プロフィール

eskky28

Author:eskky28
男、46才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

最新記事

最新コメント

月別アーカイブ

カテゴリ

カウンタ-

神社・仏閣ランキングバナー

神社・仏閣ランキングバナー

FC2ブログランキング

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

PR

PVアクセスランキング

ブログランキング(ホワイト)

検索フォーム

RSSリンクの表示

リンク

このブログをリンクに追加する

QRコード

QR

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
参拝予定
とうとう参拝させて頂いた記録よりも記事の更新が
上回ってしまいました。

ぼちぼち参拝させて頂きたいと思います。

現在、私の頭の中にある候補は
厳島神社 創建593年
諏訪大社 創建神代
國懸神宮(くにかかす神宮)、日前神宮(ひのくま神宮) 創建紀元前659年
廣田神社 創建201年
廣瀬大社 創建紀元前89年
貴船神社 創建古代
丹生川上神社 創建675年
大神神社 創建神代
出雲大社 創建神代
南宮大社 創建不明
多度大社 創建5世紀頃
吉備津神社 創建不明
富士山本宮浅間大社 創建紀元前27年頃

まだあるとは思いますが、日帰りで参拝できそうな神社は
とりあえずこんな感じですかね。
のんびりと参拝していきたいと思います。
次、ご縁があって参拝させて頂けるのはどこになるんでしょうかね。
楽しみです。


近況ですが最近は怠けており、ボルダリングや山登りは六甲山に
登ったのが最後で運動はサッカ-しかやっていません。

息子は高校一年生で、部活はハンドボ-ルを
頑張っています。
一年生でも出場できる練習試合の大会合宿が和歌山であり、
その応援に行ったりしていました。
凄く激しく、ケガが多そうでした。

娘は中学一年生で部活は、バレ-ボ-ルを頑張っています。
小学校ではバレ-ボ-ルのクラブチ-ムに入っていなかったので、
今からたくさん経験して上手になっていくのでしょう。
試合にでれるようになったら応援に行きたいです。

参拝させて頂けていないので、ブログの更新は暫く休むかもしれません。
参拝のご縁がありましたら、随時更新していきたいと思います。

ご訪問して頂きありがとうございました。

ブログランキングに参加しています。
↓↓良ければ応援クリックを宜しくお願い致します。
励みにします。
にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

御朱印ランキング

神社・お寺巡りランキング






戸隠神社(火之御子社)に参拝
戸隠神社に参拝
平成三十年八月十三日に参拝
長野県長野市戸隠3690に鎮座する神社です。
日本最古の歴史書「古事記」の天岩戸伝説に深い関わりがあり、
屈指のパワースポットでもある戸隠神社です。


奥社→九頭龍社→中社→火之御子社→宝光社の順で参拝させて頂きました。
前回の続きで戸隠そばを食べてから火之御子社に歩いて向かいました。

中社の近くには蕎麦屋さんがたくさんありました。
中社近くの蕎麦屋には並んでいるところもありました。

【蕎麦屋 戸隠堂】
20190310224656153.jpeg


【戸隠そば】
2019031022524211d.jpeg


【(火之御子社 鳥居】
201903102255014c4.jpeg


【(火之御子社 社号碑と御由緒看板】
20190310225801dca.jpeg


【御神木の杉】
201903102300432c6.jpeg


【(火之御子社 御朱印】
20190310223820753.jpeg


【御祭神】
天鈿女命(あめのうずめのみこと)
高皇産御霊命(たかみむすびのみこと)
栲幡千々姫命(たくはたちちひめのみこと)
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)

天鈿女命は天照大神が隠れた天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神を誘い出すきっかけをつくったとされる女神。
舞楽や芸能、また火防の神とされ、宝光社の上1.5kmほどの場所にある。
なお、他の4社が神仏混淆であった時代も当社だけは一貫して神社であって、かつての顕光寺とは関係がない。

【創建】
創建承徳二年(1098)頃 ホームページより
創建は天福元年(1233年) wikipediaより

【社格等】
わかりませんでした。

【本殿の様式】
わかりませんでした。

【ご由緒】
岩戸の前で舞われた天鈿女命が主祭神で他に三柱の神様をお祀り申し上げております。
戸隠山の神様が神仏習合の当時も、このお社だけは神社として終始しておりました。
戸隠神社太々神楽は、この神社に仕えていた社人によって古来より伝えられ現在に至っております。
舞楽芸能の神、縁結びの神、火防の神として尊崇されております。
近年は参拝される方が多く、境内には樹齢500年を超える『夫婦の杉(二本杉)』と有名な西行桜があります。
ホ-ムペ-ジより抜粋

続きは次回にします。
いつもご訪問して頂きありがとうございました。

ブログランキングに参加しています。
↓↓良ければ応援クリックを宜しくお願い致します。
励みにします。
にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

御朱印ランキング

神社・お寺巡りランキング







外宮はシラギ神崇拝教が作った見張り所
やっと最終回(本の紹介)です。

今からご紹介する『暴かれた古代史』は「飛騨の口碑」にもとづいて全国を調査して書かれた本です。

著者山本建造氏が飛騨の若田翁から、先祖代々からの言い伝えを託されました。
それは飛騨の古代史ですが、大和朝廷以前の歴史であり日本の古代史でもありました。

現在の出雲大社とは関係ありません。


二一代雄略天皇の御代に、ついに見つけられる
「八咫鏡」は伊勢のどこかにあるのは分かっていたので、
シラギ神崇拝教はやっきになって探していたのです。
時に「八咫鏡」をお守りする皇女はタクハタ姫でした。
姫は「八咫鏡」を抱いてシラギ神崇拝教から逃げていました。

五十鈴川の上流まで逃げた時に、これ以上逃げ切れないと悟った姫は
誰も来ないうちに「八咫鏡」を地中に埋めて、力の限り方向を変えて走りました。
そこまできて姫は侍女が追い付いてくるのを待ちました。
そして追いついた侍女に「私はここで自害しますから、あなたは早くここを去って
逃れて後で「八咫鏡」を掘り出し次の斎宮様に必ずお渡しして下さい」と
埋めた場所を教えました。

姫は侍女が無事逃げるのを見届けて、最後にもう一度天照大神と父・天皇に
お詫びをし、「八咫鏡」の無事を神にお祈りをして、父から伊勢へ出発する時に
賜った剣を出して、胸を一突きにしてきれいな最期をとげられたのです。

ところが『日本書記』にはあろうことか、タクハタ姫は子供を孕んだかのごとくに書き、
首を吊って死んだと最大の侮辱を浴びせて書いています。
出雲のシラギ神崇拝教のこの下品さには、開いた口がふさがりません。

蘇民将来の印
伊勢市の古い町並は民家が出雲の社と同じ切妻建築様式で玄関が妻入りに
なっています。出雲・シラギ神崇拝教は執拗に民家に隠されていないか調べに
来るために、伊勢の住民は出雲の社と同じ妻入りにして「私は出雲・シラギ神崇拝教です。
ですからこの家には八咫鏡はありません」と表明したのだと思います。

また伊勢志摩の多くの家で蘇民将来子孫家門という文字を書いた札を注連縄につけて
玄関に飾っています。しかも注連縄は正月のあいだ飾るのがふつうですが、
一年中飾っているのです。

蘇民将来の説話が各地に残っております。
最も古いとされるのが備後風土記によるもので、昔、武塔神が求婚旅行の途中宿を求め
ました。裕福な弟の将来はそれを拒みました。貧しい兄の蘇民将来は一夜の宿を提供しました。
後に再びそこを通った武塔神は兄の蘇民将来とその子らの腰に茅の輪をつけさせ、
弟の将来たちは宿を貸さなかったという理由で皆殺しにしてしまったという話です。
茅の輪をつけている人は助かったのです。

武塔神とはスサノオの神なりとありますから出雲であることは確かです。
後にスサノオに変えたのでイソタケルを奉じたシラギ神崇拝教であったのです。

この蘇民とはまさに「ソの民」のことです。
今では忘れられていますが、ソ・新羅の民を、将来とは招来ではなかったのか、
喜んで招く、ということではなかったのかと筆者は思います。

蘇民将来の御札や茅の輪などは、ソ民つまりソから来た人たちやシラギ神崇拝教を
私の家では快く思っていますよ、ということを表明する印でなかったかと思います。
拒否して蘇民将来の印を掲げない家はシラギ神崇拝教に皆殺しにあうような迫害を
受けたことを物語っているのです。

天孫が大勢住んでいた伊勢に、大勢のソ民を移住させ勢力をつけたシラギ神崇拝教は
蘇民将来の印が掲げて有るか無いかを徹底させて「八咫鏡」をしらみ潰しに探したのです。
そしてついに二一代雄略天皇のの時に見つけられてしまったのが、タクハタ皇女の
事件であったと思われます。


シラギ神崇拝教の拠点が外宮に  しかも先祭
あわやのところで「八咫鏡」を守り抜きましたが、出雲・シラギ神崇拝教は見張り所を作って、
天孫を監視したと思われます。そのかつての拠点・見張り所であり伊勢のシラギ神崇拝教の
本拠地は先にはイソタケルを祀る社であり、後には豊受大神ことオオクニヌシを祀る
社であり、何とまあ驚くなかれ、それが外宮になっていると推定されます。

飛騨から行った人々もあまりに出雲がしつこくいじめるので家を妻入りにし、
蘇民将来の印を玄関に掲げて「出雲・シラギ神崇拝教」を表明して、表向き従ったふりをして
命からがら難をのがれたのです。しかし心は天照大神から絶対に離れることはなかったのです。

その意味が長い年月が経つうちに忘れ去られて、妻入りや玄関に蘇民将来の御札を付けた
注連縄を飾る習慣だけが今に残っていると思われます。


伊勢で「八咫鏡」を守る天孫たちをいじめた元凶が今では外宮なのですから驚きです。
その外宮があろうことか外宮先祭といって、内宮より優先されて先に行われるのです。
このような事が今尚行われているのです。

余談ですが、皇太子殿下が参拝されたときも外宮を先に参拝され、その後に内宮に
お参り参拝されたのです。
御自らの御先祖の天照大神を参拝される前に、内宮をいじめた外宮に挨拶に
行かれるとは、昔出雲に抑えられていた頃の習慣がいまだに続いているのは誠に残念の極みです。


今まで考えてもみなかったのですが、何故、天照大神を祀る神宮が伊勢にあるのか?です。
本来、天照大神は天皇のお住まいの大和の一等地に盛大にお祀りされなければならないのです。
今でこそ伊勢ですが、あの当時、なぜあんなに辺鄙な片田舎に神宮があるのか?
考えてみれば不思議です。
不思議と思わずに今日まできてしまったのです。
天皇のおわします都に祀ることができなかったのです。明治になるまで天皇が参拝できなかったのです。
それには誰も知らない、恐ろしい歴史が隠されていたのです。

我々日本民族が絶対に忘れてはならないことは、
「現在の伊勢神宮があるのは、天照大神はを古神道を命をかけて、
命を捨てて守り抜いて下さった方々があったからである」ということをです。
そのお陰で「八咫鏡」が、伊勢神宮が護られ続けてきたということをです。

そのお陰で、今、伊勢神宮を参拝させて頂くことができるということをです。
ただただ感謝です。

以上、長々と続きましたが私が最も衝撃を受けた本『暴かれた古代史』でした。
私が怖かった話は二つ、出雲の古神事の話、外宮の話、でした。
高天原は飛騨であったことなど、にわかには信じられないですが、本を読んでいると
心の中にモヤモヤもありますが、妙に納得させられました。
信じるか信じないかはあなた次第です!の世界ですね。

まだ飛騨も出雲も参拝させて頂いたことがないので、近いうちに参拝させて頂きたいです。

そういえばイザナギノミコトとイザナミノミコトを祀られてる多賀大社(滋賀県)に
参拝させて頂いたときにも、目の前にあるお土産屋さんや家などにも
蘇民将来のお札か注連縄を見かけたことがありました。
同様なことがあったのでしょうか・・・。


ご訪問して頂きありがとうございました。

ブログランキングに参加しています。
↓↓良ければ応援クリックを宜しくお願い致します。
励みにします。
にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

御朱印ランキング

神社・お寺巡りランキング



ヤマト姫 伊勢国へ
台風21号の影響で停電しましたが、翌日17時頃に自宅は復旧、
工場は翌々日の昼に復旧しました。
水道は使用できたから、まだましでした。
マンションでは水道もとまっていたそうです。
ニュ-スなどみると大阪でも南部(関西空港があるほう)被害が
大きかったところが多いような気がします。

前回からの続きです。

今からご紹介する『暴かれた古代史』は「飛騨の口碑」にもとづいて全国を調査して書かれた本です。

著者山本建造氏が飛騨の若田翁から、先祖代々からの言い伝えを託されました。
それは飛騨の古代史ですが、大和朝廷以前の歴史であり日本の古代史でもありました。


鏡を背負うヤマト姫  苦難の道遠し
世間には出雲のシラギ神崇拝教の信者が満ちており、誰がシラギ神崇拝教の信者かわからず、
親戚のなかにさえ信者がいる中での逃避行は、かつて天照大神の指示で飛騨から降りてきた
人達の住んでいるところを目指したと思われます。


「八咫鏡」を託されたヤマト姫の苦難の道のり
奈良県大宇陀町の宇多秋宮に四年
十三キロ離れた佐々波多宮に移られ
今度は三重県名張市の隠市守宮(なばりのいちもりのみや)に二年
上野市の穴穂宮に四年
伊賀町の敢都美恵宮(あえとみえのみや)に二年滞在され
滋賀県甲賀郡の甲可日雲宮に四年(こうかのひくものみや)に四年
滋賀県近江町の坂田宮に二年
岐阜県巣南町の伊久良河宮に四年
愛知県の中嶋宮
そしてついに伊勢国へ
三重県多度町・桑名野代宮に入られました。
(『倭姫命世紀』参照)


ヤマト姫 伊勢国へ
伊勢国といえば一の宮椿大神社です。そうです、鈴鹿の山本です。
その昔飛騨のスメラ命の先祖の分かれが鈴鹿に降りてきて地盤を築き、
大和の開拓を助け天孫降臨を助け一大勢力を誇っているのです。

三重県多度町・桑名野代宮にヤマト姫が着かれると、さっそく椿大神社・サルタヒコ大神の
子孫のオオタ(三輪山を乗っ取った大田タネコとは全く別の血筋)が馳せ参じ鮎を
天照大神にお供えされたという記録があります。
ここに四年おられた後、鈴鹿の山本へこっそり立ち寄られました。
天照大神と天皇に心から忠誠を尽くす椿大神社の方々とヤマト姫は
今後のことを相談されたのです。


この後オオタがお守りして道案内され
亀山市・奈具波志忍山宮(なくはしおしやまのみや)
津市・阿佐加藤方片樋宮(あさかのふじかたのかたひのみや)に四年
松阪市・飯野高宮に四年
多気郡明和町・佐々牟江宮(ささむえのみや)
伊勢市・伊ソ宮(いそのみや)ソの字が変換出来ませんでした。
大宮町・大河之滝原宮(おおかわのたきはらのみや)
伊勢市・矢田宮
伊勢市・家田々上宮(やたのたかみのみや)
伊勢市・奈尾之根宮(なおしねのみや)
伊勢市・五十鈴の河上
伊勢市・伊雑宮(いざわのみや)

と逃げました。(『倭姫命世紀』参照)

ついに伊勢に逃げ込み、ヤマト姫一行は姿をけしてしまったのです。
ようやく出雲・シラギ神崇拝教から逃げ切りました。


サルタヒコの子孫のオオタは後に伊勢の中村に宇治土公(ウヂノツチノキミ)と
名乗って住み、稲を作って神宮にお供えしました。
椿大神社の近くを流れる御幣川から鮎を取ってお供えし、椿大神社の茅で神宮の
屋根を葺き、一族挙げて代々の天照大神を守る皇女を守り神官にお仕えしました。
椿大神社代々の方々と天孫達が伊勢神宮を守りぬいたのです。

そのお陰で今日の伊勢神宮があること疑いません。
飛騨から降りられてから二千数百年にわたって椿大神社が代々一族をあげて
天照大神と天皇に忠誠を尽くして下さったお陰で今日の日本があるといっても過言
ではありません。
『椿二千年史』でうかがい知ることができます。


よその神社が、時には名前や祭神をシラギ神や出雲神に替え、時には
神主家が出雲に乗っ取られる中で、二千数百年にわたって、尊く正しく守られてきた
椿大神社の現在(平成二十二年)の宮司は山本行恭氏です。

瀧原宮、伊雑宮も以前伊勢神宮を参拝させて頂いた後に
参拝させて頂いたことがありました。

またまた長くなってしまったので次回にします。
この本のご紹介もあと少しです。
もう少しお付き合い下さい。

ご訪問して頂きありがとうございました。

ブログランキングに参加しています。
↓↓良ければ応援クリックを宜しくお願い致します。
励みにします。
にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

御朱印ランキング

神社・お寺巡りランキング






台風21号 の影響 ご報告(大阪の端、北部)
台風21号の影響で現在も停電中です。
14時前から工場も自宅も停電しています!

どうせ残業するので通り過ぎれば関係ないと思っていましたが、停電で機械もパソコンも電話も動かず何も出来ませんでした。

16時過ぎに風も収まってきたので帰宅することにしました。

帰り道、瓦や木、草、ゴミが散乱していました。
工場付近と自宅付近だけ停電していて、信号機も消えていました。
しかし、すぐ隣の信号機はついてたりしていました。何故?と不思議に思いました。

自宅で明るいうちにシャワー浴びておこうと、順番に水シャワーを浴びていきました!
ギリ耐えれました!

食事もロウソクとランタンで灯りをとりました。
テレビ、スマホを見れないので久しぶりに子供たちとトランプや任天堂DSで対決して遊びました!
普段は全然遊んでくれません。

トイレも流れないので、洗面器で流しています。

スマホの充電を車で少しだけしました。
夜遅くに気づいたので、近所迷惑になるので少しだけにしました!ビール飲んでいたので走行出来ませんでした。

真夏じゃないのが救いですが、窓全開でも少し暑いです。

冷蔵庫もダメで半分とけたアイスを食べました。

近所のガソリンスタンド
20180904231818e05.jpeg



ご訪問して頂きありがとうございました。

ブログランキングに参加しています。
↓↓良ければ応援クリックを宜しくお願い致します。
励みにします。
にほんブログ村 コレクションブログ 御朱印へ
にほんブログ村

御朱印ランキング

神社・お寺巡りランキング