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eskky28

Author:eskky28
男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
日向大神宮(大文字山)へ参拝
令和三年三月七日に日向大神宮へ参拝
京都市山科区日ノ岡一切経谷町292に鎮座しています。


五山の送り火の大文字焼で有名な(テレビ画面でしかみたことがありませんが)大文字山に登りました。
銀閣寺の方から登り、琵琶湖疏水の蹴上駅へ下りていく途中に日向大神宮が鎮座しています。

内宮(上ノ本宮)ないく(かみのほんぐう)
天照大御神(アマテラスオオミカミ)
多紀理毘売命(タギリヒメノミコト)
市寸島比売命(イチキシマヒメノミコト)
多岐都比売命(タギツヒメノミコト)

外宮(下ノ本宮)げく(しものほんぐう)
天津彦火瓊々杵尊(アマツヒコホニニギノミコト)
天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)

山頂からの下りになるので、参拝順が逆になります。


【大文字焼きの火床】
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【山頂からの京都の景色】多分向かいに見えている山のほうに次回登ります。
嵐山に駐車して、低山を越えて神護寺に参拝して嵐山に戻ります。足疲れてしばらく歩くのが嫌になりました。
すぐ忘れますけど。
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【天の岩戸】くぐってきました。
岩には穴が開いており、奥行き5メートルほどの通路があり、中ほどには天手力男命(あめのたじからおのみこと)を祀った「戸隠神社(とがくしじんじゃ)」があります。天手力男命は神話では岩戸に隠れている天照大御神を引き出し、世界に明るさを戻したと伝わる筋力・腕力を象徴する神様です。この岩戸を手前から奥にくぐり抜けることで、心身の穢れが落ち、開運・厄除けの御利益があるといわれています。
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【内宮拝殿 鳥居】
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【外宮拝殿】
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【御祭神看板】
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【御由緒看板】
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【手水舎】
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【鳥居】
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【社号標と第一鳥居】
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【疎水 蹴上】
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【御朱印】コロナの為に書置きでした。
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【活動内容】ヤマップいう地図無料アプリを使用しています。山登りで重宝しています。
事前に2ヵ所まで地図をダウンロ-ドでき、オフラインで見れGPSで現在位置がわかり、
歩行時間、消費カロリ-、歩行軌跡が自動で保存してくれます。
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銀閣寺へ参拝
令和三年三月七日に銀閣寺へ参拝
京都府京都市左京区銀閣寺町2にある寺院。

正式名称を東山慈照寺といい、相国寺の塔頭寺院の一つ。名の由来は金閣寺に対し、銀閣寺と称せられることとなったといわれています。
臨済宗相国寺派の寺院。相国寺の境外(けいがい)塔頭である。室町時代後期に栄えた東山文化を代表する建築と庭園を有する。

室町幕府第8代将軍足利義政が鹿苑寺の舎利殿(金閣)を模して造営した楼閣建築である観音殿は銀閣(ぎんかく)、観音殿を含めた寺院全体は銀閣寺(ぎんかくじ)として知られる。「古都京都の文化財」の一部としてユネスコ世界遺産に登録されている。銀閣は、金閣、飛雲閣(西本願寺境内)とあわせて京の三閣と呼ばれる。

山号 東山(とうざん)
院号 慈照院殿
宗旨 禅宗(臨済宗)
宗派 臨済宗相国寺派
寺格 相国寺境外塔頭
本尊 釈迦如来
創建年 延徳2年(1490年)
開山 夢窓疎石(勧請開山)
開基 足利義政
正式名 東山慈照禪寺
別称 銀閣寺、銀閣
東山殿、東山山荘


【銀閣寺 山門前の通り】
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【銀閣寺  案内図】
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【銀閣寺  御由緒看板】
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【銀閣寺と砂山】
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【銀閣寺と逆さ銀閣寺】
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【銀閣寺裏側から見た屋根うえの鳳凰】
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【御朱印】
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熊野若王子神社へ参拝
令和三年三月七日に熊野若王子神社へ参拝
京都府京都市左京区若王子町2に鎮座しています。

御祭神
国常立神(くにとこたちのみこと)
伊佐那岐神(いざなぎのみこと)
伊佐那美神(いざなみのみこと)
天照大神(あまてらすおおみかみ)

熊野若王子神社(くまのにゃくおうじじんじゃ)は社伝によると1160年(永暦元年)に後白河上皇(第77代・後白河天皇)が紀州・熊野三所権現を勧請し、永観堂(禅林寺)の守護神として創建したのが起源と言われています。熊野若王子神社の名称は天照大神(あまてらすおおみかみ)の別称である若一王子に由来しているそうです。


観光客が少ない冬の時期、外国人も少ないうちに京都へ行こうと思っていました。
緊急事態宣言も解除されたので京都へ行ってきました。

この日の予定
熊野若王子神社→哲学の道→銀閣寺→大文字山→日向大神宮→山元麺蔵(うどん屋で有名)→岡崎神社

今回は熊野若王子神社です.。くまのにゃくおうじじんじゃ。わかおうじと思っていました。
何故、熊野若王子神社に参拝させて頂いたかというと哲学の道の起点だったからです。

【駐車場】一日最大800円。たぶん安いほうだと思います。本日のコースで、我ながらよく考えた場所に駐車しました。
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【案内板】
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【熊野若王子神社】
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【手水舎】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【拝殿】
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【拝殿と扁額】扁額の熊野大権現という文字にカラスは何羽いるでしょうか?三羽とも二十羽という人もいるでしょう。
すべてにおいていずれも正しく、物事を色々な視点から見なければならないという教えの一説が込められているそうです。
アップした写真でないのでみえないかもしれません。
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【御朱印】
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鞍馬寺、貴船神社へ参拝
鞍馬寺、貴船神社へ参拝(令和二年八月十六日)
鞍馬寺      京都府京都市左京区鞍馬本町1074にある寺院です。
貴船神社  京都府京都市左京区鞍馬貴船町180に鎮座する神社です。



家から車で約90分で鞍馬駅前に9時頃到着しました。
駅前に駐車場があるのでそこへ駐車させて頂きました。
一日停めて500円でした。15台ぐらいの半分あいていました。

軽い山歩きしながら参拝させて頂きました。
鞍馬駅→鞍馬寺→鞍馬山山頂(通行不可で断念)→貴船神社本宮→結宮→奥宮→鞍馬寺→鞍馬駅
ゆっくり写真撮りながら参拝して歩き、約3時間30分かけて駐車場へ戻ってきました。


【鞍馬駅前の天狗】
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【鞍馬寺 寺号標】呼び方が分かりませんが社号標に対しました。
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【仁王門(山門)】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【阿形の仁王像】
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【吽形の仁王像】
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【仁王門の看板】
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【参道】青空と朱色と緑がキレイですね。
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【参道に鹿】
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【由岐神社 鳥居と手水舎】
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【由岐神社の御由緒看板】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【由岐神社 拝殿】
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【義経供養塔】
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【義経供養塔 看板】
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【金堂 手水舎】
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【あの狛虎】狛犬でないんですね。
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【うんの狛虎】
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【金堂】
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【金堂前の六芒星の床】金剛床というそうで、パワー頂けそうですね。
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【鞍馬寺 御朱印】
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【本尊】
尊天(毘沙門天王・千手観世音菩薩・護法魔王尊)
【宗派】
鞍馬弘教
【山号】
鞍馬山
【創建】
伝・宝亀元年(770年)
【開基】
伝・鑑禎
【札所等】
新西国三十三箇所第19番
【文化財】
木造毘沙門天立像・木造吉祥天立像・木造善膩師童子立像・鞍馬寺経塚遺物一括(国宝)
木造聖観音立像・木造兜跋毘沙門天立像・黒漆剣・剣(無銘)・銅燈篭・鞍馬寺文書(重要文化財)

【歴史】
寺に伝わる『鞍馬蓋寺縁起』(あんばがいじえんぎ)が草創縁起を伝えており、鑑真の高弟・鑑禎が宝亀元年(770年)に草庵を結び、毘沙門天を安置したのが始まりという。鑑禎は、鑑真が唐から伴ってきた高弟8名のうちの最年少の弟子であった。宝亀3年(772年)のある夜、鑑禎は霊夢を見、山城国の北方に霊山があると告げられる。霊山を尋ねて出かけた鑑禎は、ある山の上方に宝の鞍を乗せた白馬の姿を見る。その山が鞍馬山であった。山に入った鑑禎は女形の鬼に襲われ殺されそうになるが、あわやという時、枯れ木が倒れてきて鬼はつぶされてしまった。翌朝になると、そこには毘沙門天の像があったので、鑑禎はこれを祀る一寺を建立したという。この鑑禎の話は『鞍馬蓋寺縁起』以外の書物には見えず、どこまで史実を伝えるものかわからない。ただし、清水寺の草創縁起と同様、南都(奈良)の僧が創建にかかわったとしている点は注目される。

『今昔物語集』『扶桑略記』など諸書には別の伝承が見られる。それによれば、延暦15年(796年)、藤原南家の出身で造東寺長官を務めた藤原伊勢人は、自分の個人的に信仰する観音菩薩を祀る寺を建てたいと考えていた。伊勢人は、ある夜見た霊夢のお告げにしたがい、白馬の後を追って鞍馬山に着くと、そこには毘沙門天を祀る小堂(上述の鑑禎が建てたものであろう)があった。「自分は観音を信仰しているのに、ここに祀られているのは毘沙門天ではないか」と伊勢人はいぶかしがった。ところが、その晩の夢に1人の童子が現われ、「観音も毘沙門天も名前が違うだけで、実はもともと1つのものなのだ」と告げた。こうして伊勢人は千手観音の像をつくって、毘沙門天とともに安置し、鞍馬寺を創建したという。この伝承は『日本後紀』延暦15年(796年)の条に東寺の造営の任に当たっていた藤原伊勢人の夢に現在の鞍馬寺からほど近い貴船神社の神が現れ鞍馬寺を建立するよう託宣したと記されていることからほぼ史実であると考えられる。

9世紀末の寛平年間(889年 - 897年)に東寺の僧・峯延(ぶえん)が入寺したころから、鞍馬寺は真言宗寺院となる。天慶3年(940年)には鞍馬山の麓に宮中から由岐大明神が移され、由岐神社が建立され、鞍馬寺の鎮守社となった。

12世紀に延暦寺の僧・重怡(じゅうい)が入寺し、保延年間(1135年 - 1140年)に天台宗に改宗し、以後は青蓮院の支配下にあった。

寛治5年(1091年)には白河上皇が参詣、承徳3年(1099年)には関白藤原師通が参詣するなど、平安時代後期には広く信仰を集めていたようである。『枕草子』は「近うて遠きもの」の例として鞍馬寺の九十九(つづら)折りの参道を挙げている。

鞍馬寺は大治元年(1126年)の火災をはじめとして、たびたび焼失しているが、その都度復興されている。

鎌倉時代の寛喜元年(1229年)、青蓮院門跡座主が鞍馬寺検校職を兼務する。これ以来、鞍馬寺は正式に青蓮院の末寺となった。しかし、江戸時代の享保15年(1730年)には青蓮院の他、日光輪王寺の末寺ともなった。

この頃、鞍馬寺には塔頭が十院(真勝院・月性院・妙寿院・宝積院・大蔵院・吉祥院・戒光院・歓喜院・円光院・福生院)、さらに九坊(普門坊・松円坊・妙覚坊・薬師坊・本住坊・乗円坊・梅本坊・実相坊・蔵之坊)が存在し、栄えていた。しかし、文化11年(1814年)には一山炎上する大火災があり、以後は衰退してしまう。

そんな中の安政2年(1855年)には日光輪王寺のみの末寺となった。

1868年(明治元年)には再び青蓮院の末寺となり、廃仏毀釈の後も復興事業を進めていた。しかし、1945年(昭和20年)、本殿などが焼失してしまう。このため、現在の堂宇はいずれも新しいものであるが、仏像などの文化財は豊富に伝えられている。

昭和期の住職・信楽香雲(しがらきこううん)は、1947年(昭和22年)に鞍馬弘教を開宗。1949年(昭和24年)には天台宗から独立して鞍馬弘教総本山となっている。

京都の奥にある鞍馬山は山岳信仰、山伏による密教も盛んであった。そのため山の精霊である天狗もまた鞍馬に住むと言われる。鞍馬に住む大天狗は僧正坊と呼ばれる最高位のものであり、また鞍馬山は天狗にとって最高位の山のひとつであるとされる。

【本尊】
京都の北に位置する鞍馬寺は、もともと毘沙門天(四天王のうち北方を守護する)を本尊とし、併せて千手観世音を祀った寺院であった[1]。しかし、鞍馬弘教立教後の現在の鞍馬寺の信仰形態は独特のもので、本尊についても若干の説明を要する。

鞍馬弘教立教後の寺の説明によると、鞍馬寺本殿金堂(本堂)の本尊は「尊天」であるとされる。堂内には中央に毘沙門天、向かって右に千手観世音、左には護法魔王尊が安置され、これらの三身を一体として「尊天」と称している。「尊天」とは「すべての生命の生かし存在させる宇宙エネルギー」であるとする。また、毘沙門天を「光」の象徴にして「太陽の精霊」・千手観世音を「愛」の象徴にして「月輪の精霊」・魔王尊を「力」の象徴にして「大地(地球)の霊王」としている。鞍馬寺とは、どこにでも存在する「尊天」のパワーが特に多い場所にして、そのパワーに包まれるための道場であるとしている。「尊天」のひとり、「護法魔王尊」(サナート・クマラ)とは、650万年前(「650年」の間違いではない)、金星から地球に降り立ったもので、その体は通常の人間とは異なる元素から成り、その年齢は16歳のまま、年をとることのない永遠の存在であるという[注釈 1]。

本殿金堂の毘沙門天・千手観世音・護法魔王尊はいずれも秘仏であり60年に一度丙寅の年のみ開帳されるが、秘仏厨子の前に「お前立ち」と称する代わりの像が常時安置されている。お前立ちの魔王尊像は、背中に羽根をもち、長いひげをたくわえた仙人のような姿で、鼻が高い。光背は木の葉でできている。多宝塔に安置の護法魔王尊像も同じような姿をしている。このことから「鞍馬天狗」とはもともと護法魔王尊であったと思われる。また、16歳とされているわりに歳をとった姿をしている。
Wikipiediaより抜粋

長くなりましたので続きは次回に致します。
ご訪問して頂きありがとうございました。

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賀茂御祖神社(下鴨神社)に参拝
賀茂御祖神社(下鴨神社)に参拝
平成三十年九月二十三日に参拝
京都府京都市左京区下鴨泉川町59に鎮座する神社です。

賀茂御祖神社は通称は下鴨神社(しもがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。
国際連合教育科学文化機関 (UNESCO=ユネスコ)の世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

賀茂別雷神社(上賀茂神社)とともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)と総称される。
両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名。
本殿には、右に賀茂別雷命(上賀茂神社祭神)の母の玉依姫命、
左に玉依姫命の父の賀茂建角身命を祀るため「賀茂御祖神社」と呼ばれる。
金鵄および八咫烏は賀茂建角身命の化身である。
境内に糺の森(ただすのもり)、御手洗川、みたらし池がある。
神社は2つの川の合流点から一直線に伸びた参道と、その正面に神殿、という直線的な配置になっている。
御手洗社の水は葵祭の斎王代清めの聖水である。現存。飲料可。


【西参道鳥居】
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【手水舎】
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【南口鳥居】
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【さざれ石】
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【相生社】
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【相生社の御由緒看板】
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【連理の賢木(れんりのさかき)】その姿から縁結びの御利益があるとされている。
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【連理の賢木(れんりのさかき)の看板】
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【楼門】
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【中門】
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【鴨の社えと詣 看板】
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【御手洗池】確かおみくじを池の水に浮かべると字が浮かんでくると何かで見た気がします。
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【御朱印】
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【主祭神】
東殿:玉依姫命 (たまよりひめのみこと) - 賀茂別雷命(上賀茂神社の祭神)の母
西殿:賀茂建角身命 (かもたけつぬみのみこと) - 玉依姫命の父(賀茂別雷命の祖父)

【創建】
不詳
(崇神天皇7年頃?)

【社格等】
式内社(名神大)
山城国一宮
二十二社(上七社)
旧官幣大社
勅祭社
別表神社

【本殿の様式】
流造

【ご由緒】
京都の社寺では最も古い部類に入る。社伝では、神武天皇の御代に御蔭山に祭神が降臨したという。
また、崇神天皇7年に神社の瑞垣の修造の記録があるため、この頃の創建とする説がある。
一説には、天平の頃に上賀茂神社から分置されたともされる。
上賀茂神社とともに奈良時代以前から朝廷の崇敬を受けた。
平安遷都の後はより一層の崇敬を受けるようになり、大同2年(807年)には最高位の正一位の神階を受け、
賀茂祭は勅祭とされた。『延喜式神名帳』では「山城国愛宕郡 賀茂御祖神社二座」として名神大社に列し、
名神・月次・相嘗・新嘗の各祭の幣帛に預ると記載される。
弘仁元年(810年)以降約400年にわたり、斎院が置かれ、皇女が斎王として賀茂社に奉仕した。
平安時代中期以降、21年毎に御神体を除く全ての建物を新しくする式年遷宮を行っていたが、
本殿2棟が国宝に指定されたため、現在は一部を修復するのみである。
Wikipediaより抜粋

いつもご訪問して頂きありがとうございました。

岐阜城の記事の後、続きは次回と書いていましたが完全に忘れていました。
近いうちに書きたいと思います。

5/2に念願の飛騨高山にも行きましたので、こちらも忘れないうちに書きたいと思います。

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