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eskky28

Author:eskky28
男、46才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
瀧安寺へ参拝
1945年4月7日14時23分
沖縄に向かっていた日本海軍の戦艦大和が、2740名の戦死者と共に沈没しました。(生存者269名)
沖縄は決して捨て石ではなく、多くの方々が命に代えて守ろうとしました。
散華された英霊の方々への感謝とご冥福を心よりお祈り申し上げます。

本日、この記事を書いているときにネットのニュ-スで、74年前の4/7に上記の記事が目に留まりました。
靖国神社の遊就館に飾られていた、大東亜戦争で日本を守って下さり亡くなった当時の若者たちの
写真や遺書(親、奥さん、子供たちへの手紙)をみてまわった事を思い出しました。

今現在、平和に暮らせているのはこの方たちが命に代えて守って下さったからなのであります。
感謝とご冥福を心よりお祈り申し上げます。



瀧安寺へ参拝させて頂きました。
平成三十一年 四月六日 参拝。
大阪府箕面市箕面公園2-23にあるお寺です。

瀧安寺(りゅうあんじ)は、大阪府箕面市箕面公園にある本山修験宗(修験道の一派)の寺院。
山号は箕面山(みのおさん)。
宝くじの起源である富籤(くじ)発祥の地とされている。
お金ではなく、お守りを配る古式に則った富籤を2009年に復活させ、毎年10月10日に行っている。



4/6(土)はこの間の六甲山のメンバ-で、朝から箕面の滝というところに散歩に行ってきました。
この前購入した靴のちょうど慣らしになればいいと思いました。

箕面駅に10時集合で、舗装された道を去年の台風の爪痕(一時通行止めになっていた)や桜をみながら、のんびり歩きました。
見つからなかったですが、サンショウウオも探してみたりしました。途中、小さいヘビも見かけました。

道中に瀧安寺があったので、帰りに参拝することにしました。
朝に御朱印帳を持って行くか少し考えたのですが、たぶん神社、お寺はなかったと思い
持っていきませんでした。
御朱印はまたの機会に頂くことにします。
これからは何かのご縁があるかもわかりませんので持ち歩くことにします。

今回は観音堂しか参拝しておらず、本堂は別にあるとこの記事を書いていて気付きました。
次回はきちんと本堂まですべて参拝し御朱印を頂きたいと思います。

【駅からの道と桜】
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【道中で見つけたヘビ】
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【唐人戻岩】
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【唐人戻岩の看板】
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【箕面の滝】海外からの観光客がちょこちょこいてました。このマイナ-な場所なのに、ガイドブックにでも載っているんでしょうね。
20190407141108168.jpeg


【十三(大阪の地名)名物のキミロ-ル】
一緒に行った方から頂いて滝で食べました。昔ながらの製法で黄身とバターで作られているそうです。
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【鳥居】お寺に鳥居は珍しいです。知っているのは四天王寺ぐらいでした。
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【山門前の広場の桜】
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【山門】
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【扁額】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【観音堂】
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【観音堂前の見ざる聞かざる言わざるの石碑】
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【本尊】
弁財天
【創建】
(伝)658年
【宗派】
本山修験宗
【山号】
箕面山
【開基】
(伝)役小角
【御由緒】
寺伝によれば658年(一説には650年)に役小角が箕面滝の下に堂を建設し、本尊の弁財天像を安置し、
「箕面寺」と命名したのが始まりである。
平安時代に後白河天皇が編纂したとされる『梁塵秘抄』に「聖のすみかは何処何処ぞ、箕面よ勝尾よ」と歌われている。
後醍醐天皇が隠岐に島流しになった際には、護良親王が当寺に帰還祈祷を依頼したという。
その後「瀧安寺」という寺号を賜ったとされる。
その他にも、山岳霊場として栄え、空海や日蓮、蓮如が修行したほか、現在も護摩法要が行われている。
山門は光格天皇が1809年(文化6年)に京都御所から移築したものである。
また、弁財天本堂は後水尾天皇の勅命により1656年(明暦2年)に建てられた。
この弁財天は日本四弁財天に数えられる。通路側にある鳳凰閣は昭和時代初期の建築物である。
室町時代末期に織田信長によって焼失し、江戸時代になって後水尾天皇の援助によって現在地に再建された。
また天正3年(1575年)に「富会」を挙行した。これを日本の宝くじ発祥とする見方もある。
祈願の目的とした瀧安寺の「箕面富」の記録は後述のように、更に平安時代まで遡る。
弁財天を祀っている所から、芸能の寺としても知られ、近松門左衛門、
坂田藤十郎ら上方歌舞伎関係者が大般若経を奉納している。
【富くじ】
鎌倉時代編纂の『夫木和歌抄』に収録された藤原兼隆(平安時代中期の公卿)の歌に、
瀧安寺で行われていた「箕面富」について記されている。
これによると、約950年前より古くから富籤の原型があったことになる。
金銭を配るのではなく、当籤した者は「大福御守」が授けられたという。
戦国時代の1575年(天正3年)には「富会」が始まり、江戸時代に刊行された『摂津名所図会』にも、
箕面富の賑わいが描かれている。
明治時代初期に中止となり、「万人講くじ」と名称・形を変えて、2009年に箕面富が復活した。
現在行われている宝くじの源流とされる江戸時代の富籤は、この箕面富が発祥と考えられている。
寺社が修繕資金を集めるため番号が入った富札を発売し、同じ番号の木札を箱に入れて、
期日に錐で突いて選び当籤者を決めた。

Wikipediaより抜粋

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泉穴師神社へ参拝
平成三十一年 一月三日参拝
大阪府泉大津市豊中町1-1-1に鎮座する神社です。

嫁さんの実家近くなので、家族で参拝させて頂きました。

泉穴師神社(いずみあなしじんじゃ)は、大阪府泉大津市豊中町にある神社。
『延喜式神名帳』に掲載されている和泉国和泉郡泉穴師神社に比定されている。
和泉五社の一つで和泉国二宮。


【鳥居】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【社号碑】
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【手水舎】
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【拝殿】
社務所の瓦は台風で飛ばされたままです。
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【拝殿】
左右に鳥居があり右が男性、左が女性用とのことらしいです。
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【主祭神】
天忍穂耳尊と栲幡千千姫命を祭神
明治12年(1879年)に作成された『神社明細帳』では天富貴神と佐古麻槌大神を当社の祭神としているが、
明治27年(1894年)の『神社明細帳』では天忍穂耳尊と栲幡千千姫命を祭神としており、
当社も天忍穂耳尊と栲幡千千姫命を祭神とする見解をとっている。
なお、泉大津市は江戸時代に繊維産業が興り、現在に至るまで繊維産業が盛んな地であるが、
栲幡千千姫命は織物に関係する神として知られている。

【創建】
白鳳年間(異説あり)

【社格等】
式内社(小2座)
和泉国二宮
旧府社

【本殿の様式】
三間社流造、正面千鳥破風

【ご由緒】
社伝によると、当社は白鳳年間に創建されたとするが、神功皇后の時代に
創建されたとも神武東征の際に始まるとも言われ定かではない。
天平10年(738年)の和泉監正税帳(『正倉院文書』)によると、聖武天皇から社領を賜ったという。
『日本三代実録』によると貞観7年(865年)に正五位下を授けられたとし、
『類聚国史』によると貞観10年(868年)に従四位下を授けられたとする。
元弘元年(1331年)には、楠木正成が当社に石燈籠を奉納している。
天正3年(1575年)には織田信長より社領安堵の朱印状を与えられ、
慶長7年(1602年)には豊臣秀頼によって社殿が再建された。
明治6年(1873年)に郷社に列格し、明治27年(1894年)には府社に昇格した。
昭和21年(1946年)、それまで毎年2月4日に行っていた春季大祭を4月5日に行うこととし現在に至る。

Wikipediaより抜粋


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つつじの社 春日神社へ参拝
つつじの社 春日神社へ参拝
平成三十一年 一月一日参拝
大阪府豊中市宮山町1-10-1に鎮座する神社です。


2019年 あけましておめでとうございます。
今年も宜しくお願い致します。

家族で毎年初詣をさせて頂いています。

【初詣参拝者】
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【鳥居】
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【あの狛犬】
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【うんの狛犬】
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【本殿】
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【扁額】
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【鬼瓦?】
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【主祭神】
天照皇大神・天児屋根命・武甕槌大神を主祭神とし
菅原道真を祭神とする天神社、薬師如来(少彦名命)を祭神とする薬師社などを境内に有する。 Wikipediaより抜粋
【創建】
この神社がいつ創建されたのかは不明であるが、伝記には承和2年(835年)に社殿の修繕をしたと伝えられる。
以来、旧桜井谷村の地の神として親しまれてきた。Wikipediaより抜粋
【ご由緒】
創建年代は不詳であるが、旧桜井谷村の地を領き坐す恵み深い神として親しまれています。
伝記によると、仁明天皇の承和2年(835)に社殿の修繕をなし、延元3年(1338)兵火に罹り消失。
その後、仮殿に神霊を奉斎し文明15年(1483)社殿を再建しました。
社殿は壮観を極めたが、永正6年(1509)に足利義稙に従来の社殿152石を半減させられ、
世間が戦乱の世に移るにつれて荒廃に傾きました。
織田信長の伊丹城主荒木村重を討つ際、社殿消失したが、一時四方に離散した氏子が相謀り、
天正6年(1578)、僅かに仮殿を造って、神霊を奉斎しました。
後、安部摂津守の領地となりその陣屋は、境外地近くに設けられ、当社再建に着手し、
慶安3年(1650)9月12日に遷座し奉り、現在に至っております。
ホ-ムペ-ジより抜粋


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服部天神宮へ参拝
服部天神宮へ参拝
平成三十年 二月二十四日参拝
大阪府豊中市服部元町1丁目2-17に鎮座する神社です。

服部天神宮(はっとりてんじんぐう)は、大阪府豊中市の南部、服部に鎮座する神社。
少彦名命と菅原道真を主祭神として祀る。関西では「足の神様」として知られている。

ガンバ大阪の選手などが参拝されているらしいです。
私も足を捻挫した時に、嫁さんから足のお守りを頂きました。

毎年、十日えびすといって商売繁盛のお詣りに来て
熊手を購入しています。

【鳥居】
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【手水舎】
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【拝殿】
お百度参りをされているご家族がいらっしゃいました。
お子さんの足のケガの回復をお祈りされている感じでした。
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【御朱印】
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【御祭神】
少彦名命と菅原道真
【ご由緒】
御鎮座の時期については詳らかでないものの、
帰化人集団「秦氏」が允恭天皇の御世(412年 - 453年)に織部司に任じられ、
当地を服部連の本拠とした際、外来神の少彦名命(医薬の神)を祀ったのが始まりとされる。
この頃はまだ、小さな祠だったという。
783年(延暦2年)、藤原魚名は大宰府に左遷され筑紫国へ向かったものの、
当地で病没。祠の近くに葬られた(「川辺左大臣藤原魚名公の墓」が今も境内に残る)。
約100年後の延喜元年(901年)、菅原道真が魚名と同様、
大宰権帥として左遷され任地へ赴く途中、当地で持病の脚気に襲われ動けなくなった。
そこで里人の勧めるまま、路傍の祠と魚名を祀る五輪塔に平癒を祈念したところ、
たちまち健康を取り戻して任地へ辿り着けた、との言い伝えがある。
菅原道真の没後、天神信仰の高まりと共に当社にも菅原道真を合祀することとなり、
新たに堂宇が建立された。この頃から「服部天神宮」と呼ばれるようになり、
菅原道真の故事にちなみ「足の神様」として崇敬を受けた。

歴史
近世に入ると、当地が能勢街道の宿場町だったこともあって徐々に門前市を成すようになり、
中でも江戸時代後期の文化年間(1804年 - 1817年)、文政年間(1818年 - 1829年)には殷賑を極めたという。
1910年3月10日、箕有電軌(現阪急電鉄)が開業し、服部停留場が開設された。
2013年12月21日に阪急宝塚線の服部駅が服部天神駅に駅名変更した。
これは「駅間近の歴史的観光資源を分かりやすく案内する」という阪急電鉄の方針による。

境内社
服部天神宮わらじ堂
豊中えびす神社 蛭子大神を祀る。
初酉稲荷神社 宇迦之御魂神を祀る。
十二支稲荷社 昭和52年、伏見稲荷大社より勧請。
わらじ堂
本殿に向かって右側に「わらじ堂」と呼ばれているお堂があり、
その中に鉄や木の草履、靴、杖、千羽鶴などが奉納されている。
足の病に悩む人がわらじを奉納すると言われている。
「わらじ堂」の名の由来は、かつて、足の病に悩むものが自分で作った草履を納めたことによるものである。
Wikipediaより抜粋

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鵲森宮へ参拝
鵲森宮へ参拝
平成三十年 一月十四日参拝
今回は鵲森宮(かささぎもりのみや)へ参拝させて頂きました。
大阪府大阪市中央区森之宮中央一丁目14-4に鎮座する神社です。
式内社で、旧社格は府社。通称を森之宮神社(もりのみやじんじゃ)といい、
周辺の地名である森之宮の由来となっているそうです。

11/9(金)の夜と本日11/11(日)にサッカ-をしてきました。
昨日は出勤で、きつかったです。
翌朝も早い(6時30分)し疲れていたので、夜も早く23時頃には寝ました。
ろくに動けないのにすごい筋肉痛です。
足、腰、背中ボロボロです。
ヒザはサポ-タ-を巻いているのでなんとか大丈夫でした。


用明天皇・穴穂部間人皇后・聖徳太子を主祭神としてお祀りする、唯一の神社なのだそうです。
物部守屋を滅ぼした聖徳太子は、守屋最後の拠点(難波の宅)であったとも言われているこの地に、
四天王寺を建立する。
その四天王寺を鎮守するため、両親である用明天皇と穴穂部間人皇后を祀ったのが始まりという。
四天王寺はその後、南の荒墓山へ移設されたため、元四天王寺とも呼ばれている。

【鳥居と社号碑】
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【手水舎】
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【拝殿(本殿?)と狛犬】
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【拝殿(本殿?)と背後のビル】
奥社は、この敷地内にはなく、裏手のビルの屋上にあるというのをネットで見ました。本当?
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【御朱印】
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【御祭神】
用明天皇
穴穂部間人皇后
聖徳太子
聖徳太子の両親である用明天皇・穴穂部間人皇后、および聖徳太子を主祭神として本社に祀り、
奧社に天照大神・月読命・素盞嗚命を祀る。
【ご由緒】
聖徳太子は物部守屋との戦いの戦勝を祈願し、勝った暁には四天王を祀ることを誓った。
戦勝後の崇峻天皇2年(589年)7月、まず両親を現在地に祀って寺の鎮守とし、
その森に四天王を祀る寺(元四天王寺)を創建した。
四天王寺はその25年後に現在の荒陵山に移転したが、当社はそのままとされた。
『日本書紀』の推古天皇6年夏4月に、聖徳太子の命により
新羅へ渡った吉士盤金(きしのいわかね)が2羽の鵲を持ち帰り、
難波の杜で飼ったという記述がある。
その「難波の杜」は当社の森であるとされることから「鵲の森」と呼ばれるようになり、
ついには当社の社名となったと伝える(「難波の杜」は、他に生國魂神社なども比定地となっている)。
Wikipediaより抜粋


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