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eskky28

Author:eskky28
男、46才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
原田神社へ参拝
原田神社へ参拝
平成三十年 一月七日参拝
今回は萩の寺→原田神社へ参拝させて頂きました。
大阪府豊中市中桜塚1丁目2-18に鎮座する神社です。

創建当初から祇園社と呼ばれていたらしいので、早々に牛頭天王と習合していたと思われます。
当時はかなり力のある神社だったようで川辺郡の総産土神であったと言われています。

川辺郡といえば東は吹田市江坂、西は尼崎の中北部までという、かなり広い範囲です。
産土神とはその名の通り、自分の生まれた土地の神様です。

私の産土神になると思われます。
参拝当時はそのようなことことも知らず、ブログをすることも考えていなかったので、
写真もほとんどありません。
また参拝時に色々撮らせて頂きたいと思います。

【鳥居】
201810280939320c8.jpeg


【拝殿】
201810280941045e6.jpeg


【御朱印】
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【主祭神】
須佐之男命(牛頭天王)
何かで読んだのですが、素戔嗚尊と表記する場合は、日本書記に則ったもので天津神系から
祀られた神社になるそうです。意味はみすぼらしく、卑しく、女々しく泣く男という意味だそうです。
バカにした表記ということですかね?漢字が入ってくるまでは音ですからね。漢字は当て字。
善意や悪意で漢字の表記は違うのでしょうね。
【創建】
4世紀中頃 – 5世紀末
【別名】
桜墓
桜塚神、桜塚神祠
祇園神祠、祇園社
牛頭天王社、桜塚牛頭天王
西牧総社
原田大明神
【ご由緒】
原田神社の社伝によると、桜塚古墳群の故地に4世紀中から5世紀末頃創建されたとされ、古代には素戔嗚尊など五神をまつり祇園神社と称した。 また白鳳12年(684年)6月18日に天武天皇が神宝・神鏡・素盞男命御鏡・獅子頭を奉納したことから大宮と称し、皇族や武家より厚く崇敬を受けた。 鎌倉時代以降には牛頭天王信仰と習合し、東は豊嶋郡榎坂村(現吹田市江坂)から、西は川辺郡富松村(現尼崎市富松)にわたる摂津国中西部72村の産土(うぶすな)神社となり、「西牧総社」と呼ばれ崇められた。また足利氏、殊に義澄、義晴、義輝の3代からは厚い信仰を受け、神領として西牧六車(むぐるま)の庄(桜塚・原田・曾根・勝部・走井・福井)の寄進をうけている。
天正6年(1578年)に荒木村重の兵火にかかり、境内社の十二社殿本殿及び神宝等を除き全焼。仮殿を経て慶安5年(1652年)、現在の本殿が再建された。もとは祇園社(ぎおんしゃ)とも牛頭天王社(ごずてんのうしゃ)とも呼ばれていたが、貞享2年(1685年)に神祇管領から「原田大明神」の神号を得て現在の社名となった。
江戸時代に入ると境内地は狭められていったが、境内地に接した門前町は能勢街道と伊丹街道の結節点としても栄えるようになり、この市街地が現在の岡町の基となった。明治43年(1910年)に開通したころの阪急電車の写真を見ると神社の中に岡町駅があるように見える。
近代社格制度のもと、明治に入って郷社に列格されたが、昭和16年(1941年)に府社に昇格した。
現在、神社本庁には加盟していない単立神社である。
Wikipediaより抜粋

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東光院(萩の寺)へ参拝
昨日はボルダリングを朝から夕方16時頃までしてきました。
課題入れ替え前最終日ということで頑張ってきました。
(体はあちこち痛くボロボロです。)

五級のこり4つのうち2つ残ってしまいました。
クリアした一つはおまけですが。
ゴールを片手まではいけるのですが、どうしても両手では持てなかったのです。
(両手で完全に持ててクリアなのです)

またイチから頑張ります。自分との闘いです。

平成三十年 一月七日参拝
今回は萩の寺→原田神社の順に参拝させて頂きました。
大阪府豊中市南桜塚にある曹洞宗の寺院です。
境内に萩が植えられ「萩の寺」とも称され、新西国三十三箇所第12番札所であります。

実家の近くにありますが、参拝したことがありませんでした。
御朱印を頂くようになり、前々から参拝させて頂きたかったところ、
実家で新年会で集まる機に参拝致しました。

七草粥を無料でふるまっていましたので、頂きました。
あと阪急電鉄の七福神めぐりの参拝者の団体がいらっしゃり賑やかでした。

【山門】
天保6年(1835)10月18日開扉〈六世 一雲全龍代〉
霊場萩の寺の御本尊、薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)(行基菩薩御作)の解脱門(げだつもん)として、宝歴7年(1757)6月全竜禅師によって建立された総欅(そうけやき)造りの山門です。
大正4年大阪市北区中津より現在地に移建されました。阪神・淡路大震災により大破しましたが平成7年7月に多くの皆様の善意により修復されました。
大阪時代この門前には「萩の橋」がかかり(記念碑は今も中津1丁目に現存)、大阪城代をはじめ諸大名が参詣されたと伝えられています。古来より萩の寺の代表的景観として親しまれています。
ホームペ-ジより抜粋
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【本堂】
吉祥林(きっしょうりん)・圓通殿(えんつうでん)
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【マチカネ君】
豊中市のマスコット。
確か豊中市待兼山町の地層からワニの化石が発見されたとかだったと思います。
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【道了大権現堂(どうりょうだいごんげんどう)】
祭神の道了大権現は、名を妙覚と号し、修験道の奥義を極め、神変自在の神力を現した室町時代の禅僧で、小田原の大雄山最乗寺の開山・了庵慧明(りょうあんえみょう)禅師に随身していましたが、応永18年(1411)了庵禅師遷化の翌日、山門守護を誓願、天狗に化身して神籍に加えられた仏様です。関東地方では「小田原の道了さん」と呼ばれ、畏敬され信仰されています。
天正18年(1590)、豊臣秀吉公が小田原征伐の陣中にて夢告を受け、「両翼脱落」の奇瑞を得たことから、遠く大阪の発展を願って大雄山最乗寺より勧請されました。以来、「道了祭」は大阪の名物とされ、火神商神・火盗除災・心願成就の権現様として多くの善男善女の帰崇をお受けになっています。
おまつりしている道了堂は、寺伝では小田原藩の寄進で大阪市内玉江橋付近に建てられたものを移築したもので、『摂津名所圖繪檜大成』に「道了権現祠 右同所東小田原御蔵やしき内にあり霊験いやちこなりとて詣人絶えることなし」という記事がそれに該当し、明治36年に中津本院を経て、豊中の現在地に移築されました。
ホームペ-ジより抜粋
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【本尊】
薬師如来
【創建】
(伝)天平年間(729年~749年)
【宗派】
曹洞宗
【山号】
仏日山
【御由緒】
元は大阪市北区中津にあり、1914年(大正3年)に現在地へ移転した。境内の随所に萩が植えられているため「萩の寺」と称されており、毎年9月には「萩まつり」が催される。正岡子規も当寺の萩を賞して句を残し、境内に句碑が立てられている。
天平年間(729年から749年)行基によって創建されたと伝えられ、1681年(天和元年)曹洞宗に改められたという。本堂には本尊薬師如来坐像のほか、札所本尊の十一面観音立像、西国七福神の一番とされる毘沙門天及び両脇侍像、平安時代の作で、国の重要文化財に指定されている木造釈迦如来坐像などが安置されている。
1873年(明治6年)には、大阪天満川崎(現・大阪市北区天満1丁目、造幣局一帯)にあった川崎東照宮が廃社されるのに伴い、東照宮本地堂「瑠璃殿」(現・東照閣仏舎利殿)とその本地仏である徳川家康ゆかりの厄除薬師如来坐像(現・三十三観音堂本尊)を当地に移す。
十一面観音立像は「こより観音」と通称され、1985年(昭和60年)の修理で、法華経の料紙を「こより」にしたものを衣として着せ掛けた、全国的にも珍しい仏像であることがわかった。
なお庭園「萩露園」の名称は北大路魯山人が命名したものである。
Wikipediaより抜粋

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晴明神社へ参拝
本日は朝9時から16時までサッカ-をしてきました。
日焼けと一日中だったので大変疲れました。

ボルダリングに行きだしてから現在5級の課題をクリア(あと4つ)するのを目指しています。
しかし、ボルダリングジム1周年ということで、
10/20までで課題を全てはずして入れ替えるそうなのです。
それで9月から週2で頑張ってましたが、残り4つがクリア出来ません。
難しいです。
あと少ししかないですが、最後の10/20(土)しか行けません。
奇跡を信じて最後まで頑張ってみます。


平成三十年 一月三日参拝
今回は伏見稲荷大社→御金神社→晴明神社の順に参拝させて頂きました。
京都府京都市上京区晴明町806番地1に鎮座する神社です。

晴明神社(せいめいじんじゃ)は、京都市上京区にある神社である。安倍晴明を祀る。一条戻橋のたもと(北西)にあった晴明の屋敷跡に鎮座する。全国各地に同名の神社が存在する。旧社格は村社。

地図上だとバスに乗るほどでもないと考えていたのですが、ヒザが痛む中徒歩で向かいました。
二条城から確か直線、一本道でした。帰りはバスに乗るぞと決めて頑張って歩きました。
何故、数ある神社から晴明神社なのかというと、なんとなく陰陽師といえばとか、
なんとなく五芒星に惹かれてです。神秘的に感じます。
ブログも考えていなかったので写真も少ないです。

【第一の鳥居】
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【第二の鳥居と狛犬】
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【第二の鳥居】
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【拝殿の行列】
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【晴明井】
晴明公が念力により湧出させた井戸が、この晴明井です。
病気平癒のご利益があるとされ、湧き出す水は現在でも飲んでいただけます。
水の湧き出るところは、その歳の恵方を向いており、吉祥の水が得られます。
恵方は毎年変わりますので、立春の日にその向きを変えます。ホ-ムペ-ジより抜粋
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【御祭神】
安倍晴明御霊神
【創建】
1007年
【ご由緒】
1005年に晴明が亡くなると、その時の天皇一条天皇は晴明の遺業を賛え、
晴明は稲荷神の生まれ変わりであるとして、1007年、その屋敷跡に晴明を祀る神社を創建した。
当時の境内は、東は堀川通り、西は黒門通り、北は元誓願寺通り、南は中立売通りまであり、
かなり広大であった。
しかし度重なる戦火や豊臣秀吉の都市整備などにより次第に縮小し、社殿も荒れたままの状態となった。
幕末以降、氏子らが中心となって社殿・境内の整備が行われ、
1950年には堀川通に面するように境内地が拡張された。
平成になると、漫画化・映画化もされた夢枕獏の小説のヒットにより、
主人公である 安倍晴明のブームが起こり、全国から参拝者が訪れるようになった。
晴明歿後千年となる2005年には安倍晴明千年祭が行われた。
2017年に二の鳥居の社号額が新調され、
1854年(安政元年)に土御門晴雄により奉納されたものを忠実に再現したものとなった。
Wikipediaより抜粋


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御金神社(京都)
平成三十年 一月三日参拝
今回は伏見稲荷大社の後に御金神社に参拝させて頂きました。
京都府京都市中京区西洞院通御池上る押西洞院町618番地に鎮座する神社です。

世界文化遺産・二条城の近くの閑静な住宅街の中に黄金の鳥居があります。
「御金」と書いて「みかね」と読みます。

伏見稲荷大社からの参拝帰りの下りで、ヒザを痛めてしまったので
びっこ引きながら歩きました。特に辛かったのが駅の下りの階段でした。
スマホのナビをみながら、二条駅で降りました。

近くまでくると行列ができていました。お正月だからなのか参拝できるまで
90分ぐらい並んだと思います。(記憶はかなり薄いので不確かですが)

社殿の奥にあるイチョウの木は、京都市内でも有数の巨木。
御金神社の神木とされていることから、イチョウの形をした絵馬が奉納され始めたそうです。
参拝に並んでいると前か後ろの人達が話しているのが聞こえたのですが、
冬にイチョウの葉がすべて散ると、木のてっぺんに2匹の龍の形をした枝が見えるそうです。
夫婦龍だそうです。
私は見るのを忘れていました。

【黄金の鳥居】
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【福財布】
この福財布の中に宝くじやお金を入れておくと、宝くじがよく当たる、お金が増えると何かで読みました。
御利益は1年間ということです。御金神社のイチョウの葉っぱも入れておくそうで頂いてきました。
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6月にtotoというサッカ-くじを購入して福財布に入れておきました。
スポ-ツ振興くじで、確か集まったお金はスポ-ツ振興に使われるはずです。
本日、福財布の写真を撮るので中身を取り出してけ結果発表を確認しました。
数字が小さくて確認するのが、すごく見ずらく気持ち悪くなりました。
最後の1枚が、大体数字が一緒やなあと思いながら、3回くらい確認しても2つ違いでした。
これはもしかしてと思いました。そしてなんと『3等』が当たっていました。
とはいうものの、miniBIGというもので、当選金『3,980円』でした。確か元手が1,000円くらいだったと思います。
額は小さいですが、宝くじは普段あまり購入しないので(年に1度購入するかしないかです)
びっくりです。お礼詣りを兼ねて黄金の御朱印を頂きに行きます。もちろん福財布も。


【御朱印】
ネットで拝見した黄金の御朱印を頂きたかったのですが、一月以外に頂けるそうです。
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【御祭神】
【主祀神】金山毘古神 = 金山彦命(かなやまひこのみこと)
      本来は金神、天地金乃神
【配祀神】天照大神(あまてらすのおおみかみ)
      本来は丑寅(東北)の方角の日乃大御神
      月読神(つきよみのかみ)
      本来は未申(西南)の方角の月乃大神

『古事記』では金山毘古神、『日本書紀』では金山彦神と表記する。
金山毘売神(かなやまびめのかみ、金山姫神)と対になるともされる。
神産みにおいて、イザナミが火の神カグツチを産んで火傷をし病み苦しんでいるときに、
その嘔吐物(たぐり)から化生した神である。
『古事記』では金山毘古神・金山毘売神の二神、
『日本書紀』の第三の一書では金山彦神のみが化生している。
岐阜県垂井町の南宮大社(金山彦神のみ)、南宮御旅神社(金山姫神のみ)、
島根県安来市の金屋子神社、宮城県石巻市金華山の黄金山神社、
京都府京都市の御金神社及び幡枝八幡宮末社の針神社を始め、全国の金山神社で祀られている

【創建】
明治十六年(1883)
【ご由緒】
現在は、金色の鳥居など黄金色に飾られた神社で、お金に纏わる神社として、
資産運用や証券取引等の成功を願ったり、競馬競輪などでの勝利や、
宝くじ等の当選を願う絵馬が大量に奉納されている。
本来は建築金型と建築設計、造船など、建築に関わる金型を奉納する。
御金の「金」は金属の意味。
しかし、この神社の創建者田中庄吉は、現在の金光教の布教者である初代白神新一郎によって
金光教に入信し、京都で布教を行い、500人を越える信者が従った高徳な布教者だった。
御金神社はその組織を公認のものとするために
金乃神の金にちなんだ美濃の南宮大社の祭神である金山彦命を祀る神社として、
1883年10月6日に京都府知事の認可を得て創建された。
1888年には神道教会所属御金教会所を設立するが、
金光教が独立する段階で行われた講社結集運動には加わることはなかった。
現在は、金光教との関わりもなくなり、「金乃神」=いわゆる「金神」の宮としての活動もない。
ただ、金光教本部にあった金乃神社同様に「金山毘古神」に加えて、日天四・月天四に相当する、
「天照大神」と「月読神」も祭神であるところや、「金神」に関わる、建築、転宅、方位、
厄除け等の神としての働きに名残が見られる。
Wikipediaより抜粋


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