近いぐらい沢山駐車してありました。
スマホでみると鳥居を通過するのが、7時30分頃やけど先に並んで場所とりを
していると書いてあったのですぐに行ったら、すでに4、50人ならんでいました。
8時前には100~150人ぐらいいたような気がしました。

【日の出】
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【正宮前の参道の木漏れ日】
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【正宮】
先にお取次ぎさんの滝祭神でお取次ぎをお願いします。
お願いごとはせず、参拝させて頂けたこと、日々の感謝を述べるそうです。
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【荒祭宮】
願いごとをお聞きして頂く宮です。
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【土地の神様】
ここは何かな?と話していたら、近くにおられた高齢の方が
「伊勢神宮が建てられる前に祀られていた土地の神様が祀られている」と教えてくれました。
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【帰りの宇治橋を下から】
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【帰りの宇治橋】
宇治橋の西詰北側二本目の擬宝珠(ぎぼし)の中には、橋の安全を祈って饗土橋姫(あえどはしひめ)神社の萬度麻(まんどぬさ)が収められています。
この擬宝珠(ぎぼし)に触れて帰ると、また参拝に訪れる事ができると言われています。
右側通行で帰る際には、最後から二本目となります。色が違っていますし、文字が刻まれていますのですぐにわかります。
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【赤福本店で朝食でおしるこ】
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【伊賀上野城】
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【そば処 御嶽】
13時頃到着しました。3組待ちでした。
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【ざるそばと天丼小】
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【御朱印】
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【お土産 赤福】
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【主祭神】
天照坐皇大御神(天照大御神)
【社格】
式内社(大)
二十二社(上七社)
神宮(近代社格超越-対象外)
【創建】
垂仁天皇26年
【ご由緒】
天孫・邇邇芸命が降臨した(天孫降臨)際、天照大御神は三種の神器を授け、
その一つ八咫鏡に「吾が児、此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。
(『日本書紀』)」として天照大御神自身の神霊を込めたとされる。
この鏡は神武天皇に伝えられ、以後、代々の天皇の側に置かれ、天皇自らが観察していた。
八咫鏡は第10代崇神天皇の治世に大和笠縫邑に移され、皇女豊鍬入姫がこれを祀ることとされた。
崇神天皇5年、疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた。
崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神と倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した。
天照大神を豊鍬入姫命に託し、笠縫邑に祀らせ、その後、各地を移動した。
垂仁天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。
(詳細記事:元伊勢)倭大国魂神を渟名城入媛命に託し、長岡岬に祀らせたが(現在の大和神社の初め)、
媛は身体が痩せ細って祀ることが出来なかった。
『日本書紀』垂仁天皇25年3月の条に、「倭姫命、菟田(うだ)の篠幡(ささはた)に祀り、
更に還りて近江国に入りて、東の美濃を廻りて、伊勢国に至る。」とあり、
皇女倭姫命が天照大御神の神魂(すなわち八咫鏡)を鎮座させる地を求め旅をしたと記されているのが、
内宮起源説話である(元伊勢伝承)。
この話は崇神天皇6年の条から続き、『古事記』には崇神天皇記と垂仁天皇記の分注に
伊勢大神の宮を祀ったとのみ記されている。
移動中に一時的に鎮座された場所は元伊勢と呼ばれている。
なお、外宮は平安初期の『止由気神宮儀式帳(とゆけじんぐうぎしきちょう)』[注釈 によれば、
雄略天皇22年7月に丹波国(後に丹後国として分割)の比沼真奈井原(まないはら)から、
伊勢山田原へ遷座したことが起源と伝える。
Wikipediaより抜粋

2月から始めました当ブログですが、なんとか年を越せることが出来ました。
毎日や、何年も続けるということは、凄く大変なことですね。
身にしみてわかりました。

なんとか続けていくのに、凄く励みになっております。
当ブログにご訪問して頂きありがとうございました。

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宇治橋の日の出
本日の速報です。
冬至の内宮へ参拝させて頂きました。
朝3時に出発して6時25分頃にA駐車場に到着しました。

お天気も良く、日の出にも間に合い、念願の写真を
撮ってきました。スマホです。

現地で並んでる時に言われて気付いたのですが、もろに逆光です。
暗くなってしまいます。当たり前ですね。

嬉しいので、とりあえず写真を載せます。


【着いてすぐの6:30時点ですでに並んでいました】
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【並び始め6:32頃】
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【7:00頃】
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【7:15頃】
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【7:30頃】
たぶんこの頃には100人は超えてるように思いました
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【7:45頃】
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【8:00頃】
鳥居の間に入って目玉みたい(フリ-メ-ソンみたい)になるまで、待てずに下がって撮りました
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とりあえず宇治橋の鳥居の真ん中からの日の出でした。
最高に良かったです。今年一番寒かった気がしました。

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冬至に、いざ内宮へ参拝
久しぶりに明日、伊勢神宮内宮へ参拝させて頂きます。
昨年の十一月三日以来の二度目になります。
ス-ツで参拝しないので特別参宮章が使えません。

念願だった宇治橋の鳥居からの日の出を拝んできます。
冬至らへんの時期だと宇治橋の鳥居の真ん中から日が昇るそうです。

明日はサッカ-仲間の方と一緒に行くことになりました。
歴史好きで、京都を自転車で巡ったそうで、
是非今度、一緒に行きましょうと話してました。

冬至らへんに伊勢神宮に参拝しに行こうかと思ってると話したら、
一緒に行こうということになりました。
楽しみです。

天気予報を見ていると、12/23より12/24のほうが良さそうだったので
翌日仕事ですが24日にして頂きました。


朝、3時頃に出発いたします。
早く寝て事故のないように努めます。

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白山比咩神社に参拝その2
白山比咩神社へ参拝
平成三十年 七月十五日参拝
石川県白山市三宮町ニ105-1に鎮座する神社です。
式内社、加賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国に2,000社以上ある白山神社の総本社である。
通称として「白山(しらやま)さん」「白山権現」「加賀一の宮」「白山本宮」とも。
神紋は「三子持亀甲瓜花」。


前回の続きです。

私の好きな合田道人著の『全然知らずにお参りしてた 神社の謎』に載っていたので
ご紹介させて頂きます。

『白山姫こと菊理姫(ククリ姫)を祀る白山神社は全国に3000余社もある。その総本山がここなのだ。
導きというパワ-を最大限に降り注いでくれている。
全国を忙しく動き回らせるパワ-を持つ神、これこそが縁結びの神である。
縁結びといってもありがちな結婚や恋人との縁結びだけではなく、自己の成長につながる縁を
運んでもらえることこそが縁結びだといえよう。

人生にとってのすばらしい出会いの縁をさずけてくれる、魂の神様を結ぶ、いわゆる本当の意味の
〝結び〟を与えてくれるご利益が期待ができるのがここなのである。
御祭神のククリ姫の〝くくり〟とは、縁を結ぶという意味だったのである。

同時にこの神は、『古事記』でイザナギが例の黄泉の国でイザナミに言われた〝見るな〟の禁を
犯したときに、この絶大なパワ-の祖神二神の喧嘩を仲裁した
なかなかの力を持った神であることが分かる。ということから、他人にいくら罵声を浴びせられようとも、
認められなくても、信じた道を突っ走ればいずれは自分のペ-スへと人々をいざなってゆける力を
与えてくれる。さらに心根をやさしく持てるようにしてくれるのだ。

また人生や生活をしっかりとフォロ-してくれたり、意見が通じ合う、認め合える心の仲間や友人が
自然と集まり出し、苦しみや悩みを一緒に解消してくれるのだ。
そして違った考えを持つ人間たちは、これまた自然と離れていく。実はこれこそが、本質の縁結びなのである。
人生の方向を決める大一番のとき、自己の魂の見えない部分を掘り起こす、照らしだしてくれるパワ-を
持つ神だったのである。

さてこの神社は表参道駐車場に車を止めてから、一の鳥居をくぐるのが理想なのだが、金沢方面から車を
走らせると鳥居を車ごとくぐって、北参道の駐車場に置くことになる。
ここに車を止めて鳥居をくぐり御手水で清めたあとが肝心なのだ。本殿へすぐに入らず二の鳥居、三の鳥居の
あとはやや右に折れその正面に建つ荒御前神社に先に詣でるのがいい。
そこで感謝の思いを述べてから神門をくぐり、真正面から白山比咩の本宮へと足をすすめるのである。

大切な出会いをそこで一心に願ったあと、さらに重要なことがある。ここは奥宮参拝がキ-ポイントになるのだ。
御神体である白山の奥宮に行くには、徒歩で5時間ほど登山しなくてはいけない。
まして冬場は登ることが禁じられている。しかし本宮境内から白山を望んで奥宮を遥拝する場所があるので
いつも祝詞を上げるようにしている。それだけで凛とした白山の氣を体中に頂くことができるからだ。

ククリ姫だけではなく、もちろんイザナギとイザナミの二柱もこの神社の祭神とされている。
物事の考え方、人生の方向性を教示してくれたこの神社は、私にとって実に大切な神社なのである。』



私も参拝させて頂く前に、もう一度読んでおけば良かったです。


【手水舎と第二鳥居】
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【手水舎】
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【第二鳥居のあの狛犬】
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【第二鳥居のうんの狛犬】
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【第三の鳥居】
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【荒御前神社】
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【神門】
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【拝殿 あの狛犬】
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【拝殿 うんの狛犬】
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【拝殿】
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【拝殿の扁額】
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【白山奥宮遥拝所】
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【北参道 鳥居】
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【北参道  手水舎】
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【御朱印】
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【金沢駅近くの蕎麦屋】
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【能登の芋焼酎】
少し高いですが、大変おいしかったです。すぐになくなり、注文したいぐらいでした。
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【金沢の地ビ-ル】
大変濃かったです。
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【主祭神】
白山比咩大神
伊邪那岐尊
伊弉冉尊
【社格】
式内社(小)
加賀国一宮
旧国幣中社
別表神社
【創建】
(伝)第10代崇神天皇年間
【ご由緒】
広い平野から青く霞む山々の上に白く輝く白山(しらやま)は、古代から農作における水の恵みの神、神体山として遥拝され、沖の漁と航海には山だめの標であったと伝わる。
「白山(しらやま)さん」と大和言葉で親しまれ白山比咩大神様(しらやまひめのおおかみさま)を祀り白山本宮である加賀一ノ宮の白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)の創建は、社伝では神話の時代に近い崇神天皇7年(前91年) 舟岡山に「まつりのにわ」が祀られてからとされ、応神天皇28年(297年)に十八講河原に下り、洪水で度々流失した、と伝わる。元正天皇の霊亀2年(716年)に勅命で他所より高い安久濤の森に遷り社殿造立があり、嘉祥元年(848年)45棟の社殿堂塔が整ったと伝わる。
平安時代、延喜年間の「延喜式神名帳」には白山比咩(しらやまひめ)神社は加賀国 石川郡 10座中の筆頭に掲載される。
文献史料の確実な初出は、仁寿3年(853年)10月に従三位に初叙された。貞観元年(859年)正月27日には正三位に昇叙せられた。平安時代は、天皇即位の一代一度大神宝使・大奉幣使[注釈を京畿七道諸神の1神として受けていた神でもあった。
社伝「白山之記」(「白山縁起」以下同じ)では、内の鳥居は樫高(白山市鶴来地区)、二の鳥居は槻橋(白山市月橋町)、総門は北陸道の神符小河にあり、旅人は総門で白山を遥拝して通り、また神符を受けたと伝える。社伝はさらに長和5年(1016年)に加賀国7つの湊から贄を受け豊漁祈願の御贄講祭が始ったと伝わる。
平安時代末期(11世紀末)、加賀国禅定道筋の白山系社堂(加賀馬場)の中心的存在であった当社は加賀国一宮とされ、一国の神社を代表とする立場から勧農を目的とした国衙祭祀を行った。白山を祭る社である白山本宮として、末社・関係社はこの時代に越後(新潟県)・能登・加賀(ともに石川県)まで広く存在、と伝えた。
Wikipediaより抜粋


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白山比咩神社に参拝
白山比咩神社へ参拝
平成三十年 七月十五日参拝
石川県白山市三宮町ニ105-1に鎮座する神社です。
式内社、加賀国一宮。旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。
全国に2,000社以上ある白山神社の総本社である。
通称として「白山(しらやま)さん」「白山権現」「加賀一の宮」「白山本宮」とも。
神紋は「三子持亀甲瓜花」。

石川県・岐阜県の県境に立つ白山(標高2,702m)の山麓に鎮座し、
白山を神体山として祀る神社である。
元は、手取川の畔にある現在の古宮公園の場所に鎮座していたが、
室町時代に火災で焼失し、現社地に遷座した。
また白山山頂の御前峰には奥宮も鎮座し、
山麓の社殿はこれに対して「下白山」または「白山本宮」と呼ばれていた。
境内には国宝の刀剣(銘 吉光)のほか、重要文化財が多数伝えられている。

天津神社の参拝のあと、テレビでみたことのある『まいもん寿司』で昼飯を食べて
から白山比咩神社へ参拝させて頂くことにしました。

【立山連峰】
北陸自動車道のパ-キングから撮影。奥の方にも高い山々があり
いかにも山が立ってるなと思いました。
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【立山の由来】
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【まいもん寿司】
12時30分から13時30分並びました。
回転寿司ですが100円ではないです。6皿注文で2,000円でした。かみしめながら、最高においしく頂きました。
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【寿司 地物すずき、八日市名物とろさば、能登真鯛】
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【寿司 北陸あおりいか、能登柳さわら】
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【寿司 地物甘えび】
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【第一の鳥居と社号標】
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【表参道】
凄くいい雰囲気の参道でした。石畳にコケも生えていました。
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【白山比咩神社の老杉】
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写真も多いので今回はこの辺にして、次回に致します。

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天津神社へ参拝
天津神社へ参拝
平成三十年 七月十五日参拝
新潟県糸魚川市一の宮1-3-34に鎮座する神社です。
式内社論社で、越後国一宮を称する。旧社格は県社。


3連休だったので、なんとなく遠くまで行きたいなと思っていました。
戸隠神社と迷いましたが、石川県の白山比咩神社に参拝させて頂くことにしました。
そしてテレビでみたことのある『まいもん寿司』で食べようと出発しました。

しかしナビでみると到着時間が3時間と早すぎたのでもう少し遠くまで行こうと
行きながら行き先を急遽変えました。5時出発でした。

天津神社に参拝後、本物の翡翠の携帯ストラップを買おうと思ってたのですが、
駅前のお土産屋さんに入ろうとしたら、満車で3台待ちで10分くらい待ったのですが
進まなかったのでやめました。


最近は神社に参拝できていないのですが、天皇誕生日に伊勢神宮の内宮の宇治橋の
鳥居から昇る日の出の写真を撮りたいなと考えているところです。
冬至の日に太陽が通るように建てられているとのことです。
実現は天気や仕事、体調によりますが。

【社号碑】
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【表参道】
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【手水舎】
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【鳥居】
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【拝殿】
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【拝殿寄り】
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【天津神社 本殿】
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【天津神社 本殿と狛犬】
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【奴奈川神社】
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【御朱印】
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【主祭神】
中央:天津彦々火瓊々杵尊 (あまつひこひこほににぎのみこと)
左:天児屋根命 (あめのこやねのみこと)
右:太玉命 (ふとだまのみこと)

【創建】
(伝)景行天皇年間
記紀における伝説上の人物で日本武尊(やまとたけるのみこと)の父
【ご由緒】
景行天皇の時代の創建と伝えられ、孝徳天皇の勅願所であったと伝えられている。
旧糸魚川町のうち、一の宮・押上・寺町・大町・七間町等の産土神として崇敬された、
慶長16年(1611年)、江戸幕府から黒印地百石を寄進され、翌年朱印地に改められた。
大正7年(1918年)に郷社に列し、後に県社に昇格した。
『延喜式神名帳』には式内社として「越後国頸城郡 大神社(おほむは-)」が記載されているが、
その論社に比定されている。また、境内社の奴奈川神社(ぬなかわ-)も式内社論社である。

境内社
奴奈川神社
奴奈川姫命を主祭神とし、後に八千矛命(大国主)が合祀された。
この一帯はかつて「沼川郷」と言い、そこに住んでいた奴奈川姫命の元を
八千矛命が訪れたという話が日本神話(大国主の神話)にある。
伝承では、両神の間の子が建御名方命であり、姫川を遡って信濃国に入りそこを開拓したという。
『延喜式神名帳』に頸城郡13座の一社として記載されている。
「奴奈川神社」という名前の神社は当社の他にも頸城郡内に複数社あり、
糸魚川市田伏南村の奴奈川神社(旧郷社)、
糸魚川市大字能生宮の上の白山神社(旧郷社)も式内・奴奈川神社の論社となっている。
Wikipediaより抜粋


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