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プロフィール |
Author:eskky28
男、47才、A型 趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史) 日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)
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三ノ宮神社と伊吹山寺へ参拝 |
令和二年十一月十四日に三ノ宮神社と伊吹山寺へ参拝
三ノ宮神社は滋賀県米原市上野1101に鎮座しています。 御祭神は大国主命(オオクニヌシノミコト)、大山咋命(オオヤマクイノミコト)、玉依姫命(タマヨリヒメノミコト) 781年頃が三之宮神社の創祀(神社のはじまり)と伝えられています。江戸時代までは「三之宮如一権現」と称していました。
伊吹山寺は、滋賀県米原市上野にある寺院。伊吹山山頂にあります。 天台宗。本尊は薬師如来。 三修上人が開山。 伊吹山は日本七高山の一つで、江戸時代には、鉈(なた)の一刀彫の仏像で知られる円空上人が、三修上人と同じく八合目の行道岩で修行した。円空上人が彫った北海道洞爺湖・中島観音堂の観音像の背には「江州伊吹山平等岩(行道岩)僧」とある。
パパ友の山登り先輩と朝7時に出発。9時頃に到着。日本百名山のひとつ伊吹山に登山してきました。 16時過ぎに下山。石がゴロゴロしていて、すごく歩きにくかったです。
【朝9時の伊吹山】
【三ノ宮神社 鳥居】登山口隣にあります。近くの駐車場に。400円でした。
【社号標】
【手水舎】
【イチョウの木】なんかキレイ。
【伊吹山一等三角点】
【たぶん御嶽山】
【たぶん白山】
【伊吹山頂 日本武尊像】
【昼食】
【伊吹山寺】
【伊吹山寺の扁額】中は撮影禁止でした
【御朱印】
【白い猪像】日本武尊と戦ったという神話の猪?
【夕焼けの伊吹山】
【伊吹野そば】
【十割蕎麦】パパ友注文のニシンそば。私は天ぷらそばを御馳走になりました。
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多賀大社へ参拝(滋賀) |
平成二十九年 十月七日参拝
多賀大社へ参拝させて頂きました。
多賀大社(たがたいしゃ)は、滋賀県犬上郡多賀町多賀にあります。 伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれてきました。 また、神仏習合の中世期には「多賀大明神」として信仰を集めました。
家から高速道路で約2時間ぐらいだったと思います。 すごく大きな無料駐車場がありました。 少し神社まで離れていたので、歩いていると道に迷っていると、 地元の人が気軽に声をかけてくれて助かりました。
神社の端にある日向神社の鳥居の写真を撮っていると、夜にくると ライトアップされててすごく綺麗ですよとまた別の方が声をかけて頂きました。 声をかけて頂くのが初めてでしかも2回もあったので、何か親近感が湧きました。
お守りとしてしゃもじを授ける「お多賀杓子(おたがじゃくし)」という慣わしがあるが、 これは「お玉杓子」や「オタマジャクシ」の名の由来とされています。
日本最古の書物「 古事記」によると、この両神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、我国の国土、 続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。 このように、命の親神様であることから、古くから延命長寿、縁結び、厄除けの霊神として信仰を集め、鎌倉から江戸時代にかけては、武家や民衆の信仰が一気に広まりました。
「お伊勢参らばお多賀へ参れ お伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度 お多賀さまへは月参り」との俗謡もあり、ここに見る「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子であることによる。
【多賀大社 鳥居】
【多賀大社 太鼓橋】
【多賀大社 摂社(境内社)で延喜式内社の日向神社】 御祭神は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)
【多賀大社 寿命石 】 寿命石は、後白河上皇に東大寺の再建を命じられた俊乗坊重源が、延命を祈願した石だと伝えられています。ご祈願の際は、用意された白石に住所・氏名を書き、石の上に置くと効果が高いそうです。
【多賀大社 御朱印】 【御祭神】 伊邪那岐命 伊邪那美命 【創建】 不明 『古事記』以前の神代と考えられています 【ご由緒】 和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』の写本のうち真福寺本には「故其伊耶那岐大神者坐淡海之多賀也。」 「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」(いざなぎのおおかみは あふみのたがに ましますなり)との記述があり、 これが多賀大社の記録だとする説がある。 ただし『日本書紀』には「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」とあり、 国産み・神産みを終えた伊弉諾尊が、最初に生んだ淡路島の地に幽宮(かくりみや、終焉の御住居)を構えたとあり、 『古事記』真福寺本の「淡海」は「淡路」の誤写である可能性が高いとのことです。
『古事記』以前の時代には、一帯を支配した豪族・犬上君の祖神を祀ったとの説があります。
なお、摂社(境内社)で延喜式内社の日向神社は瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を、同じ摂社の山田神社は猿田彦大神を祀る。 多賀胡宮とも呼ばれる別宮の胡宮(このみや)神社は、伊邪那岐命・伊邪那美命・事勝国勝長狭(コトカツ クニカツ ナガサノミコト)の3柱を祀り、多賀社の南方2kmの小高い丘(神体山)に鎮座する。授子・授産、鎮火の神として崇敬されています。
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滋賀県大津市近郊を参拝 |
平成二十九年 一月九日参拝
今回の参拝は、休日に配達のみの仕事で 滋賀県まで行くことになり、その帰りに 参拝しようと思いました。
僕の浅い思考回路では、滋賀県=比叡山延暦寺でした。 そしてたしか日吉大社があったかなと。 大津市の神社で一の宮を調べたら、建部大社がでてきました。 あと三井寺、石山寺も考えておりましたが 時間と持ち合わせのこともあり、この2寺は 今回はあきらめました。
しかし、お寺はたいがい拝観料約700円、 駐車場代約500円ぐらいは必要になりますね。
ということで日吉大社→比叡山延暦寺→建部大社という順に参拝させて頂きました。
日吉大社 本殿など凄く歴史ある古さでした。 広い敷地だったと思います。駐車場も無料で50台停められるそうです。1/9は200円必要でしたが。 後から知ったのですが西本宮と東本宮にわかれていたそうです。多分、西本宮しかお詣りしてないと思います。
比叡山延暦寺 ロープウェイ往復切符1620円、拝観料700円でした。麓は晴れていたのですが、ロープウェイを降りたら霧がかっていて雨も降っていました。 仙人がいてるイメージでした。 雨、霧の中、良い写真がひとつもなく、お堂もたくさんあり写真を省いたりしていました。 ロープウェイで下ると麓は、やはり晴れていました。
建部大社 この神社には平安時代の末期、平家に捕らわれた14歳の源頼朝が伊豆へ流刑される途上な訪れ、 源氏再興を強く祈願し願いを達成されたことから ここは長く開運と出世、必勝の神社とされてきた。 「人生諦めずに毎日を過ごしてゆけば必ずいい結果を出すことができる。くよくよせずに時を待て」というパワーをいただけるのだ。 と「さらにパワーをいただける神社の謎」 合田道人著に載っていました。 あと建部大社の禰宜は大野神社(約車で30分のところ)の宮司の次男というこちらしいです。 ちなみに大野神社は人気グループの「嵐」のファンでごった返してるらしいです。 (嫁さんもお詣り済みでした) 建部大社の駐車場は無料で停められました。
【日吉大社 山王鳥居】
【日吉大社 御朱印】
【御祭神】 西本宮:大己貴神(大国主神に同じ) 東本宮:大山咋神 【創建】 崇神天皇7年(紀元前91年) 【御由緒】 文献では、『古事記』に「大山咋神、亦の名を山末之大主神。此の神は近淡海国の日枝の山に坐し」とあるのが初見だが、これは、日吉大社の東本宮の祭神・大山咋神について記したものである。日枝の山(ひえのやま)とは後の比叡山のことである。日吉大社は、崇神天皇7年に日枝山の山頂から現在の地に移されたという。
【比叡山延暦寺 根本中堂 御朱印】
【本尊】 薬師如来 【創建】 延暦7年(788年) 【宗派】 天台宗 【山号】 比叡山 【御由緒】 平安時代初期の僧・最澄(767年 - 822年)により開かれた日本天台宗の本山寺院である。住職(貫主)は天台座主と呼ばれ、末寺を統括する。
【建部大社 鳥居】
【建部大社 御朱印】
【御祭神】 日本武尊 【創建】 景行天皇46年(116年) 【御由緒】 景行天皇の46年、神勅により御妃 布多遅比売命(ふたじひめのみこと)(父は近江安国造)が、御子稲依別王(いなよりわけのみこ)と共に住まわれていた神崎郡建部の郷(御名代の地)に尊の神霊を奉斎されたのが当社の草創であって、その後天武天皇白鳳4年(675年)、当時近江国府の所在地であった瀬田の地に迀祀し、近江一宮として崇め奉ったのが現在の当大社です。
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