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eskky28

Author:eskky28
男、46才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
卑弥呼の墓?八倉比売神社(阿波国一宮)へ参拝
平成三十年 四月二十九日に参拝

八倉比売神社(正式名称:天石門別八倉比売神社)に参拝させて頂きました。
徳島県徳島市国府町矢野531に鎮座しています。
鎮座する杉尾山自体を神体とする。

式内大社・阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ。
旧社格は県社。
他の論社は上一宮大粟神社、一宮神社であります。

創建の年代は不詳であるが、社伝には天照大神の葬儀の様子が記されている。
社殿裏手には五角形の磐座がある。一説には卑弥呼の墓であるという。
近くに「天の真名井」と呼ばれる井戸があり、現在は「大泉神社」として祀られている。
Wikipediaより抜粋

こちらも阿波国一宮。「天照大神の葬儀の様子や卑弥呼の墓があるなんて
歴史も古そうで本当は一宮はこちらなのかな?」とか、「そういえば剣山も
イスラエルの失われたア-クが隠されているな」とか、を思いながら向かいました。

大麻比古神社から車で40分ぐらいだったと思います。
スマホナビで近くまでくると鳥居があったのですが、駐車場がなかったので
参道横の道路を車であがっていくと(丘みたいになっていました)
突き当たりに「弥生時代頃の住居を再現したような公園」の
駐車場に着きました。30台くらい停められる無料の駐車場でした。

神社がどこにも見あたらなかったので、そこに車を停めて歩いて鳥居のほうへ
向かっていると参拝帰りっぽいおばあさん(ご近所っぽい感じでした)に神社はどこに
あるのですか?と伺ったら別れ道をまだ上って行くとおっしゃっていました。
「おみくじを引きなさい」と言われてたので、普段は引かないのですが引きました。

『大吉』でした。全て大吉なんかな?とも思いましたが素直に嬉しかったです。

駐車場もあるということなので車で向かいました。
鳥居のところで邪魔にならないように無理矢理停めていると、
地元のおじさん(私もおじさんですが60くらいの方でした)が、
参拝から帰られてきて、私に「いろいろ調べてきたのかい?
(そのとき私はクリアファイルを持っていました)
霊感ある?奥の院の五角形の石積の祭壇は凄いよ」と教えて下さいました。

もちろん、「霊感はないです、霊感あるんですか?」と聞いたら
おじさんもないと言ってました。
「ないんかい!」と心の中で突っ込んでいました。

ひと気のない場所でひとりでいると、なんか気持ち悪い、
怖いときもありますよね。特に夜など。それは霊感ではない?ですよね。


鳥居から急な石段になります。5分くらい急な石段を上ったと思います。
上りきって、左手の手水舎で清めて、拝殿で参拝をし、隣の稲荷社に参拝をして
さあ写真撮らせて頂こうと思ったら、スマホを車に忘れてきてしまいました。
ナビとしてメ-タ-横に置いたままでした。

また、あの急な石段を下りて上るのか-とガクっとなりました。
『膝が無事でありますように』と祈りながら取りに行きました。
無事境内に戻って来れ、写真撮影をしてから奥の院の五角形の石積の祭壇
に参拝してまいりました。


【邪馬台国四国説】
邪馬台国が徳島にあったという説については、昭和51年(1976年)に
発刊された『邪馬壱国は阿波だった』において本格的に紹介された
(邪馬「臺」国ではなく、誤字とみなされていた「壹」にすることで“やまい”と読ませて、
阿波との関連性を高めている)
四国説では、天照大神=卑弥呼とみなし、高天原も阿波にあるという展開となっている。
また「魏志倭人伝」に記載されている方角や距離などの条件に
最も合うのが四国であるということも、根拠としている。

【八倉比売神社  鳥居】
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【八倉比売神社  黒木鳥居?】
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【八倉比売神社  鳥居の扁額】
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【八倉比売神社  急勾配の石段】
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【八倉比売神社  境内】
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【八倉比売神社  「あ」の狛犬】
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【八倉比売神社  「うん」の狛犬】
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【八倉比売神社  手水舎】
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【八倉比売神社  拝殿と拝殿前の狛犬】
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【八倉比売神社  拝殿】
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【八倉比売神社  拝殿前「あ」の狛犬】
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【八倉比売神社  拝殿前「うん」の狛犬】
2018053023481479c.jpeg


【八倉比売神社  本殿】
この写真では分かりにくいですが、神陵を削って本殿を建てています。
201805302353018bf.jpeg


【八倉比売神社  稲荷社】
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【八倉比売神社  奥の院】
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【八倉比売神社  奥の院 五角形の石積の祭壇】
卑弥呼のお墓?
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【八倉比売神社  御朱印】
神社からは少し離れた家が社務所になっていました。
201805310005013aa.jpeg

【御祭神】
八倉比売命 - 天照大神の別名であるとする、大日孁女命
【創建】
不詳
【ご由緒】
数ある邪馬台国論争の中に、「邪馬台国は阿波だった」
という邪馬台国阿波説がある。
その根拠や検証の過程は割愛するが、その説によると、
邪馬台国の女王卑弥呼の陵墓は徳島市の矢野神山(気延山)
南陵の八倉比売神社にあるという。
八倉比売神社は、正しくは正一位延喜式官幣大社天岩門別八倉比売神社
(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)といい、
祭神は天照大神。邪馬台国阿波説によると、卑弥呼とは“日の巫女”であり、
大日霊女命(おおひるめのみこと)、つまり八倉比売神社の祭神天照大神のことだと説いている。
矢野神山自体をご神体とし、山や岩、
木に神が宿るとする古代信仰の形を今に伝えている。
この矢野神山には200基近い古墳があり、
江戸時代、神陵(古墳)の一部を削り本殿を造営。
この本殿裏の神陵(古墳)が卑弥呼の陵墓だと伝え、
神社に伝わる由緒には、塚に“金印”が埋められたことまで記されているという。
後円部の直径は約35m、頂上部には五角形の祭壇が築かれ、
祭壇の上には永遠の生命を象徴するという鶴亀の石が祭られている。


実は、八倉比売神社も古墳の上に建てられており、前方後円墳の前部分に社殿が、
そして後ろにあたる円墳部分は奥の院となっている。
この奥の院には、五角形の石積みの祭壇が置かれ、
その上には“つるぎ石”と呼ばれる石が収められた祠がある。
この祭壇は一説によると“卑弥呼の墓”であり、
この阿波一帯こそが邪馬台国であると言われている。
真偽はともかく、この青石で造られた祭壇の異質ぶりは一見の価値があるだろう。

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ボルダリングに挑戦
平成三十年 五月二十六日に挑戦

昨日二回目のボルダリングに挑戦してきました。


家から車で30分ぐらいの神崎川駅近くにある
「クロニコ」というクライミングジムに行ってきました。

三月後半にも私の家族と仲良くして頂いてる家族の
二家族でボルダリングに初挑戦していました。
半分子供たちを見ていたので、皮がむけたり、
筋肉痛もおこらず、みんなで楽しかったです。

しかし今回はこのジムを教えてくれた方と二人で
行ったので、休憩しますが常に自分の順番になります。

肩まわり、腕全体が程よく筋肉痛です。
手のひらの指3本の皮がめくれて、
水に触れると非常に痛いです。

でも何回もチャレンジしてできなかったのが、
ゴ-ルできたときの達成感がたまりません。


今回は何度やっても出来なかったコ-スなのですが、
2時間制の時間目一杯、手に力がなく、最後の1本だと思ったのが
本当に最後にゴ-ルが出来き、たまりませんでした。

とりあえず次回もやってみたいです。

頭と体を使い健康にすごく良いと思います。
そして年齢、性別、体系関係なく楽しめると思います。

ボルダリング後に手を洗う時に思わず叫びました。
家の風呂でシャンプ-も手のひらで洗い、
洗顔と体は洗うのを諦めました。


【ボルダリングとは】
カラフルでいろんな形の石がついている壁を
よじ登っていくスポ-ツですた。たぶんそのはずです。

スタ-トの石を両手で持ちます。
決められたコ-スを
①手だけ指定された石を持って、足は自由。コースによりますが比較的簡単です。
②手と足を指定された石のみで、ゴ-ルの石を目指します。
ゴ-ルの石を両手で持ってゴ-ルです。

難易度
石の形、サイズ、壁の斜度によりピンキリです。
小さい石だと手の指だけで支えたり?どうやるのか分かりませんが。
90 度でも大変なのに、手前に傾いている壁もあります。しかも角度も弱、中、強ありました。

【ボルダリングの壁 寄った写真】
私が手こずり、最後にゴ-ルできた黄色の5番のコ-ス。
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【ボルダリングの壁 引いた写真】
手と足両方、黄色の5番のコ-ス。
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【ボルダリングジムのインスタ写真】
一緒に行った方が送ってくれました。一緒に行った方がチャレンジ中。私は休憩しながら見学。腕がパンパンです。
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【ボルダリング後の手の平皮メクレ】
見た目はそうでもないですが、濡れるとすごく染みて痛いです
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大麻比古神社(阿波一宮)へ参拝(徳島)
平成三十年 四月二十九日参拝

大麻比古神社(阿波一宮)へ参拝させて頂きました。
徳島県鳴門市大麻町板東字広塚13に鎮座しています。
式内社(名神大社)、阿波国一宮。
旧社格は国幣中社で、現在は神社本庁の別表神社。

通称として「大麻さん」とも呼ばれ、阿波国・淡路国両国の総鎮守として、
現在は徳島県の総鎮守として信仰を集める。
境内は大麻山県立自然公園に指定されている。

『主祭神 大麻比古大神』
大麻比古大神とはアマテラスを岩戸から出すときに、鏡を見せたり、
ニニギとともに天孫降臨したといわれている天太玉命(フトダマ)のことであります。

『何か新しいものをスタ-トさせるときに、勇気を授けてくれるのと同時に
「やり遂げる」「結果を出す」というパワ-を与えてくれる』

合田道人著の「神社の謎」に書いてあったと思います。
(手帳に書き出してあったのですが、本で確認できなかったです)

G.W中に日帰りで神社へ参拝させて頂こうと思い、行き先を検討していました。
阿波一宮は大麻比古神社だけとしか思っていなかったのですが、
下調べで3社あることが分かりました。

これは3社を参拝させて頂くご縁を頂いたかなと思いました。
「大麻比古神社」「八倉比売神社」「上一宮大粟神社」の3社を参拝させて頂くことに決めました。

せっかくなので、徳島と淡路島の一宮に参拝させて頂き、レイラインの太陽の道である
「伊勢久留麻神社」も参拝させて頂きたいなと思いました。
(東の伊勢神宮から来た太陽が伊勢久留麻神社に到達し、さらに西の伊弉諾神宮まで行くのです)
御朱印を頂くには近くの松帆神社に参拝させて頂かなければなりません。

後、伊弉諾命・伊弉冉命の国生みの聖地と伝えられる丘にあり、古くから「おのころ島」と親しまれている
「おのころ島神社」も参拝させて頂きたいです。


G.Wですが朝早く出発すれば混雑しないので、朝6時30分出発→8時30分頃「大麻比古神社」に
到着しました。

しかし、阿波一宮を3社巡るとかなり時間が過ぎ、予定通りにはいかず淡路島では2社だけの参拝に
なってしまいました。

次回、淡路島だけをたくさん巡りたいと思います。

【大麻比古神社  第一の鳥居】
まだここから鳥居をくぐって車で3分くら走ります。参道の両脇はずら-っと灯篭が並んでいました。
私の愛車(セラちゃん)のアクセラ(白)は左手に停めています
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【大麻比古神社  第一の鳥居 社号碑と扁額】
私の車ではありません
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【大麻比古神社  第一の鳥居  「あ」の狛犬】
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【大麻比古神社  第一の鳥居  「うん」の狛犬】
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【大麻比古神社  第二の鳥居】
駐車場にあります。無料で30台ぐらい停めることが出来そうでした。
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【大麻比古神社  第二の鳥居にある「あ」の狛犬】
前掛けつけていますね(今まで気にしてみていなかったですが,、初めてみたかもです)
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【大麻比古神社  第二の鳥居にある「うん」の狛犬】
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【大麻比古神社  手水舎】
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【大麻比古神社  御神木全体】
樹齢約千年の楠
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【大麻比古神社  御神木左側】
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【大麻比古神社  御神木裏側】
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【大麻比古神社  鳥居?と拝殿】
徳島と淡路島では、このかたちの鳥居が多いのですかね。新鮮でした。
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【大麻比古神社  拝殿傍の「あ」の狛犬】
凄く古そうでした。
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【大麻比古神社  拝殿傍の「うん」の狛犬】
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【大麻比古神社  心願の鏡池】
大麻比古神社内にあるこのミニチュア石橋は約75年前
当時近くにあったドイツ兵俘虜収容所の兵士達が造った橋として残されています。
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【大麻比古神社  ドイツ橋】
第一次世界大戦当時、坂東俘虜収容所で捕虜生活を過ごしたドイツ兵士が、
すぐれた母国の土木技術を生かして大麻比古神社境内の丸山公園に造った橋で、
日独両国民の友情の架け橋として大きな役割を果たしています。
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【大麻比古神社  御朱印】
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【御祭神】
主祭神 大麻比古神 - 天太玉命(あめのふとだまのみこと)のこととされる
配祀神 猿田彦大神 - 古くから大麻山に祀られており、のちに合祀されたされる
【創建】
(伝)神武天皇年間
【ご由緒】
社伝によれば、神武天皇の御代、天太玉命の御孫の天富命が阿波忌部氏の祖を率いて
阿波国に移り住み、麻・楮の種を播殖してこの地を開拓、
麻布木綿を生産して殖産興業と国利民福の基礎を築いたことにより
祖神の天太玉命(大麻比古神)を阿波国の守護神として祀ったのが当社の始まりだと言う。
『日本三代実録』貞観元年(859年)1月27日の条によれば、
当社は従五位下から従五位上へ神階が陞叙されている。
『日本三代実録』の記事によれば、さらに当社は貞観9年(867年)4月23日の条で正五位上、
元慶2年(878年)4月14日の条で従四位下、
元慶7年(883年)11月1日の条で従四位上に神階を進めている。
延長5年(927年)には『延喜式神名帳』により式内社、名神大社へ列格された。
平安時代から鎌倉時代にかけて、神仏習合思想に基づき神社を実質的に運営する
神宮寺が各地で置かれたが、『諸国一の宮』では四国八十八箇所の第一番札所霊山寺が
当社の神宮寺であったと述べている。しかし、『中世諸国一宮制の基礎的研究』では、
別当寺は不詳であるとしている。
『朝野群載 巻6』には、神事に過穢があったことにより阿波国の大麻神が祟り給うたので、
使者を遣わし中祓いを科して祓い清めるべしとの承暦4年(1080年)6月10日付けの
神祇官奏上が記載されている。
室町時代に成立したとされる『大日本国一宮記』には当社が阿波国一宮として記載されているが、
『中世諸国一宮制の基礎的研究』[3]では、南北朝時代に、
伝統的な社格を誇り細川氏の守護所にも近かった当社が、
敵対勢力であった一宮氏が神主を世襲していた一宮神社に代わる
新たな阿波国一宮としての地位を得ることになった、と考察している。
『全国一の宮めぐり』[4]によれば室町時代には細川氏や三好氏、
江戸時代には徳島藩主蜂須賀家の庇護を受けたとしている。
また、享保4年(1719年)には最高位の正一位の神階が陞叙されている。
明治6年(1873年)に国幣中社へ列格し、明治13年(1880年)に本殿以下が国費を持って造営された。


ドイツ橋
大正8年(1919年)、本殿の裏に石築アーチ橋が竣工した。この橋は第一次世界大戦の捕虜として板東俘虜収容所に収監されていたドイツ兵が帰国の際に彼らの提案と工事により建設されたことから、ドイツ橋と呼ばれている。
Wikipediaより抜粋



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青岸渡寺と飛瀧神社へ参拝(和歌山)
平成三十年 五月四日参拝

前回に引き続いて、青岸渡寺と飛瀧神社へ参拝させて頂きました。
熊野那智大社の拝殿隣に青岸渡寺(西国三十三所第一番札所)、
徒歩15分ぐらいで別宮の飛瀧神社(那智御瀧)が鎮座しています。

【西国三十三所】
はじまりは718年で巡礼最古とのことです。

平成30年(2018年)に西国三十三所は草創1300年を迎えます。
それに伴い、2016年~2020年までの5年間に、各札所で普段は非公開の
お堂や諸尊のご開帳や庭の公開、寺宝の観覧、月1回1札所で特別な御朱印をいただく巡礼など
草創1300年を記念する行事が多数あるそうです。
特別な年となるこの機会に西国三十三所の札所を参拝する旅へお出かけくださいとのことです。

718年、長谷寺の徳道上人が仮死状態で閻魔大王と会い「悩める衆生を救う為、
三十三所の霊場巡りを広めよ」と託宣を受けたことに始まり、
33の霊場を設けるも当時はあまり普及せず…。
約270年後、託宣を受けた花山法皇自ら巡礼したことで人々に普及し、現在も親しまれています。


【飛瀧神社(那智御瀧)】
那智の奥、大雲取連山から流れている流水が大滝となっており、
全山に那智48滝と申すように数多の滝があり、一番高いのが那智御瀧です。

御瀧そのものを大己貴命が現れた御神体としてお祀りしております。
熊野の神様は元々ここでお祀りされていました。


私の左膝もそろそろ限界が近くなってきてそうです。
鈍い痛みが少しで出してきました。重たい感じです。

階段の下りはゆっくりと半身で下りました。


晩御飯に地のマグロ定食を食べて、帰りは4時間ちょっとかかるので、
夜食として地のめはり寿司(高菜の葉を巻いたおにぎりなものでした)を購入して
帰りました。
多分19時過ぎにでて23時30分頃家に到着しました。
渋滞もほとんどなく熊野の山のど真ん中を通って帰りました。


今回の日帰り熊野三山巡りでは、時間的に諦めましたが、
次回は『花の窟(いわや)神社』にも参拝させて頂きたいです。
イザナミの御陵があります。この神社には社殿はなく、
窟そのものが御本殿であり御神体となっています。

【西国第一番 なちさん霊場の石碑】
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【青岸渡寺  山門】
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【青岸渡寺  階段左手にある回転する石】
回転させながら上ると良いと何かで読んだのですが、覚えていません。
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【青岸渡寺  本堂】
こちらも改修工事していました。
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【青岸渡寺  御朱印】
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【青岸渡寺から飛瀧神社に向かう途中】
ネットでおススメされていた「黒飴ソフトクリーム」非常に美味しかったです 見晴亭 青岸渡寺から歩いてすぐ
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【青岸渡寺  三重塔と那智の滝】
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【飛瀧神社  第一の鳥居】
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【飛瀧神社  第一の鳥居の扁額】
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【飛瀧神社  那智御瀧 世界遺産の石碑】
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【飛瀧神社  那智御瀧と鳥居】
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【飛瀧神社  那智御瀧】
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【飛瀧神社  那智御瀧への道のパワ-スポット】
すさまじいパワ-スポット、両手広げて深呼吸して霊気を取り込むと
良いと江原啓之氏の本『神紀行』に載っていました。
私は忘れていて霊気を取り込んでないです。
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【飛瀧神社  御朱印】
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【熊野那智大社  熊野牛王 御神符】
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【まぐろ専門店!「桂城(かつらぎ)」】
ネットでおススメされてました。約1時間待ちました。熊野那智大社から車で15分くらいのところです。駐車場あります。
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【まぐろ定食 1,600円】
刺身3切れすべて食べてから写真に撮りました。つい忘れてしまいます。
マグロカツ、マグロの鉄板焼き、マグロのそぼろ?お味噌汁もマグロの骨付き?
地元で上がったマグロとのことです。非常に美味しかったです。
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『青岸渡寺』
【山号】
那智山
【宗旨】
天台宗
【本尊】
如意輪観音菩薩
【創建年】
伝・仁徳天皇治世(4世紀)
【開基】
伝・裸形上人
【札所等】
西国三十三所第1番
神仏霊場巡拝の道第2番
東海近畿地蔵霊場特別
東海白寿三十三観音特別
【文化財】
本堂、宝篋印塔、那智山経塚出土品8点(重要文化財)、熊野三山(史跡)
【ご由緒】
熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、
青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。
伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、
同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。
後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、
丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。
以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。
中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、
如意輪堂と称されたその堂舎は、那智執行に代表される社家や
那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。
(Wikipediaより抜粋)


『飛瀧神社』
【御祭神】
大己貴神
【創建】
不詳
【ご由緒】
那智の奥、大雲取連山から流れている流水が大滝となっており、
全山に那智48滝と申すように数多の滝があり、一番高いのが那智御瀧です。
一の瀧とも申し、高さ133m・銚子口の幅13m ・瀧壺の深さは10m以上あり、
流下する水量は普通毎秒1トン程度といわれています。
この滝の上流には二の滝、三の滝があり総称して那智の大滝とされ、国の名勝になっています。
また下流には滝修行で有名な文覚滝(もんがくのたき)があります。
水は生命の母と申し、那智山信仰の根元であります。古来、延命長寿の信仰が篤く、
数多の滝修行者や参拝の人々が詣で、今日もこの御瀧の水は延命長寿の水として尊ばれています。
(Wikipediaより抜粋)

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熊野那智大社へ参拝(和歌山)
平成三十年 五月四日参拝

熊野那智大社へ参拝させて頂きました。
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1に鎮座しています。
熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。
かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。
また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。
熊野那智大社の社殿および境内地は、
ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』
(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部。(Wikipedia)


御創建1700年とのことです。

主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)
夫須美(ふすみ)とは「むす」という生成発展を意味する言葉であり、
同時に「結(むすび)」という意味を持っています。
このため、かつては「結宮(むすびのみや)」という通称で呼ばれていました。
他の二山と違い、御滝の神様を併せ祀っているため一柱多く神様を奉斎しています。
元々は御滝の近くで祀られていましたが、約1,700年前に現在の場所に遷りました。

右側から参拝すると本で読んだのですが、現在工事中につき拝殿からの
参拝のみでした。

前回からの続きです。

予定では熊野速玉大社を13時30分に出発し、熊野那智大社の大門坂駐車場に
14時30分頃着、14時40分頃参拝に出発の予定でした。
2約時間の参拝コ-スの予定をしていて、御朱印が頂けるのが16時30分までだと
思うのでギリギリのスケジュ-ルでした。


それなのに神倉神社の駐車場で待ち、忘れ物をして神倉神社から熊野速玉大社に取りに戻り、
熊野速玉大社の駐車場は、離れの河原で奥の方に停めて、国道までは渋滞でした。

スマホのナビを那智大社に設定すると熊野速玉大社から1時間15分くらいでした。
(混雑ないと45分ぐらいのはずでしたが)
時刻はちょうど14時でした。
「熊野那智大社の3社目の御朱印は、諦めなしゃ-ないか」
「廻れるだけ参拝しよう」
と車を走らせました。

すると大門坂までは混雑なくスム-ズに行けました。
時刻は14時30分。「ギリ間に合った」
無料駐車場も順番待ち2台目で、5分ほど待って停めることが出来ました。

渋滞は大門坂から先の熊野那智大社の駐車場までが、大渋滞でした。


石畳が美しい「大門坂」を上り、熊野那智大社、
の滝へと向かう「おいしいとこ取り」のコース。
大門坂入口から熊野那智大社へは石段の上りとなりますが、
約1.3km・約40分と距離も短く、杉木立に囲まれた苔むした石段は、熊野古道の雰囲気も満点。

大門坂~熊野那智大社・那智の滝 距離:約2.5km 歩行時間:約1時間
※但し、散策時間を含めると、大門坂駐車場~大門坂~那智山~大門坂駐車場に戻るまで、
余裕をもって、約2時間半から3時間ほどの所要時間をお見込みください。
(わかやま観光情報)


【熊野那智大社  熊野古道、大門坂の石碑】
熊野古道がはじまります。
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【熊野那智大社  熊野古道の鳥居】
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【熊野那智大社  熊野古道の夫婦杉】
たまたまご夫婦で通られていました。夫婦杉といい感じですね。
意識して撮っていなかったです。
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【熊野那智大社  熊野古道の夫婦杉を振り返って】
表と裏で表情が違いますね。
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【熊野那智大社  熊野古道の階段】
熊野古道って感じですね。
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【熊野那智大社  第一の鳥居】
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【熊野那智大社  社号碑】
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【熊野那智大社  扁額】
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【熊野那智大社  御祭神の看板】
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【熊野那智大社  第一の手水舎】
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【熊野那智大社  第一の手水舎 龍の口】
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【熊野那智大社  第二の鳥居と階段】
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【熊野那智大社  「あ」の狛犬】
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【熊野那智大社  「うん」の狛犬】
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【熊野那智大社  第二の鳥居】
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【熊野那智大社  第二の手水舎】
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【熊野那智大社  第二の手水舎 龍の口】
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【熊野那智大社  拝殿】
工事中でした
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【熊野那智大社  御縣彦社】
御祭神は建角身命 八咫烏を祀る社
八咫烏(やたがらす)は熊野の神様のお使いである、三本足の烏です。
より良い方向へ導く、お導きの神様とされ、熊野那智大社の境内にある
御縣彦社(みあがたひこしゃ)でお祀りされています。
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【熊野那智大社  日本一大きなおみくじ】
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【熊野那智大社  御神木】
大クスの胎内くぐりができます。
樟霊社(しょうれいしゃ)樹齢約850年の樟を御神木として祀っています。
幹が空洞化しており、護摩木(300円)を持って通り抜けることが出来ます。
平重盛の御手植えと伝わっています。
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【熊野那智大社  御朱印】
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【熊野那智大社  御縣彦社  御朱印】
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【御祭神】
『上五社』
第一殿   瀧宮 大己貴命(飛瀧権現) 千手観音
第二殿 証誠殿 家津御子大神、国常立尊 阿弥陀如来
第三殿  中御前 御子速玉大神 薬師如来
第四殿 西御前 熊野夫須美大神(伊邪那美大神)千手観音
第五殿 若宮 天照大神 十一面観音
『中四社』
第六殿 八社殿
禅児宮 天穂耳命      地蔵菩薩
聖宮     瓊々杵尊 龍樹菩薩
児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
子守宮 鵜葦屋葦不合命 聖観音

『下四社』
第六殿 八社殿
一万宮・ 十万宮 国狭槌尊、豊斟渟尊     文殊菩薩、普賢菩薩
米持金剛 泥土煮尊          釈迦如来
飛行夜叉 大戸道尊 不動明王
勧請十五所 面足尊     釈迦如来
【創建】
不明(伝仁徳天皇5年)
【ご由緒】
『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』によれば
孝昭天皇の頃にインドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀ったとされ、
また『熊野略記』では仁徳天皇の頃に鎮座したとも伝えられるが、
創成の詳細は不明。
熊野那智大社は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、
山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後である。

一説には、那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓の地だった那智滝が聖地化し、
夫須美神が勧請されて当社が滝本で創建されたともいう。

祭神は熊野夫須美大神であるが事解男命(事解之男神)とする説がある。
その熊野夫須美大神は伊邪那美神とされるが、熊野久須毘命とする説もある。
(Wikipediaより抜粋)



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神倉神社(熊野速玉大社の元宮)に参拝
平成三十年 五月四日参拝

神倉神社(熊野速玉大社の摂社、元宮)に参拝させて頂きました。
和歌山県新宮市神倉1-13-8に鎮座しています。
熊野三山の一山である熊野速玉大社の摂社。
境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である。


【神倉神社】
熊野速玉大社の摂社になります。
知る人ぞ知る場所の穴場スポットと思われるかもしれませんが、
実はここは強力なパワ-スポットなのです。

神倉山に鎮座し、御祭神の熊野大神が最初に降臨された
聖地であり速玉大社の旧宮であります。


急勾配の石段を一人一人たいまつを持って一斉に駆け降りる勇壮な『お燈まつり』が有名です。


『熊野権現垂迹縁起』によると
現在は熊野速玉大社の境外摂社という扱いとなっているが、
神倉神社はこの周辺でも古社の一つとして数えられる神社である。
 記紀によると、神武東征の時、紀伊に上陸した神武天皇の下へ
高倉下(タカクラジ)という者が神剣フツミタマを献上したとされる。
この剣は高天原より霊夢によって遣わされたものであり、
これによって神武東征は成功することになる。
この剣を献上した高倉下がこの神倉神社の祭神である。



538段の急勾配な鎌倉時代の石段
(段差もまちまちで急勾配なのでリュックなど両手を空けていた方が良いです)
を上りきると、巨大な御神体の「ゴトビキ岩」が目の前に現れます。
写真では見てましたが、「こんなにも大きな岩が凄いところにあるんんだな」
と感激しました。
約15~20分上ります。朝から玉置山山頂、熊野本宮大社を
参拝しているので、足が結構きだしています。

登りより下りの方が楽なのですが、膝に負担がかかっていそうです。

急勾配なので下りは少し怖いので、ゆっくりと降りました。

去年の11月にサッカ-で左膝を痛めていたので、
少し心配でした。しかし、とりあえずまだ大丈夫でした。

奮発して買ったワコ-ルのCWXというタイツ(テーピング効果のあるスポ-ツ用)
を履いて参拝しています。


熊野速玉大社から徒歩約10分(私は車で移動しました。
少し渋滞で、無料駐車場もあるのですが満車でした。
運よく5,6分待ちで駐車できました。徒歩がおススメです)


次に熊野那智大社へ向かうのに私の手帳がないことに気づきました。
多分、熊野速玉大社に置き忘れしてきたなと思いました。
戻っていると時間的に厳しいので、諦めようかとも思ったのですが取りに戻ることにしました。

最悪無くなっても良いのですが、スケジュールや
下調べ(熊野以外もあります)が書いてあります。

道が混んでいて、駐車場も満車で少し離れた
河原の臨時駐車場に誘導されました。
那智大社の御朱印は全部(3ヶ所)頂けなくても、
頂けるところだけでしょうがないと諦めました。


熊野速玉大社の社務所を訪ねると
預かって下さりました。
「ありがとうございます」凄く嬉しく思いました。
取りに戻って良かったです。


【神倉神社  第一の鳥居】
第一の鳥居から急勾配の階段が始まります
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【神倉神社  手水舎】
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【神倉神社  第二の鳥居】
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【神倉神社  拝殿とゴトビキ岩】
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【神倉神社  ゴトビキ岩とゴトビキ岩】
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【神倉神社  ゴトビキ岩とゴトビキ岩の間】
注連縄がありました。古代の祭祀場でしょうか?
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【神倉神社  海側からの拝殿とゴトビキ岩】
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【神倉神社  御由緒の看板】
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【神倉神社  天岩盾】
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【神倉神社  天岩盾の看板】
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【神倉神社  御朱印】
熊野速玉大社の社務所で頂けます
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【御祭神】
天照大神、高倉下命
【創建】
128年(景行天皇58年)
【ご由緒】
神倉神社は、熊野速玉大社の摂社である。
新宮市中心市街地北西部にある千穂ヶ峯の支ピーク、
神倉山(かんのくらやま、かみくらさん、標高120メートル)に鎮座し、
境内外縁はただちに断崖絶壁になっている。
山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる、
急勾配の鎌倉積み石段538段を登らなければならない。
山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも。
ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言)
と呼ばれる巨岩がご神体として祀られている。
この岩の根元を支える袈裟岩と言われる岩の周辺には経塚が発見されており、
平安時代の経筒が多数発掘され、そのさらに下層からは
銅鐸片や滑石製模造品が出土していることから、
神倉神社の起源は磐座信仰から発したと考えられている。
神倉神社の創建年代は128年頃といわれているが、
神話時代にさかのぼる古くからの伝承がある。
『古事記』『日本書紀』によれば、神倉山は、
神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)
の山であるという。
このとき、天照大神の子孫の高倉下命が神武に神剣を奉げ、
これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、
熊野・大和を制圧したとされている。
しかし、「熊野権現御垂迹縁起」(『長寛勘文』所収)には
神剣と神倉山を結びつける記述はないことから、
天磐盾を神倉山と結びつける所説は鎌倉時代以降に現れたものと考えられている。
(Wikipediaから抜粋しました)

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熊野速玉大社へ参拝(和歌山)
平成三十年 五月四日参拝

引き続き熊野速玉大社へ参拝させて頂きました。
和歌山県新宮市新宮1に鎮座しています。

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、熊野三山の一つです。
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とします。
別名イザナギノミコトとイザナミノミコトのことです。


参拝順序があります。左側から参拝します。


境内地は国の史跡「熊野三山」の一部です。
2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更された際に、
御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定されました。
2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の
構成資産・大峯奥駈道の一部です。



熊野本宮大社の河原駐車場から出発してから、
約45分ぐらいで熊野速玉大社駐車場に予定通り11時45分頃に到着しました。
(一応事前にスマホのナビで所要時間を調べていて予定を立てていました)
すぐそばの無料駐車場にすぐ駐車できました。

ここ熊野速玉大社のパワ-スポットは、
やはり「御神木のナギ」と「摂社の神倉神社」です。

【御神木のナギ】
ナギの大樹で平重盛(清盛の嫡男)の手植えです。
樹齢1000年、日本最大のナギ、国の天然記念物です。
ナギの葉を懐に入れて旅の安全を祈ったとか。
ナギの葉は避けにくく、男女や人間関係の縁を強固にするお守りになります。

【神倉神社】
熊野速玉大社の摂社になります。
実はここは強力なパワ-スポットなのです。

神倉山に鎮座し、御祭神の熊野大神が
最初に降臨された聖地であり速玉大社の旧宮であります。


神倉神社のご紹介は次回にしたいと思います。


【熊野速玉大社  鳥居と社号碑】
熊野速玉大社  鳥居と社号碑

【熊野速玉大社  扁額】
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【熊野速玉大社  摂社末社の八咫烏神社 手力男神社】
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【熊野速玉大社  摂社末社の八咫烏神社 手力男神社 御由緒の看板】
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【熊野速玉大社参詣曼荼羅(世界遺産)】
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【熊野速玉大社  御神木のナギ】
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【熊野速玉大社  「あ」の狛犬】
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【熊野速玉大社  「うん」の狛犬】
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【熊野速玉大社  手水舎】
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【熊野速玉大社  手水舎の龍の口】
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【熊野速玉大社  熊野稲荷神社】
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【熊野速玉大社  神門】
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【熊野速玉大社  境内】
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【熊野速玉大社  拝殿】
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【熊野速玉大社  御由緒の看板】
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【熊野速玉大社  御祭神の看板】
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【熊野速玉大社  御朱印】
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【熊野速玉大社  御神符 牛王宝印】
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【熊野速玉大社  特別授与品 八咫烏守の表】
ホ-ムペ-ジで一目惚れしました。初穂料700円でした。
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【熊野速玉大社  特別授与品 八咫烏守の裏】
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【熊野速玉大社  熊野もうで餅】
地元和菓子店でつくられて、限定された場所でしか販売していないそうです。
境内と駐車場の間で販売していました。こし餡でした。
購入すると旅のお守りになるナギの葉を頂けました。
食した後あわてて包装紙を写真に撮りました。
9個入りで880円で、大変美味しかったです。
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【御祭神】
『上四社』
第一殿   結宮 熊野夫須美大神(伊邪那美大神)千手観音
第二殿 速玉宮 熊野速玉大神(伊邪那岐大神) 薬師如来
第三殿 証誠殿 家津美御子大神(国常立尊) 阿弥陀如来
第四殿 若宮 天照大神 十一面観音
神倉宮 高倉下命 (本地仏なし)
『中四社』
第五殿 禅児宮 天忍穂耳命      地蔵菩薩
第六殿 聖宮     瓊々杵尊 龍樹菩薩
第七殿 児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
第八殿 子守宮 鵜葦屋葦不合命 聖観音

『下四社』
第九殿 一万宮 国狭槌尊 文殊菩薩
十万宮 豊斟渟尊 普賢菩薩
第十殿 勧請宮 泥土煮尊          釈迦如来
第十一殿 飛行宮 大戸道尊 不動明王
第十二殿 米持宮 面足尊 多聞天
【創建】
伝景行天皇58年
【ご由緒】
創建年代は不詳である。
熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、
熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる。
また、この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。
熊野夫須美大神は伊邪那美神とされる。
もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、
いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。
神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ。
穂積忍麻呂が初めて禰宜に任じられてからは、
熊野三党のひとつ・穂積氏(藤白鈴木氏)が代々神職を務めた。
(Wikipediaから抜粋しました)

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熊野本宮大社へ参拝(和歌山)
平成三十年 五月四日参拝

今回は熊野本宮大社に参拝させて頂きました。
和歌山県田辺市本宮町本宮1100に鎮座。
熊野系神社の約三千社の総本社。
平成三十年(2018年)は創建2050年を迎えます。

熊野でまず目指したいのは3つの大社です。
熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社で熊野三山と呼ばれています。

「よみがえりの聖地」と熊野三山は崇められてきました。

熊野三山を巡るのに順番は不問だそうです。
大切なのは三山をすべて参拝することだそうです。

しかし一応、正式な参拝の順番は実はあるようなんです。
熊野本宮大社→熊野速玉大社→熊野那智大社です。

都があった京都から上皇や法王、貴族などが
淀川を船で下り、大阪から歩き、熊野本宮大社から熊野川を船で下り
熊野速玉大社へ、歩いて那智川へ行き、那智川を船で上って熊野那智大社へ
参拝していたことにより参拝の順序はあるということも言われているそうです。


本宮(未来)で「未来をひらき」「来世の救済」、
速玉(過去)で「人間関係の基礎を固め」「前世の罪を祓う」、
那智(現在)で「浄化される」「現世の縁結び」


かつて「蟻の熊野詣で」と蟻の行列に例えられるほど多くの人々が
熊野三山を参拝していたそうです。
そのときに人々が踏みしめた道が熊野古道であり、熊野三山ともに
世界遺産に指定されています。



玉置神社の参拝をすませ、駐車場に戻ってくると、ほぼ満車に近くなっていました。
駐車場から神社まで徒歩約20分です。
玉置神社の売店でめはり寿司(高菜で巻いたおにぎり)など朝飯と昼飯を購入してから、
出発しようと考えていたのですが、売店はまだ閉まっていました。
(家を出るときに念のため、パンを持ってきといてよかったです)


玉置神社を8時15分頃出発し、熊野本宮大社へは
渋滞もなく、9時15分頃到着しました。
玉置山の道路は若干細い山道ですが、対向車をかわすポイントもあり
走りやすいほうだと思います。
上りは1台もすれ違わず、下りは6,7台はすれ違いましたかね。
玉置山をほとんど下ってきたところで、マイクロバスとすれ違いました。
ほぼ満席だったと思います。
たぶん宿か駅からの送迎ですかね。


後はひたすら熊野川に沿って横の国道を走ります。道幅広く走りやすいです。
そういえば、ネズミ捕りをしていました。道がすいていたら危なかったです。
(混んではないですが、そこそこ車は走っていました)


すでに本宮大社そばの駐車場は満車で、河原の臨時駐車場に案内されました。
徒歩五分位離れた所です。
しかしあの大斎原(おおゆのはら)からの帰りは
逆に近くなります。


永遠の聖地!大斎原(おおゆのはら)
日本一高い大鳥居(高さ33.9m、横42m、鉄筋コンクリート造、平成12年完成)が建っています。
私は写真でしか見たことがなく、緑の自然の中にドカンと佇む姿に
凄く驚きました。
「スゲ-かっこいい」と思いました。

熊野川の中洲にある本宮大社の旧社地です。
明治22年に未曾有の大水害で社殿が流されるまでは
この地に鎮座していました。
上四社だけは被害を免れ現在地に移転されました。

一万坪以上の神域を誇る一大聖地であったとか。

江戸時代までは中洲への橋がなく、参拝者は
歩いて川を渡り、自然と水で身を清めてから詣でて
いたといいます。

かつて熊野本宮大社があった大斎原には二基の石祠が建てられ、
左側に中四社下四社を、右側に境内摂末社の御神霊をお祀りしています。



参拝順序
熊野本宮大社→産田社→大斎原
(ホ-ムペ-ジに掲載されていました)

熊野本宮大社
(向かって左側から順に第一殿、第二殿、第三殿、第四殿、満山社)

参拝順序があるので気をつけます。
①証誠殿(本宮・第三殿) 家津美御子大神(素戔嗚尊)
②中御前(結宮・第二殿) 速玉大神
③西御前(結宮・第一殿) 夫須美大神
④東御前(若宮・第四殿) 天照大神
⑤満山社         結ひの神(八百萬の神)
(ホ-ムペ-ジに掲載されていました)

注意しなければいけないのは、神門をくぐると
写真撮影は禁止でした。
知らずにパシャパシャ撮っていました。
「すいませんでした」

参拝をすませて、神門を出て御朱印をしまうのに神門近くの
ベンチにいくときに禁止の看板があることが分かりました。

大斎原も大鳥居から中は禁止になっていました。
私も含め皆さんしっかり守っていました。


【熊野本宮大社 鳥居】
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【熊野本宮大社 社号碑】
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【熊野本宮大社 「あ」の狛犬】
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【熊野本宮大社 「うん」の狛犬】
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【熊野本宮大社 参道】
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【熊野本宮大社 参道階段】
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【熊野本宮大社 祓戸大神】
参道の中腹、左側にある祓戸大神にまずお参りをし、身を祓い清めます。
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【熊野本宮大社 手水舎】
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【熊野本宮大社 神門】
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【熊野本宮大社 本殿】
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【熊野本宮大社 亀石】
長寿、体調を整えるパワーがあるとか。
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【熊野本宮大社 大黒石】
この大黒石は、パワースポット巡りをしている人の間では金運アップさせてくれると評判らしく、触るとご利益があるそうです。
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【熊野本宮大社 八咫烏のポスト】
郵便として送れる絵馬を社務所で販売しているそうです。
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【熊野本宮大社 末社 産田社】
伊邪那美命の荒魂が祀られています。新たなものを生み出すパワーを感じる神社です。
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【熊野本宮大社 旧社地 大斎原 大鳥居】
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【熊野本宮大社 旧社地 大斎原 大鳥居  八咫烏】
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【熊野本宮大社 旧社地 大斎原 手水舎】
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【熊野本宮大社 御神符「熊野牛王府」】
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【熊野本宮大社 御朱印】
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【御祭神】
『上四社』
第一殿 西御前 伊邪那美大神(夫須美大神) 千手観音 熊野十二所権現
第二殿 中御前 伊邪那岐大神(速玉大神) 薬師如来
第三殿 証誠殿 家津美御子大神(素戔嗚尊) 阿弥陀如来
第四殿 若宮 天照大神 十一面観音

『中四社』
第五殿 禅児宮 忍穂耳命      地蔵菩薩
第六殿 聖宮     瓊々杵尊命 龍樹菩薩
第七殿 児宮 彦穂々出見尊 如意輪観音
第八殿 子守宮 鵜葦屋葦不合命 聖観音

『下四社』
第九殿 一万宮十万宮 軻遇突智命 文殊菩薩・普賢菩薩
第十殿 米持金剛 埴山姫命 毘沙門天
第十一殿 飛行夜叉 彌都波能賣命 不動明王
第十二殿 勧請十五所 稚産霊命 釈迦如来
【創建】
伝崇神天皇65年
【ご由緒】
熊野川の中枢に、古代より熊野巫大神の鎮座されるお宮が、熊野本宮大社です。
熊野本宮大社は過去「熊野坐神社くまのにいますじんじゃ」と号し、
熊野の神と言えば本宮のことを表していたものと推測されます。

熊野坐大神の御鎮座の年代は文献に明白ではありませんが、
神武東征以前には既に御鎮座になったと云われており、
社殿は崇神天皇65年(紀元前33年)に創建されたと
『皇年代略記』や『神社縁起』に記されています。
奈良朝の頃より仏教を取り入れ、平安朝以後は仏化により「熊野権現」と称し、
神々に仏名を配するようになりました。
熊野本宮大社は上・中・下社の三社から成るため、熊野三所権現と呼ばれています。
また、十二殿に御祭神が鎮座ますことから、熊野十二社権現とも仰がれています。

「熊野権現垂迹縁起」によると、熊野坐大神は唐の天台山から飛来したとされている。
熊野坐大神(家都美御子大神)は、須佐之男命とされるが、その素性は不明である。
太陽の使いとされる八咫烏を神使とすることから太陽神であるという説や、
中州に鎮座していたことから水神とする説、または木の神とする説などがある。
家都美御子大神について他にも五十猛神や伊邪那美神とする説があり、
菊理媛神とも関係する説もあるが、やはりその素性は不詳とされる[2]。
古代から中世にかけて、神職はニギハヤヒの後裔で
熊野国造の流れを汲む和田氏が世襲していた。

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聖地・熊野三山の奥の宮 玉置神社へ参拝(奈良県)
平成三十年 五月四日参拝

今回は聖地・熊野三山の奥の宮  玉置神社へ参拝させて頂きました。
奈良県吉野郡十津川村玉置川1に鎮座しています。

順番通りではないのですが、今回のG.Wに日帰りで二回(淡路・阿波と熊野三山)
参拝させて頂いたので、記憶の新しいうちに先にご紹介したいと思います。

今回は、そのうちの熊野三山日帰り紀行です。
私のお詣りしたいリストに入ってなかったですが、熊野三山の奥の宮であるということと、
玉置神社は不思議な謂れがあり、神様に呼ばれないとたどり着けないと言われています。
途中で事故に遭ったり、急な体調不良、仕事の都合がつかなくなったなど。
一番多く聞くのは「カーナビが壊れる」「落石で通行止め」というものです。
(天河大弁財天社も同じく「呼ばれた人しか行けない」といわれています)

前日の天気予報で気圧の配置は過去に大荒れしたときと似ているといい、
落雷、竜巻など発生しやすいなどと言っていました。
そして寝てから風の音が台風並みにしていて、悪天候になるのかな?
まさか呼ばれていないのかなと思ってしまいました。

しかし、その日は天気も大変よく、ナビも狂わずたどり着くことが出来ました。
高速道路は約50分で南阪奈道路の葛城で降りました。
残りの地道も信号がほとんどなく、トンネルが沢山できていてすごく走りやすかったです。
4時30分頃から明るくなり、景色を楽しみながらドライブしました。

8年ぐらい前に途中の谷瀬の釣り橋まで行ったことがあったのですが、
ずっとではないですが、川沿いのぐねぐね道で、すれ違いもしんどい箇所が何箇所も
あったと思います。

大阪から車でちょうど3時間でした。午前3時30分に出発し6時30分に到着しました。
駐車場にはすでに7,8台駐車してありました。
社務所は8時からですので、予定通り先に玉置山山頂に登ります。


奈良県にあるパワースポットの名高い『玉置神社』。
ここは世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一角に位置します。
紀伊山地は飛鳥・奈良・京都にまたがる紀伊半島の大部分を占めていて、
今でも鬱蒼たる原生林に覆われた山々は、神仏の宿る山として、
古の昔から信仰されてきた強力なパワースポットです。


【玉置神社のパワースポット】
玉石社(末社)

本殿奥の山道を5分~10分ほど登ったところに鎮座している、古代の祭祀場。
ここは神社ですが特に社殿があるわけではなく、ご神体は黒い大きな玉石そのものです。
ご神体の周りには3本の大木が囲むように立っており、
その大木が囲んだ内側に白い玉石が敷き詰められ、
奥にご神体の玉石が鎮座しています。
この玉石を御神体として古代信仰を今に残しています。
必ずご参拝を。

大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、
本殿に先んじて礼拝するのが習わしとなっています。
玉置神社が建てられる基になったのは、この玉石社と伝えられ、
玉石に宝珠や神宝を 鎮めて祈願したと伝わっています。
玉置神社全体もパワースポットですが、ここがその中でも
最強のパワースポットであると言われています。


【玉置神社  第一鳥居と社号碑】
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【玉置神社  手水舎】
水不足で空でした。
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【玉置神社  手水舎の龍】
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【玉置神社  第二鳥居】
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【玉置神社 「あ」の狛犬】
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【玉置神社 「うん」の狛犬】
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【玉置神社  本社】
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【玉置神社 樹齢3000年の神代杉】
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【玉置神社  夫婦杉】
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【玉置神社  御由緒の看板】
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【玉置神社  玉石社への道案内看板と鳥居】
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【玉置神社  玉石社】
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【玉置神社  玉石社の御神体】
白い玉石ではなくて、奥に見える黒い石です。大きな石が埋まっていると言われています。
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【玉置神社  出雲大社玉置教会】
明治維新の際、十津川郷中すべて廃寺され、全村民が大社教に属したことから、
その総元締めとして設立されたとのこと。

ここに出雲大社の分霊?ん?なんでだろう?
神社のホ-ムペ-ジによると、全村民が大社教に属しているとのことですが、
すごく違和感というか不思議に思いました。
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【玉置神社  山頂】
約20分で山頂ですが、ふくらはぎがパンパンになりました。
上りはすごく足が重く辛いけど、山頂で凄く気持ちよくなります。
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【玉置神社  駐車場からの眺め】
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【玉置神社  魔除け札】
弘法大師が描いた絵を版画にしたもの。財布にも入り普段持ち歩けます。紙札、木札があります。
手をかざすとパワ-を感じる人もいるそうです。
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【玉置神社  御朱印】
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【御祭神】
本社御祭神
 国常立尊(くにとこたちのみこと)
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
摂社・三柱神社御祭神
 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
 天御柱神(あめのみはしらのかみ)
国御柱神 (くにのみはしらのかみ)
末社若宮社
住吉大神・八幡大神・春日大神
末社神武社
迦具土神・速玉男神・高倉下神
末社玉石社
大巳貴命 (おおなむぢのみこと)
末社白山社
菊理媛神
【創建】
伝・紀元前37年
【ご由緒】
玉置神社は大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座し
神武天皇御東征の途上として伝承されています。
創立は紀元前三十七年第十代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散のため
早玉神を奉祀したことに始まると伝えられています。

社伝の『玉置山縁起』では崇神天皇によって崇神天皇61年(紀元前37年)に、
熊野本宮(和歌山県田辺市本宮町)とともに創建されたと伝えられ、
古来より十津川郷の鎮守であった。
しかし、『旧事紀』には崇神天皇61年の記事はなく、玉置神社のことも伝えられていない一方で、
『水鏡』伝の新宮創祀と同年であることから作為と考えられ、創建年代は不詳である。
『玉置山縁起』をはじめとする社伝は、玉置山山頂近くに露頭する玉石を神体とする末社玉石社を
玉置の称の由来とし、地主神または奥の院と位置づけており、
山容を神奈備として崇拝することが起源であったと考えられている。

古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、
平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現または熊野三山の奥院と
称せられ霊場として栄えました。
江戸時代には別当寺高牟婁院が置かれていました。
その後、慶応四年の神仏分離により神仏混淆を廃し以後玉置三所大神、
更に玉置神社となり現在に至っています。
境内には樹齢三千年と云われる神代杉を始め天然記念物に
指定されている杉の巨樹が叢生し、
平成十六年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。

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熱田神宮へ参拝(愛知)
平成二十九年 十二月十七日参拝

今回は熱田神宮へ参拝させて頂きました。

愛知県名古屋市熱田区神宮1-1-1に御鎮座されています。

神宮前駅から徒歩3分だそうです。目の前に駅がありました。
駐車場は無料でたくさん停めれました。記憶では無料だった気がします。
ホームページで約400台と書いてありました。
「12/31夜~1/8並びに6/5は全ての駐車場が使用できません」と書いて
ありました。


家族を名古屋ド-ムに送り私一人でお詣りさせて頂きました。
着いたのが夕方だったので、すぐ暗くなってしまいました。
御朱印頂ける時間がきまっているので、焦りましたが間に合いました。
しかし本宮裏の「こころの小径」は間に合いませんでした。
入れなくなる時間が早かったです。
確か15時30分か16時頃だったと思います。

じっくりと参拝できなかったので、次回じっくりと参拝したいです。


熱田神宮の創祀は、三種の神器の一つ草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)の御鎮座に始まります。

熱田神宮は、西暦113年(景行天皇43年)に創建されました。
戦国時代には、織田信長が桶狭間の戦いの前に祈願し、見事勝利を収めたとも言われています。


【熱田神宮 パワースポット】
熱田神宮の樹齢千年を超えるその大木は、あの空海が手植えしたといわれています。
その他境内の中には実に43ものパワースポットがあり、
神秘的な木々のたたずまい中へ入っていくと、そのまま神様の領域へと導かれていくかのようです。

①「本宮」
三種の神器「草薙神剣」(くさなぎのみつるぎ)が祀られており、毎年多くの参拝者がおとずれています。
②「一之御前神社」
熱田神宮では最も神聖な場所として知られており、「こころの小径(こみち)」へ続く参道へとつながります。
③「清水社」
水を司る神様「罔象女神(みずはのめのかみ)」が祀られており、「清水社(しみずしゃ)」は女性に人気のパワースポットとなっています。
④楠の巨木
大きな楠(くすのき)のは、熱田神宮の境内にはいくつかあります。
その中でも2番目に大きな楠は清水社のすぐそばあるもので、パワースポットとして人気があります。
⑤朱塗りの社
参道を進んでいくと旧参道に続いていき、熱田神宮で唯一の朱塗りの社へいくことができます。
無病息災を祈願を願う神様として祀られています。

ある本で読んだのですが
『熱田神宮本殿真裏に草薙神剣を保管してある祠である「一之御前神社」があり、
皇太子殿下が天皇陛下に即位したときに、その草薙神剣を伊勢の伊雑宮へ移すのが
最初の役目である。

イスラエルの三種の神器はアロンの杖ですが、ア-モンドの花が咲いて絡まっている杖なのです。
一方ヤマトタケルが草を薙いだ草薙神剣には、草が絡まっているといいます。
見事に一致しますね。
ア-モンドはバラ科サクラ属だから、その花は桜の花とまったく同じに見えるとのことです。
日本人と桜は切り離せない関係ですからね。

草薙神剣は源平合戦の壇ノ浦の戦いで浮いたといわれているといいます。
平家が海に落としたとき、水面に浮いているのですが普通の刀は浮きません。

その刀が流れ着いて、今、熱田神宮に納められているという。
これがア-モンドの杖、すなわちアロンの杖と考えるとつじつまが合う。』
と書かれていました。

確かめれないので何を根拠に書いてあるのかが分かりませんでした。
こじつけなのかも知れませんが、「う~む」なるほどなとも思ってしまいました。

【熱田神宮  鳥居】
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【熱田神宮  本宮】
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【熱田神宮 土用殿(どようでん)】
神楽殿の北に位置し、もと、草薙神剣を奉安した御殿で、旧本殿の東に相並んで鎮座していました
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【熱田神宮  信長塀】
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【熱田神宮  冬に咲く桜?】
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【熱田神宮  御神木の大楠】
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【熱田神宮  御朱印】
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【別宮八剣宮(べつぐうはっけんぐう)  御朱印】
一の鳥居(南門)の西側に鎮座し、本宮と同じ祭神をお祀りします。社殿も本宮と同じ造りで年中祭儀も同様に行われます。
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【上知我麻神社(かみちかまじんじゃ) 御朱印】
御祭神  乎止與命(おとよのみこと)
御神徳  知恵授け・商売繁盛
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【御祭神】
熱田大神
熱田大神とは、三種の神器の一つである草薙神剣(くさなぎのみつるぎ)を御霊代(みたましろ)としてよらせられる天照大神のことです。
【御霊代】
草薙神剣
【相殿神】
天照大神
素盞嗚尊
日本武尊
宮簀媛命
(尾張国造・乎止與命(おとよのみこと)の女(むすめ)で日本武尊の妃。尊なきあと、神慮に思い至り神剣を熱田の地に祀られたのが熱田神宮の創祀となります)
建稲種命
(乎止與命(おとよのみこと)の御子で宮簀媛命の兄にあたられます。日本武尊に従い東国の平定に赴きその途中でなくなられました。尾張地方繁栄の礎を築いた神とされます。)
【創建】
西暦113年(景行天皇43年)
【ご由緒】
天叢雲剣は草薙剣とも言われ、三種の神器の一つ(八咫鏡、八尺瓊勾玉、草薙剣)
第12代景行天皇の御代に、日本武尊(やまとたけるのみこと)は神剣を
今の名古屋市緑区大高町火上山に留め置かれたまま三重県亀山市能褒野(のぼの)でなくなられました。
尊のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)は、神剣をここ熱田の地にお祀りになられました。
以来、伊勢の神宮につぐ格別に尊いお宮として篤い崇敬をあつめ、延喜式名神大社・勅祭社に
列せられ国家鎮護の神宮として特別のお取り扱いを受ける一方、
「熱田さま」「宮」と呼ばれ親しまれてきました。
境内外には本宮・別宮外43社が祀られています。

日本神話において、スサノオが出雲国でヤマタノオロチ(八岐大蛇)を退治した時に、
大蛇の体内(尾)から見つかった神剣である。

八岐大蛇退治に至る経緯と、神剣の名称については古事記・日本書紀で複数の異伝がある。
スサノオは、八岐大蛇由来の神剣を高天原のアマテラスに献上した。
続いて天孫降臨に際し他の神器と共にニニギノミコトに託され、地上に降りた。
崇神天皇の時代に草薙剣の形代が造られ、形代は宮中(天皇の側)に残り、
本来の神剣は笠縫宮を経由して、伊勢神宮に移されたという。
景行天皇の時代、伊勢神宮のヤマトヒメノミコトは、東征に向かうヤマトタケルに神剣(天叢雲剣/草薙剣)を託す。
ヤマトタケルの死後、草薙剣は神宮に戻ることなくミヤズヒメ(ヤマトタケル妻)と尾張氏が尾張国で祀り続けた。
これが熱田神宮の起源であり、現在も同宮の御神体として祀られている。
形代の草薙剣は、壇ノ浦の戦い(源平合戦)における安徳天皇(第81代天皇)入水により関門海峡に沈み、失われた。
神剣の喪失により、様々な伝説・神話が生まれた(中世神話)。
結局、後鳥羽天皇(第82代天皇)は三種の神器がないまま即位。
平氏滅亡により神璽と神鏡は確保できたが、神剣を手にすることは出来なかった。
その後、朝廷は伊勢神宮より献上された剣を「草薙剣」とした。
南北朝時代、北朝陣営・南朝陣営とも三種神器(神剣を含む)の所持を主張して正統性を争い、
この混乱は後小松天皇(第100代天皇)における南北朝合一まで続いた(明徳の和約)。
現在、神剣(形代)は宮中に祭られている。

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