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eskky28

Author:eskky28
男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
斑鳩寺へ参拝
令和元年 十月十四日 斑鳩寺へ参拝
兵庫県揖保郡太子町鵤709にある寺院です。
天台宗の寺院。新西国三十三箇所第32番札所。



「即位礼正殿の儀」を拝見しておりませんでしたが、「謹んでお祝い申し上げます」。

即位礼正殿の儀が始まり、天皇皇后両陛下がその御姿を御見せになった途端、
雨は止み、日が差し始め、皇居に虹がかかり富士山までが姿を見せるという
本当に奇跡のようなことが起きたそうです。

次の日にネットで知り、鳥肌が立ちました。




ご住職(呼び方が分からないのですが)からご説明を頂いた時に、
推古天皇からこの地一帯の水田を聖徳太子が頂き、法隆寺に寄付をしたとのことです。
そして、その水田を管理する事務所みたいなことから始まり、斑鳩寺に変遷していったとのことだったと思います。
法隆寺を経済的に支えてきたとのことです。

しかし室町時代の戦禍を受けて、寺は燃やされました。復興したときに天台宗にかわったとのことでした。

斑鳩寺の参拝のメインは兵庫県太子町の斑鳩寺『聖徳太子の地球儀』をみることでした。
参拝後に宝物館と聖徳殿(聖徳太子の髪の毛を植えた像)を拝観させて頂く為に、
拝観料を500円を支払い案内して頂きました。写真撮影は不可でした。

まず『聖徳太子の地球儀』をガラス越しに拝観、金色のソフトボ-ルに凹凸があり
地図みたいに見えました。でもどこがどの国かまではわかりませんでした。
後は鎌倉時代の十二神将などを拝観させて頂きました。
十二という数字はユダヤと関わりの深い数字らしいと何かで読みました。

太子十六歳像(聖徳太子の髪の毛を植えた像)は、テレビ、雑誌などには出したことは
ないとのことでした。聖徳太子の父用明天皇がご病気されたときに、回復を願い、
池の水に映った自分の姿をみて製作(等身代とのこと)し、聖徳太子の髪の毛を植えたとのことです。

左手に何々(忘れました)右手にしゃくを持ち神仏融合を表しているとの説明でした。
本物の衣服を着ているので、痛むので60年に一度新しい衣服に交換するとのことでした。
上記にもある戦禍の火災では、太子十六歳像だけは持ち出したとのことでした。

歴史ある尊い秘仏が拝観できて、神妙にドキドキ、ワクワク、と興奮しました。
太子十六歳像は長髪でイケメンでした。ドラマ「東京ラブスト-リ-」の江口洋介さんみたいでした。

【聖徳太子の地球儀】
概要
表面には南北アメリカ大陸や、ユーラシア大陸などがレリーフのように描かれている。また、1800年代に発見された南極大陸に相当する大陸や、ムー大陸に相当する部分にも大陸が描かれている。西暦606年に聖徳太子によって建立されたと伝わる斑鳩寺には、聖徳太子ゆかりとされる宝物が所蔵されており、江戸時代に目録『常什物帳』が作成された。その中の「地中石」と記載されているのがこの地球儀であるといわれ、少なくともその頃から存在していたと考えられている。

科学的な分析
2003年3月に放映された日本テレビの『特命リサーチ200X』で、材質などの科学的な分析が行われた。分析結果により材質は石灰や海藻糊であることがわかった。建材としてよく知られている漆喰の技法で造られた可能性が高い。地球儀の表面には「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」という文字が書かれていることも判明した。

想像上の大陸「メガラニカ」
「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」とは、南半球に存在すると考えられていた想像上の大陸である。 南半球に巨大な大陸があるという説は、古くは2世紀古代ギリシアのプトレマイオスの地図に見られる。大航海時代にマゼランが、マゼラン海峡を発見した際に、現在のティエラ・デル・フェゴ島を幻の南方大陸の一部として報告したことから、メガラニカ大陸の名称が広まった。メガラニカとはマゼランのスペイン名にちなんで付けられた名称である。一般的には“未知の南方大陸”として知られている(伝説上の大陸)。

世界地図の伝来
日本における世界地図の歴史は、中国で刊行された『坤輿万国全図』(1602年)から始まる。イエズス会の宣教師マテオ・リッチにより伝えられたが、この地図には既に南半球に広がる広大な大陸「メガラニカ」が描かれていた。

地球儀の作製年代
メガラニカの名称が書かれていることから聖徳太子(574-622)の時代ではなく、1602年以降の製作である可能性が高い。『特命リサーチ200X』では、日本で最初の百科事典『和漢三才図会』(1712年)の編纂者、寺島良安が製作したという仮説を紹介している。『和漢三才図会』に掲載されている「山海輿地全図」と聖徳太子の地球儀の地形がほぼ一致するという理由などからである。これらのことから、聖徳太子の地球儀は江戸時代に作製された可能性が高い。

謎のムー大陸
この地球儀には「山海輿地全図」には存在しない大陸がムー大陸に相当する位置に描かれている。ムー大陸の初出は、ジェームズ・チャーチワード の、『失われたムー大陸』(1931年)で、「和漢三才図会」所載「山海輿地全図」より200年ほど後のことである。

原田実は加工の都合で場所と大きさを変えられたフィリピン・インドネシア・ミクロネシアの島々である、としている。
Wikipediaより抜粋

【社号標と仁王門】
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【社号標】
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【仁王門】
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【右手側の仁王像】
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【左手側の仁王像】
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【手水舎】
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【手水舎の吐水口】
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【正面の講堂】
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【講堂の屋根のあの狛犬?】
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【講堂の屋根のうんの狛犬?】
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【講堂の前にありました摩尼車】
一回まわすと般若心経を一巻読んだのと同じ功徳が頂けるそうです
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【聖徳殿】
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【聖徳殿の寄り】
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【聖徳殿の裏側の八角形の奥殿】
大正時代に増築されたそうです。ここに太子十六歳像(聖徳太子の髪の毛を植えた像)が祀ってあります。


【三重の塔】
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【御朱印】
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【本尊】
釈迦如来・薬師如来・如意輪観音(全て重文)
【宗派】
天台宗
【山号】
斑鳩山
【創建】
(伝)推古天皇14年(606年)
【開基】
(伝)聖徳太子
【正式名】
斑鳩山斑鳩寺
【別称】
はんきゅうじ
【札所等】
新西国三十三箇所第32番
西国薬師四十九霊場第23番
播州薬師霊場第18番
聖徳太子霊跡第28番
【文化財】
三重塔、釈迦如来坐像、薬師如来坐像、如意輪観音坐像ほか(国重要文化財)
【御由緒】
伝承によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜り、
大和国斑鳩宮から移住し当地を斑鳩荘(鵤荘)と命名、伽藍を建立した、とされ、これを斑鳩寺の始まりと伝える。

推古天皇14年(606年)に聖徳太子が推古天皇に法華経を講義して、播磨国の水田を賜ったことは史実と認められ、
その縁で当地に斑鳩寺が建てられたものと思われる。

長らく数十の坊庵を誇る大寺院であったが、室町時代後期の天文10年(1541年)4月7日
、守護大名である赤松氏・山名氏の戦禍を受け、灰燼に帰した。後に龍野城主・赤松政秀とその子赤松広英、
中興の昌仙法師等の発願で徐々に復興していった。
また復興を機に、従来法隆寺支院であったのを天台宗へ改めた。

豊臣秀吉から300石を寄進され、江戸時代には歴代将軍の御朱印地となった。
Wikipediaより抜粋


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大避神社へ参拝
令和元年 十月十四日 大避神社へ参拝
兵庫県赤穂市坂越1297番地に鎮座する神社です。
兵庫県赤穂市坂越(さこし)の宝珠山麓にある神社。旧社格は県社。
瀬戸内海三大船祭りの1つ「坂越の船祭り」(重要無形民俗文化財)で知られる。


この度の令和元年の台風19号により被災された皆様に心よりお見舞い申し上げます。

国民の安全に関わる公共工事はどんどん増やして頂きたいものです。
インフラの老朽化も含めて長期計画を立てて頂きたいです。
そうしたら建設関連会社も人材確保、設備投資の計画が立てれると思います。
経済効果も他へ波及していくと思うのですが・・・。



しばらく週末にサッカーが続くので、久しぶりに参拝させて頂こうと思いました。
西の方の天気は良さそうだったので、以前から気になっていた大避神社へ
参拝させて頂きました。
大避神社(ユダヤつながりで参拝させて頂きたかったです)➡斑鳩寺(聖徳太子の地球儀を拝見したかったのです)

ユダヤつながりで、大避の漢字は昔はしんにょうでなく門構えであり、
ダビデを表す漢字だったと本で見た事があった為に気になっていました。


今回は中国自動車道の宝塚ICから山陽自動車道の加古川北ICまで
高速道路(約40分で約1,400円)を使いました。
加古川北ICで降りてからの姫路バイパスは制限速度70キロで片側2車線あり
高速道路みたいで良かったです。

家を8時20分頃に出発した時には、雨が降っていて空もかなり曇っていました。
しかし高速に乗ってからは雨がやみ、だんだん晴れてきました。
少し肌寒かったのですが、厚くなりTシャツになるほど快晴になっていきました。

太子町(もちろん聖徳太子にまつわります。帰りに寄ります。)を越え揖保川も越えて、
大避神社へは10時30分頃に到着しました。
前日がお祭りだったみたいで、片付けで忙しそうでした。


【大避神社近く(徒歩3分ぐらい)にある無料の坂越駐車場】
愛車の向こう側は瀬戸内海になります。
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【秦河勝(聖徳太子の側近)ゆかりの地 坂越の看板  左側】
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【坂越の看板  右側】
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【鳥居と参道】
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【鳥居の扁額】
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【社号標】
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【隋神門前 あの狛犬】
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【隋神門前 うんの狛犬】
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【隋神門】
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【手水舎】
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【拝殿前 あの狛犬】
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【拝殿前 うんの狛犬】
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【拝殿】
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【境内側からみた隋神門と生島】
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【御朱印】
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【主祭神】
大避大神 - 秦河勝を指す
天照皇大神
春日大神

【創建】
大化3年(647年)頃

【社格等】
旧県社

【主な神事】
船渡御祭(10月第2日曜)

【摂末社】
新宮 - 聖徳太子・住吉大神・金比羅大神・海神社
天満神社 - 菅原道真-元の天神山(北之町)に鎮座
恵美須神社 - 蛭子神-元の本町海岸に鎮座
荒神社 - 竈神-元の東之町に鎮座
淡島神社 - 淡島大神-和歌山県の加太より勧請
稲荷神社

【ご由緒】
秦氏は、6世紀頃に朝鮮半島を経由して日本列島の倭国へ渡来した渡来人集団とされる。
秦河勝は秦氏の族長的人物として聖徳太子の元で活躍した人物である。
のち京都最古の寺とされる広隆寺を建立、聖徳太子より賜った弥勒菩薩半跏思惟像(国宝)を安置したとされる。
広隆寺近隣には大酒神社があるが、神仏分離政策に伴って広隆寺境内から分散し遷座したものとされ、
当社も大避(大酒)と云われる由縁の一つである。
河勝は太子死後の皇極3年(644年)、蘇我入鹿の迫害を避けて海路をたどって坂越に移り、
千種川流域の開拓を進めたのち、大化3年(647年)に80余歳で死去、
そして地元の民がその霊を祀ったのが当社の創建という。
神社正面の海上に浮かぶ生島(国の天然記念物)には秦河勝の墓があり神域となっているため、
現在でも人の立ち入りを禁じている。
神社には、河勝公が自ら彫ったか、聖徳太子から賜ったものとされ、
雅楽で使用された1300年前の蘭陵王の面が宝物として伝えられている。
河勝は猿楽の始祖とされており(『風姿花伝』第四)、観阿弥、世阿弥親子や、
楽家である東儀家などが末裔を称し、金春禅竹の金春流も河勝を初世として伝えている(『明宿集』)。
『播磨国総社縁起』の記述では、養和元年(1182年)に祭神中太神24座に列しており、
当時すでに有力な神社であったとされる。

【坂越の船祭り】
概要
毎年10月の第2日曜日に行われ、江戸時代初期、祭神の秦河勝が坂越に渡来した伝承を
再現する祭りとして始まったと言われる。「山のみか 海も紅葉の 秋まつり」と詠まれているごとく、
荘厳華麗かつ勇壮な神事で、我が国でも他に類をみない伝統的和船の祭礼(船渡御祭)として全国に知られる。
大阪天満宮の天神祭、安芸厳島神社の管絃祭とともに瀬戸内海三大船祭りの1つに数えられる。

進行
祭礼第1日目の宵宮は、河勝の墓とされる生島の古墳の前で墓前祭が行われる。
その後、歌船が御船歌を奏しながら浦々を巡り(磯洗い)、獅子組の青年と子供たちによる獅子舞が町内を巡る。
2日目の本宮(神幸式)は、午前中から獅子舞の里中奉舞が前日より続く中、
海上では櫂伝馬船による漕比べ(花回り)が磯を巡る。
正午過ぎに行われる御分霊御遷祭の後、猿田彦・神楽獅子の先祓いを先頭に
頭人番五町による宮出し行列が神社から浜までを下る。
浜辺で櫂伝馬船の青年たちによる勇壮な橋板バタ掛けが行われた後、御神体が神輿船に乗船し、
一番・二番の櫂伝馬、三番の獅子船、四番から八番までの頭人船、九番の楽船、十番の御神輿船、
十一番の警護船、十二番の歌船からなる和船12隻が船行列を組む。
そして獅子舞や御船歌、雅楽が奏でられる中、御旅所のある生島までを
海上の大名行列のごとく華麗に往復する(海上船渡御)。
御旅所での神事の終わる夕刻、十数基の篝火が浜で一斉に焚かれる中を
高張提灯を灯した船団が再び神社に還幸し、宮入鎮座祭を行ない一連の祭事が終了する。

文化財指定
坂越の船祭りで使用される和船(兵庫県指定有形民俗文化財)は伝統的造船技法により忠実に造られている。
祭礼はそれらの技術工芸と共に、儀礼・儀式での御歌、雅楽、船壇尻船の舞台での演芸や壇尻囃子など
雅やかな伝統芸能の要素が数多く含まれている。
また、船渡御の船団は現在でも二艘の櫂伝馬船の人力のみで曳航、
還幸は篝火と提灯の幻想的な明かりの中行われるなど、古来からの伝承のままを踏襲している。
平成4年(1992年)、文化庁により選択無形民俗文化財(記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財)に選択され、
平成24年(2012年)3月8日に、国の重要無形民俗文化財に指定された。
兵庫県下では7件目、西播磨地域では初の指定であった。 同年11月3日、国の重要無形民俗文化財指定を奉祝し、
船壇尻船の海上公演が64年振りに復活した。

【キリスト教神社説】
大避神社は渡来氏族・秦氏(はたし、はたうじ)に属する秦河勝を祭神としているが、
かつて中国の景教(=ネストリウス派キリスト教)を研究した学者・佐伯好郎は、
秦氏は大部分がペルシャに出自をもつと考えられるキリスト教に改宗したユダヤ人集団だった、
との説を唱えた(佐伯は、秦氏を、使徒時代以後のキリスト教徒であったに違いないが時代関係から景教徒ではありえず、
原始教会のキリスト教徒であったかも知れないと考えていた)。
そして佐伯は、大避神社の「大避」(おおさけ)とは、「避」と「闢 」が類字であることなどから、
本来、旧約聖書に出て来るダビデ王の漢訳「大闢」(ダヴィ、たいびゃく)の事であるとし、
大避神社はダビデ王を祀った神社であるとしていた。
佐伯は、これも秦河勝が創建にかかわった京都・広隆寺にゆかりの大酒神社(大辟神社)にも同様説を取っていた。
ただ、これらの説は、知識人にも興味を持つ人こそあれ、学問的にはほとんど支持されていない。
しかし現在でも、大避神社を語る上で欠かせない話題の一つであり、知る人ぞ知る話となっている。
なお当社には、キリスト教で重要視される「12」の数字にまつわる事象が多くある。
神社拝殿の天井絵(12×8枚)、拝殿へ向う階段、境内のヤスライ井戸の石柱、船渡御の祭礼船、
櫂伝馬船の漕ぎ手、神社を守る社家の数は全て12である。
また、祭りの日程(旧暦の9月12日)や、神社への初穂料(昔は12銅、現在は12の倍数)も12にまつわっている。
但し、日本が古来受け入れた文化にも、一年12か月や十二支、仏教の十二神将、或は十二天、
など12の数は少なからず出て来る事には注意しなければならない。
「12の数のミステリー」大避神社と江戸風情残る兵庫・坂越の街並みを歩く
Wikipediaより抜粋

いつもご訪問して頂きありがとうございました。
次回、斑鳩寺の参拝記録を書きます。
聖徳太子の地球儀、聖徳太子の髪の毛を植えた仏像も拝見させて
頂いた様子を書きたいと思います。


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廣田神社へ参拝
令和元年 七月七日 廣田神社へ参拝
兵庫県西宮市大社町7番7号に鎮座する神社です。

兵庫県西宮市にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(下八社)の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。


久しぶりに神社に参拝させて頂きました。
期間があくとブログの記事の書き方を忘れてしまいますからね。

家から車で約30分で到着しました。
散歩するかのように朝から参拝させて頂きました。
神社のそばに御手洗川という川がありました。
昔の名残りですかね、参拝前に身を清めていたんでしょうね。


【廣田神社 社号標と第一鳥居】
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【注連柱 第二鳥居】
四国の徳島で見た鳥居みたいでした。ホームペ-ジに書いてあり、注連柱というみたいです。
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【注連柱 第三鳥居】
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【御由緒看板】
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【手水舎】
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【境内】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【茅の輪くぐり】
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【茅の輪神事の看板】
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【拝殿】
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【拝殿と本殿】
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【境内社 摂社 伊和志豆神社】
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【御由緒看板】
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【境内社 末社 五末社】
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【境内社 末社 松尾神社】
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【祓所】
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【境内社 摂社 齋殿神社】
神功皇后の命を受けて、天照大神御魂を広田の地に祀った葉山媛命を祀る。例祭日は5月8日
元は境外にあったが、享保12年に境内に遷座した。
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【御神水】
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【千年前の西宮】
見にくいです。
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【江戸時代の西宮】
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【珍しい自販機】
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【兵庫県天然記念物  コバノミツバツツジ】
季節は違いますので看板だけです。
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【看板と同じ場所の現在です】
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【御朱印】
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【主祭神】
天照大神荒魂 (撞賢木厳之御魂天疎向津媛命(つきさかきいつのみたまあまさかるむかいつひめのみこと))
伊勢神宮内宮の第一別宮荒祭宮祭神と御同体

【脇殿神】
住吉大神
八幡大神
武御名方大神
高皇産霊神

【創建】
神功皇后元年(201年)

【社格等】
式内社(名神大)
二十二社(下八社)
旧官幣大社
別表神社

【ご由緒】
日本書紀に当社の創建のことが書かれている。神功皇后の三韓征伐に出発する際、天照大神の神託があり、
和魂が天皇の身を守り、荒魂が先鋒として船を導くだろうと言った。
皇后の留守の間に忍熊王が神功皇后とお腹の中にいる皇子(後の応神天皇)を亡きものにしようと
明石で待ち伏せていた。
戦いを終え、帰途それを知った神功皇后は、紀淡海峡に迂回して難波の港を目指した。
しかし、難波の港が目の前という所で、船が海中でぐるぐる回って進めなくなってしまった。
そこで兵庫の港に向かい、神意をうかがうと、天照大神の託宣があった。
「荒魂を皇居の近くに置くのは良くない。広田国に置くのが良い」と。
そこで皇后は、山背根子の娘の葉山媛に天照大神の荒魂を祀られた。
これが廣田神社の創建である。
このとき、生田神社・長田神社・住吉大社に祀られることになる神からも託宣があり、
それぞれの神社の鎮座が行われた。すると、船は軽やかに動き出し、忍熊王を退治することができた。
朝廷より篤い崇敬を受け、『延喜式神名帳』では名神大社に列し、
二十二社の一社とされ、たびたび奉幣勅使の派遣があった。
平安時代後期より、神祇伯白川家との関係が深く、代替わりのごとに当社に参詣していた。
中世には和歌の神として信仰されるようになり、社頭にて何度か歌合せが行われている。
当初は甲山山麓の高隈原に鎮座し、後に御手洗川のほとりに遷座したが、水害のため、
享保9年(1724年)に現在の西山の地に遷座し、1945年、空襲による全焼までは西側の廣田山に鎮座していた。
戦後、その東側の現在地に移転した。明治4年(1871年)には官幣大社に列格した(兵庫県で最初。
伊弉諾神宮は1931年に列格)。
かつて「向か津峰」と呼ばれた六甲山全山は、元は廣田神社の社領であったという。
六甲山大権現を古くからの祭神とする六甲山神社(むこやまじんじゃ石の宝殿=現廣田神社の摂社)と
六甲比命神社(むこひめじんじゃ)がかつての奥宮と考えられる。六甲比命神社は、
インドの渡来僧法道仙人によって大化の改新の頃に、付近の心経岩・雲ヶ岩とともに、
唐櫃(からと)の吉祥院多聞寺 (神戸市北区)(本尊は毘沙門天・吉祥天・禅膩師童子)奥の院とされた。
六甲山東麓の社家郷山は廣田神社宮司家の所有地であったその名残という。
昭和20年に空襲によって社殿を焼失、現在の本殿は伊勢神宮荒祭宮の旧社殿を
譲り受けて昭和31年に竣工したものである。平成13年に鎮座1800年の喜節を迎えた。
廣田神社を中心とする神社群は、京から西国方向を目指す街道上にある神社ということで
「西宮」(にしのみや)とも呼ばれていた。
「西宮」の語は、後に廣田神社の神郷一帯(現在の神戸市東部から尼崎市西部まで)を指すようになったが、
行政区画では廣田神社が武庫郡大社村、戎社(現・西宮神社)が西宮町となり、
現在は町村合併により西宮市に含まれている。
えべっさんで有名な西宮神社は元は廣田神社の摂社、浜南宮で、西宮神社境内の南宮神社がその原型といえる。
Wikipediaより抜粋

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再び保久良神社(ほくらじんじゃ)へ参拝
保久良神社(ほくらじんじゃ)、鷺宮八幡神社
平成三十一年 四月二十日 に参拝させて頂きました。

【保久良神社】は兵庫県神戸市東灘区本山町北畑680に鎮座する神社です。
兵庫県神戸市東灘区本山町の保久良山(金鳥山中腹)に鎮座する神社です。

【鷺宮八幡神社】は東灘区本山北町6-2-26に鎮座する神社です。保久良神社の御旅所です。
保久良神社の御朱印は保久良神社ではなく岡本駅近くの鷺宮八幡神社の社務所で頂けます。
鷺宮(サギノミヤ)産宮(サンミヤ)とも称し、北畑地区の氏神として崇敬され、
天和、貞享、元禄の寺社改帳に記載され古くより人々の心のよりどころであります。
保久良神社の境外末社(御旅所)としても有名です。
【御祭神】天照大神、八幡大神、春日大神
【合祀】 熊野大神、高倉下命、稻田宮主命、大山津見命、八衢比古命、八衢比賣命、經莫戸神


御旅所(おたびしょ)とは、神社の祭礼(神幸祭)において神(一般には神体を乗せた神輿)が
巡行の途中で休憩または宿泊する場所、或いは神幸の目的地をさす。
巡行の道中に複数箇所設けられることもある。御旅所に神輿が着くと御旅所祭が執り行われる。
御旅所には神社や祭神にまつわる場所や氏子地域にとって重要な場所が選ばれている。
元宮、摂末社や配偶神を祀る神社などのような社殿があるもののほか、
元の鎮座地などに臨時の祭殿を設けたり、氏子の代表(頭人)の家に迎える場合などがある。
Wikipediaより

古代文明「カタカムナ」の聖地として人気のスポット、
未知の古代文明「カタカムナ」の遺跡として有名な神戸・保久良神社みたいです。
今から約1万2千年以上前、つまり縄文時代よりも前の時代に、日本で栄えていた文明の名前です。
カタカムナ文明を証明する一冊の古文書には、不可思議な形をした古代文字が記されています。

カタカムナ文字は直線と曲線そして点で構成された文字で、記号のように独特な形をしています。
古文書には、そのような幾何学的な模様をしたカタカムナ文字がらせん状に配置されて記されています。

「カタカムナ文明」と称する超古代文明の存在を主張したのが、楢崎 皐月(ならさき さつき)です。
1948年頃から全国の電位分布実測調査を行ううち、六甲山山系の金鳥山での生活中に、
平十字と名乗ると宮司と出会い、「カタカムナ文字」とされる巻物を大学ノートに書き写し、
古事記や日本書紀など古代の文献を手がかかりとして、研究に研究を重ねた楢崎は、
古文書の謎の模様は文字であるとつきとめ、古文書の解読に成功しました。

そして、カタカムナ文明という失われた文明が日本に存在していたということを明らかにしたとのことらしいです。


本日は御朱印を頂いてきました。


本日、再び近くの六甲山へハイキングをしてきました。
今回は前回のハイキング部?の方たちと4人で登りました。
天気も大変良く、青空で最高に気持ち良かったです。


【ロックガ-デン入口?】
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【金玉大明神】
前回は気が付きませんでしたが、変わったお名前ですね。
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【岩場】
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【中腹の風吹岩の看板】
私たちはここまでで隣駅に向けて下って行きます。
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【ダニエルというお店のカヌレというケ-キ?】
集合場所の芦屋川駅の近くにあるお店「ダニエル」の美味しいという噂のケ-キを買ってきてくれて
頂きました。しっとりしてて大変美味しかったです。写真も背景がボケてカッコよく撮れました。
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【保久良神社の裏にある磐座  神生岩(かみなりいわ)】
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【灘の一つ火】
当社の燈明は「灘の一つ火」と呼ばれ、古くから沖を行き交う船の目印となってきたという。
現存の石灯籠は1825年(文政八年)に建てられたもの。
その昔、日本武尊が夜に航路がわからなくなった時、保久良神社の灯火が見え無事に難波へ帰りつけた話が有名で、
船人の目印とされていたそうです。
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【保久良神社社号碑と鳥居】
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【手水舎】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【拝殿引き】
桜がキレイでした。
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【拝殿アップ】
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【摂社?】
確か御祭神は天照大御神でした。
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【遥拝所】
伊勢神宮の方角でしょうか?
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【磐座 立岩】
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【鷺宮八幡神社 手水舎】
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【鷺宮八幡神社 拝殿】
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【保久良神社の御朱印】
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【鷺宮八幡神社の御朱印】
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【主祭神】
須佐之男命
大国主命
大歳御祖命
椎根津彦命

【創建】
不明

【社格等】
式内社(小)

【ご由緒】
創立に関する詳細は不明であるが、境内外に多数の磐座群が見られ古代祭祀の場であったと考えられる。
境内外地より石器時代、青銅器時代、弥生時代後期の弥生式土器や石斧、石剣など種々の遺物、
特に有名な物として約20cmの銅戈(重要文化財)が出土している。
その何れもが儀礼的用途をもつものと考証され、祝部土器、
玻璃性勾玉も発見され祭祀は非常に古い時代から行われていたと考えられる。
保久良神社由緒書によると「社名の起因も、椎根津彦命の子孫たる倉人水守等が祖先を祭祀し奉る、
三韓役の戦利武器を収蔵するより」とあり、元来の主祭神は神武東征時速吸門(明石海峡)に
現れて軍勢を先導した椎根津彦命である。
椎根津彦命は保久良神社の南に位置する神戸市東灘区の青木(おうぎ)の浜に
青亀(おうぎ)の背に乗ってこの浜に漂着したという伝承があり、それが青木(おうぎ)の地名の由来となった。
吉井良隆は当社を「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長であったとされ、
西宮夷の奥夷社の元宮」と推測している。
また、「住吉大社神社記」には布久呂布山の名が見え、「攝津志」には建長二年重修の棟札を
所持せる事が記載されている。
社頭の灯明台の神火は「灘の一つ火」と呼ばれる常夜灯である。
その言われは、日本武命が熊襲遠征の帰途、夜に航路がわからなくなった時、
保久良神社の灯火が見え無事に難波へ帰りつけた事にあり、
以来「沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや」の古謡通り、広く崇敬され、
航海者の一針路となっていた。
市街に近いので再度山、高取山、旗振山らと同じように、
「毎日登山」が行われており1000回以上の登山者が多数いる。
Wikipediaより抜粋


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保久良神社(ほくらじんじゃ)へ参拝
平成三十一年 三月二十三日 保久良神社(ほくらじんじゃ)へ参拝
兵庫県神戸市東灘区本山町北畑680に鎮座する神社です。
兵庫県神戸市東灘区本山町の保久良山(金鳥山中腹)に鎮座する神社です。

私の大好きな歴史の古い、古代祭祀の磐座のある神社でした。
御朱印は頂けていません。


本日はボルダリングの師匠に誘われて、近くの六甲山へハイキングをしてきました。
師匠のハイキング仲間(師匠は3回目)の方と3人で登りました。

芦屋川駅~ロックガーデン~風吹岩(中腹)~保久良神社~岡本駅のコースです。
山頂ではなく中腹で折り返して別ル-トで降りていきました。

芦屋川駅に10時集合で岡本駅(隣駅)に15時過ぎだったと思います。
初心者にはちょうど良い感じだったと思います。
ロックガ-デンといわれてるところは、岩場で両手も使いながら登り面白かったです。

風吹岩(中腹)では猪とも遭遇して驚きビビリました。
猪注意、猪に餌を与えないで下さいの看板はよく見かけたのですが
本当に出会うとは思ってなかったです。

下りは膝が心配でしたが、ストックも借りて何とか違和感ぐらいで済みました。
ストックはかなり楽になり驚き助かりました。
楽過ぎずしんど過ぎずで、駅に着いて座ると疲れたなと感じました。


また、いろんな処を登りたいです。
今日は、息子のお下がりのリュックとジョギングシュ-ズ(少し滑りやすかった)で登ったので、
今度は両親が軽い登山をしていたので、リュックとストックを借りようと思います。

靴は普段も履きたい黄色のハイキングシュ-ズ(防水で透湿で滑りにくい)を購入して、
本日到着しましたので履きならししていきたいと思います。



【中腹から見た景色】
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【ロックガ-デン】
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【風吹岩(中腹)】
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【風吹岩(中腹)のネコ】
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【風吹岩(中腹)の猪】
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【保久良神社そばの磐座】
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【保久良神社の鳥居と社号碑】
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【保久良神社の御由緒看板】
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【手水舎】
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【手水舎の龍】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【拝殿】
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【磐座 立岩】
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【ハイキングシュ-ズ】
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【主祭神】
須佐之男命
大国主命
大歳御祖命
椎根津彦命

【創建】
不明

【社格等】
式内社(小)

【ご由緒】
創立に関する詳細は不明であるが、境内外に多数の磐座群が見られ古代祭祀の場であったと考えられる。
境内外地より石器時代、青銅器時代、弥生時代後期の弥生式土器や石斧、石剣など種々の遺物、
特に有名な物として約20cmの銅戈(重要文化財)が出土している。
その何れもが儀礼的用途をもつものと考証され、祝部土器、
玻璃性勾玉も発見され祭祀は非常に古い時代から行われていたと考えられる。
保久良神社由緒書によると「社名の起因も、椎根津彦命の子孫たる倉人水守等が祖先を祭祀し奉る、
三韓役の戦利武器を収蔵するより」とあり、元来の主祭神は神武東征時速吸門(明石海峡)に
現れて軍勢を先導した椎根津彦命である。
椎根津彦命は保久良神社の南に位置する神戸市東灘区の青木(おうぎ)の浜に
青亀(おうぎ)の背に乗ってこの浜に漂着したという伝承があり、それが青木(おうぎ)の地名の由来となった。
吉井良隆は当社を「椎根津彦命は大阪湾北側を支配する海部の首長であったとされ、
西宮夷の奥夷社の元宮」と推測している。
また、「住吉大社神社記」には布久呂布山の名が見え、「攝津志」には建長二年重修の棟札を
所持せる事が記載されている。
社頭の灯明台の神火は「灘の一つ火」と呼ばれる常夜灯である。
その言われは、日本武命が熊襲遠征の帰途、夜に航路がわからなくなった時、
保久良神社の灯火が見え無事に難波へ帰りつけた事にあり、
以来「沖の舟人 たよりに思う 灘の一つ火 ありがたや」の古謡通り、広く崇敬され、
航海者の一針路となっていた。
市街に近いので再度山、高取山、旗振山らと同じように、
「毎日登山」が行われており1000回以上の登山者が多数いる。
Wikipediaより抜粋

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