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eskky28

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男、47才、A型
趣味はドライブ、サッカ-、読書(歴史)
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
伏見稲荷大社へ参拝
本日9/30は台風24号(前回と同等クラス)が、大阪にも夕方から夜に
上陸するということで停電に備えています。
前回とはコ-スが違うので空振りになるかもしれませんが、
電源ポ-タブルを購入していたので出し、ランタン(単一電池購入済み)も出しています。

電源ポ-タブルとは片手でもてる電源です。13,000円ぐらいです。
100Vコンセント2口、USBが3口ありスマホの充電もできます。
トイレもコンセントを差し込めば流せます。
あると万一に役に立つと思いますよ。

風呂も夕方には入ろうということになりました。
準備も無駄に終わればよいのですが・・・。


今となっては少しではないですが、さかのぼって今年の1月からの
参拝記録になります。

平成三十年 一月三日参拝
今回は伏見稲荷大社へ参拝させて頂きました。
京都府京都市伏見区深草藪之内町68に鎮座する神社です。

伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、京都府京都市伏見区深草にある神社。
旧称は稲荷神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。
旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。
稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。
全国に約3万社あるといわれる稲荷神社の総本社である。

初詣では近畿地方の社寺で最多の参拝者を集める(日本国内第4位〔2010年〕)。
Wikipediaより

今回は正月で京都ということで、大混雑するということで
4~5駅手前の駅近くのコインパ-キングに停めて、電車で行きました。

駐車場はホームペ-ジによるとあるそうですが、
広さや無料かどうかはわかりませんでした。

この日は伏見稲荷大社→晴明神社→御金神社にお詣りする予定にしていました。
拝殿で参拝させて頂いた後に千本鳥居、奥社など参拝して
どんどん山を登っていきました。軽いハイキングのようでした。

お正月ということもあり混雑すると思い、朝8時30分頃には参拝させて頂きました。
外国人もたくさんいてました。稲荷山から降りてきた10時30分頃の拝殿前は
かなり混雑していました。

うる覚えですが1時間30分ぐらい登ったところの
四ツ辻で諦めて降りていきました。山頂まで登って四ツ辻まで戻ってくるのに
まだ40分かかるとのことでした。

下りの階段で左ヒザが痛み出しびっこ引きながら降りました。
その日一日中びっこ引きながら参拝いたしました。

【鳥居】
ホ-ムペ-ジを見ると横に社号碑がありました。
この時は何も考えていませんで忘れていました。
20180930175623ab7.jpeg


【楼門】
この建物は天正17年(1589年)豊臣秀吉の造営とされてきました。
秀吉の母大政所殿の病悩平癒祈願が成就すれば一万石奉加する、と記したいわゆる“命乞いの願文”が伝来しています。
しかし造営伝承と伝来文書との整合性については多少の疑問がありました。ところが昭和48年に楼門の解体修理が行われたところ、願文の年次と同じ「天正17年」の墨書が発見され、伝承の正しかったことが確認されました。神社の楼門の規模としては最も大きいものに属します。
伏見稲荷大社ホ-ムペ-ジより
201809301758321c7.jpeg


【千本鳥居と扁額】
20180930180058023.jpeg


【境内案内図】
20180930180331265.jpeg


【伏見神宝神社】
20180930180513196.jpeg


【伏見神宝神社の狛犬でなく狛辰】
見にくいですが狛犬が狛辰です。神様にごひいきされる すごい「神社参り」という本に
載っていたのですが、「生まれた日の干支」という守護動物を調べてそれが私は辰でした。
狛辰は眞名井神社と伏見稲荷大社の奥社のさらに奥にある神宝神社にいてます。
見つけにくいです。
辰が守護動物の方は、狛辰を探すのと同時に、龍神様にご縁を結ばれると
ほかの人よりも開運が早いとのことです。
20180930180848c00.jpeg


【伏見神宝神社の御朱印】
201809301810417b4.jpeg


【伏見稲荷大社の御朱印】
201809301812440b9.jpeg


【御祭神】
祭神は以下の五柱。これらの神々は稲荷大神の広大な神徳の神名化とされている。
主祭神である宇迦之御魂大神を中央の下社、佐田彦大神を中社、
大宮能売大神を上社に据え、明応8年(1499年)に本殿に合祀された左右の摂社、
田中大神・四大神とともに、五柱の神を一宇相殿(一つの社殿に合祀する形)に祀っている。

宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ) - 下社(中央座)
佐田彦大神 (さたひこのおおかみ)- 中社(北座)
大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ) - 上社(南座)
田中大神(たなかのおおかみ) - 下社摂社(最北座)
四大神 (しのおおかみ) - 中社摂社(最南座)
【創建】
和銅年間(708年-715年)
【ご由緒】
山城国における秦氏族の本拠地は右京の太秦であるとされています。
たしかなことは不明ですが、深草の秦氏族は系譜の上で見る限り、
太秦の秦氏族、すなわち松尾大社を祀った秦都理《はたのとり》の弟が、
稲荷社を祀った秦伊呂巨(具)となっており、いわば分家と考えられていたようです。
この太秦の秦氏族は、7世紀頃、今の桂川の大堰を築堤したり、奈良期から平安期にかけて、
当時外戚として勢力を伸ばしてきていた藤原氏と姻戚関係を結び、
長岡遷都やこれに引き続いて行われた平安遷都の際にも、
河川の改修や都城の造営等で大いに影響を与えたとされています。
また一方において、山背国における古くからの由緒正しい豪族である
賀茂県主族とも早くから姻戚関係を結んでおり、ついには賀茂県主の子孫を自称するようになるのです。
言うまでもなく賀茂県主族は天下の名社・賀茂社を奉祀していた名族で、
新参の渡来氏族が彼と結びつくことによってその名をとり、一方賀茂氏族の側にあっては、
そうなることによっておそらくは当時としては近代的な文化及び経済などの
実をとったのであろうと考えられています。
こうして太秦の秦氏族は、記録の上では大宝元年(701)桂川畔にそびえる松尾山に松尾神を奉鎮、
深草の秦氏族は、和銅4年(711)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして、
御神威赫々たる大神があたかも鼎立する結果となったのです。
ホ-ムペ-ジより抜粋


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[2018/09/30 23:58] | # [ 編集 ]

Re: いつもありがとうございます
> いつもご訪問ありがとうございます
>
> 伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は、大きな磐座があるそうですね。
> そこがパワーの源とききました。
> 東京にも、そちらから勧請した、伏見稲荷という神社がありますが、そこも由緒があり、たくさんのおいなりさんが祀られているんですよ^^ いつか、総本山の、京都の伏見稲荷にいってみたいです^^
> ご紹介ありがとうございます<(_ _)>今日も、こころこめて全ポチ応援させていただきますね☆☆☆彡彡

MIUMIU 美雨さん
こちらこそいつもご訪問ありがとうございます。
大きな磐座のことは知りませんでした。
あまりよく調べていませんでした。
商売繁盛のことと千本鳥居と狛辰のことしか考えておりませんでした。
ネットで軽く調べましたら私が断念した四ツ辻より奥に、大きな磐座はありそうです。

時間と体力と健康(膝)にお気を付けて御参拝して下さい。
[2018/10/01 19:23] URL | eskky28 #- [ 編集 ]


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