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eskky28

Author:eskky28
男、46才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
龍田神社に参拝
令和元年 九月十五日 龍田神社へ参拝
奈良県生駒郡斑鳩町龍田1-5-6に鎮座する神社です。


本日(10/05)は久しぶりに近くの六甲山の中腹の風吹岩まで
ハイキングに行ってきました。すぐの岩場の登りが今までで一番きつかったです。
たぶん原因は、阪急電車の神崎川、園田間で人身事故があり二駅手前の西宮北口という駅で
電車が止まりました。目途が立たないとのことで降りて歩いて行くことにしました。
隣の夙川駅に着く前に電車が開通したので、約1時間かけて隣駅からまた乗りました。

これがきつかったですね。隣駅まで遠すぎでしたね。

【いつもの保久良神社に参拝】
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【参道からみた瀬戸内海】
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【下ったところの駅前でお茶】
コーヒーフロート飲みました。甘くて癒されました。
20191005203230503.jpeg



前回の廣瀬大社の後に、スマホのナビに龍田神社と入力して到着しました。
本当は龍田大社に参拝させて頂く予定でしたが、何かのご縁です。

駐車場がなく地図で探すと離れたところに無料駐車場があったので、
そちらに停めさせて頂きました。徒歩10分ぐらいの龍田公園無料駐車場でした。
暑かったので、汗だくになりました。

【猫坂という交差点名の看板】
変わってますね、猫が多いのかな?
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【鳥居と社号標】
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【手水舎】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【拝殿】
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【楠大明神と御神木】
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【末社?】
奥  白龍大神、市杵島姫命
右  廣田神社 粟島神社 祇園神社
左  事代主神(恵美須)
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【御朱印】
お孫さんが作られた栞(折り紙)を付けて下さっていました。
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【主祭神】
本殿   天御柱大神
      国御柱大神
右社殿   龍田比古大神
        龍田比女大神
左社殿   天児屋根大神
        外三大神

【創建】
分かりませんでした。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳以前になりますかね。

【社格等】
式内社(小)
旧県社

【ご由緒】
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳における祭神の記載は2座。
同帳では「龍田比古龍田比女神社二座」と記載され、
元々の祭神は龍田比古神・龍田比女神の2柱であることが知られる。
これに関して、龍田大社から天御柱命・国御柱命の2神が勧請され、
元々の祭神は忘れられたとする説等がある。
『大和志』では、龍田大社(三郷町立野)の本宮に対して当社を「龍田新宮」とする。
社伝では、聖徳太子が法隆寺の寺地を探し求めていた際、白髪の老人に化身した龍田大明神に逢い、
「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。
私はその守護神となろう」と言われたので、その地に法隆寺を建立し、
鎮守社として龍田大明神を祀る神社を創建したという。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では
大和国平群郡に「龍田比古龍田比女神社二社(二座)」と記載され、式内社に列している。
明治維新後、神仏分離によって法隆寺から分離し、境内にあった寺院関連建物は全て破却された。
明治4年(1871年)には三郷町立野の龍田神社(現在の龍田大社)の摂社となった。
大正11年(1922年)3月に龍田大社から独立し、近代社格制度において県社に列している。
Wikipediaより抜粋

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廣瀬大社に参拝
令和元年 九月十五日 廣瀬大社へ参拝
奈良県北葛城郡河合町大字川合99に鎮座する神社です。

式内社(名神大社)、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
旧称は「廣瀬神社(ひろせじんじゃ、広瀬神社)」。


2月11日 例祭(御田植祭)
大忌祭の御田水口祭礼に由来するもので、砂を雨に見たてた祈雨の神事である。拝殿前の広場を田に見立てて田植えの所作を行い、それに対して参詣者と田人・牛に扮したひとが一斉に砂をかけあうもので、「砂かけ祭」とも呼ばれる。

テレビのニュスで見た事がありました。

昨日、参拝させて頂きました。良い天気で暑かったです。
地道で家から約90分で到着しました。
20台ぐらい停めれそうな無料駐車場がありました。

対となる龍田大社も参拝させて頂こうとしていたのですが、
私の早とちりで龍田神社とナビで検索しており、家に帰ってから御朱印をじっくり
拝見していると違うことに気が付きました。
まあこれも何かのご縁ですかね。

いつか龍田大社にも参拝させて頂きたいです。


【第一鳥居と社号標】
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【御由緒看板】
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【第一の参道アスファルト】
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【御祭神看板】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【第二の参道 砂利】内宮みたいに木洩れ日がキレイでした。
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【祓戸社】心身の穢れを祓い清めた後に廣瀬大社を拝します。
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【手水舎】
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【手水舎の龍】
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【第二の鳥居】
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【拝殿】
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【寄った拝殿】
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【神馬舎】
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【たちばなの木】
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【日露戦争の戦利品のロシアの大砲】
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【祖霊社】
廣瀬大社に関係する祖霊と大国主命が祀られていました
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【日の丸大明神】すごい木ですね。稲荷社です。
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【日吉社】
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【御朱印】
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【主祭神】
若宇加能売命(わかうかのめのみこと)
「廣瀬大忌神(ひろせおおいみのかみ)」とも。社伝では伊勢神宮外宮の豊宇気比売大神、
伏見稲荷大社の宇加之御魂神と同神とする。龍田大社の龍田風神とも関係があるとしている。

【脇殿神】
櫛玉命(くしたまのみこと)
社伝では饒速日命を指す。社家の樋口氏は饒速日命を祖神とする物部氏の末裔であり、
社家の邸宅内には饒速日命を祀る境外末社の饒速日命社がある。

穂雷命(ほのいかづちのみこと)

【創建】
(伝)第10代崇神天皇9年
(前89年)

【社格等】
式内社(名神大)
二十二社(中七社)
旧官幣大社
別表神社

【ご由緒】
鎮座地は、高田川と一緒になった曽我川・大和川・飛鳥川など奈良盆地内を流れる河川のほとんどが
合流する地点であり、このことから水神を祭る。
社伝では、崇神天皇9年、広瀬の河合の里長の廣瀬臣藤時に託宣があり、
水足池と呼ばれる沼地が一夜で陸地に変化しタチバナが数多く生えたことが天皇に伝わり、
その地に大御膳神として社殿を建てて祀ったのに始まるとしている。
龍田の風神・広瀬の水神として並び称された。
『日本書紀』天武天皇4年(675年)4月10日条には風神を龍田立野に、
大忌神を広瀬河曲に祀ったとの記述があり、これが4月・7月に行われる廣瀬大忌祭の起源とされている。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国広瀬郡に
「広瀬坐和加宇加乃売命神社(廣瀬坐和加宇加乃売命神社) 名神大 月次新嘗」として、
名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。
永保元年(1081年)に最高位の正一位の神階を受けている。後の二十二社の一つともなった。
明治4年、官幣大社に列格した。第二次大戦以降、廣瀬大社と称するようになった。
Wikipediaより抜粋

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石上神宮へ参拝
平成三十一年 二月十日 石上神宮へ参拝
奈良県天理市布留町384に鎮座する神社です。


本日2/17は朝からサッカ-をしてきました。
人工芝で天気も良く気持ちよかったです。


家から地道で約90分~100分で到着しました。
天理市だけあって天理教の建物がそこら中にあり、大学までありました。
町全体が天理教って感じがしました。千と千尋の神隠しの舞台のような異世界な感じがしました。

【第一社号標】
道路沿いにありました。
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【第二社号標】
鳥居の手前にもありました。
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【大鳥居】
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【大鳥居の扁額】
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【祓所(はらいしょ)】
白い小石が敷き詰められていて、四方に注連縄が張り廻らされていました。ニワトリがたくさんいてました。
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【廻廊(かいろう)】
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【手水舎】
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【楼門(ろうもん)[ 重要文化財 ]】
鎌倉時代後期、文保2年(1318年)の造営。
正面には山縣有朋の筆による「萬古猶新」と記された木額が掲げられている。
明治39年4月14日に古社寺保存法に基づき特別保護建造物に指定、
昭和25年(1950年)の文化財保護法施行により国の重要文化財に指定
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【楼門 寄り】
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【拝殿】
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【拝殿寄り】
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【摂社 出雲建雄神社拝殿(せっしゃ いずもたけおじんじゃはいでん)[ 国 宝 ]】
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【御神木】
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【お守り】
カッコイイので購入してしまいました。
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【御朱印】
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【七支刀の御朱印】

七支刀は古代ユダヤ教のシンボルである7枝の燭台「メノラ-」と関係しているのでしょうか?
本で読んだ記憶がかすかにあります。

古墳時代の作で、石上神宮伝世品。両刃の剣の左右に3つずつの小枝を突出させたような特異な形状を示す。金象嵌で記された銘文の中に「泰□四年」の年紀を有するが、「泰和四年(西暦369年)」に比定する説が有力で、その頃の百済での作と推定される。かつては神剣渡御祭(でんでん祭)で持ち出され、祭儀の中心的役割を果たした(詳細は「七支刀」を参照)。
昭和24年5月30日に国の重要文化財に指定、昭和28年11月14日に文化財保護法に基づき国宝に指定[9]。
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【彩花ラ-メン】
奈良といえば彩華ラ-メンの本店かなと思って検索すると天理市にあり
近くなので行くことにしました。13時頃到着したのですが、予想をはるかに超える
待ち状態でした。車の駐車場の空き待ちで8台目くらいでした。
駐車場も30台以上は停めれる大きな駐車場なのにです。

車は10分くらいで停めれました。中に名前を記帳して20分くらい待ちました。
私は一人でカウンター席だったからそれで済んだのでした。
恐るべし彩華ラ-メン本店です。
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【ラ-メン大盛り】
確か900円ぐらいだったと思います。量は少し苦しかったです。
白菜たっぷり、ニンニクもたっぷり入ってました。
透き通ったス-プで当然おいしかったです。
家では息がクサイと言われてしまいました。
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【纏向石塚古墳】
纏向遺跡の大型建物跡に行きたかったのですが、線路近くで駐車場がなく今回は諦めました。
纏向石塚古墳だけ写真を撮ってきました。

纒向遺跡(まきむくいせき、纏向遺跡)は、奈良県桜井市の三輪山の北西麓一帯にある、弥生時代末期から古墳時代前期にかけての集落遺跡。国の史跡に指定されている。
3世紀に始まる遺跡で、一帯は前方後円墳発祥の地とする研究者もいる。邪馬台国の中心地に比定する説があり、箸墓古墳などの6つの古墳が分布する。
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【纏向石塚古墳の説明文】
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【主祭神】
主祭神
布都御魂大神(ふつのみたまのおおかみ) - 神体の布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)に宿る神霊。

配神
布留御魂大神(ふるのみたまのおおかみ) - 十種神宝に宿る神霊。
布都斯魂大神(ふつしみたまのおおかみ) - 天羽々斬剣(あめのはばきりのつるぎ)に宿る神霊。
宇摩志麻治命(うましまじのみこと)
五十瓊敷命(いにしきのみこと)
白河天皇
市川臣命(いちかわおみのみこと) - 天足彦国押人命(孝昭天皇皇子)後裔で、石上神宮社家の祖。

【創建】
(伝)崇神天皇7年

【社格等】
式内社(名神大)
二十二社(中七社)
旧官幣大社
別表神社

【本殿の様式】
流造

【ご由緒】
古代の山辺郡石上郷に属する布留山の西北麓に鎮座する。
非常に歴史の古い神社で、『古事記』・『日本書紀』に既に、石上神宮・石上振神宮との記述がある。
古代軍事氏族である物部氏が祭祀し、ヤマト政権の武器庫としての役割も果たしてきたと考えられている。
古くは斎宮が居たという。その中で、本当に斎宮であったかどうか議論が多いが、
布都姫という名が知られている。また、神宮号を記録上では伊勢神宮と同じく一番古く称しており、
伊勢神宮の古名とされる「磯宮(いそのみや)」と「いそのかみ」とに何らかの関係があるのかが興味深い。
社伝によれば、布都御魂剣は武甕槌・経津主二神による葦原中国平定の際に使われた剣で、
神武東征で熊野において神武天皇が危機に陥った時に、高倉下(夢に天照大神、高木神、
建御雷神が現れ手に入れた)を通して天皇の元に渡った
。その後物部氏の祖宇摩志麻治命により宮中で祀られていたが、崇神天皇7年、
勅命により物部氏の伊香色雄命が現在地に遷し、「石上大神」として祀ったのが当社の創建である。
社伝ではまた一方で、素盞嗚尊が八岐大蛇を斬ったときの十握剣が、
石上布都魂神社(現・岡山県赤磐市)から当社へ遷されたとも伝えている。
この剣は石上布都魂神社では明治以前には布都御魂剣と伝えていたとしている。
垂仁天皇39年には剣一千口と神宝が納められ、天武天皇3年(674年)には
忍壁皇子(刑部親王)を派遣して神宝を磨かせ、諸家の宝物は皆その子孫に返還したはずだが、
日本後紀 巻十二 桓武天皇 延暦二十三年(804年)二月庚戌 条に、
代々の天皇が武器を納めてきた神宮の兵仗を山城国 葛野郡に移動したとき、
人員延べ十五万七千余人を要し、移動後、倉がひとりでに倒れ、
次に兵庫寮に納めたが、桓武天皇も病気になり、怪異が次々と起こり、
使者を石上神宮に派遣して、女巫に命じて、何故か布都御魂ではなく、
布留御魂を鎮魂するために呼び出したところ、女巫が一晩中怒り狂ったため、
天皇の歳と同じ数の69人の僧侶を集めて読経させ、神宝を元に戻したとある。
当時それほどまで多量の神宝があったと推測される。

神階は850年(嘉祥3年)に正三位、859年(貞観元年)に従一位、868年(貞観9年)に正一位。
『延喜式神名帳』には「大和国山辺郡 石上坐布留御魂神社」と記載され、名神大社に列し、
月次・相嘗・新嘗の幣帛に預り、臨時祭も執り行われると記されている。『延喜式』の「臨時祭」の項では殿舎と神門の鑰を宮中で保管し容易には開かないと記されている。
中世以降は布留郷の鎮守となったが、興福寺と度々抗争を繰り返し布留郷一揆が頻発、
戦国時代に入ってからは織田信長の勢力に負け、神領も没収された。
しかし、氏子たちの信仰は衰えず、1871年(明治4年)には官幣大社に、
1883年(明治16年)には神宮号を再び名乗ることが許された。
この神社には本来、本殿は存在せず、拝殿の奥の聖地(禁足地)を「布留高庭」「御本地」などと称して祀り、
またそこには2つの神宝が埋斎されていると伝えられていた。
1874年の発掘を期に、出土した刀(布都御魂剣)や曲玉などの神宝を奉斎するため
本殿を建造(建造のための1878年の禁足地再発掘でも刀(天羽々斬剣)が出土し、これも奉斎した)。
1913年には、本殿が完成した。禁足地は今もなお、布留社と刻まれた剣先状石瑞垣で囲まれている。
Wikipediaより抜粋

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聖地・熊野三山の奥の宮 玉置神社へ参拝(奈良県)
平成三十年 五月四日参拝

今回は聖地・熊野三山の奥の宮  玉置神社へ参拝させて頂きました。
奈良県吉野郡十津川村玉置川1に鎮座しています。

順番通りではないのですが、今回のG.Wに日帰りで二回(淡路・阿波と熊野三山)
参拝させて頂いたので、記憶の新しいうちに先にご紹介したいと思います。

今回は、そのうちの熊野三山日帰り紀行です。
私のお詣りしたいリストに入ってなかったですが、熊野三山の奥の宮であるということと、
玉置神社は不思議な謂れがあり、神様に呼ばれないとたどり着けないと言われています。
途中で事故に遭ったり、急な体調不良、仕事の都合がつかなくなったなど。
一番多く聞くのは「カーナビが壊れる」「落石で通行止め」というものです。
(天河大弁財天社も同じく「呼ばれた人しか行けない」といわれています)

前日の天気予報で気圧の配置は過去に大荒れしたときと似ているといい、
落雷、竜巻など発生しやすいなどと言っていました。
そして寝てから風の音が台風並みにしていて、悪天候になるのかな?
まさか呼ばれていないのかなと思ってしまいました。

しかし、その日は天気も大変よく、ナビも狂わずたどり着くことが出来ました。
高速道路は約50分で南阪奈道路の葛城で降りました。
残りの地道も信号がほとんどなく、トンネルが沢山できていてすごく走りやすかったです。
4時30分頃から明るくなり、景色を楽しみながらドライブしました。

8年ぐらい前に途中の谷瀬の釣り橋まで行ったことがあったのですが、
ずっとではないですが、川沿いのぐねぐね道で、すれ違いもしんどい箇所が何箇所も
あったと思います。

大阪から車でちょうど3時間でした。午前3時30分に出発し6時30分に到着しました。
駐車場にはすでに7,8台駐車してありました。
社務所は8時からですので、予定通り先に玉置山山頂に登ります。


奈良県にあるパワースポットの名高い『玉置神社』。
ここは世界遺産に指定された「紀伊山地の霊場と参詣道」の一角に位置します。
紀伊山地は飛鳥・奈良・京都にまたがる紀伊半島の大部分を占めていて、
今でも鬱蒼たる原生林に覆われた山々は、神仏の宿る山として、
古の昔から信仰されてきた強力なパワースポットです。


【玉置神社のパワースポット】
玉石社(末社)

本殿奥の山道を5分~10分ほど登ったところに鎮座している、古代の祭祀場。
ここは神社ですが特に社殿があるわけではなく、ご神体は黒い大きな玉石そのものです。
ご神体の周りには3本の大木が囲むように立っており、
その大木が囲んだ内側に白い玉石が敷き詰められ、
奥にご神体の玉石が鎮座しています。
この玉石を御神体として古代信仰を今に残しています。
必ずご参拝を。

大峯修験道では、玉石社を聖地と崇め、
本殿に先んじて礼拝するのが習わしとなっています。
玉置神社が建てられる基になったのは、この玉石社と伝えられ、
玉石に宝珠や神宝を 鎮めて祈願したと伝わっています。
玉置神社全体もパワースポットですが、ここがその中でも
最強のパワースポットであると言われています。


【玉置神社  第一鳥居と社号碑】
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【玉置神社  手水舎】
水不足で空でした。
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【玉置神社  手水舎の龍】
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【玉置神社  第二鳥居】
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【玉置神社 「あ」の狛犬】
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【玉置神社 「うん」の狛犬】
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【玉置神社  本社】
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【玉置神社 樹齢3000年の神代杉】
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【玉置神社  夫婦杉】
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【玉置神社  御由緒の看板】
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【玉置神社  玉石社への道案内看板と鳥居】
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【玉置神社  玉石社】
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【玉置神社  玉石社の御神体】
白い玉石ではなくて、奥に見える黒い石です。大きな石が埋まっていると言われています。
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【玉置神社  出雲大社玉置教会】
明治維新の際、十津川郷中すべて廃寺され、全村民が大社教に属したことから、
その総元締めとして設立されたとのこと。

ここに出雲大社の分霊?ん?なんでだろう?
神社のホ-ムペ-ジによると、全村民が大社教に属しているとのことですが、
すごく違和感というか不思議に思いました。
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【玉置神社  山頂】
約20分で山頂ですが、ふくらはぎがパンパンになりました。
上りはすごく足が重く辛いけど、山頂で凄く気持ちよくなります。
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【玉置神社  駐車場からの眺め】
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【玉置神社  魔除け札】
弘法大師が描いた絵を版画にしたもの。財布にも入り普段持ち歩けます。紙札、木札があります。
手をかざすとパワ-を感じる人もいるそうです。
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【玉置神社  御朱印】
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【御祭神】
本社御祭神
 国常立尊(くにとこたちのみこと)
 伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
 伊弉冊尊(いざなみのみこと)
 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
 神日本磐余彦尊(かむやまといわれひこのみこと)
摂社・三柱神社御祭神
 倉稲魂神(うがのみたまのかみ)
 天御柱神(あめのみはしらのかみ)
国御柱神 (くにのみはしらのかみ)
末社若宮社
住吉大神・八幡大神・春日大神
末社神武社
迦具土神・速玉男神・高倉下神
末社玉石社
大巳貴命 (おおなむぢのみこと)
末社白山社
菊理媛神
【創建】
伝・紀元前37年
【ご由緒】
玉置神社は大峰山脈の南端に位置する標高1,076mの玉置山の山頂近くに鎮座し
神武天皇御東征の途上として伝承されています。
創立は紀元前三十七年第十代崇神天皇の御宇に王城火防鎮護と悪魔退散のため
早玉神を奉祀したことに始まると伝えられています。

社伝の『玉置山縁起』では崇神天皇によって崇神天皇61年(紀元前37年)に、
熊野本宮(和歌山県田辺市本宮町)とともに創建されたと伝えられ、
古来より十津川郷の鎮守であった。
しかし、『旧事紀』には崇神天皇61年の記事はなく、玉置神社のことも伝えられていない一方で、
『水鏡』伝の新宮創祀と同年であることから作為と考えられ、創建年代は不詳である。
『玉置山縁起』をはじめとする社伝は、玉置山山頂近くに露頭する玉石を神体とする末社玉石社を
玉置の称の由来とし、地主神または奥の院と位置づけており、
山容を神奈備として崇拝することが起源であったと考えられている。

古くより熊野から吉野に至る熊野・大峰修験の行場の一つとされ、
平安時代には神仏混淆となり玉置三所権現または熊野三山の奥院と
称せられ霊場として栄えました。
江戸時代には別当寺高牟婁院が置かれていました。
その後、慶応四年の神仏分離により神仏混淆を廃し以後玉置三所大神、
更に玉置神社となり現在に至っています。
境内には樹齢三千年と云われる神代杉を始め天然記念物に
指定されている杉の巨樹が叢生し、
平成十六年には「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されました。

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入鹿神社へ参拝(奈良)
平成三十年 二月十一日参拝

昨日の橿原神宮からの帰りに入鹿神社へ
参拝に行かせて頂きました。

入鹿神社の前に、昨日の橿原神宮での御朱印の
写真をアップするのを忘れていましたので
ここで。

【橿原神宮の御朱印】


ナビの通りに進んで行くと、かなり細い道に入って行きました。サイドミラーをたたまないと通れない狭さでした。
向かいでお姉さんが自転車で待ってくれていて、
車通って良かったですかと聞くと、普段車は通らないと言ってました。

何とか無事に着いたのですが、駐車場、社務所がない小さな神社でした。勿論、御朱印は頂けませんでした。

【入鹿神社】


次に御朱印は頂いている写真は拝見したことのある蘇我都比古神社に向かいました。
こちらは時間が15:00前だったのですが、お留守みたいで社務所がしまっていました。
ご縁があればまた伺いたいと思います。

【蘇我都比古神社】


教科書では極悪人のように教わってきましたが、
勝者が歴史を書き替えることを考えれば、もしかしたら逆だったかもしれません。
蘇我入鹿の祟りがあったということですが、祟られる側にやましい気持ちがかければ成立はしません。

入鹿神社のある小綱町から蘇我都比古神社のある曽我町までの一帯はまさに蘇我の本拠地のような場所である。
つい最近まで入鹿を殺した藤原氏とは敵対していたと言います。多武峰では蘇我の入鹿を殺した中臣鎌足が祀られている。
多武峰の談山神社には決して参拝せず、多武峰の集落の人とは縁組みをしなかったとのことです。
小綱の近くの百済という集落(談山神社の所領)とも仲が悪かったといいます。

明日香からの帰り道(大阪に向けて)に見えた景色で右手側(西)の端には、斑鳩の地で聖徳太子が住まわれた地かな?と、でもその当時政治の中心の明日香からずいぶん離れてるな~。
車のない時代に通勤せ~へんよな~と思いを
馳せながら車を走らせ家に帰りました。

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