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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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竹田城跡、養父神社、粟鹿神社へ参拝 |
令和二年十一月十五日に竹田城跡、養父神社、粟鹿神社へ参拝
兵庫県朝来市和田山町竹田古城山169番地にあります。
竹田城跡は、標高353.7mの古城山山頂に築かれた山城です。古城山の山全体が虎が伏せているように見えることから、別名「虎臥城(とらふすじょう、こがじょう)」とも呼ばれています。天守台・本丸を中心に、三方に向けて放射状に曲輪が配置されており、縄張りの規模は東西に約100m、南北に約400m、「完存する石垣遺構」としては全国屈指の規模を誇ります。築城当時は土塁で守られていた城が、最後の城主赤松広秀により、今に残る総石垣造の城に改修されたとされます。平成18年に「日本100名城」に選定されました。
前日登山をしていたので、行くかかなり悩んだのですが、 雲海を見る為の条件が晩秋、気温差10°、晴れとなっていて、行くしかないと朝4時30分に目覚ましをセットしました。 二度寝して5時頃起きました。
朝5時30分頃に出発、高速道路で約90分で到着しました。 途中の高速の丹波らへんで、雲海(凄いキリ)の中をバッチリだなと思いながらゆっくり車で走りました。
「山城の郷」というところの駐車場に停めたかったのですが、7時の時点で満車で別の駐車場を案内されました。 円山川を越えたところで、駐車場は無料でした。 8時頃には雲海がなくなってしまうらしく、登山道で約30~40分と書いてあったので、かなりあせりました。 ここまで来て見れなかったら最悪です。 7時20分頃に裏道登山道の登山口に着きました。 急いで登ったのと、前日の登山とで少しきつかったです。暑くて最後にはTシャツとジ-パンで歩いていました。
雲海になんとか間に合いました。肉眼のようには写真では伝わりにくいですね。
【7時過ぎに駐車してすぐの円山川】
【雲海になんとか間に合いました】
【日本のマチュピチュ】
【裏道登山口の近くにある閻魔様?】
【裏道登山口と紅葉】戻ってきました
【8時45分頃の円山川】
続きは次回にします。 ご訪問して頂きありがとうございました。
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板宿八幡神社(須磨アルプス)へ参拝 |
令和二年十月二十五日に板宿八幡神社へ参拝 板宿八幡神社(いたやどやはたじんじゃ、いたやどはちまんじんじゃ)は、兵庫県神戸市須磨区板宿町にある神社。
主祭神 誉田別尊(ホンダワケノミコト)
配祀神 菅原道真(スガワラノミチザネ) 大日孁貴命(オオヒルメノミコト)
【御由緒の看板】
あまりにも天気が良く、急に山歩きをかねて出発することにしました。 いつかはと思い、歩くコースは本で見てはいました。 朝10時30分頃に車で出発、遅くなってはいけないと思い、行きは高速にしました。約60分。 歩くコースのゴールが神社に設定し、板宿駅と神社の間のコインパーキングに駐車しました。 60分200円で800円でした。16時頃駐車場に着いて90分ぐらいかかって地道で帰りました。 近いようで遠かったです。
板宿駅→新長田駅→徒歩で乗換→長田駅→須磨駅→徒歩で乗換→須磨浦公園駅
乗換を2回しました。下調べ不足で1本で行けると思っていたので焦りました。 まず板宿駅で乗車しようとホームに行っても目的の駅が載っていないのです。 駅員さんに聞きました。 須磨駅に到着した時に次だろうと思い立ってドアの上にある、駅の案内をみると載っていなくて 慌てて降りました。 駅員さんに聞いて乗換ました。
下調べって重要ですね。いつも思いますが。
【須磨浦公園駅】山登りスタート地点。電車乗換疲れしました。
【芭蕉の俳句】
【俳句の看板】
【鉢伏山山頂】低い山ですが登りはキツイです。
【旗振山山頂】
【鉄拐山山頂】
【高倉山】
【栂尾山山頂】
【淡路島と淡路海峡大橋】天気よくて見晴らし最高です。
【横尾山山頂】
【馬の背】
【馬の背 首元?】背中から登っていきます。楽しいです。
【名勝 馬の背】
【東山山頂】ハロウィンになっていました。
【板宿八幡神社 鳥居】
【手水舎】
【手水舎 龍の吐水口】コロナで止めているところが多いのですが、ボタンで出てきました。
【拝殿】
【拝殿 扁額】
【本殿 あの狛犬】
【本殿 うんの狛犬】
【本殿】
【境内からみた鳥居と景色】瀬戸内海。
【御朱印】
ご訪問して頂きありがとうございました。
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六甲山最高峰へ |
令和二年七月二十四日
六甲山にまたまたまた登ってきました。 今回はいよいよ念願の山頂まで登ってきました。約7時間、人生最長の山登り時間です。 天気予報が悪く直前まで悩みましたが、昼からの雨で降水量も1時間で1㎜ぐらいだったので 決行することになりました。 私は晴れの経験しかないので良い経験になるかと思いました。
パパ友の方(山登りの先輩)と朝6時30分に近所のバス停で集合して出発しました。 いつもの芦屋川駅前を7時40分にスタートしました。 12時15分頃に六甲山最高峰(931m)に到着しました。 山頂の手前の登りが結構急な登りできつかったですね。
その少し手前から雨が降ってきたので、折り畳み傘(前日にアドバイスされ持っていて良かった)を出しました。 山頂付近で昼食をとりTシャツを着替えて(これも前日のアドバイスにより快適になりリフレッシュ)からレインコートを着ました。 そこからは山の反対側の有馬温泉(太閤秀吉で有名だと思う)に下り、温泉で汗を流しビールを飲みました。 最高でした。
【中腹の見晴らしの良いところからのパパ友の山登り先輩】
【中腹の見晴らしの良いところからの私】
【いつもの折り返し地点の風吹岩と猫】工事中で入れないです。
【白山の宮 第二鳥居】だいぶ頂上に近いところに神社がありました。雨が降っていたので次回に参拝させて頂きます。
【白山の宮 御祭神の看板】
【山之地大神の石碑】
【白山の宮 第一鳥居】
【白山の宮 第一鳥居 扁額】
【六甲山最高峰】真っ白で景色は何も見えませんでした。
【ビールとハイボールで乾杯】有馬温泉で入浴後、お疲れ様でした。
無事に下山出来ました。登りはキツ過ぎて嫌になるのですが、 頂上まで登ると忘れるんですかね。また登りたいです、間をあけて夏以外に。
またいろいろ山登り、神社参拝していきたいです。 いつもご訪問頂きありがとうございます。
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中山を散歩? |
令和二年七月十九日
本日は、兵庫県宝塚市にある中山(標高約478m)という山に朝から登ってきました。 散歩のつもりでしたが岩山、大きな石がゴロゴロしていて完璧に山登りでした。
いつもよく行く六甲山より少し北側にあります。 車で約15分で山本駅というところへ行き、コインパーキングに停めて8時に山登りスタートしました。 中山頂上まで登り、隣の中山寺駅へ12時30分頃に到着して電車で戻りました。
今度の連休にパパ友(中2の娘が幼稚園の時から家族で仲良くして頂いています。高2の息子たちも同級生です)の方と いよいよ初の六甲山(標高約931m)の頂上へ一緒に登る約束をしています。 山登りやアウトドアに慣れている方なので、いろいろ教えてもらったり、たまに一緒に登ってもらいたい思っています。
頂上からは反対側の有馬温泉へ降りて、「温泉で汗を流してビールを飲んで帰ろう」と凄く楽しみにしています。 最近、週末は箕面の滝まで散歩していたのですが、 六甲山最高峰が控えているので鍛える意味で本日登って来ました。
【大聖不動尊の門?】住宅街を抜けて少し山道に入ったところ、スタート地点的な門ですね。
【最明寺滝】
【宝塚ロックガーデン】
【ロックガーデンを登り切ったところからの見晴らし】
【中山最高峰】
【夫婦岩】中山寺の奥之院参道にありました。
【市杵島姫命神社 鳥居】
【扁額】
【手水舎】
【御由緒の石碑】
【あの狛犬】
【うんの狛犬】
【拝殿】
【御朱印】
私にとっては本格的な登山みたいでした。 滑ったり(一度しりもちつきました)、カクッとぐねったり(捻挫はせず)、石に小指をぶつけたり(一瞬だけ痛かった)と、 靴も登山靴必要かもと時々思いました。杖を出さずに下りましたが、痛みは出なかったです。 登りの途中で膝に違和感をかんじたので、サポーターを巻いていました。
ちょうど降りてきたところにキレイな神社がありましたので、参拝させて頂きました。 御朱印は書き置きしてありましたので、お賽銭箱に支払って頂いてきました。 日付けは私が書きました。
早く梅雨が空けますように。
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斑鳩寺へ参拝 |
令和元年 十月十四日 斑鳩寺へ参拝 兵庫県揖保郡太子町鵤709にある寺院です。 天台宗の寺院。新西国三十三箇所第32番札所。
「即位礼正殿の儀」を拝見しておりませんでしたが、「謹んでお祝い申し上げます」。
即位礼正殿の儀が始まり、天皇皇后両陛下がその御姿を御見せになった途端、 雨は止み、日が差し始め、皇居に虹がかかり富士山までが姿を見せるという 本当に奇跡のようなことが起きたそうです。
次の日にネットで知り、鳥肌が立ちました。
ご住職(呼び方が分からないのですが)からご説明を頂いた時に、 推古天皇からこの地一帯の水田を聖徳太子が頂き、法隆寺に寄付をしたとのことです。 そして、その水田を管理する事務所みたいなことから始まり、斑鳩寺に変遷していったとのことだったと思います。 法隆寺を経済的に支えてきたとのことです。
しかし室町時代の戦禍を受けて、寺は燃やされました。復興したときに天台宗にかわったとのことでした。
斑鳩寺の参拝のメインは兵庫県太子町の斑鳩寺『聖徳太子の地球儀』をみることでした。 参拝後に宝物館と聖徳殿(聖徳太子の髪の毛を植えた像)を拝観させて頂く為に、 拝観料を500円を支払い案内して頂きました。写真撮影は不可でした。
まず『聖徳太子の地球儀』をガラス越しに拝観、金色のソフトボ-ルに凹凸があり 地図みたいに見えました。でもどこがどの国かまではわかりませんでした。 後は鎌倉時代の十二神将などを拝観させて頂きました。 十二という数字はユダヤと関わりの深い数字らしいと何かで読みました。
太子十六歳像(聖徳太子の髪の毛を植えた像)は、テレビ、雑誌などには出したことは ないとのことでした。聖徳太子の父用明天皇がご病気されたときに、回復を願い、 池の水に映った自分の姿をみて製作(等身代とのこと)し、聖徳太子の髪の毛を植えたとのことです。
左手に何々(忘れました)右手にしゃくを持ち神仏融合を表しているとの説明でした。 本物の衣服を着ているので、痛むので60年に一度新しい衣服に交換するとのことでした。 上記にもある戦禍の火災では、太子十六歳像だけは持ち出したとのことでした。
歴史ある尊い秘仏が拝観できて、神妙にドキドキ、ワクワク、と興奮しました。 太子十六歳像は長髪でイケメンでした。ドラマ「東京ラブスト-リ-」の江口洋介さんみたいでした。
【聖徳太子の地球儀】 概要 表面には南北アメリカ大陸や、ユーラシア大陸などがレリーフのように描かれている。また、1800年代に発見された南極大陸に相当する大陸や、ムー大陸に相当する部分にも大陸が描かれている。西暦606年に聖徳太子によって建立されたと伝わる斑鳩寺には、聖徳太子ゆかりとされる宝物が所蔵されており、江戸時代に目録『常什物帳』が作成された。その中の「地中石」と記載されているのがこの地球儀であるといわれ、少なくともその頃から存在していたと考えられている。
科学的な分析 2003年3月に放映された日本テレビの『特命リサーチ200X』で、材質などの科学的な分析が行われた。分析結果により材質は石灰や海藻糊であることがわかった。建材としてよく知られている漆喰の技法で造られた可能性が高い。地球儀の表面には「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」という文字が書かれていることも判明した。
想像上の大陸「メガラニカ」 「墨瓦臘泥加(メガラニカ)」とは、南半球に存在すると考えられていた想像上の大陸である。 南半球に巨大な大陸があるという説は、古くは2世紀古代ギリシアのプトレマイオスの地図に見られる。大航海時代にマゼランが、マゼラン海峡を発見した際に、現在のティエラ・デル・フェゴ島を幻の南方大陸の一部として報告したことから、メガラニカ大陸の名称が広まった。メガラニカとはマゼランのスペイン名にちなんで付けられた名称である。一般的には“未知の南方大陸”として知られている(伝説上の大陸)。
世界地図の伝来 日本における世界地図の歴史は、中国で刊行された『坤輿万国全図』(1602年)から始まる。イエズス会の宣教師マテオ・リッチにより伝えられたが、この地図には既に南半球に広がる広大な大陸「メガラニカ」が描かれていた。
地球儀の作製年代 メガラニカの名称が書かれていることから聖徳太子(574-622)の時代ではなく、1602年以降の製作である可能性が高い。『特命リサーチ200X』では、日本で最初の百科事典『和漢三才図会』(1712年)の編纂者、寺島良安が製作したという仮説を紹介している。『和漢三才図会』に掲載されている「山海輿地全図」と聖徳太子の地球儀の地形がほぼ一致するという理由などからである。これらのことから、聖徳太子の地球儀は江戸時代に作製された可能性が高い。
謎のムー大陸 この地球儀には「山海輿地全図」には存在しない大陸がムー大陸に相当する位置に描かれている。ムー大陸の初出は、ジェームズ・チャーチワード の、『失われたムー大陸』(1931年)で、「和漢三才図会」所載「山海輿地全図」より200年ほど後のことである。
原田実は加工の都合で場所と大きさを変えられたフィリピン・インドネシア・ミクロネシアの島々である、としている。 Wikipediaより抜粋
【社号標と仁王門】
【社号標】
【仁王門】
【右手側の仁王像】
【左手側の仁王像】
【手水舎】
【手水舎の吐水口】
【正面の講堂】
【講堂の屋根のあの狛犬?】
【講堂の屋根のうんの狛犬?】
【講堂の前にありました摩尼車】 一回まわすと般若心経を一巻読んだのと同じ功徳が頂けるそうです
【聖徳殿】
【聖徳殿の寄り】
【聖徳殿の裏側の八角形の奥殿】 大正時代に増築されたそうです。ここに太子十六歳像(聖徳太子の髪の毛を植えた像)が祀ってあります。
【三重の塔】
【御朱印】
【本尊】 釈迦如来・薬師如来・如意輪観音(全て重文) 【宗派】 天台宗 【山号】 斑鳩山 【創建】 (伝)推古天皇14年(606年) 【開基】 (伝)聖徳太子 【正式名】 斑鳩山斑鳩寺 【別称】 はんきゅうじ 【札所等】 新西国三十三箇所第32番 西国薬師四十九霊場第23番 播州薬師霊場第18番 聖徳太子霊跡第28番 【文化財】 三重塔、釈迦如来坐像、薬師如来坐像、如意輪観音坐像ほか(国重要文化財) 【御由緒】 伝承によれば、推古天皇14年(606年)、聖徳太子が推古天皇から播磨国揖保郡の土地360町歩を賜り、 大和国斑鳩宮から移住し当地を斑鳩荘(鵤荘)と命名、伽藍を建立した、とされ、これを斑鳩寺の始まりと伝える。
推古天皇14年(606年)に聖徳太子が推古天皇に法華経を講義して、播磨国の水田を賜ったことは史実と認められ、 その縁で当地に斑鳩寺が建てられたものと思われる。
長らく数十の坊庵を誇る大寺院であったが、室町時代後期の天文10年(1541年)4月7日 、守護大名である赤松氏・山名氏の戦禍を受け、灰燼に帰した。後に龍野城主・赤松政秀とその子赤松広英、 中興の昌仙法師等の発願で徐々に復興していった。 また復興を機に、従来法隆寺支院であったのを天台宗へ改めた。
豊臣秀吉から300石を寄進され、江戸時代には歴代将軍の御朱印地となった。 Wikipediaより抜粋
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