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eskky28

Author:eskky28
男、46才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
北海道神宮へ参拝
北海道神宮へ参拝
平成三十年 三月十一日参拝
北海道札幌市中央区宮ヶ丘474に鎮座する神社です。

親のマイルが貯まり私の家族と弟家族を2泊3日で北海道に連れて行ってくれました。
この機会を逃すまいと自由時間に北海道神宮へ参拝させてもらいました。
驚いたことに参拝者のほとんど(8割、9割)が、アジア系の外国人でした。

円山公園に隣接する。1964年(昭和39年)までは札幌神社。
旧官幣大社であり、現在は神社本庁の別表神社。また、全国一の宮会より蝦夷国新一の宮に認定されている。

北海道の開拓当時樺太・千島に進出を進めていたロシア帝国に対する守りということで、大鳥居が北東を向いている。
末社である開拓神社には間宮林蔵などの北海道開拓の功労者が数多く祀られている。

【第二鳥居】第一鳥居はわからずでした。
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【手水舎】
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【神門】
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【神門寄り】
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【本殿】
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【開拓神社】末社
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【北海道神宮の御朱印】
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【開拓神社の御朱印】
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【境内にいたリス】
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【汁なし担担麺の店の看板】
弟が行きたいと言っていた有名店、らしいです。担担麺好きなので行ってきました。
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【汁なし担担麺】
初めての汁なしでした。辛さよりも痺れがあると店員から説明を受けました。
オレンジの香りもしていました。病みつきになりそうなほど美味しかったです。
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【テレビ塔】
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【旭山動物園】
初旭山動物園でした。
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【旭山動物園モニュメント】
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【主祭神】
大国魂神(北海道の国土の神様)
大那牟遅神(国土経営・開拓の神様)
少彦名神(国土経営・医薬・酒造の神様)
明治天皇(近代日本の礎を築かれた天皇)
【創建】
明治2年(1869年)
【ご由緒】
 明治2年、当時「蝦夷地」等と呼ばれていた北海道は、日本の国土としてより明確にする為に、
「北海道」と名づけられました。
そして同じ年の9月1日に、明治天皇の詔(みことのり)(天皇のおことば)により、
東京で「北海道鎮座神祭(ほっかいどうちんざしんさい)」を斎行(お祭を行う事)して、
北海道の開拓・発展の守護神として、大国魂神・大那牟遅神・少彦名神の三柱の神々
(開拓三神(かいたくさんじん)といいます)が鎮斎(ちんさい)されました。
 その御霊代(みたましろ)(神様が宿った依代。鏡や剣等々…)は東京から函館へ、
そして札幌へと移されました。明治3年5月には仮社殿が建てられましたが、
それは現在の鎮座地(神様の住まれる神社の建っている所)ではありませんでした。
現在の位置に社殿が建てられたのは、明治4年のことで、この年に「札幌神社」と社名が決まりました。
 そして開国を決断され、西洋の文明を取り入れて現在に至る日本の礎を築かれた
明治天皇を昭和39年増祀(ぞうし)(その神社にお祀りする神様が増えること)し、
社名も「北海道神宮」と改称しました。
 約18万平方メートルの境内地は、桜の名所としても知られ、市民に親しまれていますが、
現在の北海道神宮の社殿は、昭和49年放火に遭い、昭和53年に復興されたものです。
ホ-ムペ-ジより抜粋


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服部天神宮へ参拝
服部天神宮へ参拝
平成三十年 二月二十四日参拝
大阪府豊中市服部元町1丁目2-17に鎮座する神社です。

服部天神宮(はっとりてんじんぐう)は、大阪府豊中市の南部、服部に鎮座する神社。
少彦名命と菅原道真を主祭神として祀る。関西では「足の神様」として知られている。

ガンバ大阪の選手などが参拝されているらしいです。
私も足を捻挫した時に、嫁さんから足のお守りを頂きました。

毎年、十日えびすといって商売繁盛のお詣りに来て
熊手を購入しています。

【鳥居】
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【手水舎】
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【拝殿】
お百度参りをされているご家族がいらっしゃいました。
お子さんの足のケガの回復をお祈りされている感じでした。
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【御朱印】
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【御祭神】
少彦名命と菅原道真
【ご由緒】
御鎮座の時期については詳らかでないものの、
帰化人集団「秦氏」が允恭天皇の御世(412年 - 453年)に織部司に任じられ、
当地を服部連の本拠とした際、外来神の少彦名命(医薬の神)を祀ったのが始まりとされる。
この頃はまだ、小さな祠だったという。
783年(延暦2年)、藤原魚名は大宰府に左遷され筑紫国へ向かったものの、
当地で病没。祠の近くに葬られた(「川辺左大臣藤原魚名公の墓」が今も境内に残る)。
約100年後の延喜元年(901年)、菅原道真が魚名と同様、
大宰権帥として左遷され任地へ赴く途中、当地で持病の脚気に襲われ動けなくなった。
そこで里人の勧めるまま、路傍の祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念したところ、
たちまち健康を取り戻して任地へ辿り着けた、との言い伝えがある。
菅原道真の没後、天神信仰の高まりと共に当社にも菅原道真を合祀することとなり、
新たに堂宇が建立された。この頃から「服部天神宮」と呼ばれるようになり、
菅原道真の故事にちなみ「足の神様」として崇敬を受けた。

歴史
近世に入ると、当地が能勢街道の宿場町だったこともあって徐々に門前市を成すようになり、
中でも江戸時代後期の文化年間(1804年 - 1817年)、文政年間(1818年 - 1829年)には殷賑を極めたという。
1910年3月10日、箕有電軌(現阪急電鉄)が開業し、服部停留場が開設された。
2013年12月21日に阪急宝塚線の服部駅が服部天神駅に駅名変更した。
これは「駅間近の歴史的観光資源を分かりやすく案内する」という阪急電鉄の方針による。

境内社
服部天神宮わらじ堂
豊中えびす神社 蛭子大神を祀る。
初酉稲荷神社 宇迦之御魂神を祀る。
十二支稲荷社 昭和52年、伏見稲荷大社より勧請。
わらじ堂
本殿に向かって右側に「わらじ堂」と呼ばれているお堂があり、
その中に鉄や木の草履、靴、杖、千羽鶴などが奉納されている。
足の病に悩む人がわらじを奉納すると言われている。
「わらじ堂」の名の由来は、かつて、足の病に悩むものが自分で作った草履を納めたことによるものである。
Wikipediaより抜粋

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鵲森宮へ参拝
鵲森宮へ参拝
平成三十年 一月十四日参拝
今回は鵲森宮(かささぎもりのみや)へ参拝させて頂きました。
大阪府大阪市中央区森之宮中央一丁目14-4に鎮座する神社です。
式内社で、旧社格は府社。通称を森之宮神社(もりのみやじんじゃ)といい、
周辺の地名である森之宮の由来となっているそうです。

11/9(金)の夜と本日11/11(日)にサッカ-をしてきました。
昨日は出勤で、きつかったです。
翌朝も早い(6時30分)し疲れていたので、夜も早く23時頃には寝ました。
ろくに動けないのにすごい筋肉痛です。
足、腰、背中ボロボロです。
ヒザはサポ-タ-を巻いているのでなんとか大丈夫でした。


用明天皇・穴穂部間人皇后・聖徳太子を主祭神としてお祀りする、唯一の神社なのだそうです。
物部守屋を滅ぼした聖徳太子は、守屋最後の拠点(難波の宅)であったとも言われているこの地に、
四天王寺を建立する。
その四天王寺を鎮守するため、両親である用明天皇と穴穂部間人皇后を祀ったのが始まりという。
四天王寺はその後、南の荒墓山へ移設されたため、元四天王寺とも呼ばれている。

【鳥居と社号碑】
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【手水舎】
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【拝殿(本殿?)と狛犬】
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【拝殿(本殿?)と背後のビル】
奥社は、この敷地内にはなく、裏手のビルの屋上にあるというのをネットで見ました。本当?
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【御朱印】
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【御祭神】
用明天皇
穴穂部間人皇后
聖徳太子
聖徳太子の両親である用明天皇・穴穂部間人皇后、および聖徳太子を主祭神として本社に祀り、
奧社に天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る。
【ご由緒】
聖徳太子は物部守屋との戦いの戦勝を祈願し、勝った暁には四天王を祀ることを誓った。
戦勝後の崇峻天皇2年(589年)7月、まず両親を現在地に祀って寺の鎮守とし、
その森に四天王を祀る寺(元四天王寺)を創建した。
四天王寺はその25年後に現在の荒陵山に移転したが、当社はそのままとされた。
『日本書紀』の推古天皇6年夏4月に、聖徳太子の命により
新羅へ渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の鵲を持ち帰り、
難波の杜で飼ったという記述がある。
その「難波の杜」は当社の森であるとされることから「鵲の森」と呼ばれるようになり、
ついには当社の社名となったと伝える(「難波の杜」は、他に生國魂神社なども比定地となっている)。
Wikipediaより抜粋


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玉造稲荷神社へ参拝
玉造稲荷神社へ参拝
平成三十年 一月十四日参拝
今回は玉造稲荷神社→鵲森宮へ参拝させて頂きました。
大阪府大阪市中央区玉造2-3-8に鎮座する神社です。

参拝させて頂いたご縁は、真田幸村の大河ドラマを初めて最後までみたのですが
(歴史好きなのですが)その時のエンディングで幸村最後の地に三光神社があることを知り、
参拝させて頂こうと思い、他に近くにないかと調べると目にとまり参拝させて頂きました。

しかし肝心の三光神社は最後に参拝させて頂く予定だったのですが、目の前まで行ったのですが
時間が間に合わず次回に参拝させて頂きます。

玉造稲荷神社は垂仁天皇18年(西暦 紀元前12年)の秋に創祀されたと伝えられ用明天皇3年に改築。
聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際、
この玉作岡に陣を敷き「我に勝を与えるならこの栗の白木の箸に枝葉を生じさせ給え」と祈願されたところ、
のちに枝葉が生じ、この戦いも無事に終わったといわれています。

【境内】
厳嶋神社(市杵嶋姫神) -- 現在地の池(白龍池)に白龍観音が出現したことにより
弁才天を祀ったもので、神仏分離により祭神を市杵嶋姫神とした。
雨乞いの神として信仰される。

万慶稲荷神社(宇迦之御魂大神) -- 大坂城内の各地に祀られていた稲荷社を、
享保年間に一社に合祀し当社境内に祀ったものである。

新山稲荷神社(宇迦之御魂大神) -- 寛政11年(1799年)、当時の大坂城代・松平輝和が
城代屋敷内に当社の分霊を祀ったものである。
1907年(明治40年)、当社境内に遷座された。
新山稲荷は現在の大阪府立清水谷高等学校敷地内に在った。

胞衣塚大明神 -- 豊臣秀頼の胞衣を祀る。
当初は大坂城三の丸に当たる現在地に胞衣が埋められ、
その後は豊臣家を慕う当地の人々により密かに祀られていた。
1945年(昭和20年)、戦災により焼失し、寺山町(現 上町一丁目)、
東阪町(現 玉造一丁目)に遷座していた。
1983年(昭和58年)、大坂築城400年を記念して元の鎮座地に遷座された。
子供の夜泣きに霊験ありとされる。

豊臣家奉納鳥居 -- 慶長8年(1603年)、豊臣秀頼により社殿再建時に奉納された石鳥居。
阪神・淡路大震災により基礎に損傷を受け、現在は上部・脚部に分け、境内に置かれている。

豊臣秀頼公銅像 -- 2011年(平成23年)10月13日に建立・除幕式。

浪花講(お伊勢参り)―伊勢参りが流行した当時の玉造は、大坂以西の伊勢参り出発地であり旅立つ人、またそれを見送る人々でたいへん賑わっていた。町には市場や茶店、菅笠屋等の旅支度を整える店が軒を並べ、道中の安全を当神社で祈願した旅人らが先ず暗峠を目指し旅立って行った。また、江戸などの旅人は伊勢参りを終えた後、遊楽地を求め更に足をのばし大坂へも立ち寄った。その玄関口としての役割も玉造は担っていた。


江戸時代に街道、宿駅制度が整えられたことにより、人々にとって旅がとても身近なものとなった。
しかし、当時の旅は現在と違い安全性はまだまだ乏しかった。街道での事件、事故、旅籠屋での「ぼったくり」、「相部屋」等の不安をかかえながら旅人は伊勢参りへでた。
当時、大坂の玉造に拠点をおき、全国に行商していた唐弓弦師・松屋甚四郎とその手代・源助は、行商の経験から旅人に安全で信頼のおける旅を提供しようと文化元年(1804)に旅籠の組合である「浪花組」(世話人:松屋甚四郎 発起人:まつ屋源助 ※天保12年(1841)に「浪花講」と名を改める)をたちあげた。この浪花講が指定する優良旅籠屋や休憩所では、「旅人の賭け事・遊女を買う事・酒を飲んで騒ぐ事」等を禁止し、浪花講の看板を軒先に掲げることにより旅人への目印とし、不良旅籠屋等と見分けがつくようにした。更に、旅のガイドブックである『浪花講定宿帳』等を発行し、旅人は定宿帳に記載された街道を歩き、鑑札を宿で提示することにより安心して宿をとる事が出来た。
伊勢参りの出発地である大坂・玉造で創業したこの組織は全国的に広がり、現在の協定旅館・旅行社のルーツにもなったのである。また、「浪花講」講元であった松屋甚四郎の創業地には現在、当神社分社が建ち、平成26年10月には当時の浪花講の看板をモチーフにした「浪花講発祥の地」碑が建立された。

【第一の鳥居】
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【第二の鳥居】
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【拝殿】
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【「浪花講発祥の地」碑】
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【豊臣家奉納鳥居】
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【豊臣秀頼公銅像】
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【御朱印】
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【御祭神】
宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。
【創建】
伝・垂仁天皇18年
【ご由緒】
社伝によれば垂仁天皇18年(紀元前12年)に創建され、当時は比売社と称していた。
蘇我氏と物部氏の戦いの際、蘇我氏方の聖徳太子がこの地に布陣して戦勝を祈願し、
戦勝後当地に観音堂を建てたという伝承がある。
豊臣大坂城の三の丸に位置し、その鎮守社として豊臣家から篤い崇敬を受けた。
戦国時代の戦火で荒廃し、慶長8年(1603年)に豊臣秀頼により社殿が再建された。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣で社殿は再び焼失し、
元和5年(1619年)に徳川幕府の大坂城代や氏子らの寄進によって再建された。
社地は元々は急崖に面していたため、少しでも平坦化するために、寛政元年(1789年)、
東横堀川の浚渫で出た土砂を町人らが運び込む「砂持」が行われた。
豊臣・徳川時代を通して大坂城の鎮守とされ、豊津稲荷社と称した。
江戸時代には伊勢参りの出発点とされた。
文久3年(1863年)11月の大坂大火(新町焼)で焼失するが、1871年(明治4年)に再建。

現在の「玉造」の社名は鎮座地の地名によるもので、一帯は古代、
勾玉などを作っていた玉作部の居住地であったという伝承がある。
現在の社殿は1945年(昭和20年)6月1日の第2回大阪大空襲で焼失した後、
1954年(昭和29年)に再建されたものである。
1986年(昭和61年)、創祀二千年を記念して境内に難波・玉造資料館が開館した。
Wikipediaより抜粋


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