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eskky28

Author:eskky28
男、46才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
日前宮(にちぜんぐう)へ参拝
日前宮(にちぜんぐう) へ参拝 令和元年 八月十三日

和歌山県和歌山市秋月365に鎮座している。

日前神宮・國懸神宮(ひのくまじんぐう・くにかかすじんぐう)は、和歌山県和歌山市にある神社。
1つの境内に日前神宮・國懸神宮の2つの神社があり、総称して日前宮(にちぜんぐう)あるいは名草宮とも呼ばれる。
両社とも式内社(名神大)、紀伊国一宮で、旧社格は官幣大社。現在は神社本庁に属さない単立神社。

神体の鏡はいずれも伊勢神宮内宮の神宝である八咫鏡と同等のものとされる。
八咫鏡は伊勢神宮で天照大神の神体とされていることから、
日前宮・國懸宮の神はそれだけ重要な神とされ準皇祖神の扱いをうけていた。
日神(天照大神)に対する日前神という名称からも、特別な神であると考えられている。
また、伊勢国が大和国への東の出口に対して、当社は西の出口にあるため、
伊勢神宮とほぼ同等の力を持っていたといわれている。

日前神宮の祭神である日前大神は天照大神の別名でもあり、朝廷は神階を贈らない別格の社として尊崇した。
神位を授けられることがなかったのは伊勢神宮をおいては日前・國懸両神宮しかなかった。
なお、日前大神が天照大神の別名とされることについては諸説がある。



またまた久しぶりに神社に参拝させて頂きました。


家から車で約90分で到着しました。12時15分頃出発しました。
盆休み中でしたが、行きも帰りも渋滞が一切なく走れました。
気持ち良かったです。

駐車場は参拝者は無料でした。
境内は写真撮影禁止だったので少な目です。
参拝中に蚊にたかられると思ったのですが、一度もたかられずでした。
気温のせい?ですかね、良かったです。

【鳥居と愛車アクセラの半ケツ】
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【社号標】
二社書かれていて珍しいですね。
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【鳥居】
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【手水舎】
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【御由緒看板】
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【灯篭の奥に拝殿と本殿があります】
入口から向かって左に日前神宮、右に國懸神宮がある。
どちらから参拝させて頂こうか迷ったのですが、数組の参拝者たちが左の日前神宮から参拝していたので
私も同様に参拝致しました。記事を書いてて気が付いたのですが、狛犬がなかったです。珍しいですね。
201908132323531ed.jpeg


【駐車場でお待ちの愛車】
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【御朱印】
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【主祭神】
日前神宮
主祭神
日前大神 (ひのくまのおおかみ)
日像鏡(ひがたのかがみ)を神体とする。
相殿神
思兼命(おもいかねのみこと)
石凝姥命(いしこりどめのみこと)


國懸神宮
主祭神
國懸大神 (くにかかすのおおかみ)
日矛鏡(ひぼこのかがみ)を神体とする。
相殿神
玉祖命(たまのやのみこと)
明立天御影命(あけたつあめのみかげのみこと)
鈿女命(うづめのみこと)

【御神体】
日前神宮:日像鏡
國懸神宮:日矛鏡

日像鏡・日矛鏡(ひがたのかがみ・ひぼこのかがみ)とは、石凝姥命が八咫鏡(三種の神器の一つ)に先立って造った鏡とされ、
現在は日前神宮・國懸神宮(和歌山市)の御神体と伝わる。

【創建】
(伝)神武天皇2年

【社格等】
式内社(名神大)
紀伊国一宮
旧官幣大社

【摂社】
天道根神社 - 祭神:天道根命
天孫降臨の時、天道根命は二種の神鏡とともに従臣として仕え、神武天皇二年春二月、
紀伊國を賜り初代國造職に任命されました。
紀氏は天道根命の末裔にあたり、歴代に渉り國造職を受け継ぎ
明治十年三月二十一日には官命を以て日前國懸両神宮の摂社として定められました。

中言社 - 祭神:名草姫命、名草彦命
日本書紀では、神武東征のとき、河内国で長髄彦に追い返され、
神武一行は次に和歌山に上陸し、その地の名草という女賊を誅したと書かれている。
一方和歌山の口承では、「名草は負けなかった。神武軍を追い払った。」とされている。
と何かのブログでみました。

【末社】
深草神社 - 祭神:野槌神
邦安神社 - 祭神:松平頼雄命
市戎神社 - 祭神:蛭子神
松尾神社 - 祭神:大山咋神、中津島姫命(市杵島姫命)
以上、Wikipediaより抜粋

【ご由緒】
創建二千六百餘年を溯る日前神宮・國懸神宮は、同一境内に座します二社の大社をなしております。
日前神宮は日像鏡(ひがたのかがみ)を御神体として日前大神を奉祀し
國懸神宮は日矛鏡(ひぼこのかがみ)を御神体として國懸大神を奉祀しております。
神代、天照大御神が天の岩窟に御隠れになられた際、
思兼命(おもいかねのみこと)の議(はかりごと)に従い種種の供物を供え、
天照大御神の御心を慰め和んで頂くため、石凝姥命(いしこりどめのみこと)を治工とし、
天香山(あめのかぐやま)から採取した銅を用いて天照大御神の御鏡(みかがみ)を鋳造しました。
その初度に鋳造された天照大御神の御鏡前霊(さきみたま)が、
日前國懸両神宮の御神体として奉祀されたと『日本書紀』に記されております。
天孫降臨の際、三種の神器とともに両神宮の御神体も副えられ、神武天皇東征の後、
紀伊國造家の肇祖に当たる天道根命(あめのみちねのみこと)を紀伊國造(きいのくにのみやつこ)に任命し、
二つの神鏡を以て紀伊國名草郡毛見郷の地に奉祀せられたのが当宮の起源とされています。
その後、崇神天皇五十一年、名草郡濱ノ宮に遷宮され、
垂仁天皇十六年には名草郡萬代宮すなわち現在の場所に遷幸され、
永きに渉り鎮座の地として今に至っております。
爾来、天道根命の末裔である紀氏(きいし)によって歴代奉祀され、
両神宮の祭神が三種の神器に次ぐ宝鏡とされたために、伊勢の神宮に次いで朝廷からの崇敬も篤く、
延喜の制には両社とも明神大社に列し、祈年(としごい)、月次(つきなみ)、相嘗(あいなめ)、
新嘗(にいなめ)の祭祀には天皇から幣帛(御供)を賜るほどでありました。
また古くから紀伊國一之宮として一般の人々からも崇敬をあつめ、両神宮の総称を「日前宮」(にちぜんぐう)とし、
親しみをもって呼ばれています。
戦国時代におきましては、豊臣秀吉の天正の兵乱により境内荒廃、
社領没収の憂き目に逢いましたが、徳川の時代に入り紀州藩初代藩主、
徳川頼宣(とくがわよりのぶ)が入国されるや社殿を再興され、明治四年太政官布告による神格の制が治定されると、
官幣大社(かんぺいたいしゃ)に列し、敬神崇祖の大義を示すことと相成りました。
大正八年の国費による境内建物すべての改善工事によって旧観は一新され、
大正十五年三月の完成をもって現在の姿となっております。
ホームページより抜粋

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青岸渡寺と飛瀧神社へ参拝(和歌山)
平成三十年 五月四日参拝

前回に引き続いて、青岸渡寺と飛瀧神社へ参拝させて頂きました。
熊野那智大社の拝殿隣に青岸渡寺(西国三十三所第一番札所)、
徒歩15分ぐらいで別宮の飛瀧神社(那智御瀧)が鎮座しています。

【西国三十三所】
はじまりは718年で巡礼最古とのことです。

平成30年(2018年)に西国三十三所は草創1300年を迎えます。
それに伴い、2016年~2020年までの5年間に、各札所で普段は非公開の
お堂や諸尊のご開帳や庭の公開、寺宝の観覧、月1回1札所で特別な御朱印をいただく巡礼など
草創1300年を記念する行事が多数あるそうです。
特別な年となるこの機会に西国三十三所の札所を参拝する旅へお出かけくださいとのことです。

718年、長谷寺の徳道上人が仮死状態で閻魔大王と会い「悩める衆生を救う為、
三十三所の霊場巡りを広めよ」と託宣を受けたことに始まり、
33の霊場を設けるも当時はあまり普及せず…。
約270年後、託宣を受けた花山法皇自ら巡礼したことで人々に普及し、現在も親しまれています。


【飛瀧神社(那智御瀧)】
那智の奥、大雲取連山から流れている流水が大滝となっており、
全山に那智48滝と申すように数多の滝があり、一番高いのが那智御瀧です。

御瀧そのものを大己貴命が現れた御神体としてお祀りしております。
熊野の神様は元々ここでお祀りされていました。


私の左膝もそろそろ限界が近くなってきてそうです。
鈍い痛みが少しで出してきました。重たい感じです。

階段の下りはゆっくりと半身で下りました。


晩御飯に地のマグロ定食を食べて、帰りは4時間ちょっとかかるので、
夜食として地のめはり寿司(高菜の葉を巻いたおにぎりなものでした)を購入して
帰りました。
多分19時過ぎにでて23時30分頃家に到着しました。
渋滞もほとんどなく熊野の山のど真ん中を通って帰りました。


今回の日帰り熊野三山巡りでは、時間的に諦めましたが、
次回は『花の窟(いわや)神社』にも参拝させて頂きたいです。
イザナミの御陵があります。この神社には社殿はなく、
窟そのものが御本殿であり御神体となっています。

【西国第一番 なちさん霊場の石碑】
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【青岸渡寺  山門】
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【青岸渡寺  階段左手にある回転する石】
回転させながら上ると良いと何かで読んだのですが、覚えていません。
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【青岸渡寺  本堂】
こちらも改修工事していました。
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【青岸渡寺  御朱印】
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【青岸渡寺から飛瀧神社に向かう途中】
ネットでおススメされていた「黒飴ソフトクリーム」非常に美味しかったです 見晴亭 青岸渡寺から歩いてすぐ
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【青岸渡寺  三重塔と那智の滝】
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【飛瀧神社  第一の鳥居】
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【飛瀧神社  第一の鳥居の扁額】
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【飛瀧神社  那智御瀧 世界遺産の石碑】
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【飛瀧神社  那智御瀧と鳥居】
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【飛瀧神社  那智御瀧】
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【飛瀧神社  那智御瀧への道のパワ-スポット】
すさまじいパワ-スポット、両手広げて深呼吸して霊気を取り込むと
良いと江原啓之氏の本『神紀行』に載っていました。
私は忘れていて霊気を取り込んでないです。
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【飛瀧神社  御朱印】
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【熊野那智大社  熊野牛王 御神符】
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【まぐろ専門店!「桂城(かつらぎ)」】
ネットでおススメされてました。約1時間待ちました。熊野那智大社から車で15分くらいのところです。駐車場あります。
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【まぐろ定食 1,600円】
刺身3切れすべて食べてから写真に撮りました。つい忘れてしまいます。
マグロカツ、マグロの鉄板焼き、マグロのそぼろ?お味噌汁もマグロの骨付き?
地元で上がったマグロとのことです。非常に美味しかったです。
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『青岸渡寺』
【山号】
那智山
【宗旨】
天台宗
【本尊】
如意輪観音菩薩
【創建年】
伝・仁徳天皇治世(4世紀)
【開基】
伝・裸形上人
【札所等】
西国三十三所第1番
神仏霊場巡拝の道第2番
東海近畿地蔵霊場特別
東海白寿三十三観音特別
【文化財】
本堂、宝篋印塔、那智山経塚出土品8点(重要文化財)、熊野三山(史跡)
【ご由緒】
熊野三山の信仰が都の皇族・貴族に広まったのは平安時代中期以降であり、
青岸渡寺および隣接する熊野那智大社についても創建の時期等については判然としない。
伝承では仁徳天皇の時代(4世紀)、天竺(インド)から渡来した裸形上人による開基とされ、
同上人が那智滝の滝壺で得た金製の如意輪観音を本尊として安置したという。
後に推古天皇の勅願寺となり、6世紀末 - 7世紀初に生仏聖(しょうぶつひじり)が伽藍を建立し、
丈六の本尊を安置して、その胎内に裸形上人感得の如意輪観音を納めたという。
以上はあくまでも伝承であるが、那智滝を中心とする自然信仰の場として早くから開けていたと思われる。
中世から近世にかけて、隣接する熊野那智大社とともに神仏習合の修験道場であり、
如意輪堂と称されたその堂舎は、那智執行に代表される社家や
那智一山の造営・修造を担う本願などの拠点であった。
(Wikipediaより抜粋)


『飛瀧神社』
【御祭神】
大己貴神
【創建】
不詳
【ご由緒】
那智の奥、大雲取連山から流れている流水が大滝となっており、
全山に那智48滝と申すように数多の滝があり、一番高いのが那智御瀧です。
一の瀧とも申し、高さ133m・銚子口の幅13m ・瀧壺の深さは10m以上あり、
流下する水量は普通毎秒1トン程度といわれています。
この滝の上流には二の滝、三の滝があり総称して那智の大滝とされ、国の名勝になっています。
また下流には滝修行で有名な文覚滝(もんがくのたき)があります。
水は生命の母と申し、那智山信仰の根元であります。古来、延命長寿の信仰が篤く、
数多の滝修行者や参拝の人々が詣で、今日もこの御瀧の水は延命長寿の水として尊ばれています。
(Wikipediaより抜粋)

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熊野那智大社へ参拝(和歌山)
平成三十年 五月四日参拝

熊野那智大社へ参拝させて頂きました。
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町那智山1に鎮座しています。
熊野三山の一つ。熊野夫須美大神を主祭神とする。
かつては那智神社、熊野夫須美神社、熊野那智神社などと名乗っていた。
また、熊野十二所権現や十三所権現、那智山権現ともいう。
熊野那智大社の社殿および境内地は、
ユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』
(2004年〈平成16年〉7月登録)の構成資産の一部。(Wikipedia)


御創建1700年とのことです。

主祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、イザナミノミコト)
夫須美(ふすみ)とは「むす」という生成発展を意味する言葉であり、
同時に「結(むすび)」という意味を持っています。
このため、かつては「結宮(むすびのみや)」という通称で呼ばれていました。
他の二山と違い、御滝の神様を併せ祀っているため一柱多く神様を奉斎しています。
元々は御滝の近くで祀られていましたが、約1,700年前に現在の場所に遷りました。

右側から参拝すると本で読んだのですが、現在工事中につき拝殿からの
参拝のみでした。

前回からの続きです。

予定では熊野速玉大社を13時30分に出発し、熊野那智大社の大門坂駐車場に
14時30分頃着、14時40分頃参拝に出発の予定でした。
2約時間の参拝コ-スの予定をしていて、御朱印が頂けるのが16時30分までだと
思うのでギリギリのスケジュ-ルでした。


それなのに神倉神社の駐車場で待ち、忘れ物をして神倉神社から熊野速玉大社に取りに戻り、
熊野速玉大社の駐車場は、離れの河原で奥の方に停めて、国道までは渋滞でした。

スマホのナビを那智大社に設定すると熊野速玉大社から1時間15分くらいでした。
(混雑ないと45分ぐらいのはずでしたが)
時刻はちょうど14時でした。
「熊野那智大社の3社目の御朱印は、諦めなしゃ-ないか」
「廻れるだけ参拝しよう」
と車を走らせました。

すると大門坂までは混雑なくスム-ズに行けました。
時刻は14時30分。「ギリ間に合った」
無料駐車場も順番待ち2台目で、5分ほど待って停めることが出来ました。

渋滞は大門坂から先の熊野那智大社の駐車場までが、大渋滞でした。


石畳が美しい「大門坂」を上り、熊野那智大社、
の滝へと向かう「おいしいとこ取り」のコース。
大門坂入口から熊野那智大社へは石段の上りとなりますが、
約1.3km・約40分と距離も短く、杉木立に囲まれた苔むした石段は、熊野古道の雰囲気も満点。

大門坂~熊野那智大社・那智の滝 距離:約2.5km 歩行時間:約1時間
※但し、散策時間を含めると、大門坂駐車場~大門坂~那智山~大門坂駐車場に戻るまで、
余裕をもって、約2時間半から3時間ほどの所要時間をお見込みください。
(わかやま観光情報)


【熊野那智大社  熊野古道、大門坂の石碑】
熊野古道がはじまります。
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【熊野那智大社  熊野古道の鳥居】
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【熊野那智大社  熊野古道の夫婦杉】
たまたまご夫婦で通られていました。夫婦杉といい感じですね。
意識して撮っていなかったです。
20180517231752be7.jpeg


【熊野那智大社  熊野古道の夫婦杉を振り返って】
表と裏で表情が違いますね。
20180517233325374.jpeg


【熊野那智大社  熊野古道の階段】
熊野古道って感じですね。
20180517232029c22.jpeg


【熊野那智大社  第一の鳥居】
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【熊野那智大社  社号碑】
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【熊野那智大社  扁額】
20180517234010058.jpeg


【熊野那智大社  御祭神の看板】
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【熊野那智大社  第一の手水舎】
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【熊野那智大社  第一の手水舎 龍の口】
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【熊野那智大社  第二の鳥居と階段】
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【熊野那智大社  「あ」の狛犬】
20180517235215066.jpeg


【熊野那智大社  「うん」の狛犬】
2018051723540365a.jpeg


【熊野那智大社  第二の鳥居】
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【熊野那智大社  第二の手水舎】
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【熊野那智大社  第二の手水舎 龍の口】
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【熊野那智大社  拝殿】
工事中でした
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【熊野那智大社  御縣彦社】
御祭神は建角身命 八咫烏を祀る社
八咫烏(やたがらす)は熊野の神様のお使いである、三本足の烏です。
より良い方向へ導く、お導きの神様とされ、熊野那智大社の境内にある
御縣彦社(みあがたひこしゃ)でお祀りされています。
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【熊野那智大社  日本一大きなおみくじ】
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【熊野那智大社  御神木】
大クスの胎内くぐりができます。
樟霊社(しょうれいしゃ)樹齢約850年の樟を御神木として祀っています。
幹が空洞化しており、護摩木(300円)を持って通り抜けることが出来ます。
平重盛の御手植えと伝わっています。
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【熊野那智大社  御朱印】
201805180823129de.jpeg


【熊野那智大社  御縣彦社  御朱印】
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【御祭神】
『上五社』
第一殿   瀧宮 大己貴命(飛瀧権現) 千手観音
第二殿 証誠殿 家津御子大神、国常立尊 阿弥陀如来
第三殿  中御前 御子速玉大神 薬師如来
第四殿 西御前 熊野夫須美大神(伊邪那美大神)千手観音
第五殿 若宮 天照大神 十一面観音
『中四社』
第六殿 八社殿
禅児宮 天穂耳命      地蔵菩薩
聖宮     瓊々杵尊 龍樹菩薩
児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
子守宮 鵜葦屋葦不合命 聖観音

『下四社』
第六殿 八社殿
一万宮・ 十万宮 国狭槌尊、豊斟渟尊     文殊菩薩、普賢菩薩
米持金剛 泥土煮尊          釈迦如来
飛行夜叉 大戸道尊 不動明王
勧請十五所 面足尊     釈迦如来
【創建】
不明(伝仁徳天皇5年)
【ご由緒】
『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』によれば
孝昭天皇の頃にインドから渡来した裸形上人が十二所権現を祀ったとされ、
また『熊野略記』では仁徳天皇の頃に鎮座したとも伝えられるが、
創成の詳細は不明。
熊野那智大社は熊野三山の中でも熊野坐神社(本宮)・熊野速玉大社(新宮)の二社とは異なり、
山中の那智滝を神聖視する原始信仰に始まるため、社殿が創建されたのは他の二社よりも後である。

一説には、那智山の奥にある妙法山に登るための禊祓の地だった那智滝が聖地化し、
夫須美神が勧請されて当社が滝本で創建されたともいう。

祭神は熊野夫須美大神であるが事解男命(事解之男神)とする説がある。
その熊野夫須美大神は伊邪那美神とされるが、熊野久須毘命とする説もある。
(Wikipediaより抜粋)



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神倉神社(熊野速玉大社の元宮)に参拝
平成三十年 五月四日参拝

神倉神社(熊野速玉大社の摂社、元宮)に参拝させて頂きました。
和歌山県新宮市神倉1-13-8に鎮座しています。
熊野三山の一山である熊野速玉大社の摂社。
境内地は国の史跡「熊野三山」の一部、および世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部である。


【神倉神社】
熊野速玉大社の摂社になります。
知る人ぞ知る場所の穴場スポットと思われるかもしれませんが、
実はここは強力なパワ-スポットなのです。

神倉山に鎮座し、御祭神の熊野大神が最初に降臨された
聖地であり速玉大社の旧宮であります。


急勾配の石段を一人一人たいまつを持って一斉に駆け降りる勇壮な『お燈まつり』が有名です。


『熊野権現垂迹縁起』によると
現在は熊野速玉大社の境外摂社という扱いとなっているが、
神倉神社はこの周辺でも古社の一つとして数えられる神社である。
 記紀によると、神武東征の時、紀伊に上陸した神武天皇の下へ
高倉下(タカクラジ)という者が神剣フツミタマを献上したとされる。
この剣は高天原より霊夢によって遣わされたものであり、
これによって神武東征は成功することになる。
この剣を献上した高倉下がこの神倉神社の祭神である。



538段の急勾配な鎌倉時代の石段
(段差もまちまちで急勾配なのでリュックなど両手を空けていた方が良いです)
を上りきると、巨大な御神体の「ゴトビキ岩」が目の前に現れます。
写真では見てましたが、「こんなにも大きな岩が凄いところにあるんんだな」
と感激しました。
約15~20分上ります。朝から玉置山山頂、熊野本宮大社を
参拝しているので、足が結構きだしています。

登りより下りの方が楽なのですが、膝に負担がかかっていそうです。

急勾配なので下りは少し怖いので、ゆっくりと降りました。

去年の11月にサッカ-で左膝を痛めていたので、
少し心配でした。しかし、とりあえずまだ大丈夫でした。

奮発して買ったワコ-ルのCWXというタイツ(テーピング効果のあるスポ-ツ用)
を履いて参拝しています。


熊野速玉大社から徒歩約10分(私は車で移動しました。
少し渋滞で、無料駐車場もあるのですが満車でした。
運よく5,6分待ちで駐車できました。徒歩がおススメです)


次に熊野那智大社へ向かうのに私の手帳がないことに気づきました。
多分、熊野速玉大社に置き忘れしてきたなと思いました。
戻っていると時間的に厳しいので、諦めようかとも思ったのですが取りに戻ることにしました。

最悪無くなっても良いのですが、スケジュールや
下調べ(熊野以外もあります)が書いてあります。

道が混んでいて、駐車場も満車で少し離れた
河原の臨時駐車場に誘導されました。
那智大社の御朱印は全部(3ヶ所)頂けなくても、
頂けるところだけでしょうがないと諦めました。


熊野速玉大社の社務所を訪ねると
預かって下さりました。
「ありがとうございます」凄く嬉しく思いました。
取りに戻って良かったです。


【神倉神社  第一の鳥居】
第一の鳥居から急勾配の階段が始まります
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【神倉神社  手水舎】
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【神倉神社  第二の鳥居】
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【神倉神社  拝殿とゴトビキ岩】
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【神倉神社  ゴトビキ岩とゴトビキ岩】
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【神倉神社  ゴトビキ岩とゴトビキ岩の間】
注連縄がありました。古代の祭祀場でしょうか?
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【神倉神社  海側からの拝殿とゴトビキ岩】
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【神倉神社  御由緒の看板】
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【神倉神社  天岩盾】
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【神倉神社  天岩盾の看板】
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【神倉神社  御朱印】
熊野速玉大社の社務所で頂けます
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【御祭神】
天照大神、高倉下命
【創建】
128年(景行天皇58年)
【ご由緒】
神倉神社は、熊野速玉大社の摂社である。
新宮市中心市街地北西部にある千穂ヶ峯の支ピーク、
神倉山(かんのくらやま、かみくらさん、標高120メートル)に鎮座し、
境内外縁はただちに断崖絶壁になっている。
山上へは、源頼朝が寄進したと伝えられる、
急勾配の鎌倉積み石段538段を登らなければならない。
山上にはゴトビキ岩(「琴引岩」とも。
ゴトビキとはヒキガエルをあらわす新宮の方言)
と呼ばれる巨岩がご神体として祀られている。
この岩の根元を支える袈裟岩と言われる岩の周辺には経塚が発見されており、
平安時代の経筒が多数発掘され、そのさらに下層からは
銅鐸片や滑石製模造品が出土していることから、
神倉神社の起源は磐座信仰から発したと考えられている。
神倉神社の創建年代は128年頃といわれているが、
神話時代にさかのぼる古くからの伝承がある。
『古事記』『日本書紀』によれば、神倉山は、
神武天皇が東征の際に登った天磐盾(あめのいわたて)
の山であるという。
このとき、天照大神の子孫の高倉下命が神武に神剣を奉げ、
これを得た神武は、天照大神の遣わした八咫烏の道案内で軍を進め、
熊野・大和を制圧したとされている。
しかし、「熊野権現御垂迹縁起」(『長寛勘文』所収)には
神剣と神倉山を結びつける記述はないことから、
天磐盾を神倉山と結びつける所説は鎌倉時代以降に現れたものと考えられている。
(Wikipediaから抜粋しました)

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熊野速玉大社へ参拝(和歌山)
平成三十年 五月四日参拝

引き続き熊野速玉大社へ参拝させて頂きました。
和歌山県新宮市新宮1に鎮座しています。

熊野速玉大社(くまのはやたまたいしゃ)は、熊野三山の一つです。
熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ)と
熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ)を主祭神とします。
別名イザナギノミコトとイザナミノミコトのことです。


参拝順序があります。左側から参拝します。


境内地は国の史跡「熊野三山」の一部です。
2002年(平成14年)12月19日、熊野三山が史跡「熊野参詣道」から分離・名称変更された際に、
御船島を含む熊野速玉大社境内が追加指定されました。
2004年(平成16年)7月に登録されたユネスコの世界遺産『紀伊山地の霊場と参詣道』の
構成資産・大峯奥駈道の一部です。



熊野本宮大社の河原駐車場から出発してから、
約45分ぐらいで熊野速玉大社駐車場に予定通り11時45分頃に到着しました。
(一応事前にスマホのナビで所要時間を調べていて予定を立てていました)
すぐそばの無料駐車場にすぐ駐車できました。

ここ熊野速玉大社のパワ-スポットは、
やはり「御神木のナギ」と「摂社の神倉神社」です。

【御神木のナギ】
ナギの大樹で平重盛(清盛の嫡男)の手植えです。
樹齢1000年、日本最大のナギ、国の天然記念物です。
ナギの葉を懐に入れて旅の安全を祈ったとか。
ナギの葉は避けにくく、男女や人間関係の縁を強固にするお守りになります。

【神倉神社】
熊野速玉大社の摂社になります。
実はここは強力なパワ-スポットなのです。

神倉山に鎮座し、御祭神の熊野大神が
最初に降臨された聖地であり速玉大社の旧宮であります。


神倉神社のご紹介は次回にしたいと思います。


【熊野速玉大社  鳥居と社号碑】
熊野速玉大社  鳥居と社号碑

【熊野速玉大社  扁額】
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【熊野速玉大社  摂社末社の八咫烏神社 手力男神社】
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【熊野速玉大社  摂社末社の八咫烏神社 手力男神社 御由緒の看板】
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【熊野速玉大社参詣曼荼羅(世界遺産)】
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【熊野速玉大社  御神木のナギ】
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【熊野速玉大社  「あ」の狛犬】
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【熊野速玉大社  「うん」の狛犬】
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【熊野速玉大社  手水舎】
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【熊野速玉大社  手水舎の龍の口】
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【熊野速玉大社  熊野稲荷神社】
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【熊野速玉大社  神門】
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【熊野速玉大社  境内】
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【熊野速玉大社  拝殿】
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【熊野速玉大社  御由緒の看板】
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【熊野速玉大社  御祭神の看板】
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【熊野速玉大社  御朱印】
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【熊野速玉大社  御神符 牛王宝印】
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【熊野速玉大社  特別授与品 八咫烏守の表】
ホ-ムペ-ジで一目惚れしました。初穂料700円でした。
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【熊野速玉大社  特別授与品 八咫烏守の裏】
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【熊野速玉大社  熊野もうで餅】
地元和菓子店でつくられて、限定された場所でしか販売していないそうです。
境内と駐車場の間で販売していました。こし餡でした。
購入すると旅のお守りになるナギの葉を頂けました。
食した後あわてて包装紙を写真に撮りました。
9個入りで880円で、大変美味しかったです。
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【御祭神】
『上四社』
第一殿   結宮 熊野夫須美大神(伊邪那美大神)千手観音
第二殿 速玉宮 熊野速玉大神(伊邪那岐大神) 薬師如来
第三殿 証誠殿 家津美御子大神(国常立尊) 阿弥陀如来
第四殿 若宮 天照大神 十一面観音
神倉宮 高倉下命 (本地仏なし)
『中四社』
第五殿 禅児宮 天忍穂耳命      地蔵菩薩
第六殿 聖宮     瓊々杵尊 龍樹菩薩
第七殿 児宮 彦火火出見尊 如意輪観音
第八殿 子守宮 鵜葦屋葦不合命 聖観音

『下四社』
第九殿 一万宮 国狭槌尊 文殊菩薩
十万宮 豊斟渟尊 普賢菩薩
第十殿 勧請宮 泥土煮尊          釈迦如来
第十一殿 飛行宮 大戸道尊 不動明王
第十二殿 米持宮 面足尊 多聞天
【創建】
伝景行天皇58年
【ご由緒】
創建年代は不詳である。
熊野速玉大神は、熊野速玉大社では伊邪那岐神とされ、
熊野本宮大社では同じ神名で日本書紀に登場する速玉之男(はやたまのを)とされる。
また、この速玉之男神の名から神社名がつけられたといわれる。
熊野夫須美大神は伊邪那美神とされる。
もともとは近隣の神倉山の磐座に祀られていた神で、
いつ頃からか現在地に祀られるようになったといわれる。
神倉山にあった元宮に対して現在の社殿を新宮とも呼ぶ。
穂積忍麻呂が初めて禰宜に任じられてからは、
熊野三党のひとつ・穂積氏(藤白鈴木氏)が代々神職を務めた。
(Wikipediaから抜粋しました)

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