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eskky28

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男、47才、A型
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日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記です。(毎日更新ではないですが)

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日本の歴史とつながる週末御朱印さんぽ
日本のルーツ探究、古事記、日本書紀、神話、神社、ユダヤ人のつながりを御朱印を頂きながら巡っていく日記
卑弥呼の墓?八倉比売神社(阿波国一宮)へ参拝
平成三十年 四月二十九日に参拝

八倉比売神社(正式名称:天石門別八倉比売神社)に参拝させて頂きました。
徳島県徳島市国府町矢野531に鎮座しています。
鎮座する杉尾山自体を神体とする。

式内大社・阿波国一宮の「天石門別八倉比売神社」の論社の1つ。
旧社格は県社。
他の論社は上一宮大粟神社、一宮神社であります。

創建の年代は不詳であるが、社伝には天照大神の葬儀の様子が記されている。
社殿裏手には五角形の磐座がある。一説には卑弥呼の墓であるという。
近くに「天の真名井」と呼ばれる井戸があり、現在は「大泉神社」として祀られている。
Wikipediaより抜粋

こちらも阿波国一宮。「天照大神の葬儀の様子や卑弥呼の墓があるなんて
歴史も古そうで本当は一宮はこちらなのかな?」とか、「そういえば剣山も
イスラエルの失われたア-クが隠されているな」とか、を思いながら向かいました。

大麻比古神社から車で40分ぐらいだったと思います。
スマホナビで近くまでくると鳥居があったのですが、駐車場がなかったので
参道横の道路を車であがっていくと(丘みたいになっていました)
突き当たりに「弥生時代頃の住居を再現したような公園」の
駐車場に着きました。30台くらい停められる無料の駐車場でした。

神社がどこにも見あたらなかったので、そこに車を停めて歩いて鳥居のほうへ
向かっていると参拝帰りっぽいおばあさん(ご近所っぽい感じでした)に神社はどこに
あるのですか?と伺ったら別れ道をまだ上って行くとおっしゃっていました。
「おみくじを引きなさい」と言われてたので、普段は引かないのですが引きました。

『大吉』でした。全て大吉なんかな?とも思いましたが素直に嬉しかったです。

駐車場もあるということなので車で向かいました。
鳥居のところで邪魔にならないように無理矢理停めていると、
地元のおじさん(私もおじさんですが60くらいの方でした)が、
参拝から帰られてきて、私に「いろいろ調べてきたのかい?
(そのとき私はクリアファイルを持っていました)
霊感ある?奥の院の五角形の石積の祭壇は凄いよ」と教えて下さいました。

もちろん、「霊感はないです、霊感あるんですか?」と聞いたら
おじさんもないと言ってました。
「ないんかい!」と心の中で突っ込んでいました。

ひと気のない場所でひとりでいると、なんか気持ち悪い、
怖いときもありますよね。特に夜など。それは霊感ではない?ですよね。


鳥居から急な石段になります。5分くらい急な石段を上ったと思います。
上りきって、左手の手水舎で清めて、拝殿で参拝をし、隣の稲荷社に参拝をして
さあ写真撮らせて頂こうと思ったら、スマホを車に忘れてきてしまいました。
ナビとしてメ-タ-横に置いたままでした。

また、あの急な石段を下りて上るのか-とガクっとなりました。
『膝が無事でありますように』と祈りながら取りに行きました。
無事境内に戻って来れ、写真撮影をしてから奥の院の五角形の石積の祭壇
に参拝してまいりました。


【邪馬台国四国説】
邪馬台国が徳島にあったという説については、昭和51年(1976年)に
発刊された『邪馬壱国は阿波だった』において本格的に紹介された
(邪馬「臺」国ではなく、誤字とみなされていた「壹」にすることで“やまい”と読ませて、
阿波との関連性を高めている)
四国説では、天照大神=卑弥呼とみなし、高天原も阿波にあるという展開となっている。
また「魏志倭人伝」に記載されている方角や距離などの条件に
最も合うのが四国であるということも、根拠としている。

【八倉比売神社  鳥居】
20180530232140c7d.jpeg


【八倉比売神社  黒木鳥居?】
201805302328551ff.jpeg


【八倉比売神社  鳥居の扁額】
201805302330277eb.jpeg


【八倉比売神社  急勾配の石段】
20180530233226b3c.jpeg


【八倉比売神社  境内】
20180530233537e78.jpeg


【八倉比売神社  「あ」の狛犬】
201805302337376b8.jpeg


【八倉比売神社  「うん」の狛犬】
20180530233921873.jpeg


【八倉比売神社  手水舎】
201805302341184b4.jpeg


【八倉比売神社  拝殿と拝殿前の狛犬】
20180530234328d01.jpeg


【八倉比売神社  拝殿】
20180530234457c6f.jpeg


【八倉比売神社  拝殿前「あ」の狛犬】
20180530234652983.jpeg


【八倉比売神社  拝殿前「うん」の狛犬】
2018053023481479c.jpeg


【八倉比売神社  本殿】
この写真では分かりにくいですが、神陵を削って本殿を建てています。
201805302353018bf.jpeg


【八倉比売神社  稲荷社】
20180530235630cf9.jpeg


【八倉比売神社  奥の院】
2018053023585386a.jpeg


【八倉比売神社  奥の院 五角形の石積の祭壇】
卑弥呼のお墓?
20180531000051d20.jpeg


【八倉比売神社  御朱印】
神社からは少し離れた家が社務所になっていました。
201805310005013aa.jpeg

【御祭神】
八倉比売命 - 天照大神の別名であるとする、大日孁女命
【創建】
不詳
【ご由緒】
数ある邪馬台国論争の中に、「邪馬台国は阿波だった」
という邪馬台国阿波説がある。
その根拠や検証の過程は割愛するが、その説によると、
邪馬台国の女王卑弥呼の陵墓は徳島市の矢野神山(気延山)
南陵の八倉比売神社にあるという。
八倉比売神社は、正しくは正一位延喜式官幣大社天岩門別八倉比売神社
(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)といい、
祭神は天照大神。邪馬台国阿波説によると、卑弥呼とは“日の巫女”であり、
大日霊女命(おおひるめのみこと)、つまり八倉比売神社の祭神天照大神のことだと説いている。
矢野神山自体をご神体とし、山や岩、
木に神が宿るとする古代信仰の形を今に伝えている。
この矢野神山には200基近い古墳があり、
江戸時代、神陵(古墳)の一部を削り本殿を造営。
この本殿裏の神陵(古墳)が卑弥呼の陵墓だと伝え、
神社に伝わる由緒には、塚に“金印”が埋められたことまで記されているという。
後円部の直径は約35m、頂上部には五角形の祭壇が築かれ、
祭壇の上には永遠の生命を象徴するという鶴亀の石が祭られている。


実は、八倉比売神社も古墳の上に建てられており、前方後円墳の前部分に社殿が、
そして後ろにあたる円墳部分は奥の院となっている。
この奥の院には、五角形の石積みの祭壇が置かれ、
その上には“つるぎ石”と呼ばれる石が収められた祠がある。
この祭壇は一説によると“卑弥呼の墓”であり、
この阿波一帯こそが邪馬台国であると言われている。
真偽はともかく、この青石で造られた祭壇の異質ぶりは一見の価値があるだろう。

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コメント

いやー八倉ヒメ神社、上の六角だか五角石積み見てきましたよ。明治初期に徳島が日本6位の大都市で、吉野川下流平野広く、国生み伝説が淡路島→四国の順なら、卑弥呼は天照大神で徳島、あり得るかも
[2019/08/24 10:27] URL | #- [ 編集 ]

Re: タイトルなし
> いやー八倉ヒメ神社、上の六角だか五角石積み見てきましたよ。明治初期に徳島が日本6位の大都市で、吉野川下流平野広く、国生み伝説が淡路島→四国の順なら、卑弥呼は天照大神で徳島、あり得るかも

コメントありがとうございます。
暑い中、行かれたんですね。国生みは淡路島ですもんね。色々な説があり過ぎて、少し混乱してしまいます。
[2019/08/26 00:25] URL | eskky28 #- [ 編集 ]


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